婚約者には婚約破棄を
久しぶりの投稿です!
「私との婚約を破棄してくれませんか?」
ある日の昼下がり。窓からは心地の良い日差しが差し込み、小鳥の鳴き声も聞こえる。そんな何の変哲もない、穏やかな日。
部屋にやってきた私に白髪の彼女はそう言った。
その顔は穏やかに微笑んでいるようにも、泣きそうなのを我慢している様にも見えた。
***
ライト王国。
大陸の中心に位置するその国の第2王子としてローレン・ライトは生まれた。王族特有の翡翠色の目と赤い髪、そして膨大な魔力。さらに彼は生まれてから約半年で言葉を話し、1歳になる頃には魔法を操り始めた。貴族達は彼を天才だと褒め称え、王も息子の出来に満足し、息子の天才さを吹聴して回った。
王族の血を持つ天才とあらば、あらゆる貴族が取り入ろうと縁談の話を持ってくるのは当然で、今日も、彼はお見合いをしていた。
「おはちゅにおめに、かかりましゅ。ローレンさま。みかえる・あまんだでしゅ」
拙くも必死に言葉を述べるアマンダ公爵令嬢。光を反射して綺麗に輝く金色の髪、空の色をそのまま取り込んだような、透き通った青色の瞳を持つ彼女の容姿はローレンが一目惚れするには十分過ぎる程だった。
「ろ、ろーれん・らいとである! 」
その一言を述べた後に、ローレンは隣に立つ王妃の陰に隠れてしまった。
母である王妃の陰に隠れながら、ちらちらとミカエルのことを見ている。
そんなローレンを見たミカエルはなぜそのような事をされているのか分からず、コテンと首をかしげていた。
「あらあら、この子がこんなになるなんて...。よっぽどミカエル嬢の事が気に入ったのかしら」
今までお見合いでは全く動揺した様子や恥ずかしがる様子を見せなかった息子がこのような反応をしている事に、王妃は少し嬉しそうに微笑んでいた。
息子に好きな人ができたと思っている王妃はその事実がただただ嬉しいのだろう。
「これは、ミカエル嬢としばらく会わせた方が良さそうねぇ」
「では、今後もこちらの庭園につれてきましょう。ミカエルも同じ年代の子と遊ぶのは楽しいでしょうからね」
ミカエルの母、キリエ・アマンダは王妃に対してそう言った。彼女もまた、王子と我が子が結ばれる可能性が高いことを認識しつつ、それを確実なものにしようと考えていたのだ。
それから、ミカエルとローレンは何度も顔を合わせるようになった。
「みかえる、これ、おはなつんできた」
「ありがとうごじゃいます! たいせつにしましゅ!」
ある日は城内の庭園から勝手に摘んできた花を渡し、
「みかえる、おてがみかいたから、よんで!」
「ありがとうごじゃいます! わたしもおうじにかいてきたからよんで!」
ある日はお互いへの思いを書いた手紙のやりとりをした。
その日々は数年間続き、二人の仲は徐々に深まっていった。
そんなある日、いつもと同じ様にこれからミカエルに会うローレンは非常に緊張していた。普段はミカエルに会うのが楽しみで、今日は何をしようかなどとニコニコしているが今の彼は明らかに顔がこわばっていた。
それは昨日の夜、母と父から言われたことが原因であった。
※※※
「ローレン、ミカエル嬢との婚約をしたいか」
夕食時、同じテーブルで食事をしていた王はそう言ってローレンに尋ねた。
いきなりのことで、ローレンは停止するが、王に聞かれたらすぐに答えなければならないと思ったローレンはすぐに回答をした。
「はい。私はミカエルを未来の妻にしたいと考えております」
はっきりと回答をしたローレンは少し恥ずかしくなるが、ようやく婚約が出来るのだと少し嬉しく思っていた。
ミカエルと会ってからもう5年になる。その間、なぜか公爵家との間に正式に婚約は結ばれなかったが、それがなぜなのかは良く分かっていない。
「では、明日、ミカエル嬢に自分で申し込むのだ」
「…え?」
婚約は両親と相手方の両親が決めるものだと思っていたローレンは唐突な王の言葉にすぐに返答を返すことが出来なかった。
「私が、ですか? 陛下や母上が決めるのではなく?」
