036 ロシオンディラとエレクシシー
「申し訳ありません、お母さま。わたし、失敗ばかりで……」
『アンが喧嘩で……』
「ええと、それで、大事なご用件というのは?」
『アンが喧嘩で全勝……』
「あの、お母さま?」
『喧嘩がアンで全勝……』
すだれを通り抜けて入ってくる、アルカディメイアの湿った空気。
大広間で座るわたしの前に置かれた、緑色の小さな石。
セレナーダさんとフェンツァイさんが訪れた翌日。本島から朝イチで急な呼び出しがあり、今わたしはお母さまと音飛び石で通話中なのですが……。
「お母さま、喧嘩のお話はまたのちほどで……」
『そこをもうちょっと、こう、詳しくですね』
「お母さま……」
『むう……』
お母さまはもの凄いご不満なご様子。
通話を始め、わたしはまずアルカディメイアでの失敗を正直に謝ったのですが、お母さまは喧嘩の内容が気になって仕方ないぽいのです。
『アンは喧嘩で勝ったのです。何か色々あったようですが、喧嘩で勝ったのならば何も問題ありません』
「ううーん……?」
からっとしたお母さまのお返事に、わたしは頭を悩ませました。
他島からも「いいね!」が届けられ、何も問題なしと言われればその通りなのですが、暴力に縁が無かったわたしはやっぱり不安になってしまうのです。
「わ、分かりました。お母さま」
口元をむにゃむにゃさせるのを止め、仕方なしと思考を切り替え。これもこの世界の倣いと受け入れ、馴染まなければなりません。
さて、音飛び石の向こうから届けられる、お母さまの本題ですが、
『急な用件というのは、アーティナのことです。新たな取り組みのため、我々ゼフィリアも動かねばなりません。そのことで、アーティナのナーダちゃんに伝えねばならないことがあります。それをあなたに頼みたいのです』
ナーダ、ちゃん? セレナーダさんのことでしょうか。
「あの、お母さまはセレナーダさんのことをご存知なのですか?」
『勿論です。恥ずかしがりやで奥ゆかしく、とても真面目ないい子です』
おうん? わたしは首を傾げました。それは本当にあのセレナーダさんなのでしょうか。
それはともかく、お母さまのご用件。
アーティナの新しい政策のため、セレナーダさんと共同で事に当たるべし、とのこと。そしてそのための人員をゼフィリア本島から派遣してくれるとか何とか。
「だ、大丈夫なのでしょうか?」
その内容を聞き終えたわたしは、ちょっと心配になってしまいました。
ゼフィリアは人が少ないのです。いくらこの世界の人間の筋肉が凄いとはいえ、事はアルカディメイア全体に働きかける政策。とても手が回るとは思えません。
『大丈夫ですよ、アン』
音飛び石の向こう、お母さまは自信マンマンなお声で、
『全力で事に当たれば、いつのまにか何となくいい感じにまとまるものです』
……ご不安!!
