4.嵐の夜~追手
チャチャ姫とは隣国の第三王女である。
彼女を一言で表すなら
『変人』
それ以外に言いようが無い。
公的な場に出てくることは無く、容姿は不明。ものすごい美女だとも、ものすごく醜悪な容姿だとも噂される。
城の一角に隠し部屋を作り、怪しげなものを持ち込んでは何日も引きこもる。夜な夜な呻き声が聞こえてくるだとか、近づくものは毒に侵されるだとか、行方不明者が出ているだとか、虫に囲まれて生活しているだとか、ずば抜けた魔力で禁術を研究しているだとか……どこまでが真実でどこまでがオカルトなのかわからない評判の持ち主だ。
確かなのは彼女が今年で成人の16歳を迎えるということだ。
そろそろ縁談が持ち上がるのでは、と適齢期の貴族の男子たちは戦々恐々としているとか。そんな噂が隣のこの国まで漏れ聞こえてくるほどだ。
そこで白羽の矢がなぜマイク少年に立ったのか。
先に気づいたのはジョセフィーヌではなくセリアンヌだった。
「マイク様って……もしかして、皇太子のマイクロフト様? そうよ私、学校で肖像画を見たことあるわ!」
うっ、とマイクの顔が強張ったことがすべての解だった。3人の間に緊張が走る。
ジョセフィーヌは思わず天を仰いだ。
これは厄介どころの問題ではない。貴族は貴族でも王族。その婚姻問題が絡んでいるのだ。しかも隣国との婚姻となると、政治も絡む。
さらに言えばこの婚約話はまだ公にされてはいないはず。一介の庶民が知り得て良い情報ではない。ここでヘタな動きをすれば処罰まで有り得るではないか。
マイク王子が言い難そうにしていたわけも、すぐにここを出て行こうとしたわけもようやく理解した。欲を出して引き止めて良いような相手じゃなかった。
沈黙する母娘にマイクは言った。
「今の話は聞かなかったことにしてください。面倒に巻き込んでしまってはいけないので、もう行きます」
「行くってでも……」
「セリアンヌ」
引き留めようとする娘をジョセフィーヌは制す。残念だが出ていってもらうのが一番だろう。だが彼はどこへ行こうとしているのか。興味はあったが、知らないほうが身のためだ。
「雨を凌ぐなら牧草地まで行けば無人の小屋があちこちにありますわ。ご多幸をお祈りします」
せめて餞別に水と食料ぐらいは渡そうと、袋に詰めているときだった。
雨音に混じって、外から何か音が聞こえる気がした。馬……馬のいななきか? マイク王子は息を飲む。
「父上だ……! 僕の不在に気づいて追手を!」
(おおっ馬で追手とはさすが王子)
いやそんなことに感心している場合じゃない。本当に追手なのか。セリアンヌが素早く玄関の明り取りから外の様子を窺う。
ちらりと見るなりセリアンヌは真っ青な顔で振り返った。無言で首をぷるぷると横に振る。
やばい。場所の特定ってこんなにすぐできるものなのか。それとも付近を虱潰しに当たっているのか。
「マ、マイク様、ここで素直にお帰りになるのも一つの手なのではないでしょうか。お父上としっかり話し合いをなされば……」
「む、無理ッ」
涙目になっている。
裏口からこっそり逃してやりたいところだが、あいにくこの嵐対策で今は塞いでしまっている。そうだ地下室からならどうにか……。
ドンドンドン!!
たちまち激しく叩かれる玄関のドア。すぐそばにいたセリアンヌがびくっと飛び上がる。
ドンドンドン! 「家の者はおらぬか!」 ドンドンドン! 「返事をしろ!」
その剣幕は今にもドアを蹴破るのではないかと思うほど。マイクはなすすべもなく硬直している。
「マイク様はどうされたいのですか」
小声で問うと
「城へは帰りたくないっ」
と即答。
ジョセフィーヌは腹をくくった。
「セリアンヌ、マイク様を地下へ。奥の扉から外に出られるのは知ってたね」
セリアンヌはこくりと頷くと、ランプ片手に誘導してゆく。普段は食料庫にしか使っていない地下だが、広さは無駄にあるし、壁を破るなど少し手間取るがいざとなったら街の地下水路に抜けることもできる。
二人の気配が消えたことを確認して、ジョセフィーヌはいかにも今気づきましたとばかりに返事をした。
ドンドンドン!
「はいはい、今開けますよ!」
閂を外してドアを開けると、まず雨が斜めに入り込んできた。続いてジョセフィーヌの視界に飛び込んできたのは、全身を雨具に包んだいかつい大柄な中年男。その後ろには数頭の馬と、壮年の男の集団がいる。追手とマイクは言うが要は捜索隊だろう。
「一体どちらさまで…ぐふっ」
「女ぁ! 知っていることがあるなら白状せんと、ためにならんぞおおお!」
目の前の男の太い腕が問答無用でジョセフィーヌの胸倉を掴んだ。雨がババババと顔に当たる。
「女ぁ! 黙っとらんで何か答えろおおお!」
虚を突かれたジョセフィーヌだったが、いきなりこんな扱いをされるいわれはない。むくむくと怒りが込み上げてきた。
「なんなんだいアンタは! 勝手に人ン家に押しかけてわけわかんないこと口走るんじゃないよ! 手を離しておくれ!」
男は忌々しそうに手を離すと、ジョセフィーヌを睨みつけた。敵意の塊である。
「女、我らは右目に泣きぼくろのある少年を探している。まさかこんな庶民の、しかもお前のような下品な女にあの方が世話になるとも思えんが、魔法使い殿がこのあたりにいると占ったのだ」
男の物言いには腹が立ってしようがない。が、同時に最後の言葉にぎくりとした。魔法使いだって?
「とっとと答えんか女ぁ!」
短気な男はまたジョセフィーヌの胸倉を掴む。雨ばかりか男の唾までもが彼女の顔に飛ぶもんだから、嫌悪感やら腹立たしさやらでジョセフィーヌは怒鳴り返した。
「知らないね! たとえ知ってたってあんたみたいな失礼な男に教える義理は無いよっ」
こうなったらとことん面倒くさいおばちゃんを演じるのも有りかもしれない。時間稼ぎにはなる。
ああだがしかし、礼金云々の夢はもう妄想でしかなくなってしまった……。グッバイ、あたしのお金。
ふんっ、と思い切りそっぽを向くと、ジョセフィーヌは男の鼻先でドアを閉めた。すかさず男は力づくでドアを開けようとする。が、ジョセフィーヌだって負けてはいない。開けさせまいと、その立派な体重をフルに活用してドアを塞ぐ。
いきり立った男はしばらく喚いていたが、突然ふっと静かになった。
(……? こんな簡単に諦めた? いやまさかね)
だって外にはあの男の他にも何人もいたではないか。最悪、力づくでドアを壊すぐらいのことはできるだろう。
閂をして、ジョセフィーヌは窓の隙間から外の様子を伺った。
まもなく、先程とは違う男が一人集団の中から進み出てきて、ドアをノックした。同じタイミングで雷が鳴り、ほんの一瞬その男の顔が光に照らされた。
それは、国王の顔だった。
嵐の夜のシーンが続いていますがもうちょっとで場面転換します。
お付き合いくださいませ。