021 イーリアレの夜の歌
火込め石の灯りの下、薄く輝く銀色の髪。
物憂げに伏せられた青い瞳と、少女特有の柔らかな熱を放つ、小麦色の肌。
弦を押さえ、細かく揺れる左指。ゆっくり引かれる弓と、弦の摩擦。
頬をなぞり夜風に溶ける、人の調べ。
お夕食を終えた夜の時間。お部屋を包むのは静かで、そしてゆったりとしたイーリアレの旋律。
海守さんたちとのお食事会から早数ヶ月。わたしは今文机を前にお役目の記録をしています。どんな石をいくつ作ったか、どの石がどれだけ使われたか。それを書き留めているのです。
わたしは手を止め、ふうとひと息。
文机の上に広げられているのは一枚の長い紙。そして文鎮代わりに置かれた緑色の石。
わたしの手には既に鉄筆がありません。慣れると指でなぞるだけで紙に字が現れる、この島で使われている紙はそのように作られた、気込め石製の繊維だったのです。
鉄筆を使わず文字を書く。頭の中の情報を直接転写できるのはとても楽ちんなのですが、きれいな字を書くにはその形を正確に想像する必要があり、これがまた難しいのです。
わたしは腕に絡まった金色のくせっ毛を背中に流し、お役目の続きに取り掛かりました。
石の数字を追いながら把握する、この島に生きる人々の毎日。
海と筋肉があれば、食べるに困ることはありません。しかし人の生活というものはそれだけではないことを、わたしたちは知っています。
そのための必需品。そのための様々なものを石で作る内に、わたしが更に学んだこと。
それは石の特性。
石はある一定の質量やエネルギーを放出すると、崩れて消えてしまいます。石そのものを資源として機能させた場合、一定の変形回数を超えると、同じように崩れて消える。
そして作り出されたものは、同じ色の石であれば自由に消滅させられる。
石の分類は三種類。
外部にものを作り出す水込め石、砂込め石、風込め石。それそのものが質量と形を変え、資源となるはがね石。そして、外部出力と自己変質、その両方を可能とするのが火込め石と気込め石。
中でも、気込め石の特性は最も柔軟で、特異なもの。わたしはそう考えます。
着物などの柔らかいものからお椀のような固いものまで、様々な形のものを作り、様々なものに形を変え、気込め石は私たちの生活に深く関わっています。
更に、わたしはこれが一番重要だと思っているのですが、気込め石は情報記憶媒体として極めて優れているのです。
気込め石に込められる情報は、人の考えた文字や数字の他に、絵などの映像情報なども含まれます。
そして、これが極めて特異な性質なのですが、その情報を更新できるのです。
今わたしは気込め石で紙を作りそれに文字を書いていますが、この紙を一度消滅させることで、次から今書いたものが記された紙を生み出すことができる。つまり、気込め石には情報保存機能が備わっているのです。
これには固有性があり、その紙を作った石でないとこの保存ができません。
更に、わたしたちこの世界の人類には石を読む力があり、気込め石に込められた記述ならば手をかざすだけで直接読み取ることも可能です。頭の中の記憶になぞらえると、記込め石と呼んだ方がいいかもしれません。
そして、その応用が複製です。気込め石を読み、その情報をもとに気込め石を作ることで、全く同じ情報が込められた気込め石を作ることができる。これがこの世界における「書」の受け継ぎ。
蔵に保管されている「書」は本の形でなく、情報が込められた気込め石のまま保管されているのです。
わたしが初めて蔵に訪れた時案内してくれたのはスナおじさまでしたが、スナおじさまはわたしが石のことに気付かないよう、見守ってくれていたのです。
途切れる思考。
音の無くなった部屋で、わたしは顔を上げました。イーリアレが演奏を終えたのです。
文机を挟んで斜向かい、胡坐をかいたイーリアレ。
イーリアレはとても上手な弦の奏者になりました。
今イーリアレが構えているのは、自分の気込め石で作った楽器。イーリアレは既に風込め石と気込め石を修得しています。
