1話-アパートの怪奇を追って-
夏真っ盛りな夜空に連なる星々のイルミネーションが美しき星座の形を象り人々の心を現実から思い出という過去へと閉じ込める。とくに今年は特大イベントだ。見惚れるような天の川にそって降り注ぐペルセウス座流星群など、今日を見逃せば一生拝める機会は訪れないだろう。私もこんな運命背負ってなけりゃあ今頃・・・。
人々が見上げる夢のような世界から一変、視線を落とした地上の現実を覗いてみれば。
「だりゃぁぁあッ!!」
一人の少女が拳で火花を散らせ、ズタボロになりながらも自らに課せられた運命と共に闇へと立ち向かう勇敢な姿がそこに映るのだ。右腕に装着したガントレットグローブを意のままに操りし彼女の名は『八咫戦子』見習い霊撃師である。
「クハァ…ハァ…ハァ。森・・・妃姫子・・・あんた強すぎ・・・」
「バカが、貴様が弱過ぎるのだ。毎度毎度しつこく私を追い回しては半殺しにされてよく懲りないものだな」
「えへへっ…これでも霊撃師の端くれなんでね。アンタを霊撃するまでは…終われない!」
「貴様では一生掛かっても私を殺せない。逆に私がその気になれば貴様を一瞬で殺せる。試してみるか?」
「へぇ~、言ってくれんじゃん・・・」
「今日限りで貴様との鬼ごっこは終いだ。永遠に続く鬼役から解放してやるよ」
今までに感じた事のない威圧感に私は始めて妃姫子という怪人を前に『死』を予感した。踠こうとも足掻こうとも光届かぬ闇の深海へと引きずり込まれていくかのような感覚に抗う事すら出来なかったんだ。「(ぐっ、マズい…意識が…飛ぶ)」犇々(ひしひし)と伝わってくる死神の足音、気配、吐息が直ぐ後ろまで来ている・・・その手で肩を叩かれば私は確実に『死ぬ』。
しかし、その時だった。闇夜に一鈴の音色が"ガシャリンッ!"と何処からともなく荒々しい音を奏でたと思えば突然と現れた白装束の女数人が戦子を庇うようにして妃姫子の前へと立ちはだかった。その内の一人は戦子に対して手の平をその背に押し当て意識を奪い夢の世界へと誘った。それに伴って着用していたガントレットグローブも跡形を残さず消失し彼女は完全に戦闘不能となってしまったのだ。
「貴様たちは…ふんっ、過保護なヤツらめ」
「我々は戦子様をお守りする事が使命。どうかここは潔く失礼させて頂きたく・・・妃姫子様」
「勝手にしろ。小ハエに絡まれてはせっかくの風景も台無しだ」
「感謝。ではっ」
スンッ・・・・・。
「いい身分になった者だな。・・・所詮はまだまだ守られる側か…戦子」
そして翌朝。私は節々から伝わる激しい痛みに目を覚ました。見慣れた天井が此方を見下ろし畳の香りが安心感をもたらす花柄のダサい布団の上。紛れもなくここは私の寝室であり生まれ育った屋敷なのだと確信した。
「痛たたた!身体が…起こせない・・・」
お腹も空いたし喉も乾いた。然れどその欲求を満たそうとにも身体を少し動かせば"ズキンッ!"とまるで皮膚無き肉の上から針でも刺されたのかと思う程に強烈な痛みが全身を襲う。
「ど、どうしたものか…くはっ」
天井を見上げる戦子の脳裏に繰り返し流れる昨夜の記憶。霊撃具であるガントレットをもってしても彼女の攻撃は森妃姫子に対して致命的ダメージを与えるには至らなかった。それどころか全ての連撃を受け流された挙げ句、相手の持つ頑丈な肉体によって渾身の一撃ですら弾き飛ばされ心底深い力の差を突き付けられた。そして挑む回数が増えていくにつれ自身の無力さを実感させられるのだ。今日に至るまで彼女が重ねてきた対妃姫子戦での戦績は無勝全敗。まさに清々しい程の敗北の戦歴であった。するとそこへ、一人の男性が彼女の寝込む寝室の襖に手を掛け慣れた足取りで室内へと入り込んできた。
「おっ、目は覚めているようだね。調子はどうかな?戦子ちゃん」
「居たんだ、蛇原先生」
この男。名を『蛇原栄知』八咫家専属の医師である。
「まーね。それより君、今回ばかりはよく生きてたね。全身打撲に肋骨骨折…一部の血管破裂に腕骨破損…頭部に強い衝撃有り…また随分と派手にやられたもんだよ」
