075 決意の日(2)
アルカディメイアの講義棟。
大教室の暗闇の中。
シュトラお姉さまの言葉通り、一瞬でその姿を消す大観衆。筋肉。
がらんとした大教室。その中心まで歩いたシュトラお姉さまは、壇上のレーナンディさんを見上げ、
「レーナンディ。今この時を以って、あなたをディーヴァラーナから追放します」
「えひっ……?!」
その決定に、わたしは言葉を失いました。ていうか、疲労で腰が抜けてしまい動けないのです。
しかし、これはレーナンディさんが落第ということなのでしょうか。
ディーヴァラーナの人間は優等生でなければいけない、島の評判を落とすようなことがあっては世界に認めてもらえなくなってしまう。とはいえ追放とは、いくら何でもやりすぎでは……。
追放されたレーナンディさんは生まれ故郷のディーヴァラーナに二度と戻れず、自分を受け入れてくれる島が見つかるまで、海の上で暮らすことになる訳でして。しかも今すぐだなんて……。
ガクガク狼狽するわたしを完全無視し、シュトラお姉さまは回れ右。静かな足取りで退室していきます。
「はい……!」
「え……?!」
わたしはその元気なお返事に驚き、振り向きました。壇上に立つイーリアレの隣、弦を消去し深紅の瞳に涙を浮かべるレーナンディさん。レーナンディさんはシュトラお姉さまの背中に向け、勢いよくお辞儀をして、
「ありがとうございます、シュトラ姉様……!」
千切れ雲が浮かぶ夕焼け空。
波と砂を巻いて吹く、潮の香りを乗せた風。
「お願いしまひゅ、レーナンディしゃん。思い直してくらひゃい。しぇめて、しぇめて朝になってから……」
「いいえ、先ほど歌った通り、私はもう待てないのです」
「ううう……、レーナンディしゃん……」
橙色に染まったゼフィリア領の砂浜。ガチ泣き状態のわたしはレーナンディさんを何とか引き留めようとしました。だって、大教室を出たレーナンディさんは、すぐにアルカディメイアを発つと言い出したのです。
「レーナンディしゃん、しぇめてこれを……」
わたしは大きな涙をボロボロ流しながらスバッと石を作成、布で包んでレーナンディさんに渡しました。
中身は調味料の製法やお料理のレシピを込めた気込め石。照明用火込め石に生活用水込め石、簡易住居を建てる砂込め石、操船に使う風込め石。そして、散髪等身だしなみ用のはがね石。
思い付く限りの生活必需品を包んだもの。
「ありがとうございます、アンデュロメイア様」
包みを受け取ったレーナンディさんに、わたしはぐすぐす頭を下げて、
「うぐ、うっ、ごめんなしゃい、レーナンディしゃん。わた、わたしのしぇいで、きっとわたしの失敗のしぇいでシュトラお姉さまがお怒りに……」
「いいえ、違います。シュトラお姉様は私の背中を押してくださったのです」
「ほえ?」
ほえっと顔を上げるわたしに、レーナンディさんは夕日が霞むくらい眩しい笑顔で、
「私はこれから、想い人にビシリとドッカンしに行くのです」
「にゃんちょ!!」
どうしていつのまにそんな感じに?! よく分からないのでそこんとこ詳しくお願いします!
「ありがとうございます、アンデュロメイア様。あなたは私の自信になってくださいました」
「わた、わたしは何も……」
わたしは俯き、両手でぎゅっと腰巻を握り、
「わたしは、あの、つまらない人間で……」
「いいえ、アンデュロメイア様」
レーナンディさんは首を振り、わたしと目線を合わせるよう膝立ちになりました。そして、
「あなたは私の夢を聞いてくださいました。夢を叶える為の力を、技術を、私に授けてくださいました。人のために尽くせる人間を、私はつまらないとは思いません」
わたしの見つめる、レーナンディさんの深紅の瞳。とてもきれいな、女の人の瞳。
「あなたは人に夢を叶える力を与えられる、素敵な女の子だと思います」
その言葉を聞いた瞬間、涙がぴたりと止まりました。
顎を引き、背すじをぴんとするわたしの体。耳、肩、くるぶし、それらが一直線になり、真っ直ぐに立つわたしの全身。
細胞の隅々までその言葉が行き渡り、自分の存在が確かなものになった実感。
わたしはレーナンディさんの瞳を真っ直ぐ見つめ返し、小さく口を開き、
「わたしが、人の夢を叶える……」
「ええ!」
呆然と答えるわたしに、レーナンディさんは力強く頷き、
「ありがとうございます、アンデュロメイア様。私は何度でも、この言葉をあなたに贈ります」
レーナンディさんは包みを手に立ち上がり、隣に立つイーリアレをぎゅっと抱きしめ、
「ありがとう、イーリアレさん。お達者で……」
「たいへんよいおうたでした、レーナンディ」
レーナンディさんの背中を抱き返し、イーリアレが別れの言葉を告げました。
体を離し、レーナンディさんは気込め石で小舟を作成。その船に颯爽と飛び乗り、海の上へ。この世界の女性らしい、筋肉的船出。
わたしはその背中を見送りながら、イーリアレの左手を握りました。
風の香りが変わる時間。
空が黒へと変わる時間。
暗い海へと消えていく、願いを歌う女性の背中。
砂浜に立つ、ふたりぼっちのわたしたち。繋いだ手から感じる、イーリアレの熱。イーリアレの願いも、きっとわたしと同じもの。
あの人の願いが、夢が、どうか叶いますように……。
もさもさの髪を丁寧に梳く、イーリアレの手。
