7話 【魔究空間】ー2
今までの人生で出会ったことのないタイプの人間(人ではないが)と話していたせいで疲れてきたが、まだ肝心なことを尋ねていない。
「なあ括弧。お前が【収納空間】を司る魔法だっていうのなら、俺が最初に【収納空間】を発動した時じゃなく、今になって初めて喋りかけてきたのはどうしてだ?」
『カンタンデス。使用者がずっと他の方と会話をしていたからです』
「えらく気遣いのできる魔法だな……」
『ジョウダンデス。久方ぶりの起動だったので初期設定に時間を要しました。現在、それが終了したので通達した次第です』
「ふうん。ていうかさ、括弧が喋ってる間は俺の魔力を使ってるわけだろ? それで俺の身体は持つの?」
『ハイ? ……さぁ? 現に動いているので大丈夫だと思いますが』
「すげぇ適当だな。急に倒れでもしたらどうするんだ」
『ソノトキハソノトキデス。こちらで自動的に【収納空間】を展開して、使用者と地面との衝突を軽減します。クッションのようなイメージです』
「そうなる前に対処するべきだと思うんだが……括弧にオンオフの概念は?」
『………………』
シーン――――と。
不意に静かな時間が流れた。
「あれ? 括弧? どうした?」
『オン。もちろん存在します。こういった具合に、【括弧】は使用者からの問い掛けに答えない魔力消費を抑えた状態に切り替えられます。スリープモードというヤツです』
「というヤツです。って言われても分からないな。初めて聞いた単語だ」
『……ナゼデス? 魔導書に明記されているはずですが』
と、そこで初めて括弧の方から質問が飛んできた。
珍しく言葉の間を空けて、不思議そうな雰囲気で。
『フム。【括弧】が最初に使用者と会話を試みた際、それに驚いているのも引っ掛かりました。【括弧】の事は全て魔導書に明記されています。使用者が魔導書を熟読しているのなら【括弧】を知らないのはおかしいです』
「いや、【収納空間】についての項目は全部呼んだけど、括弧のことはどこにも……」
『イヤナヨカンガシマス。おそらく、使用者が目を通した魔導書は上巻だと推測されます。【括弧】の項目があるのは下巻ですので、これで辻褄が合います』
「二巻に分かれてたのか、あの本」
何分、エデンがセラから貰った魔導書は表紙が風化して文字が殆ど読めないため、その手の情報は初耳だった。
『トイウコトハ。必然、使用者は【収納空間】が本来【魔究空間】という名を冠している事についても認識していないと推測されます』
「……なんだそれ?」
『ヤッパリデスネ。【魔究空間】とは、異空間の中で魔法の発動処理を行う恒久魔術の名称です。【括弧】を用いてもその負担が莫大なため会得した人間はごく僅かで、最終的には物体の保管だけをメイン機能にした【収納空間】へ形を変えました』
「えっと……」
『コノハンノウハ。理解していないという認識で合っていますか?』
「ごめん」
『デハミセタホウガハヤイデス。使用者は【括弧】を発動中も魔力が安定しているようなので適性があると思われます。――空間内に薬効成分を持つ植物を検知しました。一本拝借いたします』
「アイシャが集めた花か。何に使うんだ?」
『マアミテテクダサイ。使用者はポーションをご存知ですか?』
「そりゃもちろん」
この世界の人間なら誰しもお世話になるであろう怪我などを治療する液体状の薬品だ。
久々に自分の知っている知識が出てきたので、エデンは首を縦に振った。
『ショクブツユライノバアイ。ああいったポーションは草花などから薬効成分を抽出して生成します。【薬品醸造】を使用すれば抽出と同時に魔力を混ぜることでより強力なポーションを生成することができます』
「でもあれって、何時間も集中して魔力をコントロールしないといけないんだろ? ちょっとでも気を抜いたら効果が薄まるって聞くし」
『ハイ。そこで【魔究空間】の出番です。これを起動すれば、使用者が通常通りに活動している間、【括弧】が空間内でポーションを生成できます』
「わざわざ俺の代わりにやってくれるの? それが本当ならめちゃくちゃ助かるな。早速やってみてくれ」
『リョウカイ。【魔究空間】内でポーションの生成を開始。完了まで3時間です』
「ということは、結果が分かるのは王都に帰ってからか」
『フフン。そう言うと思って、森を出発する前に先に一つ生成を始めておきました。そちらは既に完了しています』
「手際が良すぎる……って、その頃は初期設定中じゃなかったのか?」
『ナンノコレシキ。この程度は朝飯前です。片手間でこなせます』
そう言って括弧は『完成した物がこちらです』と【魔究空間】から液体の入った小瓶を排出した。
エデンはそれを片手で受け止める。
「……何故ビンに入った状態で?」
『リサイクルデス。以前の使用者が何本も空間内に残していました。それより品質の確認を。【括弧】のスキャンによると、初めてにしては中々の高水準で生成できたかと』
「いや、これは中々なんてモンじゃないぞ……」
小瓶に詰められたポーションを観察しながら呟くエデン。
薬品について詳しいわけではないので素人目だが、それでも市販されている物と比べるとポーションの透明度が段違いだった。
淡い緑色が特徴的な――一切の不純物が混ざっていない液体。
「すごいぞ、これならどんな怪我だって完治しそうだ」
『テレマス。【括弧】の能力を賞賛していただき光栄です』
「括弧がいてくれると助かるよ、これからよろしくな」
『コレカラ……。これから、ですか』
エデンの挨拶に対する括弧の返答は、どこか人間らしい迷いのある雰囲気だった。
「どうした? 俺の魔力が気に入らなかったか?」
「イエソウデハナク。これまでにも多くの人間が【括弧】を使用してきましたが、その多くが【括弧】の魔力消費に耐えられませんでした。地域によっては禁術扱いされているような魔法です」
「だから使うのはオススメできないと?」
『フクザツデス。【括弧】の使命は【魔究空間】の使用者をサポートすることです。しかし、それで使用者を危険に晒すようなことがあれば本末転倒ですから、【括弧】としてはこれ以上の使用継続は推奨できません。元々、その警告のために声をお掛けしました』
「そうか、魔法も色々大変なんだな。心配してくれるのは嬉しいけど、俺は括弧を使うことをやめないぞ」
『ソ。それはリスクを背負ってまで使いたいほど【括弧】が便利だからですか? それとも【括弧】が不憫だからですか?』
「どっちも違う。俺が括弧を手放さないのは、退屈な帰り道の話し相手ができたからだ」
『……………………』
「括弧?」
返事の帰ってこない――長い長い沈黙。
そして。
そんな時間なんてまるで存在しなかったかのような平坦な口調で括弧は言う。
『シツレイ。言葉の意味がよく理解できませんでした』
「えぇ……? お前、こういうカッコいい言い回しとか通じないの?」
『ハイ。その解釈で問題ありません。【括弧】は魔法なので。只今よりポーション生成の為に魔力消費量を節約します。また何かを要するようであれば呼び掛けてください。それでは』
「ちょっと待て、おい――はぁ、まったく、もっと人の言葉を勉強させないとな」
と、ようやく視線の先に映った王都を目指して歩いていくエデン――そんな彼の魔力を一時的に遮断して誰にも声が届かなくなった【魔究空間】の中で。
括弧の、自身から思いがけず漏れ出た考えが響く。
『――アリガトウゴザイマス。エデン』
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