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063 トーシンの石斬り娘(1)

「で、これは誰の出迎えなの?」

「え? リルウーダさまから何も聞いていないのですか?」


 ちぎれ雲が浮かぶ夕焼けの空。

 白い飛沫を上げて波打つ紫紺の海。


「あのー、前々から思っていたのですが、リルウーダさまはやれば分かる主義過ぎませんか?」

「言わないでちょうだい。分かってるから……」


 橙色に染まったゼフィリア領の砂浜。海の向こうを眺めながら言うわたしに、ナーダさんが諦めたように返しました。


 わたしたちが今スタンバっているのはトーシンからのお客さまをお出迎えするため。以前、わたしがヤカ様にお願いしたものが仕上がったそうで、お客さまはそれを届けに来てくれるのです。


 トーシンはアルカディメイアから極東に位置する小さな島。そのトーシンからゼフィリア、アーティナ経由でここアルカディメイアまで、星を半周する長旅です。


「なるほど、トーシンね……」


 ナーダさんの金髪をさらさらと揺らし、わたしの金髪をわさわささせる、アルカディメイアの潮風。


 わたしたちがまったりその時を待っていると、ほどなくして沖に小さな舟影が現れました。サーフボードのような板に宙に浮いた帆、この世界の女性が海を渡るための小舟です。


 その船からぴょんと人影が海に飛び降り、ぱっと小舟が消失。渚を歩いてくるのは片手に布包みを二つ下げた、小さな女の子。


 ナーダさんは浅瀬に進み出て、


「ようこそ、アルカディメイアへ。私はアーティナのセレナーダ。こっちはゼフィリアのアンデュロメイアよ」

「まあ、わざわざご丁寧に。うちはトーシンのジン・ヌイいうもんです」


 黒いおかっぱ頭に黒い瞳。

 黒い紋様が描かれた抜けるように白い肌。

 肌を覆う面積を最小限に抑えた細い胸巻と腰巻き。


 そして何より目を引くのがほぼ裸の上から羽織った、黒い着物。


 シン・ウイさまとヤ・カさまの一人娘。トーシンの島主候補、ジン・ヌイさま。


 お辞儀をするジン・ヌイさまの姿を前に、ナーダさんがピタッと動きを止めてしまいました。その視線はジン・ヌイさまが羽織る黒い着物に釘付けになっています。


 わたしはその既視感のある黒い着物を見て、おや?と想起。大きな模様はありませんが、袖や裾に細やかな刺繍が施された見事な一品。


「あの、ジン・ヌイさま。その着物はもしやクーさんのもので?」

「ヌイでええよ。堅苦しいのは無しにしよ」

「で、ではわたしもメイで……」


 わたしの質問にヌイちゃんはだぼだぼの袂で口元を隠し、ころころ笑って、


「流石、ゼフィリアん姫さんはお目が高い。うちが行く言うたらお父ちゃんがえらい心配してな。黒海の御方にわざわざ一枚こさえてもろたんにゃ。ほんま、ありがたいことですわ」

「やっぱりクーさんの作ったものだったのですね」

「まさか、本物の黒紡ぎだなんて……」


 気込め石を極めたクーさんお手製の着物は、いわばこの世界における最高級品。この世界の人は石作りがあるためあまり物に対する執着が無いのですが、それでも反応してしまうほどヤバイものなのでしょう。


 ヌイちゃんはアルカディメイア都市部の方を向き、小さなお鼻をすんと利かせ、


「はあ、アルカディメイアは臭いトコや島の姉様方に聞いとったんにゃけど。そないなことあらしまへんな」


 着物ショックで停止していたナーダさんが、うっと声を漏らして再起動。それから恥ずかしそうに頬を染め、


「さ、最近ようやく改善されたところなの。アーティナ本島は大丈夫だった? その、匂いとか……」

「アーティナ? うちは気にならへんかったけどなあ。そこらじゅう花の匂いで一杯で、ああ、花浮かべた浴場がある聞いたんで入ってみたかったんにゃけど、駄目や言われたんよ。残念だったわあ」

