1."Pure and Right"
血に塗れた鎚矛を持って、血に塗れた僧服で街を歩く
それまで賑やかさに溢れていた街の通りが、さっと静まり返った
私のような審問官は異端者の住居で処刑を行った後はこうするのが慣例だ
教会はそれが治安維持に繋がると信じているし、残念な事実だがそれは一定の効果があった
私は仕事は嫌いではない
ただし、「悪を裁く場合に限っては」の話だ
いま終えた仕事は、政争に敗れた貴族の始末だ
負け犬は異端者の烙印を押され、不名誉の中で殺されるのがこの街の道理でもある
死人に弁解の機会はない
合理的戦い方と言えばそれまでだが、その道具に使われるのは良い気分では無かった
「次は悪人であると良いな」
心の内で私はそう思った
初めて仕事を任された頃に比べれば割り切る心は芽生えていたが、私がこの仕事を続けている理由は今でも「正義」に他ならなかった
この理由については、いつか語る事もあるかも知れない
大通りを抜けると目に見えて汚れた建物が多くなる
それは「新市街」の果てを意味していた
ここから先は「旧市街」、今では「貧民街」と呼ぶ者もいる
ここが次の仕事の場所だ
ここで「悪魔の顕現した家」を調査・場合によっては処理するというのが私の次の仕事、そして本日の最後の仕事だった
長く審問官をやっているが、「悪魔」などというものは私は一度も見た事が無い
知っている限り大半が、実態としては産まれながらの奇形や少数民族等の憐れな「人間」だ
しかしながら、わざわざ審問官まで処理の依頼が来るという事は、それらの中でも反社会的で危険な存在である可能性自体は十分にあった
「憐れなる存在」は必ずしも総ての場合、弱い訳でも純粋な訳でも無い
多くの私自身の実体験がそう語っていた
歩いているうちに件の家屋が見えてきた
蔦の絡まった、確かに陰鬱な家だった
この地域によく見られるような、壁や窓に割れた所のある陽の当たらない小さな家だ
犯罪集団の家とは違い、このような時に戸を開けた瞬間に誰かが襲って来る事は少ない
家の主が狂人である場合はその限りでは無かったが、そういった者の単純な軌道の攻撃は制圧も容易だ
私は家の扉を開いた
汚れて散らかった家の中には、肥ったにきびづらの醜い女が居た
彼女は私を見ると許しを請うように膝を突き、手を合わせこう言った
「審問官さま、どうか息子を殺さないで下さい」
事前の情報の通りであれば、その「息子」こそが悪魔であるとされている
「もしそうであるならば、無用な疑いを晴らすためにも家の中を拝見させて下さい」
私は女に告げると、更に奥の部屋へ進もうとした
ひざまずく女の横を通り過ぎ、奥の部屋へ続く扉に手をかける
瞬間、気配が背後でゆっくりと立ち上がった
それは私のよく知った種類の気配だった
「公務の執行を妨げた場合、私には処刑の権限も与えられています」
手の中にある鎚矛の柄の感覚を確かめながら、私は振り向いた
女は刃物を片手で握り、感情の読み取れない表情でそれを私に向けていた
敵対の意志は確認出来た
私は鎚矛を女の刃物を持つ手へと振り下ろした
骨の砕ける音が、小さなこの部屋に響く
それでもなお女は私に噛み付こうと飛び掛かってきた
事情聴取の機会は失われるがやむを得ない
私は振り下ろした鎚を振り上げ、女の頭部を砕いた
少々の鈍い音
悲鳴も血飛沫も無い
女は後ろに倒れると二度と動かなくなった
重大な手掛かりが一つ失われた計算だが、これで扉の先に何かがある事は確実になったように思われた
「本当に悪魔教団だとでも言うのか?」
疑問が口を衝いて出た
悪魔教団に仕立て上げられた人間や団体は数多く見た事はあったが、現実にそんなものが存在するのだろうか
仮に存在したとして、命を懸ける程の信仰などこの世に存在するのだろうか
教会権力の中枢で多くのものを見た私には、いまやそれすら理解出来ない事柄だった
私自身、無辜の者達を護るためであれば恐らく迷わず信仰を捨て去れるに違いない
ある程度以上の身分の者にとって、人心や組織は目的達成の道具でもあった
その時、突然私の後ろで奥の部屋へ繋がる扉が開かれる
予期せぬ事に私は振り向いた
そこには「光」が存在していた