そんな訳で、アルカディメイアはゼフィリア領。
島屋敷の裏庭こと修練場。
時刻はお昼過ぎ。
小さな雲がぽつんぽつんと浮かぶ、青空の下。
ナノ先生とわたしは修練場の石畳に立ち、海の向こうを眺めています。
「そろそろ、ですよね?」
「ええ、そろそろかと」
わたしがナノ先生に確認を取った、その時。水平線の向こうから、本来聞こえる筈のない声が聞こえてきました。
「婆ちゃーん!」
青黒い海の果て、その水平線にわたしは目を凝らします。わたしの目に映ったのは海の上を物凄い勢いで走ってくる、筋肉の波。
ゼフィリアの男衆。
沢山の木材や大きな瓶を担ぎ、大勢の筋肉が海の上を走ってくるのです。先頭の男の人の肩には二人のお姉さんが腰をかけています。
本来なら、ゼフィリアからアルカディメイアに来るにはアーティナを経由し二日間舟を走らせねばならないのですが、そこは流石この世界の、ゼフィリアの男衆。全力ダッシュで半日もかからないとは思いませんでした。
筋肉の波はあっという間に修練場に到着、石畳の上に木材やお姉さんを下ろしていきます。人数はちょうど十人。その最後の一人が荷物を下ろし終えた瞬間、わたしの隣からナノ先生の姿が消えました。
「ナノ婆ちゃあん! 久しぶりだあ! 腹減ってないか!? 魚獲ってきてやろうか!?」
ひとりのお兄さんが目にも止まらぬ速さで動き、ナノ先生を抱き上げたのです。
「久しぶりですね、ノイソーナ」
と言いつつ、ものっっそいウザそうにマッチョい頬を押し返すナノ先生。
長い銀髪に緑色の瞳。
上半身は裸、というか筋肉。
下はえんじ色の細袴を履いたゼフィリアの男性の服装。
シオノーおばあさんのお孫さん。ノイソーナお兄さん。
「婆ちゃん! 婆ちゃーん!」
お婆ちゃんコールで嬉しそうに寄ってくる島の男性陣に、ソーナお兄さんはナノ先生をひょいっとパス。ナノ先生は見る間に筋肉の生垣に飲まれ、埋もれてしまいました。
「婆ちゃん! 婆ちゃん!」
「婆ちゃん! 婆ちゃん!」
そんな筋肉まみれになったナノ先生には目もくれず、こちらに歩いてくるのは二人のお姉さん。
「へー、ここがアルカディメイア? なんかヤバくなーい?」
と、わたしをあっさり通り過ぎ、さっさと島屋敷に上がっていきます。
「いいから早くお放しなさい! 役目を怠るとは何事ですか!」
ナノ先生の一喝で筋肉祭は中止。そんなゼフィリアの男衆にわたしは改めてお辞儀をし、
「それではみなさん、お願いします」
「ああ、任せてくれな」
「んじゃやるかあ!」というソーナお兄さんの掛け声で、男衆は建材を担ぎ上げて作業を開始。修練場の隣、島屋敷から向かって左の空き地の方へと歩いていきます。
筋肉から開放されたナノ先生は、げっそりとした様子で襟元を直し、
「全く、うちの男衆ときたら……」
実はわたし、その惨状に引いてしまって動けなかったのです。ぽかーんだったのです。ていうか、島の男の人たちがこんなにご老人好きだったなんて知りませんでした。
シオノーおばあさんが何故海屋敷に入り浸りになったのか、分かったような気がします。毎日毎日お婆ちゃんコールで筋肉三昧されたら、それは確かにうっとうしいと思うのです。
「あとは私が監督いたします。姫様はあの二人に説明を」
「はい、分かりました。ナノ先生」
そう言って、ナノ先生は空き地の方へ。わたしも島屋敷に戻ります。島屋敷の縁側には、先ほどのお姉さんが当たり前のようにダラーッと座っています。
ショートボブな銀髪と緑色の瞳。
小麦色の肌に胸巻と短い腰巻。
活発な印象のロシオンディラさん。
しっとりロングな銀髪と青灰色の瞳。
小麦色の肌に胸巻と長い腰巻。
のほほんとした印象のエレクシシーさん。
エレクシシーさんはわたしが傷を治したスライナさんの娘さんです。
わたしは縁側に上り、まずはお二人に歓迎のアイサツ。正座してぺこり。
「ようこそ、アルカディメイアへ。今日からお願いいたします」
「なんかさー、暑くないのに蒸し蒸ししてて、ちょっとヤバくなーい?」
ロシオンディラさんの返答に、顔を上げたわたしはたじろいでしまいました。お二人のことは島でよく見掛けていたのですが、あまり話したことが無く、もしかしたら嫌われているのかもと思ったのです。
