1話 エステルは回帰し、復讐を誓う
本作は小説1巻分の文量をすでに書き終えて、物語として一区切りついています。
30話を2,3週間ほどで全て投稿していきますので、お付き合いください。
処刑台の上、私――エステル・グランディールは刃が振り下ろされる寸前まで、意識を失わないように必死に耐えていた。
「死ね悪女!」
「地獄に落ちろ!」
「ははっ、見ろあの顔、無様だな!」
歓声なのか嘲笑なのか、もう耳に何が入ってきているのかさえ曖昧だった。
最後に見えたのは、あの男――第一王子ヴィクター・ヴィーゼンベルクの冷たい笑み。
「ふっ、早く私の前から永遠に消えるがいい。この悪女め」
(ヴィクター……!)
私は悔しさで血が滲むほどに唇を噛む。
私を嵌めたすべての者を呪いながら、首に鋭い感触を覚えて……そこで世界が途切れた――。
――はずだった、なのに。
目を開けると、処刑台の上ではなくある部屋の中だった。
「えっ……」
思わず部屋の中を見渡す。
ここは……少し前の私の部屋だ。
白い天井、薄いベージュ色の壁紙、窓辺に置かれた観葉植物――すべてが記憶よりもずっと若々しい。
それを視界に収めながら、私は息を呑む。
まだ息があること自体が信じられない。
「死んだはず……いえ、絶対にあのときは……」
かすれる声でそうつぶやきながら、自分の首元を撫でる。
皮膚は滑らかだ。血の感触や切断された傷など、微塵もない。
あの処刑台で断頭される瞬間の痛みが、まだ鮮明に脳裏に焼き付いているというのに……。
「どうなってるの……?」
私は思わず声を上げた。
思い返したくもない恐怖が蘇り、手が震える。
けれどベッドから起き上がって、室内をぐるりと見回した瞬間、これは夢なんかではなく現実なのだと強烈に感じた。
カレンダーを見ると、「三年前」の日付。
夢や幻でもなく、どこからどう見ても私は過去に戻っている。
「戻ってきた……そういうこと?」
納得できるわけがない。
それでも、もしこれが事実ならば――今は、まだヴィクターの婚約者になる前だ。
あの王子に利用され、私が陥れられる筋書きはまだ始まっていない。
ああ、今でも私を裏切った者達の顔が鮮明に脳裏によみがえる。
「――あいつら……!」
復讐の炎が、心の内に燃え盛るのは当然のことだった。
「復讐、なんて言葉……あの頃の私には縁遠いものだったわね」
三年前の私は、ただ漠然と「王子に愛される婚約者」としての未来に期待を抱き、周囲からの嫉妬や陰口を気にしながらもうまくやり過ごせると信じていた。
元親友のクラリッサも、一度は心を許していた相手だ。
けれど実際には、彼女たちは私を裏切り、ヴィクターの計画に加担していた。
最終的には、私が『悪女』の烙印を押され断罪されるための手駒として……。
「二度と、同じ目に遭わない。絶対に、今度は私がすべてを奪い返す」
思わず、自室のベッドサイドを叩きながらそう声を漏らす。
本当は泣き叫びたいほどの悔しさがあるけれど、今は怒りが勝っている。
あの処刑台での屈辱、王宮中に晒された恥辱は消えようがない。
「ヴィクター、あなたの眼差し……忘れてなんかない。三年前の私とは違うってことを、身をもって思い知りなさい」
そう吐き捨てたとき、控えめなノックが聞こえた。
ピクッと身を強張らせて扉を見つめると、メイドの声が聞こえてくる。
「お嬢様、起きていらっしゃいますか? まだお休みの時間かと思いましたが……」
「あ、ええ、ちょっと……目が覚めてしまって。大丈夫よ、何でもないわ」
そう答えつつ、「大丈夫なわけある?」と胸中でつぶやく。
とはいえ、今ここで取り乱した態度を見せても仕方がない。
三年前の私はまだ「普通の令嬢」だったんだから、今急に豹変すれば周囲が不審に思うだけだ。
「失礼いたしました。なにかご用があればお呼びください」
メイドは引き際をわきまえている。
扉の外から控えめに足音が遠ざかっていき、私はそっと安堵の息を吐き、額を押さえる。
「ああ、そうよ……ここはまだ『あの頃』なのよね。自然に振る舞わなきゃ」
誰にも悟られずに、あの大逆転を成し遂げるには、まず情報が必要だ。
三年前の時点で誰がどんな立ち位置にいて、どこから崩せばいいのか。
