3話 元親友と無能王子
「エステル、久しぶりね。あなたとこうしてまた話せるなんて嬉しいわ」
私は彼女の満面の笑みを見つめながら、一瞬だけ昔の記憶がよみがえる。
前の人生では、クラリッサは私の親友だった。
何でも打ち明け合える大切な存在だと信じていた。
でも現実は違った。
あの死ぬ直前、彼女は私の内情をすべてヴィクターに伝え、彼の手駒として動いていた。
『エステルは王子に気に入られているから、ずっと嫌いだった』
『ふふっ、無様ね。昔から気に入らなかったのよ。私はあんたを一度だって親友だって思ったことはなかったわ』
――死ぬ前に、あの処刑台で無様にうずくまっていた私の耳には、彼女が口にしたそんな残酷な言葉まではっきり届いていた。
でも、今のクラリッサは以前と変わらぬ笑顔を浮かべ、まるで本心から私との再会を喜んでいるかのように振る舞っている。
私は息を整え、あくまでも優雅に礼をする。
「クラリッサ……本当に久しぶりね。私も嬉しいわ、こうしてまたお話できるなんて」
もちろん、そんなことは思っていない。
私は、彼女の本性を知っているから。
でも表情だけは穏やかに保つ。
ここは春の舞踏会の場。今はまだ偽りの友情を演じてやるほうが得策ね。
クラリッサは私の手を取って、まるで昔からの友人同士のように顔を近づける。
「本当に……少し話し込まない? あちらのテーブルに移りましょうよ。ほら、ちょうど人が少ないわ」
「ええ、いいわよ。ここは人が多いものね」
私は頷き、クラリッサに誘われるままバルコニーに続くサイドのテーブルへと移動する。
華やかなドレスをひらりと揺らしながら進む彼女は、一見無邪気で華やかな令嬢そのもの。
でも、私には彼女の瞳の奥に潜む薄暗い光がわかる。
彼女はこんなにも愛想よく振る舞いながら、なぜ私を裏切ったのか。
顔が良いヴィクターが好きだったのか。
そんなヴィクターと婚約して結婚した私が許せなかったのか。
――それは今となってはどうでもいい。
大切なのは、私が二度目の人生で彼女に同じ轍を踏まされず、逆に利用すること。
「エステル、最近はお父上のお仕事を手伝っているんですって? 噂になってるわよ。あなたが財務管理の書類まで触れるなんて思わなかった」
「そう? ただ、ちょっとお父様のお役に立てればいいなと思っただけよ。大したことはしてないの」
私が軽く肩をすくめると、クラリッサは笑みを深める。
彼女の蜂蜜色の瞳が、まるで小動物を観察するように細められているように見えたのは――気のせいではないはず。
「でも、書類仕事って難しいじゃない? 以前のあなたはあまり積極的にやらなかった印象があったわ。急にどうしたのかしらって、みんな興味津々よ」
「そうかしら。父様が困っていたから手伝ったまでよ。書類を読むのも勉強にはなるし……私も少しは賢くならないと。この先、社交界で生きていくにはね」
すらりと言葉を交わす私を、クラリッサはじっと見つめている。
多分「急に優秀ぶってどうしたの?」と探りを入れてきているのだろう。
私はあくまで微笑で返す。
昔の私なら、彼女に全幅の信頼を置いていたから、何も考えずに内情を話してしまっていたはず。
だけど今の私は違う。
「なるほどね。でもグランディール家がますます評判を上げているという噂は本当みたい。特にあなたが変わったって……」
「自分ではよくわからないわ。ただ周りがそう言うのなら、ありがたいわね」
「そっか……」
クラリッサの唇からは楽しげな笑みが絶えないが、その瞳は冷ややかだ。
「情報を引き出そう」とする意図がわかりやすい。
――ヴィクターに報告するためかもしれない。
前の人生でも、彼女は私のちょっとした言動を誇張して伝えていた。
どんな些細な言葉でも、ヴィクターの手に渡ってしまうかもしれない。
ここで余計なことを喋るつもりはないわ。
