076 序列の日
「え、何これ? 人の体ってこんなに弱るものなの? ほ、本当に大丈夫なのかしら?」
「大、丈夫だと思います、多分……」
ゼフィリア領の島屋敷。
年度末の前日、その夕方。
焦りに焦りまくっているナーダさんを枕もとに、わたしはお布団の上で横になっています。
アルカディメイアの年度末、ラストスパート。わたしは講義に喧嘩にお悩み相談にと動き回り、とにかく頑張りました。頑張ったのですが、わたしは熱を出して寝込むことが多くなってしまったのです。
そのため予定していた最後の講義は中止。せめて論文だけはと各島から届いたデータをまとめ、何とか提出したのですが、研究的には明確な数字を出せず、結局尻切れになってしまったのでした。
「ううっ、無念です……」
「仕方ないじゃない。思い悩んでたって、どうにかなるもんでもあるまいし」
「ううっ、でもでも……」
そう、わたしは今序列のことで頭がいっぱいなのです。
頭の中の記憶の教育機関のように点数評価の中間考査などがあればよかったのですが、残念ながらアルカディメイアにそういう制度は全くなっしん。走り切るまで結果が分からないというのは、本当に胃がキリキリになるものです。
「とにかく今は安静にしてなさい。人に心配させるようじゃ、島主は務まらないわよ?」
「ひゃい……」
ナーダさんのもっともなご意見にわたしは反省。
すだれから入ってくる夕暮れの光。
橙色に染まる、ツーサイドアップな金髪。
お母さまそっくりなお顔に違う笑顔を浮かべる、アーティナのセレナーダさん。
アルカディメイアで出会ったみなさんとも今日でお別れ。本来は序列最下位のわたしが各領にごアイサツに行かねばなのですが、わたしが寝込んでいたため、逆にみなさんの方が足を運んでくれたのです。
タイロンからはせっかくホウホウ殿がお見舞いに来てくださったのに、わたしは心ここにあらずでそわそわしてしまって、後悔することしきり。
ヌイちゃんはもう少しアルカディメイアで勉強をしたら、世界一周旅行に出かけるとのこと。ヌイちゃんはわたしと同じ島主候補。知見を広めるにはやはり実地。まず自分のことをしっかり築いていくところがヌイちゃんらしいです。
そういえば、テーゼちゃんの姿が見えませんが、まだナーダさんから逃げているのでしょうか……。
ナーダさんは切り替えるようにお顔をしかめ、
「アーティナの代替わりも多分同じ時期になると思うから。ま、私達は嫌でも顔を合わせることになるわよ」
「そ、そんな嫌がらなくても……」
「だって、今のあなたって本当にお母様そっくりなんだもの。何だか調子が狂っちゃうわ」
「あー、それはわたしも思いました……」
「まあでも、私達が島主になったらこっちの方が迷惑をかけてしまう、かも。ほら、あのお花畑な連中のことで……」
「それはイヤですね」
思い出すのはアーティナの温室。お脳と舌が全力でアレな麗しい筋肉さんたち。えあー、あの人たちのトラブルはご遠慮願いたく……。
わたしが熱でふにゃふにゃになった体を更にぐんにゃりさせていると、
「じゃ、ゼフィリアに戻って体調が治ったら、アーティナにお願いね」
「はい、ナーダさん」
島屋敷に灯る火込め石の光。
すっかり日の暮れた夜の時間。
玄関口から感じた人の気配。廊下を鳴らす小さな音に、わたしは飛び起……きれず、ふらついてぱたりしてしまいました。何とか四つん這いですだれを抜け、大広間へ。
わたしはあうあうしながら、お戻りになったナノ先生を見上げ、
「ナナナナノ先生! 序列は……! ゼフィリアの序列はどうなりましたか!?」
ナノ先生は一瞬驚いたお顔をした後、その瞳をすっと細め、
「何の話をしているのですか」