「そうだ。ローレン、お前自身が婚約の話をするのだ。幸い、ミカエル嬢は家柄も評判も良い」
「で、ですが、そう言った婚約は陛下やアマンダ卿の間で決められるものでは…」
「ふむ。まだ6歳ながらそう言ったことまで理解しているのか。しかしだな、ローレン。私はお前が望む人と婚約をしてほしいと思っている。そして相手の意思も大事にしたいと思っている。故に、明日、お前が望む人物に自分で意思を示し、相手の意思を確かめるのだ」
「しょ、承知いたしました…」
突然の事に驚きながら、ローレンはその日を終えた。
***
そして次の日である。
いつもの庭園に行くと、そこにはいつもの様に椅子に座ってローレンを待つミカエルがいた。ローレンはわずかに歩みを止めるも、意を決してミカエルの方へと歩みを進めた。
「ミカエル」
ローレンがそう呼びかけると、ミカエルは椅子から立ち上がって微笑みながら一礼した。
「ローレン殿下。本日は何をいたしましょう?」
微笑みながらそう聞き返すミカエル。
数年で美しく育ったミカエルの微笑みに見とれながらも、ローレンは単刀直入に話題を切り出した。
「ミカエル。今日は少し伝えたいことがある」
「はい。ローレン殿下」
少し緊張した面持ちのローレンに首をかしげながらも優しく微笑んでいた。
「ミカエル・アマンダ公爵令嬢。私は、あなたを好ましく思っている!だから…私と…婚約をしてくれないだろうか!」
「っ!」
ローレンは顔を赤らめながら声を張り上げてそう言った。
ローレンの言葉を聞いたミカエルは、驚いたように口を押さえ、震えている。
そんなミカエルの様子に少し、不安になるローレンであったが、ミカエルの小さな口から紡がれた言葉に心の中で歓喜した。
「…はいっ! 殿下! 私もあなたが好きですっ!」
こうして二人は好き同士、結ばれたのである。このことは二人とも帰って両親に話し、両家は正式に婚約を結んだ。
婚約を結んだ二人はその後もすくすくと育ち、18歳になった。ローレンは天才の言葉通り、あらゆる面で才能を発揮していった。勉学では家庭教師顔負けの知識を披露し、剣術では騎士団長にも引けを取らないようになっていた。特に魔法面ではその才能はさらにずば抜けており、新たな魔法を生み出したり、これまでの魔法理論を覆すような理論を発見していた。また、政治にも参加しており、数年前に王太子になった兄と協力して成果を挙げていた。
また、ミカエルも王子妃に相応しくなれるように、努力を重ねた。あらゆる言語を身につけ、巧みな会話術を身につけ、外交面でローレンや王太子を支えている。また芸術面ではその道の著名人物がうなるほどの作品を創りあげていた。
そんな二人を見る周囲の目は暖かく、この国のさらなる発展と繁栄を確信していた。
そう。――――――――誰もが、彼らはこれからも二人で歩んでいくのだと信じていた。
***
「ミカエル、今日は何のケーキを食べるんだ?」
「最近、城下で有名なチョコレートケーキを食べようと思いますわ」
子どもの時からの庭園でローレンとミカエルは茶会をしている。この茶会は子どもの時は頻繁にやっていたが、年齢が上がるにつれて回数は少なくなっていた。お互いが忙しくなって、二人きりの時間を取ることが難しくなってきたからである。
しかし、必ず、20日程度に一度は会うようにしていた。内容はその日によって違う事が多いが、最近は二人で流行りのケーキを食べることにはまってた。大体はミカエルが食べたいものを持ってきて二人で食べている。
「チョコケーキか、確か城下のマリアーヌという店が非常にうまいと聞いたな」
「まさにその、マリアーヌというケーキですよ、殿下」
ローレンは微笑むミカエルを愛おしく思いながらも、それを表に出すのは恥ずかしいのか、取り繕ったように椅子に座り、談笑を始めた。
ローレンにとってこの時間は非常に癒やしの時間であり、殺す勢いで忙しい日々の中で唯一心安まる時間であった。
「では、殿下。そろそろ遅くなってきましたので、終わりといたしましょうか」
「む、もうそんな時間か。まったく、時間が経つのが早いな」
