41.シーン3-7(寄る辺のない世界)
「まあ、何かするなら物価が下がってる今がひとつのチャンスかもしれませんね」
もうすぐ着くとミリエが言ったが、確認するとまだ時間がありそうなので、私は話をまとめる為にも、もう一度キュリアさんに続きを振った。森の連絡道はさて置いて、元々の話題だった交通整備の方も、今のうちにしておいて損はないに違いない。
「そのうち景気に押されてまた物価も上がってくるでしょうし」
何度かキュリアさんの話にもあがっていたことなのだが、少し前までマナのおかしな動きのおかげで様々な動植物、とりわけ現状マナと結びつきの強い植物や人間などの生命力が極端に弱っていた。作物は育たず、抵抗力の低下のせいか病が流行り、世界的な衰退状態にあったため、多くのものが不足していた。当然経済も停滞し、いわゆる不況にあったわけだが、なにぶん生産が極端に減っていたため需要にまるで追いつかず、不況のなかでの物価高騰、スタグフレーションの状態に陥っていたのである。
そして、生命的、経済的、全てにおいて苦しかった世界はマナの正常化により次第に元気を取り戻し、不自然に跳ね上がっていた価格達も、元の落ち着きを取り戻してきたとのことらしい。私が見ている限りでも、ここ数年、リアルタイムで物価は下がり続けている。ようやく、生産が追い付いてきたということだろう。十数年前までのリンゴひとつで、今のリンゴが二、三十個買えるとかいう、キュリアさんの昔話だ。アダムとイヴも真っ青な禁断の果実である。
「それに、早く剣も新調しておきたいなあ」
開放的になってしまった腰回りの装備を思うと、やはり心配にならざるを得ない。ここまで人の多い街道ならばスリくらいの注意で済むが、人通りが減る場所へ行くようなことがあれば、命の危険が伴ってくる。例え殺されないとしても、自分が女の身であることを考えると、それ以外にも最悪の結末は用意されていたりする。
もうひとつ、護身用に短刀か何か持ってきておくんだったと後悔してため息をつく私を見て、キュリアさんが苦笑した。
「アリエ様」
先程とはどこか声の調子を変えて、彼女は私の名前を呼んだ。
「剣を振るって聖都に貢献してくれることはとても頼もしい限りですし、とても有りがたいことなのですが、そろそろ身を固めようとは思わないのですか。無事、成人なさったのでしょう、いい人はいないのですか?」
なぜか、彼女は最近私の縁談話を気にしてくるのだ。
聖都に舞い降りた見た目だけなら可憐な聖女たる有名人のミリエは逆に、悪戯から本気まで、様々な縁談話が周囲で飛び交っているとかいう話だが、今のところは理想の高いらしいミリエが全て蹴っている。ミリエはどちらかと言えば、容姿となにより相手の魔力を気にしているらしかった。ミリエは共振者に憧れを抱いているのである。
縁談話を乙女の夢で蹴りまくり、いつになったら籍を入れるのかまるで不明なミリエはミリエでキュリアさんの心配の種と言えるが、私は私で別の方向に多大なる不安を寄せられている。私ときたら、縁談話は皆無である。
もともと、有名人でもなければそこまで男衆の目にとまることなどないから、仕方がないようにも思えるが、それにしたってあんまりだ。アリエはこんなに可愛いのに、なんでなんだバカヤロー!と、叫んでみたいと思ったこともあるほどだ。どこにその玉ぶら下げていやがるんだバカヤロー!と、高台から山々めがけて叫んでみたくなったこともある。
理由は分かる。結婚とは何であるか、単純に考えてみれば済む話だ。成人とは、同時に結婚が許される年である。
十六歳。いわゆる良い男や良い女、モテると言われる若者たちや、貴族の子息令嬢は、成人前からほとんど相手が決まっている。この年は、学業をやり遂げ、しかるべき人生を歩んできた証として、大人の社会へ踏み出す境の指針となる年齢ではない。
結婚とは、家庭を持つこと、そして子を成すことである。子宝なんて言われる通り、子供は未来の担い手であり、大切な働き手となる。子は、財産なのである。だからこそ、病に弱い新生児の時期を生き抜き、成長して発達し、成人を迎えるそのたびに、とてもとても喜ばれる。
女は誰もが初潮を迎え、子を産むことのできる年、男はそんな女と子供を守り養うことのできる年。それが、この世界の成人であり、結婚であり、そして家族や町や人々の未来を存続させていくための、大事な大事な慣習なのだ。それ以前に、独り身が負け組みたいな扱われ方をされてしまう虚しさは、古今東西変わらないから腹立たしい。
つまり、私は家庭を育み、子を成してそれを無事に育て上げられるような人間ではないと、思われているのだろう。魔術士でもない女は、外で働く力があるとみなされないから、仕事をさせてもらえない。女は家で家事をするもの。旦那と子供にその生涯を捧げるもの。それがごくごく当たり前だ。例え魔術士であったとしても、女の場合はそのほとんどが内勤だ。
男は外、女は家、時おりそれを度外視したお転婆娘も見かけるが、そんな跳ねっ返りのじゃじゃ馬だっていつの間にか誰かの母親になっているのに、なぜ私はそうみなされないのか、とてもとても不服である。そんなんだから、私は紙と味噌に愛を注いでしまうのである。もちろん、それ以外にも色々している。娯楽がないので、何かしないと暇である。独女でいっそう暇である。私は少し、グレていい。