襟足を切り揃え、また繰り返す。板間にぱさりと落ちていく、金色の房。しょきりと音を立てて止まる、はさみの音。
「できました、ひめさま」
「ありがとう、イーリアレ」
まだ空が白み始めたばかりの朝食前。わたしは右手にはがね石を作り出し、丸く変形させて片面をキラキラに。
金属鏡に映るのは見慣れた顔。白い肌に青い瞳。少しハネた短い金髪。
ショートカットになったわたしの姿。
わたしが金属鏡で後頭部を確認していると、
「リルウーダ様、何故ここに?!」
「あ、やっぱり似てますか?」
わたしが横を向くと、ナノ先生がすだれをくぐった姿勢で固まっていました。ナノ先生はその青い瞳を大きく見開き、
「姫様!? その、おぐしは……?!」
「気分転換にと思いまして。どうでしょう、似合いませんか?」
「いえ、そんなことは……」
わたしは右手に気込め石を追加し、床に散らばる金髪をさっと分解。ナノ先生はそんなわたしをしげしげと眺め、
「流石、デイローネ様の直系ですね。まるで生き写しです……」
「そ、そんなにですか。しかしこれは、首元がすーすーしますね」
血が繋がっているとはいえ、ここまでリルウーダさまそっくりになるとは思いませんでした。目の色が違うだけで、同じ服装をしたら見分けが付かないと思います。多分。
わたしは襟足に手を入れ、短くなった金髪を梳き、
「ナノ先生。少しの間、大広間を使わせていただきます」
『おはようございます、アン。どうしたのですか?』
「朝早く申し訳ありません、お母さま」
大広間の中心。わたしは緑色の小さな石と向き合い、正座しています。
「お母さまに、改めてお話したいことがありまして」
『喧嘩ですか? 喧嘩ですね? 超詳しくお話しなさい』
「えあー、そっちではなくてですね……」
わたしはスベりまくったお母さまの話題を流し、気を取り直して、
「わたしには石作りの才能がないのですね」
切り出した話題に、お母さまは一瞬言葉に詰まったように間を開け、
『それは、その……。アンの石は創意に欠けるというか。技と言うには足りないと言いますか……。私には、その、酷い言葉の語彙が少ないようで。中々表現が、上手く言葉が出てこないのです……』
「わたしの石作りには、夢が無いのですね」
『夢……。そうですね、あなたの石には自分を主張して世界を変えてみせる、利己的な欲が欠けていると、そう思います』
そう、わたしの石作りには夢が無い。ただ、作れるだけ。頭の中の記憶に頼った情報の代入でしかない。
肉と同じ、わたしは他の人と同じになれない、つまらない人間なのです。
でも――、
『そなた一人で立つ必要は無い』
思い出すのはフハハさんの言葉。渚でもらった、あの言葉。
それはきっとわたしだけでなく、他の人もそうなのです。
この世界の人間は一人で生きていける。でも、一人では生きていられないから、身を寄せ合って、支え合う。
だから、それでいいのです。
「わたしは迷っていました。ここアルカディメイアで様々な島の人たちと出会って、様々な石作りに触れて、沢山の夢を知って。わたしのように肉が弱く画一的な思考の人間が、この世界の当たり前の人と並び立つことが出来るのかどうか、ずっと不安だったのです」
『しかし、アン。あなたには島民の生活を何となく理解し、それをいい感じにするような雰囲気があったり無かったり。だからこそ、私達は次の島主にあなたを、と思ったのです』
「お母さま、それはやはりちょっと、ふんわりし過ぎでは……」
ゼフィリアの人間は直感型の脳筋がデフォルト。資源計算に関するその勘は間違ってないと思われますが、やはり本島にもナノ先生のような方がいてくれたら……。
わたしは再び気を取り直し、
「他の人のように面白い石作りが出来ねば、島主として認められないのではないか。石の生産量が高いだけでは、島主は務まらないのではないか。そう思い込んでいました。しかし今は、その力だけで挑もうと決心することが出来ました。これは開き直りではありません」
そう、何と言ってもわたしはお母さまの娘。人の役に立つ人間に、というわたしの考えも、やはりふんわりしたものだったのです。ですが、アルカディメイアで過ごした今は違う。今ならその考えを、明確なビジョンを以って提示できる。
だから、わたしはわたしを切り捨てるのです。
料理を作りたい人の、歌を作りたい人の、絵を描きたい人の、物語を作りたい人の、石を作れなくなった人の、その生活を保障するために。
人の夢を叶えられる、そんな人間になるために。
わたしは右手に気込め石を作り出し、干渉操作。わたしの意識の下、全てまくれ上がる島屋敷のすだれ。
ふたつ向こうの部屋でむくりと体を起こすディラさんシシーさん。何事かと厨房から顔を出すソーナお兄さんとイーリアレ。隣の部屋で静かに正座待機しているナノ先生。
わたしは大広間の中央、膝の上で両手を揃え、
「つまらない石で構いません。わたしはこの石で島民の生活を維持し、その文化を豊かなものにしてみせます」
潮の香りを含んだ風。
遠く聞こえる海鳥の羽ばたき。
紺色の海の向こうに顔を出す大きな太陽。
朝の光に満ちる、ゼフィリア領の島屋敷。
『あなたの作る石はつまらないと思いますが……』
音飛び石の向こう側、お母さまはいつも通りの優しい声で、
『あなたが石で成そうとすることは、いつも面白いと思いますよ』