イーリアレは石作りが苦手なようでしたが、わたしが口伝を試すと、すぐに作れるようになりました。やはりイーリアレもゼフィリアの女性。目で見て体で覚えるタイプなのだと思います。
この世界の楽器、その形は頭の中の記憶にあるものと少し違っていまして、イーリアレの手にあるのは宙に浮いた弦と手に持った弓だけ。
その構えは頭の中の記憶で例えますと、胡弓や馬頭琴のように体の前で弦を立たせるもので、音はハープとヴァイオリンの中間のような感じです。
わたしたちの楽器には弦楽器の胴、弦の振動を増幅させる振動体を必要としません。気込め石で作られた弦を使用することで、自分の体を共鳴胴とし、空気中に輻射、共鳴させるのです。
熟達した人は演奏中にその弦の太さを調節し、音色を増やすのだとか。気込め石で作られた楽器ならではの演奏法ですね。
再び弦を震わせ、イーリアレが演奏を始めました。わたしも記録の続きを、と机に向かおうとしたところで、
「お嬢さま、もうすぐ話し合いが終わりますよ。記録はそこまでにして、お嬢さまも早く休みませんと」
「え、もうそんな時間ですか!?」
すだれをめくり、中に入ってきたのはシオノーおばあさん。
後ろでひっつめた白髪に青い瞳。
小麦色の大きな体に、胸巻と腰巻。
とても背が高く、ゴリラよりもゴリラな筋肉の、快活なおばあさん。
お外を見れば、お母さまのお部屋から村に帰っていく海守さんたちの姿が。いけません、風込め石の防音壁でお部屋を覆っていたので、話し合いが終わったことに気付けませんでした。
石は人が直接操らなくとも簡単な機能なら実行し続けることができる。シオノーおばあさんが蔵で魚醤やお酢を発酵させたのはこの力だったのです。
「へえ、イーリアレは繋ぎが好きなのかい」
シオノーおばあさんは弦を中断したイーリアレに目を留め、言いました。わたしはその言葉が気になり、
「繋ぎ、ですか?」
「違う曲を繋いだでしょう。そういうのを繋ぎって言うんですさね」
島の音楽は民族音楽、フォークみたいな作りもので、手拍子足拍子に合わせて同じフレーズを繰り返すのが定石。作業のお供として、反復させる作りが多いのは納得ですね。
ただ、わたしは頭の中の記憶で色んな音楽の形を知っていましたので、それではちょっと物足りないと言いますか。そんな訳で、色んな曲を繋げるよう、イーリアレに試してもらっていたのです。
「どうだい、一つ即興なんか」
イーリアレの隣、シオノーおばあさんがどっかと座り込み、右手の気込め石から弦を作り出しました。
音楽は生活の一部。即興の合いの手をつとめるくらい、島の人ならば誰でも出来るのです。わたしはマニュアル人間なので、大の苦手なのですけれど……。
そこでふと思い出したことがあり、シオノーおばあさんに、
「シオノーおばあさん、島の人は曲に合わせて言葉で歌ったりはしないのですか?」
「歌に言葉を乗せるんですかい? うちらはしないねえ。ディーヴァラーナの女衆がたまにやる、くらいさね」
ゼフィリアの人は口で旋律を歌っても、言葉を旋律に乗せて歌うことをしないのです。頭の中の記憶ではかなり主流な文化であったようなので、わたしは気になっていたのでした。
なるほど、ディーヴァラーナ。他島の文化は蔵に行けば資料があるそうなので、追々勉強していきたいと思います。
そして、わたしはあることを思い付き、
「イーリアレ、曲に言葉を乗せてみたらどうでしょう。弦を弾きながら、口で歌うのです。イーリアレはきれいな声をしていますし、きっとすてきな歌になります……よ?」
提案して、しまったと思い直しました。
イーリアレはお料理や喧嘩など、体で覚えて実践することは得意なのですが、話したり考えたりするのが超苦手なのです。その証拠に、目の前には宙を眺め、ぼーっと無表情なイーリアレ。
「ことば、ですか」
ぽつりと呟くイーリアレに、わたしは確信。あ、うん。やっぱりダメかもしれません。
「では、はじめます」
意外!! 始めちゃうんです?!
