054 ホロデンシュタックの頼みごと
ちぎれ雲が浮かぶ青い空。
金色のくせっ毛を撫でる、爽やかな朝の風。
視界に映るのは大きな木と大きな石で作られた大きな建物。イーリアレはわたしを背に、ホロデンシュタック領の大通りをてくてく歩いていきます。
ホロデンシュタックは砂と鋼の島。木の枠組みに石の壁という、この世界ではホロデンシュタックでのみ見られる建築様式。
何故わたしがホロデンシュタック領にいるのかというと、昨晩ナノ先生からあるお話を持ち込まれたからなのです。それは、わたしに石作りの指南をお願いしたい、というものでした。
これはホロデンシュタック本島からゼフィリアに届けられた正式なものであり、島主候補であるわたしはこのお役目を全うする義務がある、とのこと。
そんな訳で、わたしはイーリアレとホロデンシュタック領の島屋敷に向かっている途中なのです。
わたしは大通り見学を止め、イーリアレの銀髪に顔を埋めました。
今、わたしは自信を失っているのです。
フハハさんがゼフィリア領を去って一週間。講義を延期し、データの整理も後回しにし、わたしは取り憑かれたように石作りに没頭しました。
作っては消し、作っては消しの繰り返し。焦燥感と喪失感だけが積もっていく、そんな一週間。
どれだけ石を作っても表現できない、辿り着けない。フハハさんのような、石を極めた人の思考領域。この世界に生きる人間の発想が、わたしには分からないのです。
わたしの石作りはつまらない。
お母さまの、この世界の人の目にわたしの石作りがどう映っていたのか、その現実。この世界におけるわたしの石作りの評価。
わたしに足りなかったのは自己分析。
六種の石が作れる。生産量が多い。作成速度が速い。でも、それが何だというのでしょう。
お母さまや島の人たちの作った石。歪で非効率的な、わたしにとってはよく分からない石。でも、それには確かに人の創意が込めてありました。
それに比べれば、わたしの石は確かにつまらないものだと思うのです。
石は人の作り出す一点ものの工芸品。かつてわたしはそう例えました。それがこの世界の当たり前、それがこの世界の人に求められているもの。単機能で画一的なわたしの石がつまらなく見えるのは当然なのです。
フハハさんのように火込め石を太陽として作ったことは? 火込め石が太陽だとしたら、水込め石は?
砂込め石は? はがね石は?
気込め石は生物に関する石。だから、わたしは人の肉をつくろうことができたのです。では発展ではなく、原点は? 気込め石の本質とは、一体なに?
お母さまの風纏い、そして速翔け。あれこそが石作りの真髄。あれこそが人の想像力。石作りは自然法則の枠組みを超えた、全く新しい環境を作り出せる技術。
わたしがしていたのは、頭の中の記憶を参照した石作りの応用科学。
わたしはか細い腕でイーリアレの体をきゅっと抱きしめました。
石作りはわたしが人として認められるための存在理由。肉が弱いだけでなく、石作りまで不用とされてしまったら、わたしには他に縋るものが何も無いのです。
それでもわたしはゼフィリアの島主候補。そのお役目は全うせねばなりません。しかし、こんなわたしに指南役が務まるのでしょうか。
人に何かを伝える、そんな資格があるのでしょうか……。
「おーっほっほっほ! おーっほっほっほ!」
「ほえっ?!」
突然耳に響いたお上品な笑い声に、わたしはがばりと顔を上げました。
沈んだ思考を断ち切られたわたしの目の前には、小さな石畳が敷き詰められた大きな円形の広場。その向こうには木と石で作られた大きなお屋敷。ホロデンシュタック領の島屋敷に着いたのです。
広場の中心には、腰に手を当て仁王立ちで笑っているお姉さまが一人。そのお姉さまはおほほ笑いを止め、開いた右手をビシッとこちらに向け、
「そこの娘! 止っまりっなさァい!」
爛々と輝く青い瞳と、腰まで届く長い金髪。
白いお肌に胸巻から長い布を垂らした、特徴的な装束。
ディラさんやシシーさんより少し年上の、ゴージャスとしか形容できないお姉さま。
もしかすると、お迎えの方かもしれません。そう思い、わたしはイーリアレの背から下りてぺこりとお辞儀し、
「は、初めまして、ゼフィリアのアンデュロメイアと申します。こちらは側付きのイーリアレ。ホロデンシュタックの要請により石作りの指南に参りました。つきましては責任者の方にお取次ぎをお願いしたいのですが……」
「おーっほっほ!」
おほほなお姉さまはお上品な笑い声で返答し、自信マンマンな笑顔で、
「わたくし、よく分からなくってよ!」
「分からないんです?!」
驚くわたしに、おほほなお姉さまは再び腰に手を当て、更に畳み掛けるように、
「そう! 分からなかったら当ッ然、喧嘩ですわ!」
おほほと言い切るお姉さまのこの世界の女性らしい思考回路に、わたしの時間は一時停止。一時停止解除。
何故よく分からないのかよく分かりませんが、わたしには島主候補としてのお役目があるのです。何としても、このコミュニケーションを成立させねばなりません。
「申し訳ありませんが、わたしは肉の事情で喧嘩をお断りしているのです。どうか、ご理解いただけたらと……」
「おーっほっほっほ! おーっほっほっほ!」
おほほな笑い声にまたしても返事を断ち切られ、わたしは戦慄しました。
頭の中の記憶の創作で、「おっほっほ」と笑う表現が使われていましたが、まさか現実でそんな笑い方をする人がいようとは、さすがこの世界の人類です。
わたしが恐れおののいていると、おほほなお姉さまは再び自信マンマンな笑顔で、
「やっぱり分かりませんわ!」
「やっぱり分からないんです?!」
「ええ!」
おほほなお姉さまの言い切りっぷりに、わたしは再び戦慄。
何て手強いお姉さま……! まさか思考回路そのものが無いのでは、と思えるほどの話の通じなさっぷり! お母さまやイーリアレもお脳がアレな人類ですが、このおほほなお姉さまからは桁外れにアレな圧が感じられるのです!
ジリッとたじろぐわたしの体。
背すじを伝う、大粒の冷や汗。
ホロデンシュタック領は島屋敷前の大広場。
わたしとおほほなお姉さまの間に吹く、一陣の風。
おほほなお姉さまは、むん、といった感じでその立派なお胸を反らし、
「わたくしの名はミージュッシー! ホロデンシュタックのミージュッシー!」
それから、ホッカホカにいい笑顔で自分の頭をビシッと指差し、
「お脳も勿論筋肉ですわ! 絶対に分からなくってよ!」




