4話 無能王子とのダンス
金髪だけどヴィクター殿下ほど華やかな印象ではない男性。
長身だけれど、まるで周囲の視線なんてどうでもいいかのように、無気力そうに立っていた。
服装も派手ではなく、どこか質素な色合い。
だというのに、周囲の侍従たちは彼を慌てて迎え入れている。
「へえ、あれが『無能王子』か……」
「本当に使えないらしいわよ。王宮でも誰からも期待されていないって」
そんな囁きがちらほら聞こえてくる。
前の人生で、レオンハルト王子が「無能」と呼ばれていたのは知っていた。
でも、果たしてそうだろうか。
少なくとも、私が死ぬ直前――あの忌まわしい結末を迎える少し前に、一度だけ彼が私に忠告してくれたのを覚えている。
『兄のヴィクターには気をつけて。……あまり信用しないほうがいい』
唐突にそう言われた私は、そのとき素直に信じられず、むしろ勝手な警告だと軽んじてしまった。
そして結局、私はヴィクターの陰謀にまんまと巻き込まれ、処刑台で首を落とされたのだ。
あのときレオンハルト様の言葉を信じていれば、私の人生は変わっていたのかもしれない。
無能王子だなんて、きっと世間の勘違いだと思っている。
社交界の中央で、レオンハルト様は何人かの貴族に囲まれている。
私から見れば、彼が何を考えているのか読みにくい。
柔らかな金髪を持つヴィクターとは違って、レオンハルト様は落ち着いた金色というか、もう少しくすんだ色合いだろうか。
その髪に隠れるように伏せがちな瞳は、どこか怠惰な雰囲気を醸し出している。
「……やっぱりすごく無気力そうね。誰とも目を合わせようとしないし、口数も少なそう。あんな人が王族だなんて……」
周りの者たちがクスクスと笑っている。
私は少し遠巻きに立ちながら、その無関心そうなレオンハルト様の姿を観察する。
そう、彼は「周囲からまったく期待されていない王子」として扱われているらしい。
確かにヴィクターのように常に笑顔を振りまいて人心を掌握するタイプではなさそうだ。
なんで彼はあんな態度を貫いているのだろうか。
誰からも期待されず、孤立して……。
思考をめぐらせていると、ふいに彼の視線がちらりと私を捉えた。
まさかと思いながらも、ほんの一瞬、私と目が合う。
半眼のような怠そうなまなざし。
しかし、その奥には鋭い光が潜んでいると感じたのは、私の思い込みではないと思う。
……遠巻きに見ていただけなのに、気づかれたかしら?
私は思わず小さく身をすくめる。レオンハルト様は周りの者に対して生返事で答えながら、さっき私を見たことなど何事もなかったかのように再び目をそらした。
その背を取り巻いている貴族の一人が、彼に話しかける。
「レオンハルト殿下、次の舞曲が始まりますが……踊られますか?」
「僕はいい。……誰も、僕なんかと踊りたい人はいないでしょう」
気の抜けた声が聞こえてきた。
彼は大きくため息をつくと、その場から立ち去ろうとする。
周囲の者たちは呆れ顔をしながら「やっぱり無能王子だ」「相手をするのも疲れるわ」と小声で嘆いている。
彼が本当に無気力かどうかは分からないけど、この様子じゃ誰も近づきたがらないのね。
でも……私はそうじゃない。
意を決して、私は足を踏み出す。
レオンハルト様が廊下へ抜けようとしているところを追いかけるように歩く。
死ぬ前に一度聞いたあの言葉――「兄を信用するな」
あれは、私を救う可能性があった一縷の光だった。
私は二度目の人生で、この光を逃すつもりはない。
「すみません、レオンハルト殿下。少し、お時間をいただいても?」
慌ただしく人が行き交う一角で、私は彼の背に向かって声をかける。
すると、レオンハルトは気だるそうに振り返った。
至近距離で見ると、確かに金髪は淡い色合いで、ヴィクターのように派手な美しさはない。
けれどその瞳は、どこか深みのある灰色にも見え、優秀さを隠した静かな炎を宿しているように思えた。