空が茜色になり始めた辺りで、ミカエルはもうお開きだと告げた。
ローレンはと言えば非常に不満そうで、その様子を見るミカエルは可愛くも愛おしい者を見るようなそんな優しい顔をしていた。
「殿下、楽しい時間ほど早く過ぎるものですよ」
「ふむ、では早く過ぎても良いように、長く一緒にいよう」
「ふふっ、それも良いですね」
「そうだな…では休暇を取って、2,3日ほどグランメールの丘にでも行くか」
グランメールの丘。
ライト王国内にある少し高い丘である。グランメールという真っ白な花が一面に咲いており、丘の近くには澄んだ湖がある。人々が好んで旅行に行く場所であり、プロポーズの名所でもあった。
つまりローレンはミカエルにプロポーズをしようとしているのである。王とアマンダ公爵の了承は取っており、残すところ、ミカエルの了承だけとなっていた。
「ふふっ、良いお考えですね、殿下。二人でグランメールの丘へ行きましょうか。ふふっ」
ミカエルはグランメールの丘へ行くと言うことは、プロポーズをされるのだと悟り、嬉しそうにはにかみながら、返事をした。
しかし、その日以来、ミカエルはローレンはおろか、人前に姿を現すことはなくなった。
***
空が茜色に染まり始め、王城の門が閉まり始めたころ、ローレンの執務室には妙齢の男がいた。華麗ではないが高級な服に身を包んだ、威厳のある面持ちで、ローレンの前に座っている。
机を挟んで座るローレンはといつもより少し痩けた顔で座っていた。いつもの覇気はなく、しかし、その目はしっかりと妙齢の男をにらみつけていた。
「アマンダ卿、なぜ、ミカエルに会わせてもらえないのだ」
目の前に座る妙齢の男性。ミカエルの父、アマンダ公爵を問い詰めるようにローレンは口を開いた。にらみつけるローレンに対して、アマンダ公爵は物怖じすることなく、応答する。
「ですから殿下。ミカエルは少し体調が悪いだけと申し上げているでしょう」
「その答えは何度も聞いた。少し体調が悪いだけでこんなにも休むわけがないだろう」
何度聞いても同じ返答を返すアマンダ公爵にローレンは苛立たしげに言葉を返す。
実際、ミカエルが王城に姿を現さなくなってから二ヶ月が経とうとしていた。いくら王族と言えども強大な影響力をもつ公爵家に許可なく立ち入ることは出来ない。だからアマンダ公爵の許可を求めているのだが、ローレンが何度ミカエルに会おうとしても、アマンダ公爵が頑なにそれを拒否しており、この二ヶ月、ローレンは一切、ミカエルに会えていない。
「なら、見舞いに行かせろ」
「見舞いに行けば殿下も体調を崩されるかも知れません。ですので私は許可をするわけにはいきません」
何度同じ問答をしたことか。一ヶ月を過ぎた頃からこの二人のこのやりとりは毎日のように続いていた。
「なぜだ。なぜそう頑なに会わせぬのだ」
ローレンはそう言っていつもと同じ問答を続ける。この問いに関する答えはいつも同じで、最初の問いの返答がされるだけである。
しかし、今日は違った。
「……殿下。このやりとりは非常に不毛です。何度同じことを聞かれようとも私の答えは変わりません」
「…ほう、では卿の答えが変わるまで同じことを問おう」
「殿下、なぜそこまで拘るのです。我が娘は体調を崩しただけと申し上げているではないですか」
「そうだな。本当に体調を崩しただけなら私もここまで拘らない。しかし、卿の様子からしてそれが真実ではないと分かるからだ」
「私はいつも通りですが」
「その目の下の隈。少し濃くなっているな。頬も少し痩けている。服にも少しほつれが見える。いつもよりも政務に集中出来ていない」
ローレンは公爵を見ながら淡々と告げた。普段と違うところ、普段ならば公爵ほどの人物が気づかないはずがないこと。
「これほど普段と違うというのに、卿の言葉をそのまま信じろと?」
「……」
「言え、アマンダ公爵。ミカエルに何があった」
少し強めな言葉を放つローレン。公爵は自分の変化を指摘され、黙ったままである。