ロシオンディラさんは縁側から投げ出した足をぶらぶらさせ、
「でー、あたしらここでなにすんのー?」
「え、あの、お母さまから何も聞いていないのですか?」
わたしを横目に、ロシオンディラさんは興味なっしんと言わんばかりの表情で、
「知らなーい。シオノー婆ちゃんに行けって言われたから来ただけだしー」
どうしたものかとわたしが困っていると、もう一人のお姉さん、エレクシシーさんがわたしに向き直り、きちんと正座しなおしました。そして突然、その瞳からぽろぽろと涙を零し始めたのです。
「どど、どうしたんですかエレクシシーさん!?」
その姿にわたしが膝立ちになって慌てると、エレクシシーさんは泣きながら、震える唇で、
「姫さま、ありがとうねえ……」
ゆっくりと伏せられる、青灰色の濡れた瞳。
「お父ちゃんね、また海に行っちゃったの。今度は、帰ってこなかったのねえ」
「スライナさんが……!」
思い出すのは砂浜で砂遊びをしていたあの人の姿。砂で大きな山を作って、表面に模様を描いて、ふわあとあくびをしていたスライナさん。
シグドゥから島を守るため、海に向かったスライナさん。
「姫さま、ありがとうねえ。姫さまがお父ちゃんを助けてくれた日から、強いとか弱いとか、あたし気にしなくなったのねえ」
エレクシシーさんの胸に落ち、胸巻を伝って零れていく大粒の涙。その涙がなぞったものに、わたしは目を留めました。
「だってお父ちゃん男だもん。あたしができることなんてないんだと思ってた。強いお父ちゃんには、弱いあたしなんて必要ないんだって、そう思ってた……」
それはシシーさんの胸巻きに施された、きれいな紋様。島でエレクシシーさんを見た時には無かったもの。
「でも違ったの。お父ちゃん、あたしやお母ちゃんがなにかするたびに、ありがとうって、笑ってくれた……」
スライナさんが砂のお山に描いていた模様。あれはきっと、家族のために服のデザインを遺していた、そのための練習だったのです。
「姫さまのおかげで、あたし、お父ちゃんをちゃんと海に送り出せたの……」
腰巻に落ちていく、沢山の涙。エレクシシーさんは腰巻とお顔を涙でぐしょぐしょにしながら、
「レイアさまに言われたこと、あたしよく分からなかったけど、でもきっと島にとって必要なことなんだと思うし。あたしにできることなら、なんでもやる、よお……」
「エレクシシーさん……」
わたしは俯き、両手で腰巻をぎゅっと握り締めました。
アルカディメイアに来てくれた男の人たちは全員海に向かうようになった男性。つまり、お役目を終えたらすぐゼフィリアに戻り、また夜を見張らねばならないのです。
島のためにも、失敗してばかりではいられません。わたしはもっとしっかりせねばなのです。
「シシーはシシーって呼んで欲しいって。あたしのことも、ディラでいーよ……」
ロシオンディラさんの声に、わたしは顔を上げました。
そっぽを向いたロシオンディラさんの横顔。
微かに震える小麦色の肩。
ロシオンディラさんは無理やり作ったような明るい声で、
「でー、あたしらここでなにすんのー?」
「改めまして、本当に申し訳ありませんでした」
「別にいいわよ、もう」
その日の夕方。島屋敷を訪れたセレナーダさんをお出迎えし、わたしは即土下座。
「ゼフィリアの子は弱くて小さくて喧嘩未経験。お母様からそう聞いていたのよ。そんな子が看板前で囲まれたって聞いて、本当に心配したんだから」
「ううっ、すみません……」
「で、今日は一体なにをするのかしら?」
わたしはセレナーダさんの声に顔を上げ、首を傾げました。
「あの、リルウーダさまから何も聞いていないのですか?」
「ゼフィリア領に行けば分かる。ゼフィリアの言う通りにしろ、そう言われたのよ」
わたしたちがよく分からないまま固まっていると、背中からゼフィリアらしい鷹揚で元気な気配が近付き、
「やっほ、あたしロシオンディラ。アーティナのお姫さんやってんだってー? じゃあ殿下じゃーん。ってヤバ! すっげ足長くない? マジうらやまなんだけど!」
「どーもお、あたしはエレクシシーでえす」
ディラさんとシシーさんがセレナーダさんに距離を詰めてさらっとアイサツ。にゅおお! この社交性! わたしも見習いたいものです!