私は既に「前の人生」での失敗を学んでいる。
裏切り者たち、婚約者を奪おうとした従姉妹、陰で私を嫉妬する友人面の女。
全部、知ってる。
「でも……どうやって仕掛けようか?」
思わずくすりと笑みがこぼれる。
こんな邪悪なことを考える私を、かつての私自身が見たらどう思うだろう。
純粋で愚かだったあの頃のエステルは、今ここにはいない。
「裏切り者たちを片っ端から――ん、いや、焦っては駄目。まずはヴィクターを中心にした派閥をどう崩すか。彼が仕掛けてきたタイミングを利用して、逆に追い詰めるのもいいかもしれないわね」
きっと、ヴィクターは表向きの「理想的な第一王子」として、私に甘い言葉を囁くだろう。
前世の私はその姿に浮かれていた。けれど今は知っている――あの王子はただの冷酷な野心家だ。
弟であるレオンハルトを「無能王子」と蔑む裏で、取り巻きと共に私を陥れる計画を続けていた。
今も昔も「自分以外の存在はただの捨て駒だ」と思っているに違いない。
「けれど、私はそれを知っている。どれだけ腹黒い王子でも、私が先手を握ってしまえば――ふふっ」
三年前の社交界を思い返せば、あらゆる行事や舞踏会、それに宮廷の宴が次々に予定されている。
ヴィクターはそこを使って、私への信頼や地位を一気に崩す。
私は無実の罪を背負わされ、親族にすら見捨てられる流れになる。
そうなる前に、こちらから布石を打ってやればいいのだ。
「徹底的に潰してあげる。覚悟して、ヴィクター・ヴィーゼンベルク」
自室に漂う静寂を破るように、私は低く呟く。
声が震えているのは、怒りかそれとも歓喜か……いや、両方だろう。
死んだはずの私が蘇ったのだ、魂ごと生まれ変わったと思おう。
何もかも失った絶望を味わった私が、失うものなどもうないのだから。
「クラリッサ、あなたも後悔するといいわ。私を陥れて笑っていたけど、今度は逆に思い知らせてあげる」
声に出して言わずにはいられない。
こんなに血が煮えたぎる思いは初めてだ。
まるで処刑台で命を断たれた屈辱を燃料に、心が怒りと復讐心を軸にひとつに固まっていく。
ふと、私はドレッサーの鏡に視線をやった。
三年前に戻っているはずの自分の顔――まだあどけなさが残るような、焦りや苦労を知らない顔立ち。
髪は銀色に輝き、束ねずとも自然に波打っている。
ヴィクターに「月明かりを映したようなその髪は、舞踏会の灯りの下では特に印象的で綺麗だ」とか口説かれた覚えがある。
当時は胸を高鳴らせたけど、今では吐き気がする言葉だ。
「まだこんなに幼い顔をしていたのね……でも、もう昔の私とは違うわ」
試しに微笑んでみる。
けれど鏡に映る笑みは少し陰を帯び、青い瞳は危うい輝きで歪んでいる。
私はこの笑みを、周囲からは決して悟られないように隠さなくてはならない。
内心は復讐に燃えながらも、表向きは「普通の令嬢のエステル」でいないと。
「やり直せるなら、徹底的にやらなきゃ損だもの。もう一度殺されるなんてまっぴらよ」
がたっと椅子から立ち上がり、背伸びをする。
世界がまるで「二度目」の朝を歓迎しているみたいに感じる。
それは私に与えられた奇跡なのか、それとも悪魔との契約のようなものなのかはわからない。だけど――ここから先は私の独壇場だ。
「お嬢様、そろそろ朝食の準備が整いますが……」
部屋の外からメイドの声が聞こえる。私は笑顔を作りながら答えた。
「わかったわ。今行くから少し待っていて」
その笑顔は、鏡に映った「本当の私」ではなく、三年前の「無垢なエステル」を装ったもの。自分でも演技だとわかるほど、口元がちょっと引きつっている気がする。
でも大丈夫。
時間が経てば、きっと慣れてくる。
「ヴィクター、クラリッサ……皆さん、待っていて。三年前に戻ったエステル・グランディールが、今度はあなたたちを追い詰める側になるのよ」
最後にそう呟いて、私はドアノブを回す。
朝の光の中、長い廊下を見据えながら、心の中で燃える決意をしっかりと抱きしめた。
二度目の人生――それは悲惨な運命を変えるための舞台。
地獄から蘇ってきた新たなエステルの舞台が、幕を開けるのだ。
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