「卿がそこまで拒むのだ、ミカエルに何かあったのだろう。ならば、それを話せ。私はミカエルのためならば何でもしよう。卿の力になろう」
「…分かりました。殿下、次の休みにでも我が家へ来てください。ミカエルに会わせましょう。何があったかはその時に分かるでしょう」
「では、そうしよう」
やっとのことで公爵を説得したローレン。しかし、喜ぶこともできない。公爵の様子を見て、ミカエルに何か良くないことが起きていることは感じているからだ。
「では、失礼いたします。殿下」
「ああ、また」
公爵は部屋を後にする。その拳を握りしめながら。
***
アマンダ公爵家。
王国南部に広大な領地を持ち、穀倉地帯が広がっている。領主であるアマンダ公爵は王都に邸宅を持ち、領地には兄弟を代理として住まわせている。
その王都の邸宅にローレンはやってきていた。
門番に告げると、中から執事らしき人物が姿を現し、ローレンを邸宅まで案内する。玄関を開けると、公爵自身は不在なのか、公爵夫人がローレンを出迎えた。
質素だが決して貧相ではない調度品が並べられたロビー、洗練された礼を見せる公爵夫人と使用人達。貴族の最高峰、公爵家であると言うことを肌に感じさせるような厳かな雰囲気がそこにはあった。
「ようこそ、おいで下さいました。ローレン第2王子殿下」
「ああ、キリエ殿。おもてなし感謝する」
「いえ、殿下。では、早速ですがミカエルの部屋までご案内いたします」
「ああ」
キリエ夫人はそう言って、ローレンをミカエルの部屋まで案内した。
案内している間、キリエ夫人はしゃべらず、ローレンもまた、しゃべらなかった。
「ここがミカエルの部屋でございます。ミカエルにも事情は説明しておりますのでどうぞお入りください」
キリエ夫人が礼をしてその場を去り、それを見届けた後にローレンは扉をノックした。
「ミカエル! 私だ! ローレン・ライトだ!」
扉の向こうにも声が聞こえるように、大きな声でローレンはミカエルに呼びかけた。
すると、扉の向こうから、待ちに待った、自身の思い人の声が聞こえた。
「殿下、鍵は開いています。どうぞお入りください」
はっきりとした、いつもの可愛らしい声が返ってくる。
その声を聞いて、思っていたよりも元気そうだな、と少し安心しながらドアを開いた。
光の良く入る位置に窓が設置され、廊下や玄関と同じく質の良い調度品がそろえられた部屋。部屋の中には病人特有の匂いや、陰鬱とした空気もない。光と風が部屋に入り、カーテンを揺らしている。そんな部屋の奥にある大きなベッドの上には可愛らしいぬいぐるみがいくつかあった。
そしてベッドの上からは、白髪の女性がローレンを見ていた。
「ローレン殿下。私がなぜ、人前に出ないか、分かりましたか」
そう問いかけるのは、ミカエルである。金色の髪に空色の瞳を持っているはずのミカエルだ。
ローレンは白髪になったミカエルを見て、驚きに目を見開いている。
「ローレン殿下。こちらにいらして下さいませんか?」
「あ、ああ」
ミカエルは固まったままのローレンを自身の近くに呼び、椅子に座るように促した。
その間、ローレンは何と言ったら良いのか分からず言葉を発せないでいる。
公爵の様子からただ事ではないと思っていたが、これほどまでのミカエルの変化は予想していなかったのである。
「ローレン殿下。何か、おっしゃって下さい。ずっと黙ったままですよ?」
椅子に座っても言葉を発しないローレンにミカエルが以前のように微笑みながら言う。しかし、その瞳には少しだけ悲しみの色が浮かんでいた。
「ミカエル…、その髪は…」
「殿下、この髪は、ある日突然こうなっていたのです」
髪について触れるローレン。髪を凝視した後、ミカエルと目を合わせるローレン。
いつもの様に笑いながらもその瞳は少し潤んでいた。
ローレンは何もしゃべらず、その瞳を見つめていた。
ローレンはミカエルのこの症状を発する病気を知っていた。天才と称されるローレンはこの症状を過去、医学書で読んだことを覚えていた。だが、信じたくはない。彼女がそれであるとは信じたくないのだ。脳内で必死に否定材料を探すが、この症状が現れる病気は他にはない。
