65.シーン4-2(リィベ)
さして大きくもない集落だからか、ひと騒動を嗅ぎつけた村人たちが何だ何だと野次馬よろしく集まりだした。
黒やこげ茶といった、濃い色の髪や目の人が多いようだ。また、木で組まれた家屋の様式、老若男女の服飾など、随所の造形を眺めてみても聖都やコクヤなどの街とは少し趣を異にしている。私としては妙に親近感が湧く。さすが温泉のそばにある村である。
「それよりも」
先ほどおばあちゃんを引き止めていた幼い声が、女児の声音にまるでそぐわぬ物々しい口ぶりとともに、こちらの方へ距離を詰めた。
不思議な色の水晶を両手で胸の前に持った、十かそこらの少女である。暗い色の髪や瞳が多いなかで、白い髪と群青の瞳が際立って目を引いている。彼女が水晶を覗くと同時に、その瞳と同じ青や緑、紫が球の中でゆらゆら揺れて交じりあう。
と、そこまでは神秘的なことこの上ない。ゆったりと長く垂れる服の色も朱と白のツートーンカラーで、あの職業を思わせる。神に仕える子がごとく、彼女が放つ高い魔力の気配にとてもよく合う衣装である。が、しかし頭に被った帽子を飾る突起の形が、どう考えてもあの動物の耳を思わせる。
おばあちゃんが彼女の方をおもむろに振り返った。
「ミネコ様、どうされましたかな」
ニアピンである。むしろ両方取りである。
「その者達は友人ですか」
彼女はちらりと私たちに視線を滑らせ、オルカに問うた。オルカ自身も事の次第を上手く説明できないらしく、しどろもどろに肯定している。
「わかりました。詳しい話は後ほど聞きます」
ミネコと呼ばれた子供は童女とは思えぬほどきびきびとした口調で話し、次いでミリエの方を見るや、一瞬だけふっと目元を緩めて少なくとも友好的に迎えてくれる顔をした。そして直後に私を、いや正確に言うならばおそらく私の背後を付いてくる人物に視線を向けると、氷のように冷たく突き刺す目に変わる。
「皆、退きなさい。そこの者は穢れのものです」
凛とした知性をたたえる大きな瞳に、よそ者である私たちが確かに映った。
「い、いま、何と……」
おばあちゃんがミネコと呼ばれた女の子をおそるおそる確認し、そして私たちを確認する。
認めよう。確かにコクヤから聖都に戻って汗を流し、一泊したあと再び聖都を発ってからこの村に至るまで、体を洗う機会などなかっただろう。私の背後に控える人物に至っては、一体いつどこで体を洗っているのだろうか、甚だいかがわしいものがあり、私としてもあまり考えないようにしているほどだ。
だがしかし、その程度で冷たく嫌厭するだなんて、いくらあれの拠点だからといって、あんまりな対応なのではないか。長旅を経た私たちだからこそ、あれのあるこの村こそが希望なのだ。
「温泉があると聞きました」
ピリピリと刺す空気に私は思わず息をのむ。そして、必死に目で訴えた。
私、温泉、入りたい。幼女さん、私を旅館に連れてって!
私の真剣な訴えに気圧されて、彼女がこほんと咳払いする。
「そういう意味ではありません」
彼女は数拍おいて息を整えたあとで、静かに私たちを見据えて告げた。
「そのものは『不浄なる歪み』です」
私ともう一人を除いた様々な方向で、どよめきが広がった。
「捕らえなさい」
「えっ」
あまりの展開の早さに私は焦った。何かを考え思うよりも早く、もはや直感とも言うべき危機感に駆られて真っ先に口が動く。
「ち、違いますっ!」
「いいえ、間違いありません」
迷いなく断じる小さな子供に、まずはそばにいたオルカが硬い表情で言葉の真偽を確かめた。そして、そんな張り詰めた二人を、ミリエが「嘘でしょ……?」と呟きながら呆然と見つめている。
「嘘だって! 違います! そんなはずないです!」
私が頑なに否定するも、ミネコと呼ばれた女の子は目をわずかに伏せて憂いの顔をつくってみせると、首をゆっくり横に振る。
「信じられないのも無理はありません。わたくしだって、この目で確認するまでは信じられませんでした。ですが、事実なのです。貴女もその場から離れなくては危険です」
「き、危険って……なんにも無いですから!」
私はコクヤで彼の強い力に中てられたことをこっそりと棚に上げた。
気がつけば、どんどん私たちの周囲から人が円を空けるように遠ざかっていく。どうして良いのか分からずに狼狽しているミリエもまた、少しだけオルカや少女のそばへと一歩踏み出した。
「そ、そもそも、その不……」