「こんなんで悄気てられないっての。次こそは・・・っ」
「やれやれ、そろそろいい加減に諦めたらどうだい?森妃姫子は君の敵う相手じゃない。都市伝説級の怪人はそこらの悪霊とは訳が違うんだよ?」
「あー、聞こえない聞こえない。アドバイスとか励ましなら聞いてあげてもいいけど」
「アハハ。そういう所は叶絵ちゃんの血をしっかりと受け継いでいるんだね」
「んっ?叶絵ちゃんって…ママの事?」
「そうだよ。あの人も昔は君と同じように頑固で負けず嫌いで…自分の心配なんてお構い無しに霊撃師として毎日走り回っていたもんさ。今の戦子ちゃんが当時の叶絵ちゃんを見たら恐ろしくてチビっちゃうかもね」
「えっ…今のママからは想像出来ない・・・」
「そりゃあもう何十年も前の話だからね。まぁ、君を産んでから直ぐにって訳じゃないけど、何が原因だったのか…気付けば彼女の身体に染み付いていた闘気は徐々に薄れ消えていったよ」
最中。蛇原はただならぬ気配に一滴の冷や汗を頬に垂れ流した。何故なら「蛇原先生。娘の前で余計な話はしなくていいのよ?」噂をすればその叶絵が気付かぬ内に背後にて立っていたからだ。
「か、叶絵ちゃん…いつのまに」
「だらだらとお喋りなんかしちゃって。随分と暇なのねぇ~…水神様も」
「あ、いや…そろそろ時間だよ。また三日後に具合を見に来るからね、それじゃ!」
そう言うと蛇原先生は急ぎ足で私の寝室から退室していった。
「ふ~ん。ママが霊撃師ってのは知ってたけど…そんなにおっかなかったなんて知らなかった」
「鵜呑みにしないの。はい、お粥」
「そういえばママの霊撃具ってのも見た事ないかも。どんな形してるの?見せてよ!」
「もう無いわよ」
「えっ…なして?」
「さ~ね・・・何処かに落っことしちゃったのかも」
「な、なにそれ・・・」
そして、数ヶ月後。蛇原先生の尽力もあってズタボロだった私の身体は学校へ通えるまでに回復していた。傷跡は多少なりとも残ってはしまったものの、これも戦う者としての証…それを糧に今日も私は闇を追って走り続けるんだ。
「とっ、その前に戦子」
「んあっ?」
「ほらっ、これな~んだ」
「も、喪服?誰か死んだの・・・?」
「ち、違うわよ縁起悪い!喪服は霊撃師しとしての正装なのよ。貴方はまだまだ未熟だけどいずれはこれを着て立派に使命を果たしていくのよ」
「ほ、ほう?」
「ママが貴方と同じくらいの時に着ていた物だからサイズは大丈夫な筈なんだけど…裾丈合わしとかないとね」
「ん~・・・嫌だ!暑い!ウチは制服のままでいいよ!」
「あ、こら!待ちなさい!・・・別に今日から着るって訳じゃないのに…まったく子供なんだから、もう」
私の目的は決まっていつもアイツ、ではないのが残念の所だ。霊撃師としての仕事もちゃんとこなさなければならない。そう、今日はとあるアパートで起きている怪奇現象の後始末だ。詳細によると、どうやら数ヶ月にある夫婦がその部屋を不動産屋から借りたらしく初めはなんの問題もなく円満に生活出来ていたらしいのだが、10日目を過ぎた辺りから不自然な現象が徐々に起こり始めるようになったらしいのだ。今では毎日のようにその怪奇現象が多発し、特に深夜12時を過ぎた辺りで一部の部屋から誰かが暴れているような物音が止まないのだという。私は早速その夫婦に話を聞く為、集合場所であるアパート付近のファミレスへと足を踏み入れた。
「は、初めまして…僕は山野海飛といいます。こっちは妻の由美です。今日はよろしくお願いします」
「どうも山野さん。霊撃師の八咫戦子です(明らかにやつれた表情…会社員の旦那さんと違って日中を家で過ごしている奥さんの方は既に限界が来ているな)」
「あ、あの!・・・知り合いに貴方たちの事を聞いて…何とかしてくれる!って・・・僕たち、もう限界なんです」
