5話 レオンハルトの動きを調べて
春の舞踏会から数日が経った。
あの夜、レオンハルト様とわずかな会話を交わして以来、私は普段の社交やドレス選びよりも、家の書類仕事に没頭する日々を送っている。
それは単に「父様の仕事を助けるため」――という体裁をとっているけれど、実際の一番の理由は別にあった。
いろいろな貴族の財務報告書や取引記録を読んでも、怪しまれないようにするためだ。
お父様は貴族同士の交流や管轄領地の管理に時間を割いている分、財政面の細かい仕事までは手が回らないことが多い
そこで、私は「家を支えたい」という名目で、積極的に帳簿や報告書を見始めた。
前の人生の私は、社交界の煌びやかさに浮かれてこうした仕事を「面倒」だと放置していた。
でも、今となってはむしろそれが大きな武器になるとわかっている。
「エステル、本当に手伝ってくれているのか。助かるなあ。これまでは放置している部分も多かったからなあ……」
父様はそう言いつつ感謝し、必要なら遠慮なく声をかけろと私に言ってくれる。
もちろん、その言葉に甘えるつもりはない。
私は出来るだけ自力で書類を読み込み、少し怪しい箇所は地図や補足資料と照らし合わせながら確認している。
表向きは「家の財政管理を学ぶエステル」という姿で。
けれど、私の真の狙いは――ヴィクター派の貴族たちの動きを探ることだ。
いろんな貴族家の財務報告書を眺めるのは地味で骨の折れる作業だ。
けれど一度死んだ身として、贅沢は言っていられない。
むしろこういう地道な調査こそ大事だろう。
前の人生で私は、まったくこの手の数字を見ようともしなかった。
その結果、ヴィクターが裏でどれだけ巧妙に資金を動かし、私を追い込む準備をしていたのかに気づけなかったのだ。
「今度は見逃さない。あなたがどう資金を集めようと、先回りして叩き潰す」
そんなことを呟きながら、書類を見ていく。
机の上に山積みになった書類の中には、各領地の税収や貴族同士の貸借状況が細かく記されている。
それぞれが薄っすらと関連を持っていて、王都近郊ではヴィクター派に属する貴族が優先的に仕事や契約を手にしていることなどが透けて見える。
私はインクをつけたペンを片手に、綺麗な紙の余白にメモを取っていく。
貴族の名前、領地の地名、そして派閥関係。
まるで頭の中でパズルを組むように。
すると、ある日の晩、気になる財務報告書に行き当たった。
ヴィクター派の中心的存在と思われる公爵家が提出したものだ。
そこに記された数字のいくつかが、違和感が少しある程度に改竄の痕跡を持っている。
(予想通り改竄があるわ……でも、私が想定していたのと違う)
私はペンを指で回しながら、眉間に力を入れて報告書を睨む。
改竄といっても、「資金を少なく見せかける」わけではなく、むしろ「微妙に多く見せかけて」いるのだ。
ヴィクター派に流れてもいい資金が、逆に少なくなっている。
これでは、派閥全体の資金力をほんの少しずつ削っているように見える。
あまりにも巧妙で、一度死んだ身でなければ気づけないほどの細工。
実はこの動き、前の人生でもどこかで話に聞いた覚えがあるけれど、詳しくは掴めなかった。
ヴィクター派が資金に苦しんでいるような噂も、結局は立ち消えになってしまっていたし……。
「もしかして、誰かが意図的に財務を妨害している? ヴィクター派が資金源を確保しようとしているのを、少しずつズラして邪魔している……」
そう考えたら辻褄が合う。
そして――。
「そんなことできる人なんて限られているわ」
私は小声で呟く。
公爵家を相手にこんな大胆なことを仕掛けられる人は、そうそういない。
派閥外の者がやれば、すぐに敵視されて大問題になるだろう。
だが、この改竄は相当に精密で、かつバレにくいレベルで行われている。
周囲の通常会計と比較しなければまず気づかない。
私がまったく財務に詳しくなかった前の人生では、こうした事例を見逃してしまっていたに違いない。
これは――。
「やっぱりあなたよね、レオンハルト殿下」
紙の端をくしゃりと握る。
数日前に会った、あの無気力を装う王子の姿が脳裏に浮かんだ。
レオンハルト様こそが、この改竄の首謀者――と言っては大袈裟だけれど、少なくとも資金調達を邪魔している立役者に違いない。
一体どうやって?
