5.嵐の夜~国王陛下
まさかの国王陛下の登場である。こんな嵐の中、こんな庶民の居住区にお出でとは誰が想像できよう。
カッとなっていたジョセフィーヌの頭は一気に氷点下に冷え込む。
「ご婦人、供の者が失礼をした。すまぬがちと開けてもらえんかね」
彼自ら国王だと名乗りはしていない。が、冷静なその声には有無を言わせぬ力がある。さすがに無視できるわけもなく、ジョセフィーヌはそろそろとドアを開け、顔も上げずにその場に跪いた。体が雨に濡れるのは仕方がなかった。
国王の言葉を待つ。
「私は息子を探しておる。魔法使いに占わせたところこの辺りにいると出た。15歳の少年だ、何か知らぬか」
「わ、わたくしは何も」
「本当か、本当に何も気づかなかったか。こちらへ向かって歩いていたという証言も得たのだが。もしやこの先の川にでも……」
王の言葉を聞いてたちまち部下の何人かが馬を走らせ去っていった。川の捜索に向かったようだ。
「陛下、ミカ・ムーラ殿から連絡が。やはりこの辺りで留まっているようです。少なくとも川は越えていないだろうと」
なにやら魔法の道具らしきものを手にした部下が報告を上げる。国王はうむ、と頷いた。
ドッドッドッ……と、ジョセフィーヌの心臓が脈打つ。冷や汗が出てくる。どうしよう、本当のことを伝えるべきか。子が行方不明で心配しない親はいない、そういう気持ちもある。
そんなジョセフィーヌの様子を見て、国王は決断したようだった。
「ご婦人、家の中を改めさせてもらうぞ」
「えっ……は、はい」
拒否という選択肢は無い。臣下たち数人がドヤドヤと家の中に上がりこんでくる。たちまち床は濡れた靴跡だらけになり、あとの掃除を考えると忌々しい気分になった。
いやそれ以前にここで地下室の二人が見つかったら大事である。間違いなく処罰される。
(ああもう。あたしはどうすりゃ良かったのよ)
欲と、ほんの少しの同情と。
何も気づかないふりでマイク王子を行かせていればこんなことにはならなかっただろうに。
* * *
セリアンヌに連れられてマイクは静かに地下室を進んでいた。
弱いランプの明かりで壺、麻袋、うっすらと埃をかぶった木箱、スコップ、板きれなどが確認できる。なんの変哲もない物置場だ。
驚いたのは、思ったよりもその地下室が広いことだった。川も近いのに、なかなかリスキーな家である。
ジョセフィーヌらが住んでいるのは家賃が安いから、という理由があるのだが、王子たるマイクにはそこまで考えは及ばない。
(すっかり巻き込んじゃったな)
荷物の間を縫うよう忍び足で進みながら、マイクは落ち込んだ。
見張りの隙を突いてようやく城を抜け出したのは夕飯直後のこと。東地区で堤防が決壊したとの報告を受け、夕方から役人たちは大わらわだった。抜け出すなら今夜以外に無かった。
怪しまれないよう、何も持たずに来た。というか、トイレに行くふりをしてそのまま抜け出したので何も持ち出すことができなかった。ポケットに2枚の銀貨を忍ばせるのが精一杯だった。
逃げる方向は役人が少ない西の方角にした。
確か北西区を抜けてしばらく行くと、魔法使いの斡旋所があったはずだ。
地図でしか場所は知らないが、中心部の冒険者ギルドや魔法使い斡旋所と違って、土木的な案件や、第一次産業的な案件が多いと聞いた覚えがある。だからこそマイクとは縁遠いし、訪れても足がつきにくいだろうと考えた。
「こっちよマイク様」
棚の陰になっていてわかりにくいが、室の隅に古びた金属扉がある。セリアンヌが取っ手を引くと、ギィィ……と思った以上の大きさでその音が響いた。ど、どうか上にまで聞こえていませんように。
「あーれーーー!」
素っ頓狂なジョセフィーヌの悲鳴が響いてきて、マイクとセリアンヌはぎくりと足を止めた。薄闇の中、二人は顔を見合わせる。たちまちセリアンヌはぽっと赤くなったのだが、その顔色は薄闇に紛れた。
母親の悲鳴を聞いたセリアンヌは迷っているようだった。冷静に考えたら行かないほうがいいだろう、でも。
「マイク様、ごめんなさい。ちょっとだけ様子を見てきてもいいかしら」
「……わかった。僕はこのまま進んでる」
セリアンヌはマイクにランプを託すと、すぐに地下室の入口辺りまで戻り、耳をそばだてた。
そこまで戻らなくとも足音がけたたましい。家の中に大勢の人が入ってきたことはマイクにもわかった。
申し訳無さもありながら、今のマイクにはここを進むことしかできない。それぐらいにチャチャ姫との結婚は一大事だったのである。
「あいたたた、あいたたた……! もうやめ……いたたた!」
母ジョセフィーヌの叫びが聞こえてくる。
まさか、拷問!?
我慢しきれずセリアンヌは地下室の入り口をほんの少し、そう、爪楊枝一本分ほどの、ほんの少しだけ開けたのだ。
「ここかっ!」
バァン! と地下への入り口が全開された。