「クラリッサこそ、久しぶりにお会いするけど……お元気そうね。近頃はヴィクター殿下に近い場所でいろいろと動いている、と聞いたけど?」
「まぁ、噂は大袈裟よ。私はただ、王宮行事のお手伝いをちょっとしているだけ。ヴィクター殿下は素晴らしい方ですもの。少しでも彼のお役に立ちたいって思ってるの」
彼女が恭しく言う「素晴らしい方」という言葉に、私は喉の奥に苦いものがこみ上げるのを感じる。
――本当に素晴らしい、と心から思っているのか。
もしくは彼女も利用し合っているのか。
どちらにせよ、彼女にはヴィクターに情報を流す理由があるのだろう。
「そう……なら、充実しているようで何よりだわ。春の舞踏会だもの、これからますます賑やかになるでしょうね」
「本当にね。ところで、エステル……」
クラリッサが少し距離を詰めて、小声で話し始める。
周囲に聞かれたくないという態度が見え見えだ。
私は親友らしい接し方を保ちながら、テーブルに置かれた飲み物に口をつける。
「あなた、最近かなり積極的に動いてるでしょう? ドレスや舞踏会のことだけじゃなくて、書類仕事や、父上様の周りへの根回しとか……何か狙いがあるの?」
「狙いなんて大袈裟よ。グランディール家の令嬢として、今の私にできることをしてるだけ。ヴィクター殿下にいろいろ言われる前に、ちゃんと役に立ちたいの」
「殿下に言われる前に……?」
「ええ、もし婚約などという話が出たときに、私が頼りない令嬢だと思われたら困るじゃない。そうならないように、自分の価値を高めたいの」
嘘を混ぜるように見せて、本音を隠す。
クラリッサは「なるほどね」と小さく笑って頷く。
確かに、前の人生でも私は婚約を期待されていた。
クラリッサがそこに引っ掛かるのは当然だ。
「でも、ずいぶん急に変わったわね。前はもう少し……ほら、のんびりしてた印象があったのに」
「急に思い立ったの。私も変わるなら――今しかない、って」
「ふふ、そう……。まぁあなたが本気なら応援するわ。なにしろ私たち、昔から親友ですものね?」
親友? よく言うわね
胸の内で毒づきながら、私は笑みを返す。
彼女が親友を装いながら、私の情報を引き出そうとしているのは明白。
これ以上、話を長引かせるのも得策じゃない。
私はグラスをテーブルに置いた。
「ありがとう。クラリッサがそう言ってくれるなら心強いわ。……でも、ごめんなさい。ちょっと他にも挨拶回りがあって。続きはまた後でいいかしら?」
「あら、残念。いいわよ、またゆっくり話しましょう。私もいろいろ伝えたいことがあるの」
「ええ、楽しみにしてる」
表向きは「楽しみ」と言いつつも、私はひそかにうんざりしていた。
きっと彼女はヴィクターに対して、私の動向を細かく報告するだろう。
でもそれで構わない。私は「もしかすると婚約話があるかもしれないから、急にやる気を出したエステル」を演じるだけ。
クラリッサに深く礼をして、人混みの中へまぎれ込む。
ふぅ……昔はあんなに無邪気な友人関係を信じていたなんて、自分で思い出しても寒気がするわ。
でもいい、今度は私が立ち回る番だ。
そんな時、場の空気がざわざわと動く気配がした。
舞踏会の扉付近から、何やら視線が集まっている。
ちらりと目を向けると、誰かが入ってきたらしい。
華やかな衣装の中でも、どこか地味な色彩の服を纏った男性が姿を現した。
背は高いが、ヴィクターのような王子らしいオーラがほとんどない。
しかし、周囲の侍従たちが慌てて彼を迎え入れているのを見る限り、ただの貴族ではない。
「あれは、レオンハルト王子……」
私は思わず小さく呟く。
金髪が眩しいヴィクターとは対照的に、やや控えめな雰囲気の男。
無能王子、と呼ばれていると耳にしたことがある。
――でも、どこかその視線には鋭さを感じる。
あの人を、私は今日探していたのだ。
あのレオンハルトという存在が――ヴィクターの陰謀をくつがえす鍵になるのかもしれない。