驚くわたしの前、イーリアレは弦と弓を構え、シオノーおばあさんに、
「くりかえしのぶぶんは、いっしょにおねがいします」
「あいよ。しかし、言葉で歌うなんて何だかワクワクするねえ」
シオノーおばあさんは笑顔でお返事、弦を構えて準備完了のようです。
左指で弦を押さえ、ゆっくりと弓を引くイーリアレの右手。その弦と弓の摩擦が、音色となって空気を伝っていきます。
悲しげだけど、ちょっと速めの調べ、そんな旋律を何度か繰り返した後、イーリアレは歌い始めました。
「くだけてく、くだけてく。なみのまにまに、なみのまにまに。
おちていく、おちていく。みなそこへ、みなそこへ。
よろこびもかなしみも、そうよ、なみのかずでかぞえるの」
その演奏に、いえ、その光景にわたしは衝撃を受けました。
いいっいイーリアレ! イーリアレの表情が! イーリアレの表情が歌に合わせて動いてます! 表情筋、死んでませんでした!
「ねえ、いったじゃない。わたしは」
曲の調子が変わったところで、シオノーおばあさんがやっと合いの手を弾き始めました。多分、シオノーおばあさんもイーリアレの変わりように驚いたのだと思います。
「くだらないって、よるのたびに。
ことばがかすんで、ちぎれてく。
つめたいあめにおしながされて、
しずくがひとつ、きえていく」
イーリアレの変化にばかり注意が行ってしまいましたが、曲調も歌詞の内容も、普段のイーリアレとはかけ離れていて、お脳の処理が追いつきません。
「かぜがふく。よるのかぜが。
てをのばしても、もうとどかない」
繰り返す調べ。イーリアレが最初に弾いた旋律。多分、これがこの即興の主旋律なのでしょう。
「つぶれてく、こぼれてく。あなたのにくが、あなたのほねが。
ぼやけてく、きえていく。あなたのこえが。あなたのねつが。
きずあともおもいでも、そうね、なみがすべてさらってく」
再び静かな調子に戻る曲調。あ、二番? これ二番ですね?
「そう、おったのよ。わたしは」
微かに震える長いまつげ。囁くようなイーリアレの歌声。
「そらもうみもしんだよるに、
ひとりぼっち、あるいてた。
つきもほしもきえたよるに、
あなたはわたしを、おいていく」
次第に激しくなっていくその弦の音。
「なぎがくる。よるのなぎが。
いくらさけんでも、もうとどかない」
一瞬、手を止めるイーリアレ。お部屋に訪れる、空白の時間。
「「砕けてく、砕けてく。波の間に間に、波の間に間に」」
突然、シオノーおばあさんが一緒に歌いだしました。そういえば、繰り返しは一緒だったんでしたっけ。
「「落ちていく、落ちていく。水底へ、水底へ。
喜びも悲しみも、そうよ、波の数でかぞえるの」」
シオノーおばあさんはそこまででした。
弓を取り落とし、右手で顔を覆い、指の間から大粒の涙をボロボロ零して。シオノーおばあさんは大きな体を震わせ、声を殺して泣き始めてしまいました。その姿に驚き、わたしは膝立ちになって慌てます。
そんなわたしとシオノーおばあさんそっちのけで、イーリアレの歌はどんどん激しくなっていき、
「つないで、くるって、うたわれていく。
あなたはわすれてく。ただ、あるいてく。
いちめんのはなばたけを、ふりかえりもせず。
くらいあらしがほえたてる。
まいあがるはなびらが、よかぜをすって、ちっていく」
ゆっくりと引かれていく弓。どんどん小さくなっていく、彼女の音色。
「きえていく、きえていく。
しずくがひとつ、きえていく……」
か細い音。その余韻を残し、イーリアレはやっと演奏を終えました。
かちんこちんに固まっている空気の中、イーリアレはいつも通りの無表情で、
「どうでしょう」
「どう、と、言われましても……」
普段のぼーっとしたイーリアレとはギャップが激しすぎて、驚くばかりと言いますか。今はもうケロッとしてますし、歌う時だけ入る感情のスイッチみたいなものがあるのでしょうか。
天上に設えられた、火込め石の優しい灯り。
就寝前の夜の時間。
わたしがよく分からなくなり、とにかくおろおろ慌てまくっていると、シオノーおばあさんは涙を拭い、無理に笑おうとして、
「あんまりいい歌じゃないね。人に聴かれないようにするんだよ……」