「そ、そう……」


 それは間違いなく男性専用の浴場だったのでしょう。ていうかアーティナ本島はお脳がアレな男衆によって順調にお花畑化が進んでいるようです。これはもうダメかもしれません。


「じゃ、遠慮なくヌイと呼ばせてもらうわね。荷物持つわよ」

「せやったらこれを。こっちはアーティナ領宛なん」

「ありがとう、何かしら?」

「メイちゃんに頼まれてな、うっとこで作ったもんやねん」


 包みをひとつ受け取り、ナーダさんはヌイちゃんを伴って砂浜を歩き始めました。わたしもお二人の後に続き、島屋敷へ向かいます。


「アーティナなあ、ウチが気になったのはリルウーダ様の方や。硬いゆうか、ピリピリしてん。うちなんやリルウーダ様のお気に障ったんやろか?」

「本島で何かあったの?」

「やあ、リルウーダ様に喧嘩のお誘い受けてんけど、うちみたいな若輩や失礼や思うて、お断りさせてもらはったんよ」

「ああ、そういうこと。気にしなくていいわ。お母様はアレよ、あなたじゃなくシン・ウイ様を目の敵にしてるだけだから」


 はて、と疑問に思ったわたしは先を行くナーダさんの背中に、


「あの、リルウーダさまとシン・ウイさまの間に何か?」

「お母様が唯一勝てなかったお相手がシン・ウイ様なのよ。ずっと引き分けなの」


 ああー、なんかリルウーダ様の思惑が分かってしまいました。


『シン・ウイよ。お主の娘と喧嘩してみたが、儂の完勝であったわ。トーシンもたいしたことないのう! にょはははは!』


 と企んでいたところをヌイちゃんにスパッと断られたのです。苦虫もんであったことでしょう。


 やれやれといった様子のナーダさんの隣、ヌイちゃんは小さくため息を吐き、


「どうりで、見送りん時のお母ちゃんがニヨニヨしとった訳やわ。ええ歳して喧嘩とお酒のことばっかで、ほんま恥ずかしなあ。そんなんにゃからお父ちゃんに怒鳴られんねん」


 ヌイちゃんは数えで八歳。わたしとひとつしか違いませんが、とてもしっかりした女の子のようです。やはりこの世界の人間は精神的にも早熟なのですね。


「そうそ、喧嘩と言えば気になることがあんにゃけど……」


 ヌイちゃんは立ち止まって振り返り、わたしのつま先から頭までじーっと眺め、


「確かに弱い。せやけど、まともに勝てる想像が出来ひんのは初めてや。ほんま、ゼフィリアはおもろいなあ」


 不思議な魅力を秘めたヌイちゃんの黒い瞳。頭の中の記憶の日本という国では黒目黒髪がスタンダードだったようですが、この世界では黒い瞳の人は滅多に見ないので新鮮な感じです。


 気が済んだのか、ヌイちゃんは再び砂浜を歩き始めました。わたしはちょこちょこ歩いてヌイちゃんに追い付き、


「あ、あの、ゼフィリアはいかがでしたか?」

「ええとこやったわあ。海も空も透き通っててな、白い砂浜なんてうち生まれて初めて見たんよ。あとはそう、エイシオノー先生。凄いお人や、即弟子入りさせてもらはりました。ヘクティナレイア様も強くてきれいで、何より優しゅうてなあ。慣れないうちにようしてくれはった。ええお母ちゃんや、大事にしおし?」

