53.シーン3-19(彼女)
溜め込んだ大量のマナが原因となり、彼女の時代にこの地で栄えていた王都は荒び、死と病が蔓延し、滅亡寸前まで追い込まれてしまったそうだ。最終的にはあの懐かしき魔の森の向こう側へと身柄を移される予定だったはずが、彼女が聖都の防護壁を吹き飛ばし、逃げ出してしまったために叶わなかった。
無論、死をばらまきながら逃げ出す彼女が黙認されるはずがない。追っ手を逃れ、身も心もぼろぼろになりながら、それでも彼女は逃げることをやめなかった。幾度となく湧き上がる怒りや悲しみの奔流に蹴り出されたマナや魔力が体力の限界と共に爆発し、その度に沢山の命を奪い、彼女自身も死の淵を垣間見た。しかし、やっとの思いで逃げのびた先に待っていたのは、誰一人として存在しない完全なる孤独の闇だったのだ。誰からも手を差し伸べられなかった生を呪い、世界を呪い、彼女は息絶えたという。
そして、彼女自身が死してなお、負の感情を中心とした強い念があふれるマナに焼きついて、今こうして彼女が残した影となり、かつての滞在地に縫いつけられてしまっている。結果として古の王都は手遅れの惨状となり、歪みの存在がもたらす死の力を少しでも避けるために、あの奇妙な森が発するマナの流れの向こう側へと王都の方を移したのだ。
彼女のなぞなぞ形式の説明をつなぎ合わせるに、恐らくはそういうことらしい。この何もない、ともすれば陽の光でも差し込んでいるのではないかとも思える白い空間が、そして目の前でほんわかと微笑んでいる和やかな人物が、まさかそんな真逆のものから生み出されているだなんて、にわかには信じ難い。
「だから、あなたがここに来てくれたとき、とってもとっても嬉しかったの」
ありがとう。ごめんね。そんな相反する言葉が彼女の口から続いて出る。
全くもって答えてあげるべき言葉がまるで見当たらないのだが、しかしながら、嫌になっちゃったというのであれば、他には特に私に言えることはない。
例えどれほど周りが止めにかかろうと、どれほど不幸をばら撒こうと、その結果としてどれほど自身が傷つこうと、本人がそれでもどうしても嫌になっちゃったというのであれば、もうどうしようもない。はた迷惑甚だしいのも事実だが、一理あるのも事実である。そこで思い切れて行動できてしまう人というのもそういない。なかなか度胸のある人である。
会話が途切れてしばしの間しんとした空気が流れる。沈んでしまった雰囲気を払拭しようとしたのか、アリアさんはえへへと笑って話題を変えた。
「アリエちゃんはいくつなの?」
お友達が欲しかったから、同じくらいの女の子とお話出来て良かったのだと彼女は笑う。同じくらいということは、私ったらわりと大人っぽいのである。照れる。
「十六です。もうさんざん子供っぽいだとか小さいだとかなんだとか言われててほんと、そう言っていただけると私もすごく嬉し」
「わあ、じゃあわたしよりもお姉さんだね」
次の瞬間、私はものの見事に噴きだした。もしも口に水を入れていようものなら、噴射された水の飛沫で鮮やかな虹が形作られていたことだろう。誰か嘘だと言ってほしい。
「わたし、十四歳だったの」
言いようのない虚しさが込み上げる。そりゃあまあ確かに異様に若いアラサーがいるくらいなのだから、異様に発育しすぎたキケンな中学生がいたところでなんら不思議はないのだが、それにしたってその年齢でこの色香は反則である。色気は歳によるものではないのだという残酷な現実に、私の目頭は熱くなった。
「大人っぽいからてっきり年上かと思ってました……」
思い返せばところどころあどけない部分があった気がしなくもないが、今となっては手の届かない霞の中の記憶である。
アリアさんはきょとんと私を見つめると、自分の腕を伸ばして手を眺めたり、白い簡素なワンピースをつまんでみたりして少し困った顔をした。
「うーん、そうなのかなあ? みんなに教えてもらわないと、わたし、自分の姿がよくわからなくて」
彼女の反応に一瞬首を傾げかけたが、私はすぐに彼女の言葉を思い出した。暗い部屋にずっと閉じ込められていたのなら、それも頷ける話である。なるほど、奥が深い。私は思わず感心した。
見たことがないのなら、確かに他の人から言われた情報に頼るしかないだろう。しかし、見る人が同じことを言うとは限らないのだ。自分よりも背が低いと言うかもしれない。自分よりも背が高いと言うかもしれない。若かったと言うかもしれない。年上だったと言うかもしれない。可愛かったと言うかもしれない。儚げだったと言うかもしれない。
要するに、人の意識なんていう曖昧きわまりない世界の合間をさまようこの空間では、見る人間によって、彼女は変わって見えるのだ。彼女自身が己の姿を詳しく知らないままの以上、その隙間を埋めているのは私たちに他ならない。私が彼女を初めて見たとき、無意識のうちに重ねてしまった面影も、私の中にある情報を彼女が借りた結果だったというわけだ。
こういうことは、例えこの精神世界のようなところではなくとも、意外と起こりうるのではなかろうか。見る人次第、この白い世界にはあまりにも情報が少ないからこそ、余計に自分がこれまで見てきた物事の投影が際立ってしまうのだろう。
ひとりで首を傾げたり納得したりする私を見て、アリアさんが可笑しそうにくすくすと笑っている。それからはっと彼女は周囲を見回し、すこしだけ眉を下げて私を見つめた。聞き間違いではなかったならば、最後のお願い聞いてくれる?と微かな声が聞こえた気がする。
「あと、もう一回だけ、わたしに会って。それで最後」
彼女は一瞬だけ浮かべた別れを惜しむ顔を必死に笑顔で振り払った。
「いっぱいお話に付き合ってくれて、ありがとう」
でも、たまには沢山お話したって、いいよね。そう言って、彼女ははにかむように笑った。
沢山、と呼べるほどの会話なんて出来ていない。内容だって、まるで楽しいものなどではなかったはずだ。だというのに、こうして屈託なく微笑んでいる孤独な女性が、実は自分よりもうんと年下なのかもしれないと思うと、何ともきまりの悪い思いがする。大人しく落ち着いているようでいて、穢れのない幼さを感じるのは、外界から隔たれ、限られた世界の中で生きていたからなのだろう。
白一色のはずの空間が揺らめき、眩い視界が暗転していく。意識が途絶える間際になって、私は一言忘れていたことに気がついて「また会いに行きますね」とだけ、言って笑った。どこにあるのか聞いておけば良かったなんていう後悔は、もはや先に立つことのない所謂後の祭りである。




