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ピアシリュージョン・ブレイド  作者: 白金 二連
第四幕 ご利用に、終止符を
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69.シーン4-6(不浄なる歪み)

 彼の話を聞いたことで、歪みの存在がその命を全うするまでの間に多大な苦労を呈してまで生かされる理由は理解できる。しかし、だからこそやはり今のこの世界の状況とは噛み合わない。どこまでが短命とされるのかはさておいて、ひとまず彼が二十余年を過ごしてきた今なおこうして存命で外界へと出向いており、しかも今のところ世界が安定している理由が分からないことを尋ねたのだが、それについて彼が答えることはなかった。


「共振って人間以外にも起こってるんでしょ? 歪みの存在って人間以外にもいるの?」


 彼は一瞬なぜそんな変なことを聞くのかといった顔をしてこちらを見たが、すぐに視線を元へ戻すと、歪みの存在は今のところ、この世界でマナと結びつきが強い人間のなかに現れるのだと説明した。他の生物に現れる可能性が無いと断定はできないが、そういったものを聞いたことはないらしい。


「なんで死んだらマナの流れが元に戻るの?」


 私が浴びせたさらなる疑問に、今度こそ彼はそんな本末転倒みたいなくだらぬことを聞くなといった顔をした。実際、そんな感じのことを言った。


「お前は何を聞いていたんだ。それが役目だからだと言ったはずだ。とにかく、俺は歪みの存在として生まれた以上、この世界の歪みを少しでも取り込み、それを浄化しなければならない。お前もそれだけ分かれば十分だろう」


 暗に話はこれで終わりだと告げた彼は、以後完全に口を閉じた。

 最後にこれだけ言ってみようと思った私は、君はそれで良いのかと小さく声をかけてみたが、その言葉に対してさえ彼が口を開くことはなかった。表情の抜け落ちた冷たい瞳が微かながらに動きを見せることもなく、聞こえていたかも定かではない。


 彼は、そう、苦しむために生まれてきたのだ。


 この不条理な世界に生じる綻びを強引に繕うために、理不尽な生を強いられるべく闇の中に生まれ落ちた。この世界を守るために誰よりもその存在を望まれて、だがしかしこの世界を守るために誰よりもその存在を疎まれて、そしてこの世界を守るために誰よりもその死を望まれている。


 不意に、堪えきれず喉の奥からくつくつと音が漏れ出した。横に座る人物がこちらを訝しんでいる気配が肩越しに伝わるも、小さな震えは肩、そして背へと伝搬して止まらない。


 ああ、こんな突拍子もない馬鹿げた話をどうして真に受けとめることが出来ようか!

 背中を丸め、無性にこみ上げてくる奇妙な笑いを力ずくで抑えこみ、はずむ呼吸を膝にうずめて上下に跳ねる腹の底を固定する。実に愉快な世界じゃないか。私は御免だ。


 死の犠牲による人類の救済。まるでイエスの贖いだ。君はまさか神の子だとでも言うつもりか?


 人は、生まれながらに罪を抱えているという。

 とこしえの楽園で慎ましやかに暮らしていたはずのアダムとイヴは、悪い蛇にそそのかされて神様と交わした約束を破ってしまう。そして、痛みと苦しみに支配された大地へと追放されてしまうのだ。その子孫たる人類は皆、等しく彼らの罪を受け継ぎ生まれてくる。


 人を罪の道に陥れた蛇はたびたび悪魔であるとも言われ、さらには人を死に至らしめるとされる悪しき欲も、七つの大罪としてその背後には大いなる悪魔の姿がしばしば描かれる。


 悪魔や魔王、妖怪、鬼、そういった不浄の怪物たちは、神に背き悪徳をもって害をなす、人の脅威というだけではない。本来彼らは、災害や悪天候、不作、飢え、謎の病、死、そしてそれらを取り巻く人の心の闇を携え、我々の前に現れる。


 気まぐれな自然界がありのままの猛威をふるう過酷な世界で、その偉大さに人は敵わぬ力をどこかで感じ、畏れ、敬いながら生きている。雨が続き、日照りが続き、突如として嵐がくる。伝染病が蔓延しても、その原因は人の目には映らない。人を怒りと悲しみの闇に陥れる目に見えない数多の不幸は、人知の及ばぬ力を持った、不気味な世界に暮らすもの、悪神、悪魔たちが運んでくるのだ。