「え、あ、ありがとうございます」


 わたしもお母さま大好き娘なのですが、人に言われると、こう、恐縮してしまうといいますか。ともあれ、ヌイちゃんがゼフィリアを気に入ってくれたようで何よりです。


 先を歩くナーダさんが少し歩調を緩めながら、


「トーシンの人との喧嘩は貴重な経験になるわ。ヌイは色んな領を回るんでしょ? 是非、ウチにも寄って欲しいわね」


 そう、ヌイちゃんはお届けものを持ってきただけではなく、せっかく島の外に出るのだからと勉強をして回るつもりらしいのです。


 ヌイちゃんはだぼだぼの袂で口元を隠し、ころころ笑いながら、


「まあま、ゆるゆるお勉強さしてもらいますわ」







 場所は変わって島屋敷の厨房。

 板間の中心にあるのは大きな石の調理台。


 わたしは砂込め石で宙に浮いた椅子を作り出し、


「ヌイちゃん、こちらに。今、お茶を淹れますね」

「おおきに」

「茶ならわたしが淹れるわ。メイ、茶葉は何処?」

「お願いします、ナーダさん。お茶っ葉はあちらの瓶に……」


 右手に水込め石を纏わせお湯球を生成するナーダさんに、わたしは厨房の端を指差しました。ナーダさんは瓶から茶葉を取り出し、お湯球に投入。お茶の葉を泳がせ、成分を抽出していきます。


 続けて、ナーダさんは砂込め石で器を三つ作成。


 それは透明なガラスで出来たかわいいお茶碗で、肌に透かし彫りのような花の蕾が描かれています。ナーダさんがお茶を注ぐとその蕾が開いていき、きれいなお花が咲きました。


「ほわあ、きれいですねえ……!」

「アーティナは水と砂の島。口にするものに合わせて器の形状を変えるのは必然、でしょ?」


 リアルタイムで模様が変わる器なんて、流石ナーダさんです。石作りを使えるわたしたちならではの楽しみ方ですね。


「ほな、試してもらおか」


 ナーダさんが自前で椅子を作り着席したのを確認すると、ヌイちゃんが調理台の上で持ってきた包みを解きました。解かれた布の上には透明なまん丸が七つ。


 これこそ、わたしがヤカさまにお願いしたものの成果物。トーシンの植物の根で作った甘味です。


 トーシンは高低差のある地形で山が深いと聞きました。ならば、ゼフィリアには無い蔦のような植物があってもおかしくないと思ったのです。わたしが探してもらったのは頭の中の記憶で言う、デンプン質を多く含んだ葛のような植物。


 それをアーティナの余りまくった牛乳と組み合わせ作ってもらったのがこちら。濃厚固めのカスタードクリームを透明な葛生地で包んだ、クリーム葛まんじゅうなのです。


 ヌイちゃんは気込め石で平たい菓子皿を作り、その見込みに木の枝と雲の絵を描きました。字を書くのと同じ、気込め石による着彩です。それから葛まんじゅうをちょんと乗せ、


「うちはトーシンの女やさかい、なるべく刃物使うよう心掛けてん」


 横に和菓子の竹串ならぬはがね石の鉄串を添えました。


 はがね石は人の体に干渉できる唯一の石。ですが、この小さな刃物は甘味だけを切り、人の肌を傷付けないよう工夫がされているようです。


「ゼフィリアでメイちゃんの刃物を見たんやけど、ありゃあ悔しかったわあ。はがねの、しかも刃物でうちが唸らされるなんてなあ。重さは分かる。せやけど切れ味と強度が分からんかった」

「あれは柔らかい金属と硬い金属で出来ているのですよ」


 鋼鉄の刃を軟鉄の身で挟む、すると挟み込まれた軟鉄の部分が芯として機能し、衝撃に強いものに仕上がる。一体型で刃物を捉えているこの世界の人の思考では、辿りつけない作り方なのでしょう。