そんなローレンの動揺を感じ取ったのかミカエルはローレンへと言葉を投げかける。
「殿下…」
「なんだ、ミカエル」
「はっきり申し上げます」
「…やはり、…そうなのだな?」
「ええ、殿下のご想像のとおりです。私は「桜花病」です」
その言葉を聞いてローレンはやはりか、とひどく落ち込む。
「桜花病」それは発症した者は1年で死ぬ病気である。発症したと同時に髪の色が抜け落ちる。そしてそこからは常人の何倍もの速度で老いていき、約1年で寿命を迎える。死した後、死体を埋めた場所からは必ず桜の木が生えることから「桜花病」と言われている。歴史上、数度しか現れたことのない病気で、原因も治療法も全くの不明。魔法を持ってしても治すことも進行を遅らせることも出来ないのである。
「この髪では人前に出ることなどできません。直に肌も老い始めるでしょう」
ミカエルは目の前でうつむいているローレンを見ながら続ける。
「そして私は死ぬ。…ですから、殿下。…ローレン・ライト第2王子殿下」
(声が震えている)
ミカエルの声を聞きながらふと、ローレンはその声の震えを感じ取った。何かを我慢しているような震え、今にも泣き出しそうな声。
顔を上げ、ミカエルを見る。
先ほどまでと同じ様に優しく微笑んでいるが、膝の上にある手は小刻みに震えていた。
「…なんだ、ミカエル」
(…言うな。…それ以上先を言うんじゃない)
ローレンはそれとなく、その後に紡がれる言葉を予想していた。婚約をし、二人の将来を夢見ていた。しかし、それは神のいたずらによって叶わない。そんな状況において、ミカエルが何を言うのかなど、容易に予想がつく。ミカエルはきっとこう言うのだ、
「私との婚約を破棄してくれませんか」
ローレンはその言葉を聞いて、目に涙を浮かべる。愛おしい人を見ているのに、視界がぼやけてうまく見えない。
「っく…うっ…」
「…殿下には輝かしい、未来がありましょう。どうか…私のことは忘れて、この先も歩んでください」
泣きじゃくる子どものようなローレンを慈愛の表情を浮かべながら眺めるミカエル。
ローレンは再びうつむきながら言葉を放つ。
「…だめだ」
「殿下…、婚約を破棄した方が殿下の為です」
「…だめだと、言っている…」
「殿下…」
ローレンは頑なに、婚約破棄を受けいれない。意地になった子どもの様に、頑なに。
(どうして俺の婚約を破棄しなければならない。…どうして私の婚約者が死ななければならない)
沸々と、ローレンの心の中に苛立ちが生まれる。
元来、ローレンは支配欲の強い人間である。表面上、取り繕い、好青年を演じているが、ローレンは自分の思い通りにいかないことが非常に嫌いな人間であった。天才として生まれ、その才を存分に使い、願いを叶えてきた。
苛立ちから、ローレンは思い出す。自分は何者なのか。
(…らしくもない。何を泣くことがある)
ローレンは顔を上げ、ミカエルの空色の双眸を見据えた。
「ミカエル、君との婚約を破棄するつもりはない」
「殿下、ですから」
「ミカエル。なぜ、私との婚約破棄を望むのだ」
「…殿下には幸せになって欲しいのです。後1年で死ぬ、私の事など忘れて。…私の老いていく姿も殿下には、見てほしくないのです…」
「そうか。…ミカエル。私は天才だ。これまで成し得なかったことは1つもない」
「……」
「それはこれからもだ。…私は思い通りにならない事が我慢できない。君と生涯を添い遂げることが出来ないなど、我慢がならない」
「…殿下…」
「故にだ、私が君の病気を治そう! …何が不治の病だ! 何が桜花病だ! 私に不可能はないと示そう!」
ローレンは椅子から立ち上がり、高らかに自分の想いを告げる。
不可能を可能にしてこそ、自分であると。前例を覆してこその天才であると。
「だから! 君は、気にせず、やりたいことをせよ! 君の願いは全て私が叶えてやろう!」
ミカエルはそんなローレンを驚いた様子で見る。