「(でしょーね・・・)」そう思った。確かに二人の表情だけを見てもどれだけ追い詰められているのかは一目瞭然だ。しかし、そう思った理由は他にある。二人の後ろ姿を映し出している背後の窓ガラス…私には見えているのだ。奥さんの姿と入れ替わり首を捻って窓ガラス越しに此方を睨み付ける知らない女の姿が。
「(意地でもこの夫婦を逃がさないつもりだな・・・)」
「あ、あの~…聞いてます?」
「え?あ、はい。では詳しくお話を聞かせていただきますか?」
「・・・はい、あれは今から2ヶ月前の出来事になります」
僕たちは元々貯金の関係上、婚約期間に同棲する事はありませんでした。しかしながら将来的には彼女との結婚を考えていた僕は形振り構わず毎日を仕事に費やす日々を送っていたんです。全ては彼女との結婚を機に二人で一緒に幸せな家庭を築く為…それがやっとの思いで実を結びあのアパートを手にする事ができたんです。
『いいわね、このアパート!なんだか子供も素直に育ってくれそう』
『アハハ、なんだよそれ。それに子供なんて気が早いよ』
『そうかしら?』
決して広く贅沢な家では無かったのかもしれない。だけど、その分由美との距離が身近に感じられた。相も変わらず僕は仕事で忙しかったけど以前とは違いそこには妻がいて笑顔があったんです。それが住み初めて10日後・・・。
『…な、なんだ?』
それは深夜12時を回った辺りから起き始めたんです。奇妙な物音に目を覚ました僕はトイレの明かりがうっすらと視界に入ってきた事できっと由美がトイレに行ったのだろうと思い寝返りを打って再び眠りに付こうとしました。ですが…由美は何故か僕の隣でぐっすりと寝ていたんです。
ガタンッ!…ガタンッ!…ガタ"タ"タ"タ"タ"タ"タ"ッ!!!!
それからは恐怖との戦いでした。子供部屋にしようと思い使っていなかった一室からは信じられない程の物音と振動。トイレの明かりは点いたり消えたりを繰り返し、景色が一望できるベランダからは窓ガラスを通じて誰かがひたすらに"ドンドンドンドンッ!!"と叩く音が室内全体に響き渡たったんです。目を覚ました由美も恐怖に身体を震わせ怯えていました・・・。翌日も、その翌日も怪奇現象は酷くなる一方で…由美が一人の時は花瓶が勝手に割れたり何かに腕を掴まれたりと状況はますます深刻な方向へとハマっていきました。不動産屋に相談しても原因は分からないとまともに取り合ってもらえず、霊媒師の方に相談しても現状は変わりませんでした。
「そこで知人に貴方たちの事を教えてもらったんです。霊を相手に戦う事を生業にしている『霊撃師』という人たちがいると」
「霊と戦う…ま、まあまあ間違ってはいない・・・ような?」
「お願いします!どうか助けてください!」
「あの、その怪奇現象って以前からありました?もちろん一緒に住む前ですよ?旦那さんか奥さんどちらかに」
「い、いや。初めてです・・・」
「私もあんなのは生まれて初めてで・・・」
となれば考えられる可能性は一つ。
「ふむふむ。事故物件が濃厚ですな」
すると、海飛は『事故物件』という言葉に強く反応を示し唐突に立ち上がったかと思えば「じ、事故物件!?」と驚きの表情を露にした。
「はい、事故物件の可能性ありです」
「んなっ!不動産屋は何も!」
「言う訳ないじゃないですか。なんたって事故物件に指定されている家はワンクッション間に人を住まわせる事であら不思議。怖い怖いお化け屋敷から極々普通のアパートにビフォーアフター!事故物件扱いじゃなくなるんですよ。つまり、貴方方はまんまと元々事故物件だったあのアパートを通常価格で押し付けられたって訳です」
酷い話しだがこれは日常的に起こり得る素人の典型的なパターンとも言える。契約元である不動産屋との話し合いを慎重に行った上で近所からの噂や下調べなどをしておかないとこうなる。
「そ、そんな…引っ越したばかりなのに・・・」
「まあまあ、そんなに落ち込まなさんなって。何の為にウチがここへ来たと思ってるんですか?」
「本当に大丈夫なんですね?信じても・・・」
「お任せあれ。では早速この契約書にサインをお願いしますね。報酬の件もそこに書いてありますので。あと個人的な謝礼金はここのパフェで構いませよ。丁度気分だし」
