62.シーン3-28(精算と次の行き先)
「お前がマナの荒廃した世界を知らないだけだろう」
不意に横槍が入り、私はその人物のほうを見た。警戒はされているが、しかしいくらか言い合う機会があっただけに、彼も口を利きやすくなったのだろう。なにせお得意のマナ話題である。
「そんなに酷かったんだ?」
話しかけられてなお私の具合がとくに変わらないらしいことを確認し、彼は再び口を開いた。と、その前に、彼はかすかに眉根を寄せて私から視線を外し、正面へと向き直ると軽く俯いた。難しそうな顔をしていると思えばそう思えなくもないが、普段から表情が険しいため違いはあまり分からない。
「いや、俺もあまり知っているわけではない」
「えっ?」
意外な答えに私は驚いてしまった。私がひどく驚きながらまじまじとしていることに気付き、彼がふっと身構える。
「何だ」
彼の問いに、私は真っ先に思った言葉を飲み込んで、代わりの答えを探して咄嗟に出てきたものを言った。
「いや、二十八なら、キュリアさんが言ってた酷かった時期のことも多少なりとも知ってるんだろうなっていうだけなんだけど……」
別におかしな答えではないだろう。むしろ、これこそが一番真っ当な疑問と言える。私が変に勘繰りすぎているというだけで、世間一般にしてみればこれほど当たり前の答えはない。
彼は私の当たり前の答えを聞いて、いくらか肩の力を抜いてから再び前へと向き直り、ただ一言「お前に話す必要はない」と言った。さいですか。
私たちのやりとりを眺めていたキュリアさんが、せっかくのおやつですし暗い話はそれまでにして、ひと休みしましょうと言って彼女のお茶を口へ運ぶ。しばらくして、カインも目の前に出されたお茶へそろそろと手を伸ばした。早くしないと冷めちゃうよ。
彼は紅茶をひとくち含むと、一瞬だけ、ほんの一瞬だけなんとも言えない顔をした。勝手にその瞬間の顔に台詞をつけていいのならば恐らくこれだ。コレ、ナンカ、シブイ。
甘党のキュリアさんが砂糖を紅茶に追加しているのを目にした彼は、そのあと砂糖へ手を伸ばし、ひとつつまんで紅茶へ砂糖を溶かしこんだ。再びカップを口へ運ぶ。
彼はそのまま何か考えるようにじっとしていたのだが、しばらくしてからカップをテーブルに置き、再び砂糖をひとつ入れた。入れた。入れた。また入れた。ってどんだけ砂糖入れとんねん!
甘いものに目がないキュリアさんと目が合った。だがしかし彼はさらにその先のステージへと突入している猛者である。彼女の困惑気味の視線を言葉に置き換えるのならば、おそらくこれだ。見てはいけないものを見てしまった気がします。私は同じく視線で答えた。見なかったことにしておきましょう。
次から次に横で投下されていく砂糖の数と、次から次に小瓶から消えていく砂糖の数があからさまに横のテーブルとかけ離れてしまいそうなところになって、私は足で彼の足を小突いた。借金中である。砂糖はめちゃくちゃ高価である。これはあくまで善意で提供されたものである。それに砂糖にはいくらか依存性があり、過剰摂取は健康を害するものとなる。というかやっぱり高価である。サービスとして受け取るにはあまりにも贅沢な品である。
せめて今は遠慮してくれといった思いを込めて、私は静かに「入れすぎ」と言っておいた。ついでに威嚇で「摂りすぎると死ぬ」と付け加えた。嘘というほど嘘でもない。
絶対に底で溶けずに砂糖の粒が残っているであろうシロップ紅茶と蜂蜜によりほんのり甘い焼き菓子を、初めて口にするような慎重さでじっくり味わう横の人物に言い知れない脱力感を覚える。しかも彼はこの期に及んでまだフードをかぶっている。人の家にお邪魔しているのだから外したらどうなのだ。
黙々とティータイムを続行している彼のフードを、落胆と腹いせまじりに無言でがしっと無理やり剥ぎ取り、私はキュリアさんに今後の予定をうかがった。
明日の朝コクヤを出て、聖都へ戻るための手配はすでに済んでいるとのことらしい。これでめでたく彼も教会から解放されることになる。
「アリエ様は引き続き書物の書き写しをお願いいたします。それと、ご実家へと帰られる際に教会からの荷物を一緒に町へ配達していただきたいと思います」
「えっ、ちょ、ま」
「はい、何かございましたか」
「ぴ、ピンハネしてません?」
あの荒れ地を占拠していた不穏なマナの吹き溜まりを取り除く仕事なんて、専門中の専門技術だ。私が落としたものはいくら高額とはいえ小さな金細工たった一個だというのに、何ゆえまだ返済分が残っているのだ。
私が慌てて問い返すと、彼女は改まって教えてくれた。
「マナの浄化を行ったことによりコクヤとファレンシア家個人から頂戴した報酬、それと強盗犯の身柄確保に協力したことを感謝されましたのでわずかながら頂いたお礼分も一緒に含めたものから、コクヤの往復費、ファレンシア家へのお礼費、詰め所での宿泊費用、ミリエ様の取り分、助けてくれたオルカ君へのお礼分、それと貴女が折った布団叩きの買い替え分を差し引いた金額を割り振った結果です」
「えっ自腹だったんですか」
「当然です」
そんな税金と家賃と光熱費よろしく抜き取ったら全然残らないではないか。しかもミリエはどう考えても高給取りである。
「せめて布団叩きは割り勘にしませんか?」
「こちらとしては構いませんが、結果に変化はほとんどないと思いますよ」
なんたって何の変哲もない木の棒である。ショックである。
そう言えば、よくよく考えてみればキュリアさんの取り分が手間賃すら入っていないのではなかろうか。それを思うと、あまりこれ以上は口を挟みにくい。
「それに、例えあなたがたの返済に充てる分を多めに見たとしても、増えることになるのは彼の取り分なのでアリエ様の今後はとくに変わりませんよ」
「うっ」
「他にご質問はございますか?」
ございません。
コクヤもすでにあの吹き溜まりがあろうと無かろうとここまで機能していたのだから、街のど真ん中にあった聖都ほど事態が重要視されていなかったこともあるのだろう。
「まあ、貴女は我々と親交がありますので、あとは段階的にでも」
キュリアさんと私が話をしていると、今まで横のテーブルでティーンズトークに花を咲かせていたであろうオルカが突然すっとんきょうな声を上げた。
「あっ、そうだ!」
びっくりして彼の方を見ると、彼はそうだそうだと言いながら身を乗り出した。
「言おうと思ってたんだけど、その、実はおれの住んでたところのそばにも同じようなのがあって」
「えっ、まじで」
ここでさらに追加とくるのか!と頭を抱えかけたのだが、そう言えばあの白い空間で、あともう一回だけわたしに会ってと彼女に言われていたのである。
「うん、まあちょっと色々あってなかなか言えなかったんだけど、おれの知り合いがそこを管理してるんだ。もし、聖都やこの街みたいに直せるなら、多分あの封印術に使用してる魔石も要らなくなるんじゃないかな。結構な値段になると思うよ」
まさかである。
彼に関して述べるならば、まず間違いなく善意で付いてきてくれていると思われるだけに、ここまでいろいろ助けてもらうとありがたいことこの上ない。私の剣を落としたからとは言っていたが、それにしたって本当に熱心に動く少年である。