予想を遙かに超える答えが返ってきて、目を見開いている。
「……」
「君は何をしたい!」
ミカエルは自分の婚約者を見て、涙を流す。
これからも、共にいたいと願った。それは病気によって叶わない。しかし、ローレンは自分を生かすと言った。歴史上希に見る天才が。莫大な権力を持つ父や、国一番の名医でさえ諦めたのに、目の前のこの婚約者だけは、諦めず、自分を救おうとしている。その事実に、救われたような気がした。
「…殿下、あり…がとう、ござい…ますっ!」
「礼には及ばぬ!」
「…では、殿下? 早速ですが、私、城下を歩き回ってみたいです!」
「よし! 分かった!」
その日から、二人の日々は再び始まった。
ミカエルの願いを叶えるために、ローレンは奔走した。
まず、城下町に行きたいという願いを叶えるために、ミカエルと自分に偽装の魔法をかけた。城下を練り歩き、市場を周り、屋台を食べ歩いた。
「殿下! これ! これおいしいですよ! ほら!」
「こら、ミカエル、そんなに頬張るんじゃない」
「食べてください! ほらほら!」
あるときは、ミカエルの食べたいと言うケーキを買って、ミカエルと共に庭でお茶会をした。
またあるときは、演劇を見に、城下の劇場まで二人で足を運んだ。
「殿下! あの役者の方! 将来、雇いませんか!」
「ミカエル、良い案だ。少し、話を付けてこよう」
「ちょ、ちょっと殿下っ! 冗談! 冗談ですから!」
そんな何気ない日々も徐々に減ってくる。
ローレンはその間も必死に、解決法を探した。何度理論が破綻しても自分は天才なのだからと言い聞かせて。来る日も来る日も。
しかし、ミカエルは歳を取り、徐々に老いていく。
ついには、ベッドから動くことができなくなり、発症してから1年がたった。
***
「…殿下、今日は何を聞かせてくれるのですか?」
ベッドの上に寝転がったまま、首だけを向け、自身を見て微笑むミカエルにローレンはいつも通り、微笑みを返しながら答えた。
「…今日は、この本を読み聞かせようと思ってるんだ、ミカエル」
「まあ、その本は、私の好きな…」
「そうだよ、ミカエル。君が好きだと言っていた本の続きだ」
「ふふっ、相変わらず殿下は私の事が、よく分かっておいでですね…」
「当り前だろう? 婚約者なのだから」
そう言いながらローレンはミカエルの頭をなでた。
ミカエルの姿はすでに老人のそれと変わらない。顔には多くのシワがあり、手足はひどく細い。
頭をなでられているミカエルは心地よさそうに、微笑む。
「じゃあ、読み始めるぞ、…」
ローレンは本を開き、本を読み始めた。部屋には日差しが差し込み、心地よい風が吹き込んでいたーーーー
本を半分くらいまで読んだ頃、ローレンは本を閉じた。
その本を閉じる音を聞き、ミカエルの部屋のドアの前にいた人物は部屋に入った。
「…寝ましたか」
「ああ、今日も幸せそうに眠っているよ…」
「今日も、ミカエルは…」
「ああ、今日もミカエルは喜んでいたよ、この本に」
ローレンは持っていた本を、入ってきた男、アマンダ公爵にひらひらと見せた。
ミカエルとローレンはこの日、このやりとりを何度も繰り返している。
ミカエルは毎回、物語の途中で寝てしまう。そして、起きたら今の出来事を忘れているのだ。ミカエルは老化によって記憶の抜け落ちや、混濁が起きていた。
「では、私は行く。アマンダ卿、また明日来る」
「はい。殿下、私の娘をよろしく頼みます」
「任せておけ、あと少しだ、あと少しで彼女を助けることができる」
そう言ってローレンは公爵家をあとにし、王城にある、自身の研究室へと向かった。
研究室には紙と本があふれており、足の踏み場もないほど、ぐちゃぐちゃだった。そこら辺に転がっている紙には魔法陣のようなものや、計算式などがびっしりと書き込まれている。そしてその上から大きなバツ印が書かれていた。
ミカエルが桜花病と分かってからローレンは研究室でずっと桜花病の治療法を探していた。最初は全く、希望も何もなかったが、最近になってようやく、進みめ、現在ではあと一歩まできていた。歴史上、誰も見つけられなかった治療法を、約1年で生み出そうとしている。ローレンは紛れもなく、天才であった。
