18話 新たな裏切り者
「見つけた……!」
翌朝。
私は自室の机に山積みになった財務管理の書類を前にして、思わずそんな声を上げてしまった。
私は書類の束をかき分け、もう一度ペンでメモを取りながら確認する。
やっぱり……あれは私の単なるミスじゃなかったのね。
暗殺未遂まで体験してしまった私だけれど、ここ数日は多少の噂には動じず、レオンハルト様の護衛を心強く感じながら毎日を過ごしている。
とはいえ、以前からずっと引っかかっていた「財務管理の書類」に対する違和感が頭から離れなかった。
グランディール家では、私が父を補佐する形で財務処理を学んでいる。
これは単にお手伝いというより、自分の目で「何が行われているか」を確かめるためでもあった。
最初は、自分の勉強不足ゆえの戸惑いや単純な計算ミスが原因で「違和感」を覚えているのだろうと考えていた。
けれど、暗殺計画が一段落して少し気持ちに余裕ができたことで、改めて書類をじっくり見返してみて、見つけた。
しかも、かなり巧妙に隠してある。
「これ……私の家の資金を王家に納める税金に紛れ込ませる形で、誰かが不正をしているわね」
手元の書類には「グランディール家の領地から上がる収益」や「王家への税金」が細かく記されている。
数字自体は整合性が取れているように見えて、どれもごくわずかずつ誤差がある。まるで誰かが「少しずつ」資金を抜き取っているような形跡だ。
しかもそれは単に「抜いている」だけでなく、どこか別の場所に流している。
しかも「表向きはきちんと税金を納めているように見せかけている」がゆえに――もしバレれば、グランディール家こそが「架空の報告」で得た資金を横領していると疑われかねない構図だった。
「……まさか、お父様がこんな危ない道を選ぶわけがないもの。人柄だって知ってるし、あんな真っ正直な人が詐欺みたいな真似をするなんて考えられない」
私は父の性格をよく知っている。
父は優しくて、私がどんなに周囲から悪評を流されても「娘を信じる」と言ってくれた人だ。
クラリッサが仕掛けた陰謀のときも、最後まで私を庇ってくれようとした。
そんな父が自ら危険な裏工作に手を染めるなんて、あり得るはずがない。
「じゃあ、いったい誰が……?」
書類をさらに読み込みながら、私は思わず息を詰まらせる。
領地収益の一部は財務大臣のグスタフと繋がっているルートに流れ込んでいる。
グスタフは国の財源を管理する立場。
横領や不正資金集めの件で名前が浮上していたヴィクター派閥の一端を担う人物でもある。
けれど――そもそもグスタフが私の家の数字を直接いじれるわけがない。
少なくとも、外部の者がこれほど綿密に隠すのは難しいだろう。
「やっぱり、身内が動かなきゃこんなことはできない……けど、お父様じゃない。なら、いったい……」
親族や家の使用人の誰か?
でも身内で、しかも領地の管理や税金の扱いをそれなりにわかっていて、さらにグスタフのような人物と繋がりを作れる存在がいるとすれば――限られている。
苦い胸騒ぎを抱えながら、私は意を決してレオンハルト様に相談しようと立ち上がった。
彼には前にも財務の件で手を貸してもらったし、王族としてのルートで情報を集めてもらえれば、もっと確たる証拠をつかめるかもしれない。
「私一人で考えていても限界があるわね」
書類をまとめ、胸に抱えて廊下へ出る。
屋敷の離れまでは少し距離があるけれど、急ぎ足で向かおうとしたそのとき――。
「エステル。珍しいわね、こんなところで何をしているの?」
突然、聞き慣れた声が耳に届いた。
従姉妹のミリアムの声だ。
彼女は社交界でも穏やかな笑顔を見せ、優雅で落ち着いた物腰で有名だ。
私も幼い頃からよく遊んだ相手――だったが、最近は忙しさもあって、まともに会話をするのは久しぶりかもしれない。
不自然なほどたくさんの書類を抱えた私を見て、ミリアムは少し驚いたように目を瞬かせている。
「ミリアム……ええ、ちょっと財務処理について確認があって。父様のお手伝いみたいなものよ」
「そう。エステルも大変ね。私にできることがあれば、いつでも声をかけてちょうだい」
相変わらず柔らかな微笑み。
使用人たちが「ミリアム様はいついらしても癒やされる」と口々に言う気持ちもわかる。
だからこそ、私はほっと息をつきそうになる――けれど、なぜか喉の奥がうまく動かない。
なんだろう、この違和感。
ミリアムと何気ない会話をしているだけなのに、心のどこかが警鐘を鳴らすようにざわついている。
「……ありがとう。助かるわ。ミリアムはこの屋敷に滞在しているの?」
「ええ、しばらくはね。叔父様のお手伝いもしてるの。私も少しでも役に立ちたいと思って……エステル、書類が重そうだし、また後でね?」
そう言って彼女は軽く手を振り、再び優雅な足取りで去っていく。
私もミリアムに向けて笑顔を返そうとしたが、唇がこわばって上手く笑えなかった。
わざわざ私の父を手伝うために、ここ最近ずっとグランディール家に滞在しているというのは……不自然と言えば不自然。