 さまざまな天体現象、地形や気流や気温の変化、気圧の変化などで引き起こされる多くの災害、病原体の数々や偏った生活習慣による体の異常。それぞれの原因へと個別に向けられるはずの不安や怒りの嫌悪はすべて、悪魔たちが一緒くたに集めていく。人の前に現れて、死と不幸をばらまく彼らを鎮め、払うことで、人はまた自然界で生きる希望を見い出すのだ。


 なるほど、歪みの存在とは、共振にあぶれた片割れの余波をただ集めていくだけではないのだろう。


 この世界で人が感知できるほど身近な位置にあってなお、人知を越えた存在のマナ。そんなマナの負の側面を集める歪みの存在は、人の不幸を差し向ける対象として、どれほど相応しいことだろう。


 そもそも、なぜ共振にあぶれたマナは、歪みとなって命に害を成すのだろうか。

 過度のマナ以外にも、いや恐らくはどのような世界においても、人を不幸に陥れる魔の術がある。それは俗に、呪いと呼ばれるものだろう。


 呪い。この有限の世界で生きる上で、避けて通れぬ死の悲しみに、報われない人生に、どこかで生じる理不尽な辻褄合わせに、人々の負の思いは募る。それは共振にあぶれてしまった孤独なマナの流れに宿り、次第に人の幸せを呪う力へと変わっていく。


 俺はこんなにつらい思いをしているのに、なんであいつはあんなに楽しそうなんだ。私は愛する人を失ったのに、なぜあの人は家族に恵まれ、幸せそうにしているの。


 こんなはずじゃなかったのに。本当なら幸せになれたはずなのに。どうして自分は報われず、どうして自分は苦しまなければならないのだろう。周りの世界に自分が望んで得られなかった幸福が見えるからこそ人は己の不幸を知って嘆き、それがどこかで妬みに変わる。少しずつ少しずつ、マナの歪みの蓄積に比例して、呪いも力を増していく。


 共振にあぶれたマナの歪みがもとの流れに交わらないのは、人の心が生み出した呪いの力が、それを負の側面へととらえたまま放さないからなのかもしれない。マナという媒体を得た負の感情の螺旋こそが、この世にうごめくマナの歪みの正体なのではなかろうか。人が穏やかなマナの加護を失ってしまった世界において、世界全体の存亡に関わるほどに死や病が蔓延してしまうのは、恐らくそのせいもあるのだろう。


 不浄なる歪み。その不浄が何を指して不浄と名付けられたのか今の私にはまるで知る由もないのだが、しかしながらなんとも面白いことに、その名は核心を突いていたというわけだ。


 人の心の暗い闇。人の不浄を宿すもの。そんな世に蔓延る負の感情を集約した存在が死ぬことで、悪は払われ、人の心は浄化される。


 恐らく不浄なる歪みとは、死をもって人の心の業を贖うために生まれる存在、そして不浄なる歪みの死とは、それを霊媒とした悪魔祓いの儀式なのだ。


 死の犠牲によるカタルシス。これこそが、不浄なる歪みが担った真の役割なのではないだろうか。


 だがしかし、不浄なる歪みは人の子に生まれいずる。決して神の子にはなり得ないのだ。人ひとりの死で世界が救えるはずもない。だからこそ、いつまでも囚われたままの彼女がいて、そして多分、今ここに彼や私がいるのだろう。


 死ですべてを清算しようなんていうのは土台無理な話なのだ。死そのものは等しく損失に他ならず、それは進んでいた事象の停止に他ならず、そこから損失を埋める何かが生み出されるというのはおかしい。途切れた時間を繋ぎ止めて穴を埋め、さらにその先を紡ぐことができるのは、生きている者だけだ。


 言葉を並べてこの世界の不始末を飾り立てる真似はよそう。有り体に言うなれば、臭いものに蓋である。

 死の犠牲による解決は、あくまでも一時しのぎ、その場しのぎにしかならない。自分の始末は自分の手で付けなければ結局どこかで借りになったままなのだ。そう、私の借金と同じである。残念ながら私もあまり他人のことをとやかく言えた義理ではないらしい。

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