ローレンは今日も机に向かい、ペンを走らせる。日が沈み、王城が暗闇と静けさに包まれようとも、ローレンは机から動かなかった。
翌朝。
「やった…、やったぞ…、完成だっ!!」
ローレンは紙に書かれた魔法陣を見ながら呟いた。
「これで、ミカエルを治すことができるっ!!」
そう言って、ローレンは部屋を飛び出した。
まだ、誰も歩いていない王城を、ローレンは駆けた。早く、早くミカエルを元気にするのだと。王城を飛び出して、公爵家へ向かう。一心不乱に走る王子を驚いた目でみる衛兵や城下の人間など一切気にせずに、駆けた。
***
ローレンは公爵家の衛兵に無理を言い、門を開けさせ、玄関からミカエルの部屋まで駆けがった。そして、ドアをノックすることもなく、いきなり開け放った。
「ミカエル!! 君を治すことができるぞ!」
これで元気になる。これで治すことができる。あの優しく微笑むミカエルを、元気に城下を歩くミカエルをもう一度見ることができる。もう一度どころではなく、これから何十年も。
そう、思いながら、ミカエルの部屋に入ったローレンはその場に立ち尽くした。そしてその手から、魔法陣の書かれた紙が落ちる。
部屋では、公爵とキリエ夫人、そしてメイドや執事達がベッドの上で眠っているミカエルを見ながら泣いていた。
「…嘘だ、うそだろ…? …なあ」
そう言ってその場に立ち尽くすローレンへ、公爵は振り返る。
「…殿下、我がっ…娘は…、亡くなりましたっ…!!」
拳を握りしめ、震えながら公爵は告げた。
ミカエル・アマンダ公爵令嬢は齢19歳にして、この世を去った。
彼女の葬儀には国王を含め、多くの人物が参列した。
「殿下、本日は我が娘のためにお越しいただき、誠にありがとうございます」
葬儀が終わり、ミカエルの墓の前に立ち尽くすローレンへ向けて、公爵は、アマンダ公爵は深く、頭を下げた。ローレンは目の下に深い隈をつくり、目の下には涙のあとがついていた。それは公爵も同じで、目の下は赤くなっていた。
「…ああ、アマンダ卿」
ローレンはまるで亡霊のようで、うつろな目には何も映っておらず、応答する声も抑揚がない。
そんなローレンに対して公爵は、一通の手紙を渡した。
「それは、娘の部屋を整理していた時に見つけたものです。字はミカエルのものですが、筆が乱れています。恐らく、最後に殿下にと書いたものでしょう」
「…手紙?」
「どうか、私の娘の最後の願いだと思い、受け取ってはくれないでしょうか」
ローレンは公爵の手から、その手紙を受け取った。
愛した人の最後の手紙だ。読まない訳にはいかない。
ローレンは手紙を開き中身を読み始める。
『ローレン・ライト殿下へ
私はもうすぐ、死ぬでしょう。この手紙は恐らく落ち込んでいるであろう殿下の為に書きました。
殿下に伝えたいことは1つ。殿下のおかげで、私は楽しかった。誰もが諦め、死ぬしかないと思っていた私を治すと言ってくれた。それが何よりも嬉しかった。
殿下、ありがとうございました。
そして、殿下の才は人の為にあるもの。私にしたように、多くの人を幸せに包んであげてください。
最後の最後まで、私を愛してくれてありがとう。私の愛おしい殿下。』
最後の方は、筆が乱れており、泣きながら書いたのだろう、紙には所々シワがあった。
「ふっ…」
ローレンは手紙を読んで笑った。
その笑みは少し悲しそうで、しかし、愛おしいものを見るように微笑んでいるようでもあった。
***
「ローレン様、いい加減、誰かしらと結婚をして下さい!!」
「うるさいぞ、アルベルト。今、結婚相手を選定中だと何度も言っているだろう」
アルベルトと呼ばれたその青年はローレンへと告げた。ローレンの顔には小じわがあり、威厳の満ちた顔をしている。齢40歳にして、ローレンは未だに結婚をしていなかった。
アルベルトはいつまで経っても結婚のしないローレンへと、王が差し向けた人物であった。仕事はローレンを結婚させること。