「あの、その、序列が上がればゼフィリアに人を呼び込めると思いまして! そうなれば、ええと、何となくいい感じになるかと……!」
「姫様!!」
「はいっ!」
ナノ先生の大きな声に、わたしはぴしりと正座しました。ふるふる震えるわたしに、ナノ先生は鋭い圧を放ちながら、
「姫様は千年公の志を継ぎ、島主となるべくこのアルカディメイアに学びに来た筈。だと言うのに、あなたはそのような不純な動機でこの一年を過ごしていたのですか?」
「そ、その……」
ナノ先生のお顔を見れず、わたしは俯いてしまいました。
「島民の生活を第一に考え、そのために尽くすのが島主の在り方。島主候補であるあなたがそのような些事に囚われて何とします」
島主になるため、学ぶべきことを学ぶ。アルカディメイアでの一年はそのための一年。ナノ先生がお怒りになるのも当然のこと。
「も……」
わたしはかたかた震えながら床に手を突き、深々と頭を下げて、
「申し訳ありません、でした……」
頭を下げたわたしの前、ナノ先生は床に二つ折りの紙を置き、
「今日はもうお休みなさい」
ぴしゃりと言い放ち、すだれをくぐって自室にお戻りになってしまいました。
しんと静まり返る大広間。しばらくの間、わたしは頭を下げた姿勢のまま固まっていました。それから、小さな手で二つ折りの紙を開き、
「ごめんなさい……」
そこに記されている名前の並び。ぽたぽたと床に落ちていくわたしの涙。床板の隙間に吸い込まれ、その下に落ちていく小さな雫たち。
泣いて悔しがってはいけないのです。悔しがっていいほど、わたしは頑張れなかったのです。
ナノ先生の言う通りなのです。序列のことはあの人が勝手に決めて、わたしが勝手に目標にしていただけだから。
誰もわたしなんかに期待していない、それは分かっていた筈なのに。アルカディメイアを、この世界の広さを知って、わたし一人じゃ絶対に無理と思い知った筈なのに。
『こんな弱い肉でも頑張ったんです! 同情でもいいから、もっと褒めてください!』
そんなことは、口が裂けても言えません。
頑張るというのは、ナーダさんのような人のこと。ディーヴァラーナの人たちのこと。わたしがアルカディメイアで出会った人たちは、みんなみんな頑張っていたのです。
人の立場になって見て、考えて、わたしはそれをよく知っているのです。
すだれをめくる静かな気配。床板を踏む、きしりという音。傍らに膝を突き、わたしの背中を撫で始めるイーリアレ。
「ひめさま……」
「ごめんなさい……」
目の前にあるのは見慣れた床。その下にあるのは当たり前の地面。これは、あの人が守った当たり前。
「ごべんなばい、ズナおじさば……」
これは、あの人の二十年。
「ううっ……」
あの人のことが好きかどうか、大切かどうか、わたし自身よく分かりません。でも、あの人もわたしも、ゼフィリアが大好きだから。そのことだけは、同じだったから。
わたしたちは、そのために、それなのに……。
わたしの体を包む、イーリアレの両腕。背中に感じる、密やかな熱。
『世界中の人間に、最高はゼフィリアにあると知らしめてやれ!』
島屋敷の大広間。
火込め石の灯りの下。
わたしは小さな紙片を力の限り握りしめ、
「ぅうっ、ぐ、うっ、ううぅっ、ううううぅぅ……」
今年度、アルカディメイアにおける序列変動結果
第一位、水と砂の島、アーティナ
第二位、火と水の島、ディーヴァラーナ
第三位、火と鋼の島、ヴァヌーツ
第四位、風と鋼の島、トーシン
第五位、水と鋼の島、タイロン
第六位、砂と鋼の島 ホロデンシュタック
第七位、砂と風の島、ガナビア
第八位、火と砂の島、クルキナファソ
第九位、火と風の島、リフィーチ
第十位、風と水の島、ゼフィリア




