2.嵐の夜~少年
「……あのバカ娘ぇ」
母ジョセフィーヌは頭を抱えた。
別に娘の言うことを信じていないわけではない。
けれど、だいたいここは街の外れで、ご近所を頼りたくても隣の家までは敷地にして十数軒分。嵐の夜にほいほい出かけるには面倒な距離である。
なにより我が家は女の二人暮らし。物騒である。面倒事はまっぴらだ。
娘が何者かを連れ帰ってきたらどうしようか、男だったら隣のご主人に頼るのが一番だろうか。
(本当に難儀していたとしても、一文の得にもなりゃしないじゃないか)
というのがこのジョセフィーヌの本心である。
数分後、やはり娘は行き倒れを連れ帰ってきてしまった。
玄関で待ち受ける母の心も知らず、セリアンヌはほっと一息つく。
「ママ、お願い。この人に何か温かいものをあげて」
それは小柄な少年だった。見たところセリアンヌとそう変わらなそうな年齢……まだ13、4歳といったところか。
(よし大丈夫、この体格ならあたしが勝てる)
もし怪しい男だったら、という不安の一つは消えた。
いざとなったらこの母が体を張って! なんて決意をしていたのは娘には言えない。
少年は雨に打たれてすっかり衰弱しているようだった。
唇は紫がかって、目はうつろ。夏だというのに体は小刻みに震えている。黒みがかった茶髪からは雨が滴り落ちている。
さすがのジョセフィーヌもこれにはなけなしの母性を発揮して、お湯を沸かしたり、濡れた髪を拭いてやったりした。
セリアンヌは毛布を取りにぱたぱたと家へ駆け込んだ。
「寒かったらこっちにおいで。暖炉はつけられないけど竈はまだ火があるから。それと濡れた服も乾かすよ、お脱ぎなさいな」
声をかけると、少年はこくりとうなずいて台所に入ってきた。
上着とシャツを脱ぐと、妙に慣れた様子でジョセフィーヌに預ける。
ズボンも脱いで下着姿になったところで、毛布を抱えたセリアンヌが台所に飛び込んでくる。
「きゃっ!」
同年代の少年のこんな姿に、セリアンヌはみるみる赤くなる。当の少年はさほど気にしていない様子だが。
「あの、えっと……これ、どうぞ」
直視しないよう顔をうつむけたまま、半裸の少年にセリアンヌは毛布を差し出す。
「ありがとう、お嬢さん」
明らかに疲れ切った声が、その口から発せられた。言われ慣れない言葉に、セリアンヌはますますどぎまぎ赤くなる。
そんな娘はさておき、冷静な母ジョセフィーヌは濡れた衣類を干しながら、少年を観察し始めた。
(どうも妙な子だねえ……)
取り立てて容姿が整っているわけでもなく、しかし妙に人を惹きつける雰囲気のある少年だった。右目の泣きぼくろがそう見せているのだろうか。
立ち居振る舞いから察するにいいところのお坊ちゃんだろうか。だとしたら厄介な事情を抱えてる可能性も……。
毛布にくるまった少年はカップを両手に抱え、湯をゆっくりと飲んでいる。少しづつ頬に赤みが戻ってきたようだった。
(おや、この生地。随分と手触りがいいね)
少年の衣類を干していたジョセフィーヌ。そのさらりとした生地に興味が移る。
(普段着にしては仕立てもすごく丁寧だし……。あら、あららら、おやまあ! ボタンに宝石がはめ込んであるじゃないか! 裏地に刺繍まで)
それはジョセフィーヌが今まで目にした服の中でも、とびきり上等な代物だった。縫い物で生計を立てているジョセフィーヌをしても、そうそうお目にかかれるようなものでないことだけは確かだ。
(貴族様のご子弟ってところかしら。だとしてもこれは相当財力のある……)
たちまちジョセフィーヌの頭の中でそろばんがパチパチと弾かれる。
面倒事を抱えているかもしれない。が、ここはひとつ、恩を売っておくという手も……。
にんまり。
そう、人助けである。あくまでも人助けをしただけである。
厄介事があったとしても知らぬ存ぜぬで通せばよい。そのためには下手に事情を探らないほうが良いだろう。
(ふふふ、セリアンヌも我が娘ながらなかなか見る目があるじゃないのさ)
そのセリアンヌは何か話しかけたそうに、ちらちらと少年の様子を伺っている。
よし。ここは母が一肌脱ごうじゃないか。
ジョセフィーヌは少年ににっこりと微笑みを向け、話しかけた。
「この嵐の中、難儀でしたでしょう。ところでお名前は? あたくしはジョセフィーヌ、この子は娘のセリアンヌ。14歳ですの」
「あ、僕は……えと、マイクっていいます」
「そう、マイク様。覚えやすくて良い名前ですわね。ほほほほ。娘と同じぐらいのお歳かしら」
「15、です」
15歳にしては小柄だが、大人としては子供然としているほうが扱いやすい。
(この子に親切にしてやって無事に家へ帰してやりゃあ礼金がたんまり……)
欲望、いや妄想である。
ジョセフィーヌはほどなくこの自分の短慮を呪うことになる。