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1章 ドロッパーレース3

 最後の急減速に膝を曲げつつ、クローネは頭上を見上げていた。

 ……ついた。

 大口を開けて飲み込まれるような感覚に息を飲む。

 五階は漆黒と言っていいほどの闇で満たされていた。仄かに浮かぶ灯りは頼りなく揺れて地面を照らすには心許ない。

 そんな中を選手たちは確かな足取りで進んでいく。目的地は一つ、自分のドロッパーのある格納庫(ハンガー)だ。


 五階は中層のなかでいちばん広い空間だった。そして凍てつくほどに寒くもあった。

 主線も中途半端、支線に至っては一つも取り付けられていない。そこはまだ人が住む土地ではなかった。

 下の階で人が溢れれば開拓されたかもしれないが、そうはならなかった。結果として微妙なところで放置されてしまった土地を興行用に使うこととなっていた。


 それも人が入れば話が変わる。レースが始まる頃には人で埋め尽くされ、篝火が盛大にたかれる狂宴となる。至る所で胴元の売り子が練り歩き、金を持つものなら子供だろうがお構い無しに堕落へと引きずり込む。

 人の命で燃える煉獄というのが相応しい。それでもレースは無くならない。他に生きる糧がないからだ。


 今はまだ静かに眠る観客席を眺めながら、クローネは闇に慣れてきた目で自分の目的地へと向かう。

 普段は閉じているシャッターが今は開いていた。高さ五メートル以上ある口に飲み込まれるように進んでいく。

 お目当ての場所は入口近くにある。外とは違い煌々と照らされたハンガーの中はどこから湧いたのか多数の人間で溢れていた。

 鉄、鉄、鉄。目に入るものは全て(にび)か錆色に染まり心まで冷えさせる。あちらこちらで火花が飛び散り、その飛翔の時を今か今かと待っていた。


 クローネは人混みを縫うように進んで、たどり着いた先にはぼろをかぶった山があった。見上げるほどに高く、長いそれのベールを剥ぐとスカイブルーの機体が現れる。

 スカイドロッパ―だ。船渠(ドック)に眠る機体は引き延ばした卵型で全長が五メートル、高さは二メートルもない。飛行する物体としては小さく、機能としても最小限。空を駆けるというよりは吹き飛んで落ちるといったほうが正しい乗り物であった。

 藍銅鉱(らんどうこう)の粉末を塗布した鮮やかな機体は左右に小さな主翼をつけ、後部には排気口を四つ持つ。一般的にバイラル型と呼ばれる基本形をクローネが改造を重ねて形にしたものだった。

 別名ピストルマシンと言われ、一度飛び出したら操作が殆ど不能になるほど速度に特化した理念のもと設計図が書かれている。過去に名だたる選手が愛用し、その全てがいずれ大きな事故を起こすといういわくつきの機体でもあった。

 そんな死神をパートナーに選んだのはひとえにクローネの経験不足が原因だった。ゼロヨンと言えどただ早く飛べばいいという訳ではない。しかしそれを踏みにじるほどの速度で叩き潰す、頭の悪い作戦しかクローネは取ることが出来なかった。


「今日はよろしくね」


 愛機に手を当てながらクローネは話しかける。当然答えなど帰ってはこない。

 整備は十二分に行った。あとは推進剤とガスの注入だけ。それだけなはずなのに、不安が黒い雲を作って胸を満たす。

 理論上は負けることは無い。現在使われている機体のどれもクローネの機体の速度を超えることはできないからだ。

 それでももし負けることがあるとするならば。


「整備不良によるコースアウト、よね」


 数多の選手生命を絶ってきた機体だ。純粋に整備士としての技量が問われる。

 自信はある。しかし練習用のコースではまだ最高速は出していない。出せないのだ、狭くゴール後の減速装置のないコースではただ壁にぶつかって終わることが目に見えていた。

 空色の機体の表面には溶接の跡が波打っている。壊れるとしたらここからだ。

 なぞり、木槌で叩き、もう一度念入りに検査していく。脳裏には昼前にグスクから言われた言葉が今更になって重石のようにのしかかっていた。


「死なないわ、私もあなたも」


 最終点検を終えて、クローネは独りごちる。

 蒼穹の鉄鳥は物言わず、その存在を誇示していた。

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