9頁目 クズ人生という名のゲームのセーブのようなもの
最近のカウンセリングは、引き続き過去や現在の「ありのままの」自分と向き合うような内容のものばかりだ。
しかし、「きちんとしている自分を見せなければ親に見捨てられ、やっていけない」という幼少期を過ごした私にとっては、かなり身体に負担が来ているらしい。
ホルモンバランスの乱れや、自律神経失調症と思われる症状に今もかなり悩まされている。
カウンセラー曰く、「貴女が今まで信じてきた常識を否定して、全く違う事をしていこうとしているんです。たとえ貴女じゃなくても、私でもしんどい事ですよ。」とのこと。
カウンセリングの内容としては、自分をよりよく見せる為についてきた嘘や、(発達障害・異常なほどの無気力故の)自分の欠点やミス、普通と違うことを隠す為についてきた嘘を、カウンセラーに指摘してもらうという事の繰り返しだ。
指摘のあとは、なぜ自分自身そんなことを言いたかったのかということや、その時の状況をフィードバックする。
そこでまた、「自分自身がどれほど身勝手な振る舞いを他人にしているのか」を知る。
その後職場での仕事の中で、自分の人との関わりの中でカウンセラーの指摘を思い出し、「カウンセラーの指摘されたことを、私はこういう時にやっていたのか」「こんなしょうもない場面ですら嘘をついて人を困らせていたのだから、今まで私はどれだけ人に嫌なことをしてきたのだろう」とようやく気がついていくのだった。
だからといって、すぐに改善はしない。
だが、自分の行動とその結果人を傷つけていることに気づいて「もうしたくない」と思わない限りは、やめるきっかけすら無視してしまうのだから、これでも一応前に進んでいるらしい。
そうやって生活していると、過去の自分の振る舞いについても思い出してくる。
小中学生時に「仲良く」してくれた同級生や先輩、必死に見ないようにしていた違和感と疎外感(決して、周りの人が無視してきたわけではない。人といても心の底から楽しめなかったことによるものだ)、そして大学生時に感じた「焦り」。
当時私と過ごしてくれた人達が聞いたら「はぁ?!」と思うだろうが、私は好き勝手に振る舞い続けながらも、自分の人生を好きに生きたことがなかった。
私が笑顔になれるのは、親の代わりに他人から自分を満たしてもらえた時だけだった。
それ以外は自分の本当に楽しめる趣味も何もなく、ただ承認欲求のままに生きてきた。
だから、大人になるごとに承認欲求を満たしてくれる人が周りからいなくなり、中身のない私は内心怯えていた。
しかし、独り立ちもできないし嘘にまみれた情けない女を、赤ちゃんに接する母親のように手取り足取り助けてくれる人間がいる訳もなく、私は「仲良く」してくれた子達に無意識に八つ当たりしていた。
そんな人間でも、残り卒論とゼミの単位を残すまで大学に居座ったが、病んでいくつかの心療内科を受診するようになり、結局学校に行かなくなった。
当時は「逃げたい」という一心でしかなかったが、大概ひどい行動だ。
当時は発達障害という言葉がネットで出始めた頃で、私は自身と世間のズレをそのハンディキャップのせいにしたかったのだ。
結果、それよりも深い問題が浮き彫りになった。
だがそんなことは、自分が生きる世間では関係ない。
私は結局、今のカウンセラーに巡り会えなければ「無敵の人」や引きこもりになって人生が終わっていたクズであり、社会でやっていく為には言い訳し続けるわけにはいかない。
ただ、そんなに急には変われないし、今は辛いから何もせずに好きにさせてほしい。
(仕事に行く限りはそうもいかないのだが、気分としては実際そうなのだ)
そう思いつつ公園で散歩し、こうして現状をできるだけ書くことで少し気持ちを落ち着かせている。
体調的には最悪だが、改めて学生時代よりも今の方が幸せなのだと実感できたのでオールオッケーだ。
またすぐに忘れると思うのだが。