 そういえばお母さまもわたしの作った包丁をじっと見ていたことがありましたが、同じような疑問を持ったのかもしれません。


「理に叶っとる作りや。どうぞ、ナーダ姉様」

「ありがとう、ヌイ」


 ヌイちゃんは頷きながら、甘味のお皿をわたしたちの前へ。ナーダさんがさっそくといった感じで葛まんじゅうをブスリしたのを、わたしは慌て、


「ちょっと待ってください。多分ですが、これはこの刃物で少しずつ削って食べていくものだと思います」

「作法ってわけ? 分かったわ」


 ナーダさんは改めて葛まんじゅうの端を切り、そしてお口へ。


「どうでしょう、ナーダさん」

「表現が難しいわ……。海の藻とは違う、粘度が、トロみがあるものね。前食べたものより、噛む快感はこちらの方が高いと思うの」


 ナーダさんの答えに、わたしは心の中で確信しました。


 わたしがこの葛まんじゅうを通して知りたかったのはこの世界の人の味覚、その嗜好。おいしいという言葉は、口いっぱいに頬張る感覚や歯ごたえが優先されたものなのではないか、と考えていたのです。


 牛乳を得て作り出したクリームチーズムース。フハハさんが作った寒天ゼリー。ゼラチン質とデンプン質の食感の違い。


 普段口にしている肉がそうですが、しっかり噛み応えのある、まとまりのある食感の方がこの世界の人たちに好まれるようです。


 わたしがなるほどしていると、ナーダさんはひょいぱくしていた手を止め、お茶をひと口含んでから、


「ヌイの仕掛けが分かったわ。食べていくとどんどん月が欠けていくように見えるなんて、トーシンの人の考えることは面白いわね」


 見ればナーダさんの葛まんじゅうは丁度半月の形に。食感だけでなく視覚的な工夫にも気付く辺り、やはりナーダさんは鋭い感性を持っていると思います。


「ねえ、お月さんがもう隠れはったよ」


 ナーダさんの感想に、ヌイちゃんは口元を綻ばせて葛まんじゅうをひと口。


 菓子皿に描かれた雲が月にかかって見える仕立て。季節を楽しみ、季節を食す。自然と生きるトーシンの人ならではの、遊び心溢れた甘味の楽しみ方。


 一度着想を得れば、この世界の人は独自のやり方でそれを発展させていく。シオノーお婆さんの巻きやヌイちゃんのお月見葛まんじゅう。生魚ボリボリ星人だったわたしたちにも、食事という習慣が様式を伴って根付きつつあるように思えます。


 ぱっと光を灯す天井の火込め石。

 すだれの外に下りる、夜の帳。


 葛まんじゅうを食べ終え、わたしたちがお茶でほっこりモードに突入していると、廊下の方に人の気配を感じました。誰かが帰ってきたのでしょう。


「ただいまもどりました」


 厨房に顔を出したのは両手にどっさり本と気込め石を抱えたイーリアレ。


 イーリアレはあれから沢山本を読むようになり、自分で読みたいものを探せるようになったのです。わたしも読みたい本があったので、今日はホロデンシュタック領にお使いを頼んでいたのでした。


 わたしは宙に浮いた石板から下り立ち、


「おかえりなさい、イーリアレ。ヌイちゃん、彼女はわたしの側付きのイーリアレです」

「エイシオノー先生が言うとったウチの姉弟子さんやね。初めまして、イーリアレ姉様。うちはトーシンのジン・ヌイいいます。よろしゅう」

「はい、もちろんです」


 ぺこりとお辞儀をするヌイちゃんに、イーリアレはこくりと頷きました。ふるふる震えているので、多分また嬉しいのだと思います。


 お顔を上げたヌイちゃんは、それからこてんと首を傾げ、


「ほんで、そちらさんは?」


 イーリアレの体から覗いて見える、きらきら光る桃色の髪。その生命体はイーリアレに隠れたまま、怯えた声で、


「だ、誰ね!? どちら様ね!?」





 読んでいただきありがとうございます!


「いいね! 続きが気になる!」と思った方は、

挿絵(By みてみん)

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凸凹探索者夫婦のまったり引退ファンタジー!
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