20.登山
隣国でチャチャ姫が脱走劇を図っていた頃。マイク王子ら一行は一泊の野宿から明けていよいよ山麓地帯に差し掛かっていた。目指す聖域はまだ先らしいが、ここから先はほぼ人家が無い。上空からところどころに数軒の集落が見えるだけである。
飛行にもだいぶ慣れて、マイクは少しづつ風景を観察できるようになっていた。
そういえば、とマイクは思い出した。
「メウの家もこんな感じの立地だったけど、普段はどういう感じで暮らしてるの。町が遠くて大変じゃない?」
メウ自身は魔法使いだから距離なんかはあまり関係無いだろうけど、他の人たちは何をやって食べていってるんだろう。そんな素朴な疑問だった。
「狩猟専門の人もいるけど、大体の人は林業ね。食料はまとめ買いしたり、行商さんが来てくれたりでそんなに困らないけど、病気のときなんかは確かに大変」
ほうきの前方に同乗するメウからそんな答えが返ってくる。
「じゃあ、メウの家も林業関係ってこと? ご両親が?」
「あー……えっとね……」
珍しく歯切れが悪い。何か聞いてはいけないことを聞いてしまっただろうか。ララベルンが気遣わしげな視線を向ける。
「父親が、家具職人だったの。……私がそのままあの家に住んでるだけ」
メウはそれ以上は語らなかった。だが、だからこそマイクは察してしまった。ひょっとして、もう亡くなってるのでは……。
思い出してみるとメウの家に避難したあの嵐の日。住んでいるのは彼女一人だけのようだったのに、着替えとしてララベルンに渡したのは父親の衣類だった。処分せずに残していた遺品――ということだろうか。
なんとなく気まずくなって黙り込んでしまう。
空気を読んだのか、ララベルンが二人に声をかけてきた。
「気温が高くなってきた。一旦下りて休憩して、運び役を交代しよう」
「そうね」
「あの河原がいい感じだ。あそこにしよう」
水面にきらきらと日差しが反射している。
嵐が過ぎてからというもの、初夏が終わって夏本番を迎えつつある。首都からはだいぶ北だというのに思った以上に気温が高い。河原は涼しくて良い感じだ。
「セリアンヌたち大丈夫かしら」
水筒の水を飲んでいたマイクの手が止まる。そうだ、僕のせいでジョセフィーヌさんが……。
「きっとミカ・ムーラさんは彼女らの居場所を突き止めるだろうけど、健康面では逆に安心だと思う。問題はそこから俺たちに追いつくまでどれぐらいかかるか……」
「私が一緒だってもうバレてるわよねさすがに」
「それはまだ何とも言えないな。ジョセフィーヌさんたちが確保されたら強制自白でバレるだろうけど」
「怒ってるでしょうね」
「……」
黙り込んだララベルン。マイクは居たたまれなくなった。
「あの、二人とも。今回は無理言って本当にごめん」
二人は驚いたようにマイクを見た。
「やだ、気にしないでいいのよ」
「ここまで連れてきたのは俺だし」
と、言ってくれるが。
「でも……。いや、ごめん。ここで僕がブレたらみんなにも失礼だ。ありがとう」
「そうそう! やれるだけのことはやらなきゃ」
「ミカ・ムーラさんが来たら矛先はたぶん俺に向くんで、そこは安心してほしい。いつものことだから大丈夫です」
ララベルンの妙な慰め方がツボだったのか、マイクは笑った。
さらに翌日。慣れない野宿を二晩続けて、体も少し疲労を覚えてきた。
ララベルンの話では今日中には聖域にさしかかるために魔法が使えなくなるという。そこから先は徒歩での登山だ。魔法のおかげで今はそれほど警戒の必要は無いが、野生動物にも注意しなければいけなくなる。
「少しずつ靄が濃くなってきたら聖地が近い証拠だ。まずは川に沿って上流へ向かおう」
この川の上流が目指すナイガラガラの滝だ。事故らないよういつもより高度は低め、慎重に飛ぶ。
しばらく進むと、うっすらと靄がでてきた。
「ちょっと……飛びづらくなってきたな」
「う、うん。精神を集中してないと、お、落ちちゃいそ……ひゃっ」
言ってるそばからメウのほうきは動きを止めた。そのままドサリと茂みに落下する。
「大丈夫かメウ! ……って、わわわっ」
ぱたぱたとはためいていたララベルンのマントもただの布と化す。背中のマイクもろとも落ちて……
ドッボーン!
メウは茂みからもそもそ這い出し、ララベルンとマイクは咳込みながら川から這い上がる。
お互いに顔を見合わせて溜息をついた。
全員で魔法が使えるエリアまで少しだけ後退し、濡れた服を乾かす。長い髪からポタポタと水滴を垂らしシャツを絞るララベルンの顔のなんと情けないことよ。メウも茂みに落ちたせいで小さな擦り傷がたくさんできている。
まさか川に落ちるなんて。……ええと、これは恨み言の一つでも言って良い場面か? そうだよな?
マイクの視線を感じたのか、ララベルンと目が合う。バツの悪そうな顔で、小さく「すまない」と聞こえた。もしかしたらこういうところがミカ・ムーラさんに頭が上がらない原因なのかも。
たっぷりと水を吸ったララベルンの厚いマントは、魔法をもってしても乾くのに時間がかかった。
よく晴れているからいずれ自然に乾くだろうが、重いだろうし、暑苦しい。「とりあえずここに置いていけば?」というマイクの冗談半分の提案は「とんでもない!」と却下。ララベルンはマントをひしっと抱きしめる。彼いわく家宝らしい。
「いよいよ魔法が使えなくなっちゃったわけね。頑張って歩かないと」
かなり登って来たとは思うがまだ滝らしい音は聞こえない。かなり歩くことになりそうだ。
「荷物も、必要なものはここであらかじめ大きく戻しておいたほうがいいな。縮小解除できないみたいだから」
そういえば魔法をかけられたカバンは小さくなったままだ。ポケットの中で巨大化しなくて良かった。