「そう言って、お見合いの後に会った女性はいないではないですか!」
「好みの女性がいないのだから仕方ないだろう」
「こんなにたくさんいるのにですか!」
アルベルトはそう言って大量の婚約者候補の書類を指さした。
ローレンは40歳ではあるが、非常に人気のある人物であった。
不治の病とされる「桜花病」の治療魔法を確立させ、さらにはその知識と才能を生かし、次々と難病の完治法を確立していった。そんな大きな功績を持つにもかかわらず、決して傲慢にならず、横柄になることもない。問題があるとすれば、一向に結婚する気配がないことだった。しかし、それは、令嬢達に火をつけ、次々と縁談の話がきていた。
ローレンは、まとめて処理するために社交界を開いたり、ボーダーを設けて足きりを行ったりしたが一切効果はなかった。そのため、一人一人お見合いをし、一人一人にかける時間を延ばし、結婚を先延ばしにする事にした。さらに、お見合いではあまり興味のない様子を見せ、令嬢をさばいていた。
「たくさんいても、ミカエルほどの人物がいないのだよ」
「まぁた、ミカエル様の話ですか!」
「ミカエルの様な女性がいれば結婚するかもな」
「だぁ~~!!!!もうっ!!!」
アルベルトは頭を抱えながら叫んだ。いつも、ローレンはこう言って、頑なに断り続けるのだ。
「さ、アルベルト。今日もこれから見合いだ。行くぞ」
ローレンは今日も見合いをすべく、令嬢が待っているという部屋へと向かった。
***
私は、椅子に座って待っていた。彼が来るのを。
部屋がノックされる。
「ローレン・ライト公爵がお越しになりました」
公爵。もう殿下ではないのか、と私は少し微笑んだ。
鼓動が早くなる。この時をどれだけ待っただろう。これまでの彼の功績を聞けば当然だが、ここまで本当に苦労した。
ドアが開き、威厳のある顔をした赤髪の男性が入ってくる。
私は一礼し彼の一挙一動を見る。
彼は机を挟んで私の前に座り、私に座るように促すと、興味なさげに言った。
「君は、ミリア・オリアンダ伯爵令嬢で間違いないかな?」
「ええ、その通りでございます」
「そうか。君は休日はどんなことをして、過ごしているのだ?」
「ケーキを食べたり、本を読んだりして過ごしています」
そういって私は微笑む。愛おしい人が目の前にいると言う事実が嬉しくて仕方がない。
「ケーキか。どこのケーキが好きなんだ?」
「マリアーヌのチョコレートケーキが好きですね」
「…そうか」
「ふふっ」
私はおかしくて笑ってしまう。わざと、興味のないフリをしている彼がおかしくて仕方ない。私が知っている彼はマリアーヌのチョコレートケーキをおいしそうに食べて、自分も好きになったと言っていた。その彼がこの話題に食いつかない訳がないのだ。
「…どうして笑っているのだ」
彼はそう言って私を見た。それすらもたまらなく愛おしい。
「ローレン様が可愛いと感じているからです」
「私が可愛いだと?」
少し凄んで見せる彼。
凄む顔も可愛い。
彼ともっと一緒にいたい。彼に思い出して欲しい。
私は我慢できなかった。
「ええ、ローレン様。あなたは小さい頃から、とても可愛らしいですわ」
「小さい頃から?」
唐突にそんなことを言いだした私を彼は怪訝そうに見つめる。
「ええ、小さい頃から。初めて会った時なんか、王妃様の陰に隠れてしまわれましたよね?」
特定の人物しか知るよしのない情報。
それを聞いて、彼は目を見開いた。
しかし、まだ信じられないと言った様子だ。その疑問を解消するかのように彼は質問をしてきた。
「…君は、…今、何がしたい?」
その声は少し震えている。
「…そうですね、2,3日お休みでも取って、グランメールの丘にでも行きたいですっ」
私の言葉を聞いて泣き出しそうな彼を見つめて、少し涙を浮かべながらも、精一杯の笑みを見せた。
その笑みは優しく、慈愛に満ちた笑みだった。
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