2頁目 現実を受け止めきれない故の「めんどくさがり」
本日のカウンセリングは、急遽仕事関連で相談について行った。
私は土産物屋で何とか働いてきている社会人だが、現在の担当商品から外れて化粧品の担当になるかもしれず、二つの理由からかなりの不安に襲われたからだった。
まず一つの理由が、相貌失認とは違うのだが、私は人の顔が本当に覚えられない。
また、メイクの違いについてもほとんど違いが分からない。
流石にメイク前とメイク後の違いくらいは分かるのだが、「こうした方がよく見える」とか「こっちの方が似合う」とか、本気で分からない。
現在の会社に入り、社会人として最低限度のメイクはできるようになった……とは思うのだが、メイクを濃くした結果変だと怖いので、かなり薄めにしている。
そんな自分が、販売側に立てる気がしない。
また、もう一つの大きな理由は、過去に化粧品担当者に迷惑をかけたからだった。
入社当時の私は、さまざまな売り場で教えてもらった仕事を理解していないのに「はい!わかりました!」と言い続けて呆れられた経緯がある。
そして、お客様に適当に物を売っていたり、業務を適当にやった癖にきちんとやった気になって「私はちゃんとやりました!」という気持ちを持ちながら仕事をしていた。
(この時もカウンセリングは受けていたので、態度はともかく表向き謝ってはいた)
現在の担当も、まず間違いなく私の取り扱いに困って移動させたに違いない。
そんな自分が、元の場所に戻ってきちんと働けるのかどうかという問題なのだ。
不安で無いはずがない。
……のだが、その自分の現状を産業カウンセラーに伝える為の手紙を書く時に、私は途中で真剣に取り組まなくなってしまった。
それは、自分自身を見つめ直すのが嫌になり、「めんどくさく」なったからだった。
「現実をよく考えてください。貴女は、もし仕事場で居場所が無くなったら、実家に帰らなくてはいけないのですよ。産業カウンセラーもいる会社はそうそう無いし、今の貴女がきちんと働けると思う場所は無いと、貴女自身も思っているのでしょう?……何故、貴女の気持ちをきちんと他人に分かるように、説明しようとしないのですか?」
「説明……」
「貴女が現実に直面できず、取り組めないのはよく分かっています。だからこそカウンセリングが必要だと思ったんですよね?でも、そのよく分かっているカウンセラーに、嘘をつく必要はありません。」
「私は、初めは本当に「手紙を書くのは、自分にとって必要だ」と思ってやろうと思っていたんです。それは事実なんですけど、書いているうちに「先生に書かされてる」とか「書いてたらどうにかしてくれる」って思うようになってきていました。自分が自分のためにやるから、意味があるのに」
そうして、再び私の「めんどくさい」という感情について、深掘りすることになった。
「前に貴女が、「お母さんが私の事をかなりめんどくさそうに怒っているのが当たり前だった。」と言っていましたね。貴女がやりたくないことやできないことに直面した時、「めんどくさい」と感じるのは、それを親にされてきたからです。貴女の親は、親として愛情を注ぐことができないから、そういうやり方しかできなかったのです。彼女の母親からは、愛情を受けて育っていたのにも関わらず。」
母の母、私から見て祖母に当たる人にもまた、様々な問題はあった。
母程では無いにしろ、紙や布などを溜め込むタイプの軽めの?ゴミ屋敷オーナーの彼女。
遠い親戚である祖父(冷静に考えればかなり発達障害ぽい)を婚約者として育った中で、悪い意味で自由すぎる祖父に苦労ばかりの人生を送ってきたと聞いている。
好き勝手にしたり散財したりする祖父を諌めるため、常に祖母は怒っていた。
私は彼女を心から慕うことは無いが、今にして思えば彼女の立場なりに私達姉弟を気遣ってくれていたのだろう。
その一つの例が、料理。
出汁のないマズい味噌汁(しかも冷蔵庫に入れないからすぐに酸っぱくなる)や、2等分くらいのじゃがいも等、大きすぎる野菜を入れたシャバシャバの塩味と辛味だけが尖ったカレー、表面は焦げて生焼けのハンバーグ……