「……何でしょうか、グランディール嬢」
感情のこもっていない口調。
周りの者ならここで「無駄だ」と相手にしないだろうけど、私は平然と微笑む。
彼の視線がわずかに私のドレス、そして私の顔を観察しているのを感じる。
やっぱり、この人は計算してる。場の空気も、私の態度も――きっと全て無気力を装いながら見ているだけだ。
私は胸中で確信を深めながら、彼の前に一歩進み出た。
「今宵の舞踏会、殿下はあまり踊っていらっしゃらないご様子でしたので……少し気になりまして。私の踊りの相手を、お願いできませんか?」
自分でも思い切ったことを言っている自覚はある。
周囲が息を呑むのがわかる。
正直、社交界では無能王子とのダンスなど「箔がつかない」と考える貴族が多い。
私自身、前の人生ならそう思っていたかもしれない。
でも、私は今、違う。
「僕なんかと? 物好きですね。僕と踊っても得るものはないですよ?」
「得るものがあるかどうかは、踊ってみなければわかりませんわ」
ほんのり笑いかける私を、レオンハルト様は一瞬だけ鋭い視線で見つめ返す。
その鋭さは周りの者が言う無能とは程遠い。
私の真意を図ろうとしているのかもしれない。
「……はぁ。では、少しだけ」
「ありがとうございます、殿下」
私が静かに礼を言うと、彼は私に手を差し出してきた。
その手を取って、私達は曲に合わせてダンスを踊り始める。
レオンハルト様は私に興味なさそうに、あくびでもするかのように目をそらす。
周りの貴族たちは訝しげに私たちを見ながら、ひそひそと囁く声を残して去っていく。
私は少し間をおいてから、声を低くして話しかけた。
「殿下は、いつもああいう態度なんですの? 踊らないとか、何もしないとか……」
「僕なんかが動いても、誰も嬉しくないでしょう。兄に比べれば、僕は何もかも劣ってるって評判だし、実際そんなものですよ」
「……」
そう言う彼は、まるで世を拗ねている子供のように無気力を演じている。
けれど、この姿こそが彼を無能王子と呼ばせる演技じゃないかと私は思う。
「でも、私はそうは思いませんわ」
思い切ってそう口にすると、彼は少しだけ驚いたように眉を動かした。
「何を根拠に……。いや、初めてお話しする相手から、そんな言葉を聞くとは」
「根拠は……まぁ、直感です」
本当は「前の人生であなたに助言をもらったから」なんて言えない。
代わりに微笑んで、彼の瞳を見つめ返す。
レオンハルト様は無気力を貫こうとするが、そのまなざしには明らかに戸惑いが見えた。
「直感、ね。……変な人だ、グランディール嬢は」
「殿下こそ、変な方だと思いますわ。それほどの金髪なのに、まったく華やかさを出そうとしないんですもの」
「華やかに振る舞って、何になるの? 僕は才能なんてないし、誰も期待しないんだ。なら、好きにさせてもらうさ」
そう言う彼の声は淡々としていて、情熱のかけらも感じられないように聞こえる。
そうしていると曲が終わり、ダンスも区切りがいいので私と彼は一礼して身体を離した。
レオンハルト様は興味なさそうな目線を、会場の隅へ流す。
まるで「もう行っていい?」とでも言いたげだ。
「今日は付き合ってくださって感謝します。話ができて光栄でした」
「ええ、こちらこそ光栄でした、グランディール嬢」
最後にそう言い残し、レオンハルト様はさっさと踵を返して会場を出ていく。
彼と会話を交わしたことで、私は確信を得た気がする。
やっぱりこの人は無能なんかじゃない。
あのまなざしに――何か隠された強さがある。
あの人はきっと、何かをわざと隠している。
私は死ぬ前に、その片鱗を見たんだ。だから絶対に味方につける。
私はレオンハルトが去った方角をしばし見つめ、それから目を閉じる。
あの「無能王子」と呼ばれる男を、絶対に私の味方にしてみせる。
――今度は失敗しないわ。
そう強く決意しながら、私はドレスの裾を優雅につまんで歩き出した。
新たな一手を打つために。