お二人をを認めたセレナーダさんは、キッと真面目なお顔になり、
「流石ゼフィリア、いい肉の娘達ね。よろしくってよ、相手に取って不足はないわ」
そんなセレナーダさんを前にディラさんは眉根を寄せ、セレナーダさんの足の先から頭までじーっと眺め始めました。そして、
「あーあーっ! 何か分かっちゃったよあたしー!」
「どど、どうしたんですか! ディラさん?!」
立ち上がったわたしに、ディラさんは物凄い納得したようなお顔で、
「だって意味フメーじゃん? アルカディメイアのヤツ等を風呂に入れろなんてさー」
それはアルカディメイアの空気が最低過ぎて、わたしが体調を崩してしまった理由。
この世界の島にはお風呂に入る習慣があまりないそうなのです。
ゼフィリアの他に入浴する習慣があるのはトーシンとディーヴァラーナ、そしてタイロン。タイロンのフェンツァイさんは清潔な身だしなみの人でした。セレナーダさんに対する挑発は、このことだったのでしょう。
お風呂に入る習慣のないアーティナに対し、お料理を政策とするならば、とお母さまがした提案。
『匂いは食事と密接な関係にあると考えます。快適な食事をしたいならば、まずはきちんとお風呂に入り、身を清めねばなりません。それに料理は人の手で行うもの、人の口に入るものを作るのですから、なおのことです』
という至極真っ当なご意見。さすがお母さま。頭の中の記憶でも、匂いのキツイ香水が気になってまともな食事が出来ない、という悩みがあったように思います。
そんな訳で、我々ゼフィリアがアルカディメイアでのお風呂指南を買って出たのですが、ゼフィリアは人が少なく、アルカディメイアにいる学生全員を個別指導できるほどたくさんの人を回せません。
そこで標的に選ばれたのがセレナーダさん。
セレナーダさんや他の島主候補、立場が近い人たちに作法を伝え、あとはその人たちが自分の島に広めればいい。そうすれば、各々の島は独自に創意工夫し、その環境に適した習慣に変化させていける筈。
そして、ディラさんとシシーさんに任されたのは、エステ、マッサージ、スパセラピスト、そして調香師のお仕事。この二人はゼフィリアの女性が普段どれだけその肉に手間をかけているのか、それを伝えるのに最も適した人材なのだそうです。
更に、わざわざゼフィリアの男衆に来てもらったのは島屋敷を増築し、専用の大浴場を設けるため。島屋敷にはナノ先生が使っているお風呂がちゃんとありますが、倉庫などのスペースの関係で、海屋敷よりも少し狭いのです。
という訳で新しい浴場は即日完成、さすが筋肉。今わたしたちが居るのは島屋敷に増築された大型浴場、その脱衣所なのです。
セレナーダさんは脱衣所の板間でむんと胸を張り、
「身だしなみの話? 必要無いわ、そんなの海に入ればいいじゃない」
「はいダメー。喧嘩以前の問題でーす」
「私はアーティナが島主、双剋のリルウーダの娘よ。お母様に頂いたこの体、恥じるところなど一つもないわ」
「は、ちげーし? すっげーお母さんからもらった体なんでしょ? だったらきちんと磨いてキラッキラにすんのが当たり前なんじゃん?」
絶対違うと堂々張り合うディラさんに、セレナーダさんは、「うっ」と後ずさり黙ってしまいました。
無理もありません。ディラさんとシシーさんはアルカディメイアに来ている他の島の人とは比べものにならないくらいキラッキラ。はっきり言えば、とてもイケてるお姉さんたちなのです。
セレナーダさんは自分の肌や髪をディラさんと見比べ、悔しそうなお顔になって、
「た、確かに……」
「てかさー、アルカディメイアって強い人あんまいなくなーい?」