それに加えて、「悪くなりにくいから」と酸っぱくなるまで酢を入れた酢飯未満の不味い米。
※シンクはドロドロで汚く、食器も今思えば汚れが落ち切ってない状態。しかしそれが当たり前の生活を送っていた当時の私は「汚いけど一応食事ができるレベル」と思っていた。
そんな料理か、生協のお惣菜または冷凍食品、袋麺が私達が家で食べる「食事」だった。
祖母が沢山「本当の料理」を作ってくれた時を除いて。
当時嫌いだった、ワカメの酢の物などの副菜もあった。
が、それは栄養バランスを考えた結果作ってくれた物だと今は私も理解できる。
カレーに至っては、私が高校生になってから一度「お母さんの作るカレーは、辛すぎる。普通の辛口のカレーに、最近はガラムマサラなんかの辛いスパイスを加えてくるから口に合わない」と言った時から、甘口のカレーを作ってくれるようになった。
私は祖母に、「お母さんのカレーが辛すぎるだけで、私はおばあちゃんが作るカレーは辛いのでも大丈夫だよ」と言ったが、それから私が大学生になるまで甘口のカレーを作り続けてくれた。
良く煮込まれた、一口サイズの野菜たっぷりのトロトロのカレー。
私は当時「甘口はあんまり好きじゃないから、作らなくてもいいのに」と思いながらも、自分専用のカレーを作ってくれたことがどこか嬉しくて全て完食していた。
私が祖母に大切にされた覚えは、正直あまり無い。
だが、高校生になってはじめて「この人は、私が本当に求めているものをくれた」と思える事をしてくれたのだった。
それまで血のつながりのある家族には「劇(美術館)に連れてってあげる」とか「誕生日プレゼント買ってあげる」とか言って面倒を見てもらった。
だが、道中常に文句を言われたり、家族の誰かの悪口を聞く羽目になったりしたり、自分だけ置いてけぼりな気持ちを味わったりして、楽しいと心から思えたことはほとんどなかった。
(あったとしても、劇そのものに感動したりとか、連れてってくれた先の人が親切にしてくれたお陰で、何とか楽しめていたんだな。今考えると……)
血縁の皆には、そういった娯楽を楽しめる機会がゼロでなかった事に関しては、感謝しなければならない。
不幸な生い立ちで、人としての温かみを知らなかった私だが、そこは将来的に理解しなくてはならない。
そしてそんな温かみに飢えていた私に、欠片ほどだが私が理解できる愛情をくれたのが祖母だった。
「……そう言えば、貴女はおばあさんが亡くなってしまった場合、どうするつもりですか?お葬式に出席しますか?」
私は、一瞬考えた。
答えは既に決まっていたが、カウンセラーに聞かれたので、改めてその未来の状況を想像した。
母にいじめられてきて、私達の世話をたまにする事で母にマウントを取ろうとする、未婚の叔母。
私達にはノータッチで来た、母方の家には無関心な叔父。
まともだったが、嫁いだ後に病み、新興宗教にハマったらしい叔父の妻。そして関わったことのないその子供達。
そして昔散々馬鹿にしてきたくせに、頼る者がいない今弟にべったりとしている、母。
「私は貴方達の親をやめます」とメールを送ってきて、私の返事に何も返してこなかった、母。
マウントを取られた思い出ばかりの、母。
「……行きません。」
私は、祖母が亡くなったとしても、メンタルがやられなければ忌引休暇も取らずに隠し通そうと思っていた。
実際フリーター時代に祖父が亡くなった時は、親からの電話を取っただけで、心がぐちゃぐちゃになった。
「そう。もし貴女のお母さんからの連絡は、葬式以外に無いと思います。だから、それまでに心を鍛えて頑張ってください。おばあさんには、貴女のお家で個人的にお線香をあげたら大丈夫ですから。」
「……ありがとうございます。」
私は、父方の祖父の葬式にしか出席した事がない。
母方の祖父の葬式は、参加しなかった。
きっとこれからも、葬式には参加しない。
そんな「恩知らず」で「常識の無い」女だが、私はそんな自分でもいいと思えている。
しかし、「めんどくさい」と思う自分はあまり好きではない。
そんな自分と付き合うのが、ここ数日の私の宿題だ。