16話 今だけは
暗殺を仕掛けてきた襲撃者を撃退してから、日常が一変したわけではない。
と、言いたいところなのに、やっぱり胸の奥は落ち着かない。
以前と同じように社交界に顔を出し、グランディール家の用事をこなし、ドレスを選んで優雅に振る舞って……そんな姿を周囲は見ているはず。
でも、心の中では「暗殺計画がまだ動いているかもしれない」といつも意識していて、正直なところ休まらない日々を過ごしているのが本音だ。
それに……最近になって財務管理の書類を見ていると、どこか違和感を覚え始める。
ようやく慣れてきたと思ったのに、どこかムズムズする部分が多くなってきた。
これは私のミスなのか、それとも巧妙に隠された資金横領などの策略なのか。
それがわからない、見抜けないからさらにストレスが溜まる。
そんなことを考えながら、馬車に乗り込むたびに小さく息をついてしまう。
暗殺計画の存在を知っているだけならまだしも、実際に殺されかけた今となっては、いよいよ本物の恐怖がつきまとう。
馬車の窓の外を見るたびに、「もしかすると、今、狙われているかも」と神経を張り詰めてしまうのだ。
二度目の人生だからこそ、絶対に死ねない。
復讐のために、ヴィクター派の悪事を暴くまでは、何としても生き抜かないといけない。
馬車の振動が多少揺れただけでも、一瞬身体が強張ってしまう自分に気づくたび、少し情けないと思う。
そんな私の心境を察しているのか、護衛として馬車に同乗しているレオンハルト様は、いつもと変わらぬ淡々とした口調で声をかけてくれる。
「エステル、大丈夫? やけに疲れて見えるけど」
顔を上げると、黒いフードで半分ほど顔を隠しているはずのレオンハルト様が、心配そうな視線を向けていた。
私が「大丈夫です」と曖昧な笑みで返しても、彼の瞳はまだ探るようにこちらを見つめてくる。
「本当に平気? 暗殺未遂からまだ日が浅いし、兄上の派閥はまだいろいろ動きがある。少し休んだほうがいいんじゃないか?」
優しい口調に、胸が少しだけ痛む。
事実、情報集めを続けるのは苦ではないけれど、心労は着実に溜まっている。
この数日、貴族たちからは新たな噂や動きを仕入れてばかりで、自分を休ませる余裕をあまり考えてなかった。
「ええと……まあ、少し疲れているのは事実かもしれません。でも、ここで止まったらヴィクターの好き放題を許すだけですし……」
自分でも意地を張っているような声が出てしまう。
レオンハルト様はフードの下で小さくため息をついたように見えた。
「わかってるよ。君が頑張りすぎてるのは、誰の目にも明らかだ。でも、根を詰めすぎれば効率も下がるだろう?」
馬車が揺れる中、御者に合図するような動作が見えた。
どうやら進行方向を変えたらしい。
私は目を丸くして、窓の外を見る。
「え……? どこへ?」
まだ夜会からの帰り道の途中なのに、こんな路地を曲がるなんて通常の道筋じゃない。
案の定、レオンハルト様はふっと笑みを浮かべる。
「さっき聞いた話だと、今夜は近くの広場に屋台が出ているらしい。行ってみようか。少し息抜きできるかもしれない」
「広場に……でも、帰ってから今日得た情報をまとめないと……」
私が言いかけた瞬間、彼は軽く首を振って遮る。
「まとめるのは後でもいいさ。殿下と財務大臣グスタフの繋がりにせよ、騎士団長ロドルフの動向にせよ、焦って考えても限界がある。だったら、少し楽しむ時間を作ってもいいんじゃないか?」
口調は穏やかなのに、説得力が妙にある。
むしろ、私がここで断る理由を思いつけないほどだ。
確かに、共犯者として彼と一緒にいるうちに感じ始めたことだけど、レオンハルト様には謎の余裕がある。
その余裕が私を落ち着かせてくれるのだと思うと、嬉しくないわけではない。
「……わかりました。お言葉に甘えます」
ほんの少しため息が混じった返事になるのは、自分の素直じゃない性格ゆえかもしれない。
だけど、内心では彼の提案を受け入れられるのが少しありがたいとも思っていた。
一度死んだ身だとしても、暗殺計画があるってわかって常に張り詰めていられるほど、私は強かではないようだ。
「よし、じゃあ決まりだ。広場のほうへ向かってくれ」
レオンハルト様がそう言うと、御者は「かしこまりました」と答え、手綱を器用に操作する。
馬車は少し揺れながら、路地をゆっくりと曲がっていった。
夜道にはまだ警戒が必要だけど、こうして彼と一緒なら大丈夫な気がする――いや、思い込んでしまっている自分がいる。
でも、それでいいのかもしれない。
いまは情報のことより、心と体を休めるほうが先決だ。
「レオンハルト様、ありがとうございます。ちょっと気が楽になりました」
素直に口にすると、彼はやや照れたような様子を見せる。
フードの奥から、眠そうな瞳がわずかに細められているのが見えた。
「いや、僕はただ……君が無理してるのを見ると、心配になるんだ。共犯者は長持ちしてもらわないと困るから、ね」
最後に冗談めかした言い方をするものの、その瞳は本当に優しい。
王族としてではなく、大事なパートナーとして私を気遣ってくれている――そんな思いが伝わってくる。
「そうですね。共犯者同士、お互いに長持ちしましょう」
軽く微笑み合ったところで、馬車は徐々に広場へ向けて進んでいく。
遠目に明かりが見え、わずかに人々の賑わいが聞こえてきた。
そこは、日中から夜にかけて屋台が立ち並ぶ一角で、庶民の活気溢れる空気が漂っている。
夜会で得た情報より、今はこの温かい光景に身を委ねるほうがいいのかも。
そんな風に思いながら、私はレオンハルト様と肩を並べて馬車を降りる準備をする。
「では行こうか、共犯者殿」
「はい、共犯者様」
私達はそう笑い合ってから、馬車を降りる。
彼と一緒にいるだけで、恐怖は和らぐし、休息が取れるような気がする。
暗殺計画に怯え続けるわけにはいかない。
せめて今夜くらいは彼に導かれるまま、この屋台の賑わいを楽しもう。