セレナーダさんから目を離し、ディラさんは何処か遠くを眺めるように顔を上げ、
「ナノ先生は別格として、他の島の屋敷番はぜーんぜんダメ。あとはそーね、同じとこにいるけど、ホロデンシュタックに二人?」
その言葉に、セレナーダさんは驚いた様子で、
「ホロデンシュタックのミージュッシーお姉様。もう一人はおそらく、ディーヴァラーナのヘラネシュトラお姉様……」
「ふーん、ディーヴァラーナか。その二人はいい線イッてるけど、もーちょいねー。あとはこれ、海の上? なんでそんなとこにいんのか知んないけど、毛色の違う娘が一人かなー」
「去年問題があったクルキナファソの子ね。あの子は確かに、特別だわ……」
そして、ディラさんはセラナーダさんに向き直り、
「それ以外はフツー以下の肉の動きしか感じないしー? まっ、あたしは学生さんじゃないから、カンケーないけどねー」
セレナーダさんはあっけらかんとしたディラさんの前、観念したように、
「分かったわ……」
「ふおお、おきれいですよ。セレナーダさん!」
「そ、そう?」
そんな訳で、お肉のお手入れかんりょーです!
「ゼフィリアの入浴、習慣としては聞いていたけど、随分凝ったものなのね」
わたしの目の前には見違えるようにキラキラになったセレナーダさんのお姿。
流れるような長い金髪と緑色の瞳。
わたしと同じ白い肌。
肌を覆う面積を最小限に抑えた胸巻と腰巻。
白く長い布を肩に引っ掛けた、アーティナ特有の着こなし。
中身が洗浄されただけで清潔感溢れる服装に見えるなんて、流石アーティナ!
しかし、このびふぉーあふたーは病み付きになりそうです! なるほどこれはとても達成感のあるお仕事! わたしも油を運んだり、体を洗い流すお湯を作ったりしてお手伝い頑張ったのです!
きれいになったセレナーダさんの立ち姿にわたしはうっとりしました。まさにまさに、肌の色が違うお母さまです。
「さあ、セレナーダさん。髪型を整えますですよー」
「ちょい待ちー、髪痛むから今はまとめちゃダメー」
髪のお手入れなら任せて、と踏み出したわたしをディラさんが制止。振り向けば、ゼフィリアのお二人の微妙なお顔が。
「だってさー、殿下ってレイア様そっくりじゃん。だーら、ちゃんと手入れすればレイア様と同じになるはずなんだってば。気になるのは髪ねー、まだパサついてっし。枝毛もヤバイよねー、やっぱ一回じゃダメかー」
「う……」
髪の艶を指摘され、セレナーダさんは物凄い悲し気なお顔に。ていうか、シシーさんは眉根をよせてずっとノーコメントで。これが一番キツイような……。
「まーいいや、アーティナ領だっけ? そっち行った時またあたしがやったげる。殿下、あとそれー」
沈んだ空気を入れ替えるように笑い、ディラさんは床に置かれた瓶を指差しました。中身はお風呂で使う油がたっぷり。大浴場の建材と一緒に、男衆がゼフィリアから持ってきてくれた追加資源。
「ひとまず、の分。アーティナだもん、あとは成分読んで自分たちで作れっしょー?」
「ええ、いただくわ。今日はありがとう、ロシオンディラさん、エレクシシーさん」
「ディラでいいよー。シシーもシシーでいいよね?」
ディラさんの言葉に、シシーさんもこくりと頷きました。セレナーダさんはディラさんたちからわたしに視線を移し、
「あなたが他の島に水込め石を配るって聞いたのだけど、本当に大丈夫なの?」
「はい、大丈夫です」
それはわたしがもうひとつ言い付かったこと。水込め石に困っている島のため、入浴用の石を用意せよ、というリルウーダさまのご命令。
入浴の作法はディラさんとシシーさんが指南に回ってくれるそうで、お二人の指示の元、既に水込め石は作成済みなのです。