死ぬ前の私だったら「従姉妹がお父様を助けてくれて嬉しい」と喜んだかもしれない。
だけど今は、何かがおかしいと感じてしまう。
クラリッサのときも最初は小さな違和感からだった。
暗殺の一件でも学んだ。
怪しいと思ったら、躊躇せず深堀りするべきだ。
特に一度死を経験した私には、その慎重さが必要だと痛感している。
私は戸惑いを振り払うように首を軽く振り、そのまま書類を抱えたまま足早に離れへ向かった。
屋敷の離れの一室。ここは私とレオンハルト様の密会場所でもある。
扉をノックすると、既に部屋の中で待っていたらしいレオンハルト様が声をかけてくれる。
「どうしたの、そんなに慌てて」
「すみません。実は少し気になることが……これを見ていただきたくて」
私は書類を机の上に広げながら、今回の疑惑をかいつまんで説明する。
グランディール家の財務処理で不審な数字があり、その先には財務大臣グスタフが関わっているらしいルートがある。
表向きには「王家へ納める税金」なのに、よく見るとごくわずかずつ抜かれて別の口座へ流れている――まさに横領の手口だと。
「もしバレれば、グランディール家が罪を被るかたちになるんです。父様を巻き込もうとしているかのように……まるで罠みたい」
「なるほど。兄上の派閥であるグスタフ大臣が関わっているなら、この不正資金は確実に『ヴィクター派』のどこかに行くはず。でも、どうやって君の家を利用してるんだろう」
レオンハルト様は書類をじっと睨みながら、時折ペン先で数字をなぞる。
彼は財務の改竄に詳しいだけでなく、王族として公的な財務書類も調べられる。
前にもクラリッサ関連の不正を暴くときに助けられた。
今回も、ここで協力してもらえば、裏付けが取りやすいはずだ。
「私、さっき従姉妹のミリアムに廊下で会ったんです。でも……なぜかすごく胸騒ぎがしたというか。彼女、今グランディール家に滞在しているらしいんです」
「従姉妹のミリアム嬢? なるほど、家の内部事情に通じていて、財務の知識もあれば、不正を仕掛けることは不可能じゃないかも」
レオンハルト様が呟くとき、灰色がかった瞳にわずかな鋭さが灯った。
無能王子と蔑まれてきたこの方だけれど、裏で第一王子のヴィクターをしっかり出し抜こうとしているだけあって、この種の調査はお手のものだ。
「ごめんなさい、まだ確信が持てないんです。だけど父様じゃないとすれば、従姉妹かもしれないと思ってしまって……」
「いいよ。疑うのは大事だ。僕のほうでも王宮の記録を照らし合わせるから、ミリアム嬢がどこかでグスタフ大臣と接触していないか調べられると思う。下手に動いて怪しまれたら困るし、まずは裏取りだね」
こうしてレオンハルト様が協力を約束してくれると、少し胸が軽くなる。
私も書類の控えを渡し、具体的な数字や経路を説明していく。
そして、この日はそれで一旦解散することになった。
しかし翌日、レオンハルト様は早くも結果を持ってきてくれた。
離れで顔を合わせるやいなや、
「結論から言うと、犯人は君の従姉妹、ミリアム嬢だよ」
と静かに告げられた。
「やっぱり……ミリアムが……」
心臓がわずかに締め付けられる。クラリッサの裏切りとはまた違う痛みが胸を刺した。
ミリアムは昔から気品があり、使用人にも優しく接し、私と並んで「グランディール家の誇り」と呼ばれていた時期さえある。
まさか彼女が父様を陥れるような裏工作に携わるなんて。
「ごめん。落ち込ませるつもりはなかったんだ。……でも証拠が揃ってる。ミリアム嬢はグスタフ大臣側の人間と接触して、そこからヴィクター派のために動いている形跡があるね」
「……そうですか。大丈夫です、ありがとうございます。むしろ早めにわかってよかったです」
私の声が震えそうになるのを必死で抑える。
「大丈夫? エステル」
レオンハルト様が申し訳なさそうに目を伏せるのを見て、私はかすかに笑みを作ってみせる。
私がここで弱音を吐いてしまったら、結局また誰かに隙を突かれるだけだ。
「大丈夫です。従姉妹のミリアムが相手でも、容赦はしません。家族だからこそ許せないっていうのもあります」
一度死を経験し、暗殺未遂にも遭い、前世では散々裏切られた。
だからこそ今は、「復讐を果たす」と決めている。
「……私は、自分の手で勝ち取るの。二度と何も失わないように」
そこには、昔のただの令嬢だったエステルはいない。
復讐に生きる、二度目の人生を駆ける私がいるだけ。
レオンハルト様はしばらく黙り込んだ末、ゆっくりと頷いてくれた。
「わかった。なら、僕もやれるだけ協力する。……それでこそ僕の共犯者だ」
彼はそう言って静かに微笑んだ。
従姉妹のミリアムが敵とわかったからには、もう同情の余地などない。
私は私のやり方で、きっちり追いつめてみせる。
この二度目の人生を、ただ流されて終わらせるなんてまっぴら。
邪魔をする者は、誰であっても容赦しない――それが、私の生き方だから。