「は、はあ…分かりました」
「それと、これ重要。家に大事な物とかってあったりします?手荒くなると思うんで、あるなら今の内にお住まいへ回収しに行って来てもらっても大丈夫ですよ?ウチはパフェ食べてから向かうんで」
「じ、冗談はよしてください!大丈夫です!あの家には帰りたくないんだ!」
「あ~…そう?」
「あ、後これも気になる事なんですがいいですか?」
「なんですか?」
その気になる事とは、引っ越して来て霊的現象が起こり始めた夜から見始めたという夢の話しであった。あの部屋でただ一人立ち尽くしている自分がいると。しかし、奥さんの姿はどこにもなく、自分は何か大量の紐のようなもので天井に吊り上げられて気付けばあの子供部屋にしようとしていた怪奇現象の起こる部屋の中で立っているのだという。すると、いつもその背後からじっとこちらを見つめる黒い女の存在があるらしく、夢と分かっていてもその恐怖心に感情を抑えきれず扉を叩いたり夢から目覚める為に「覚めろ」と自身に言い聞かせたりと、とにかく必死でもがぎなんとか夢から目覚めた頃には大量の冷や汗や怯えて寄り添う奥さんの姿があるのだという。
「なるほど・・・もしかしたらそこに住み着く霊が旦那さんに惚れてしまって自分の存在に気付いてほしくてそういった現象や夢を見させていのかもしれませんね。もしそうならこのままでは危険です。貴方…いつ死んでもおかしくありませんよ?」
「そんな!!」
「とにかく、詳しい調査をしてみないことには確かな事も分かりませんし、何か分かったら報告します」
「よろしくお願いいたします」
それから数十分後…私は例の事故物件の可能性がある仕事現場を前に立ち尽くしていた。手渡された手書きの地図を頼りに何とか辿り着いたのはいいが、普段から見慣れていない地図がこうも理解出来ないとは思ってもみなかった。
「あの夫婦…マジで現場への案内を断りやがるとは・・・。あと何でルートを一本線で描くんだよ…おかげで暑い中を無駄に歩いたじゃんか」
このアパート、外見は至ってシンプルな比較的階数の少ない共同住宅のようだが吐き気を催す程の気持ち悪い空気とでもいうのか、それが辺りを覆い尽くし近寄る者を拒んでいる。現在の時刻は午後9時頃…とくに怪奇現象がひどくなる時間帯は午後12時を過ぎてからという事はおそらくその時間帯に未練が強く残る霊の仕業かあるいは何かしらの警告の類いだろう。私は取り敢えず外側からアクションを行うべく、アパートの裏口に回り込み窓ガラスが割れない程度の小石にフッと息を吹き掛けベランダ目掛けて投げ付けてみた。これは霊に対して"私はお前を見ている"という警告であり上手く相手が反応を示してくれれば姿形をこの目で確認する事ができるからだ。すると思惑通り、室内を包み隠すカーテンの隙間…真っ暗闇の世界から此方側をうっすらと覗き込む異形の何かが手に持つお札のような物を"クシャリッ!"と一握り…ぶつぶつと不気味な言葉を呟きながら消えていったのだ。
「うむ、地縛霊?」
話を聞いていた段階で大体の予想は付いていたが、やはり霊の正体は地縛霊の可能性が大きいようだ。だが、そうなれば不自然な部分が残ってしまう。地縛霊とは本来、自分が死んだ事実を受け入れられなかったり、自分が死んだ事を理解できていなかったりして、死亡した時にいた土地や建物などから離れずにいるとされる霊のことであり、又その土地に特別な理由を有して宿っているとされる死霊だ。このアパートに縛られている以上、ここの霊は外に出れない筈なのだ。となればだ。
「なら、あのファミレスで見た女の霊は一体…なに」
周囲には霊道になり得る物は一切見当たらない他、墓地なども無ければ霊が集まりやすいと言われる水辺すらこの近くには存在していない。
「(んん~…ますます分からん・・・)」
まあ、あれこれ考えても今は仕方がない。とにかく・・・。
「お邪魔しまーす」
中に入ってから考えよう。