お母さまは、「そんなに沢山石を作って大丈夫なのですか?」と物凄い心配してくださったのですが、わたしは石を作っても全然疲れないので平気なのです。
それに、アルカディメイアのみなさんに物凄い迷惑をかけてしまったので、お詫びと思えばこれくらい何でもありません。
「石といえば、セレナーダさん、こちらを。連絡用の石です。あとは……」
わたしはセレナーダさんに音飛び石を渡した後、かなめ石を作り出しました。そしてはがね石を二百。櫛や鏡に変形する、みだしなみ用の多機能なはがね石。それらを気込め石の布で包み、じゃらりと渡します。
「話には聞いてたけど、やっぱりありえない光景だわ……」
「え? え?」
「何でもないわ。じゃあ、また明日ね」
「はい、よろしくお願いします」
明日はわたしがセレナーダさんから教えを受けるため、アーティナ領に伺う約束をしたのです。
大きな瓶をひょいと担ぎ、セレナーダさんは風呂敷片手に大浴場から退出。わたしがセレナーダさんを外までお見送りし、脱衣所に戻ってくると、
「おや?」
脱衣所に漂う気まずい雰囲気に、わたしは首を傾げました。シシーさんの様子がおかしいのです。そしてディラさんも何やら考え込んでいるご様子で、
「シシー、気付いた?」
シシーさんに振り向きました。そして、
「んー、流石にあれはほっておけないかなー。他の島の奴らだったら、ま、どーでもいーんだけど。アーティナの姫殿下となれば、話は別なのよねー。ヤバイし」
言うやいなやディラさんは右手に風込め石を作成、周囲の空気に干渉。防音壁です。ふおお、ナノ先生もそうでしたが、ディラさんも凄いです!
「で、どうだったかね。シシー?」
ディラさんの質問に、シシーさんはもんの凄い困った顔で、
「姫さまあ。アーティナの殿下、かなーりマズイかもお……」
「お休みにならないのですか?」
「ナノ先生……」
島屋敷の縁側。
ナノ先生から掛けられたお声に、わたしは顔を上げました。
時刻は夜。
見上げれば、ゼフィリアに比べ少し星が遠いように見える、アルカディメイアの夜空。イーリアレやお姉さんたちは、とっくの昔にご就寝です。
正座するわたしの左隣、同じように腰を下ろしたナノ先生に、
「ナノ先生はどう思われますか……?」
わたしの問いに、ナノ先生は少し困ったお顔で、
「余所様の事情にあまり深く立ち入るべきではないと思われますが……」
それはナノ先生らしい屋敷番としての思考。
ナノ先生が屋敷番のお役目に就いてもう四十年以上。ナノ先生自身はゼフィリアの人間で当然清潔ですが、他の島の身だしなみ、アルカディメイアの空気はこれが当たり前と、慣れきってしまっていたのだとか。
そして、入浴は人の習慣なのです。余所様の島の事情にわざわざ口を挟むものではない。そう黙ってお役目に徹する、それがナノ先生という人なのです。
わたしは俯き、小さな声で、
「リルウーダさまはご存知なのでしょうか?」
「いえ、おそらくは……」
答えながら、ナノ先生はわたしと同じように俯き、首を振りました。
「アーティナはゼフィリアを姉妹とし、礼を尽くし、厚遇する……」
わたしの口から紡がれる、リルウーダさまから聞いた言葉。思い出すのは、シシーさんから聞いたセレナーダさんのこと。
腰巻を握る、わたしの両手。
アーティナを姉妹とするゼフィリアの人間として、気遣わなければならないこと。島主候補として、わたしがしなければいけないこと。
わたしはもう一度、夜空を見上げ、
「ナノ先生の知っている範囲内で構いません。セレナーダさんのことを教えてくださいませんか?」