わけも分からず為す術もなく傾いていく状況に焦るあまり、瞬間的に単語を忘却してしまい、早く弁明しなければとさらなる焦りが私を襲う。そうそれは、大聖堂で聞きしに及ぶ、確か封じ閉じ込められて、洗われることなき存在である。
「ふ、不潔なる黄ばみが出るのって」
「この場でボケないでよ馬鹿!」
私の思い出し違いにミリエが怒る。
「不潔じゃなくて、不埒でしょ!」
「そ、そう。その不埒なる極みが出」
「不浄なる歪みってさっき言ってたばっかりじゃろが!」
姉妹そろってあたふたする光景を見るに見かね、オルカ曰くのおばあちゃんが突っ込み役に回ってきた。間違いやすい名称は、切迫した場面で慌てるあまりにこうなってしまう恐れがあるので、避けたほうが無難である。
「その、不浄なる歪みが出るのって、世界をめぐるマナの流れが荒れてる時なんですよね? だったら、おかしくないですか」
私の疑問に、臆することなく少女が答える。
「言い伝えとは異なりますが、少し前まで確かにマナは異常なほど荒れていましたし、世界は凄惨たるものでした。そのものがまとう穢れた魔力の気配によく似ている」
彼女が覗く水晶の中で、仄かな明かりが揺らめいては消えていく。何かの特殊な魔術が掛けられているのかもしれない。
水晶の中をたゆたう明かりのひとつがふわりと膨らんだと思ったとたん、魔力の弾が一直線にカインへ向けて解き放たれた。彼は避けるどころか微動だにせずその攻撃を身に浴びた。
容赦なく頭部を直撃した魔力弾の衝撃で、頭部を隠していたフードが外れ、鮮やかに狂った色が白日のもとに晒し出される。それを見た村人たちからさらなる畏怖の声が上がった。
「不浄なる歪みは人に似て非なる姿であると言われています。人にあらざるその髪、その目、禍々しい魔力。よくその姿で人に紛れてここまで来れたものですね」
「転んで頭打って流血しただけなんです」
「無理があります」
少女はそう突っぱねるが、どちらかというと皆わりと気にしていなかったような気がしなくもない。今更な気がしなくもない。それだけ、ここへ来るまでに何も無かったということなのではなかろうか。
こうして他の村人同様驚いているところを見る限りでは、オルカやミリエですらもそうであると意識するには至らなかったに違いない。例え以前の荒廃を知らなかったのだとしても、それでも今の彼を見て何も分からなかったのなら、そんな危惧など今に限れば必要ないということなのではなかろうか。
命の源マナを狂わせ、病をもたらし、あらゆる命を死へと誘う。世界を枯らし、人々を争いへと駆りたてて、憎しみと悲しみの暗き淵へと突き落とす。奈落の底より生まれ出ずるは、恵まれぬ生を強いた世界を祟る怨みの神、惨禍をまねく邪悪の化身。
この、無口で愚直でアラサーで砂糖を紅茶に入れまくってたお子ちゃま舌がそれだとは、一体なんの冗談だろうか。世も末である。
屈強そうな村人の数人がこちらへと詰め寄った。その代わり、四面楚歌の波に飲まれたミリエがさらに円の外側へと後退していく。
「貴女も早く離れなさい。それとも、まさか不浄なる歪みを庇うつもりだとでも言うのですか」
「か、庇うって……」
再び後ろを確認したが、彼はフードを剥ぎ取られてなお、ほぼ棒立ちのまま事の成り行きに身を委ねているようだった。
「なんという愚かな……」
カインのそばから未だに動こうとしない私へ向けられる視線もまた、次第に不穏な陰気をはらんだものへと変わっていく。
だからといって、私にどうして彼を見放すことが出来よう。
ここでもし不浄なる歪みとして捕まれば、最悪今までの行程は全部ご破算、白紙撤回元の木阿弥水の泡、おじゃんになってしまうだろう。清浄なるマナを崇める教会が、人々の忌むべき災厄に肩をいや金を貸していただなんてことが民衆に知れ渡れば、権威はおろか信用すらも地に落ちるに違いない。
そしておそらく私には、これまでの苦労が玄関先の郵便受けにチラシを取りに外へ出て、チラシの隅にメモ書きをした程度に思えるような、もはや比べ物にならない量の課題が待っていることだろう。いつになれば終わるのだろうか、明日さえ見えない山のような課題の下で一人押しつぶされる私を残して、自身はどこかその辺の村にころっと捕まってしまうだなんて。
教えてくれ、パラリラ。私はあと何回徹夜をすればいい。あと何回、書写と荷運びをこなせばいいんだ。マナは何も言ってはくれない。任務、大量だ。
ひゅんと私の脇を何かがすり抜け、背後の人物に当って地面に転がり落ちた。石だ。
どこかから誰かが投げたのだろう。不躾も甚だしい。当たったら怪我をするではないか!