もしかすると、王族が持つ権限や、父親である国王の周辺を利用しているのかもしれない。
あるいは、ヴィクターとは逆のルートで商人や財務担当を動かしているのだろうか。
理由はわからないが、これだけ小さな改竄でヴィクター派の余裕資金を減らすなんて、並大抵の頭脳ではできない芸当だ。
「やっぱりあなたは無能なんかじゃない。むしろ、ヴィクター殿下に真っ向から対抗できる、もう一人の王子……」
私はその場でペンを置き、ひとつ息を吐く。
どうやってレオンハルト様を味方につけるか――数日前からずっと考えている課題だけれど、これが決め手になりそうな気がする
私が「あなたが仕掛けているのを知っている」と示せば、あの方も私の存在をただの「物好き令嬢」とは思わなくなるかもしれない。
前の人生ではこんなやり取り、思いも寄らなかったけれど、二度目の人生だからこそできる。
私はさっそくペンを手に取り、綺麗な筆跡で短い手紙を書くことにした――。
手紙を出した翌日は何の返答もなく、また翌日も音沙汰なしだった。
少し焦ったけれど、書類仕事に没頭しながら時間を潰す。
外からは「エステル様は最近本当に熱心ね」とか「令嬢らしからぬ数字の知識があるなんて」といった声が聞こえるが、私は適当に笑って誤魔化す。
そしてさらに数日後の夜、私が家の書庫で一人残って書類を整理していると、使用人がひそひそ声で呼びに来る。
「お嬢様、王族の方がひっそりといらっしゃいました。あの……あまり表に出たくないようなご様子で、何やら書庫にお通ししてくれと言っておられます」
「え……王族って、まさか……」
「ええ、レオンハルト殿下と名乗られました。いかがいたしましょう?」
やはり来てくれたのだ。
私は心の中でしめしめと喜びながら、すぐに対応する旨を伝え、使用人に「ごく静かに通してほしい」と頼んだ。
周囲に見られないよう配慮してもらい、ほどなくして細い足音が書庫へ近づいてくる気配がする。
扉がそっと開き、そこに立っていたのは、あの淡い金髪を持つレオンハルト様だった。
相変わらず気だるそうな顔だが、その瞳には明確な疑問と探るような鋭さが宿っている。
私は軽く会釈をし、彼を中へ招き入れる。
「レオンハルト殿下、ようこそ。家の書庫なんて地味な場所で申し訳ありません」
「構わないさ。……それにしても、君が書いたあの手紙には驚いたよ。僕の立場がまずいことになるんじゃないかと焦った」
レオンハルト様は扉を軽く閉め、周囲に誰もいないかを確認したうえで私を見つめる。
その灰色の瞳がまるで私の内側まで覗き込もうとしているみたいで、正直少し緊張する。
「そうでしょうね。私もあんな内容を書けば、殿下が動揺なさるかもしれないとは思いました。でもほら、こうして来てくださった」
「まさかバレるなんて思わなかったよ。さっきも言ったけど……君、なかなか大胆だね。で、君の要求は何だい?」
彼は椅子を見つけて勝手に腰掛けると、気だるそうにため息をついた。
私は書庫の机の端を軽く叩きながら言葉を続ける。
「要求……というか、お願い、ですね。私はあなたに共犯者になってほしいんです」
「……は?」
レオンハルト様は呆れたように目を細め、はっと息を飲む気配を見せる。
今度こそ私は、あなたと手を結びたい。
ヴィクター殿下を追い詰めるために。
――死ぬ前の人生で果たせなかった共闘を、今度は成功させる。
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