019 海守さんのお悩み
頭を千切り、くるりと身を回しながら赤い甲を剥く。
ワタを取り、尻尾から白い身を抜いたら、大きな鉢の中へ。
お昼過ぎ、お屋敷の縁側にて。わたしはシオノーおばあさんと一緒にせっせと海老の皮むきに勤しんでいます。
目の前の石畳には巨大な鉢が二つ。海老の身が入った鉢と、殻の入った鉢。縁側に並んで座るシオノーおばあさんとわたしの間には、剥かれていない海老がこんもり積み上げられています。
お夕食の準備にはまだ早いのですが、今日はシオノーおばあさんが兼ねてから作ってみたかったものがあるとのことで、わたしはそのお手伝いをしているのです。
そう、石作りを覚えたわたしは、既にお料理に関わることを許されているのでした。
そんな訳で、記録とお料理がわたしの日常。でも最近、お料理のお手伝いをするだけで満足しているわたしがいます。
だって、お料理はとても楽しいのです。
「シオノー婆ちゃん、言われたとーり追加持ってきたよー」
「ありがとうよ、ディラにシシー。そう、そこに置いとくれ」
裏庭の方から聞こえた覚えのある声に、シオノーおばあさんはお顔を上げました。
夢中になっていた手を止め振り向くと、そこには蔵で魚醤を味見したお姉さん二人組。多分フツーに崖下から跳んできたのだと思います。筋肉。
のほほんとした雰囲気のお姉さんが大きな鉢をシオノーおばあさんの目の前、修練場の石畳にドスンと置きました。その鉢には山盛りの海老が入っています。
続き、水が張られた大きな白いタライを置いた活発そうなお姉さんが、
「てか、ホントにこの骨無し食べんの? ヤバくない?」
「ディラ、ものは試しって言うじゃないか。食べりゃ自ずと分かるでしょうよ」
シオノーおばあさんの答えに、活発そうなお姉さんは、「ふーん」と興味無さそうに答え、
「んじゃ、あたしらお風呂入ってくっから。あーもー、潮でベッタベター。行こ、シシー」
「あ、あの、ありがとうございます!」
わたしのお礼を背に、活発そうなお姉さんは振り向きもせず後ろ手をひらひら。のほほんさんと一緒に、そのまま村の方に跳んでいってしまいました。
「流石シシーさね。こりゃ死んだあと、うまあじが増えるんでさ。あの娘はその生成時間を調整してくれたようですねえ」
シオノーおばあさんは縁側から下り、大きな鉢から海老を一匹つまみ揚げて言いました。そしてその海老をきれいに剥き、スタイリッシュお塩。わたしの口目掛けて狙いを定め、
「いただきまふ! あもぁいでふ!」
生海老いただきました! ぷりっぷりのお肉です! しょっぱいのに甘くてうまあじがあって、やっぱり味というのは不思議です! お料理中のお味見はとにかくカクベツなのです!
小皿に用意しておいたお酢に海老をちょんと付け、シオノーおばあさんも、
「んーん、これを付けると肉のまろやかさが引き立つねえ……。さあ、どんどんやっちまいましょうか」
大きな体を縁側に下ろし、シオノーおばあさんは海老の殻剥きを再開。わたしは作業を続けながら、目の前の風景に目を向けました。
さんさんと輝く太陽の下、お屋敷の修練場では海守のお姉さんたちが喧嘩の真っ最中。その周囲に海守さんたちが立ち並び、喧嘩を見学しています。
ゼフィリアの女性の癖なのでしょうか。海守さんたちははがねの槍を支えにし、片方の足を折り曲げ、頭の中の記憶にあるフラミンゴのように立っています。たまに槍を持ち替え、立つ足を替えたりしています。
喧嘩中の人を目で追うたび、首から上だけがくりっくりっと一斉に動いて、面白いのです。
あ、海守さんたちの中にイーリアレ発見です。
その立ち姿は他のお姉さんたちと全く一緒。槍を持つとイーリアレもフラミンゴになるのですね。
「お嬢さま、少しよろしいですか?」
その声に視線を戻すと、目の前によく見る顔の海守さんが立っていました。その手の上には、緑色の風込め石。
わたしが海守さんのお役目に同行してから数ヶ月。あの日から、わたしが海守さんにアイサツをすると必ずアイサツを返してくれるようになり、今ではみんなが普通に話しかけてくれるようになったのです。
そして、わたしにある相談をするようになりました。
わたしはお手伝いの手を止め、シオノーおばあさんに、
「シオノーおばあさん、少し失礼してもいいですか?」
「勿論ですさね」
シオノーおばあさんは笑顔で頷き、それからちょっとイジワルな顔で、
「でも、早くしないとお嬢様の仕事が無くなっちまうかもしれないねえ」
と、海老を処理する手の動きを速めました。わたしは慌て、お姉さんに向き直り、
「ちょ、ちょっと待ってくださいね。今、手を洗いますから」
わたしは水込め石でサッと手を洗い、その水分を消去し乾燥。きれいになった手でお姉さんの石を拝見、構成情報を読み取ります。
「用途は喧嘩ですか?」
「いえ、操船です。喧嘩で使う石は作れるのですが、こちらはどうしても上手く作れませんで……」
なるほど、込められた風がぐちゃぐちゃに巻いています。これでは操船どころではないでしょう。
海守さんたちの相談とは、石作りの悩み事について。
わたしにとっては超意外だったのですが、この島の人は生活用の石を殆ど作れないのです。
海守さんたちの話しを聞く限り、この世界の人にとって喧嘩で使う石と生活に使う石を作る難易度は変わらないそうで。しかも、普通の人は日に一つか二つしか石を作ることが出来ません。
であれば、石作りのモチベーションが喧嘩に向かってしまうのは仕方のないことなのだと思います。
わたしが生活用の石作りをしていることは周知の事実。裏庭で作った石たちは島の人に配られ、今では様々な用途で使われています。
日々の生活が保障されていれば、そのエネルギーは趣味的なものに向かってしまう。これは報酬系の意識的に当然のことと思います。共同体は個の集合ですが、個が必ず全体のために働くとは限らないのです。
そして、わたしは一つの大きな問題に気付きました。
音楽や運動、生きる悦びは日々の生活の中で見付けるのが当たり前。人と人との間で身に付けるのが当たり前。そしてそれは石作りも同じ。石作りは体で覚えるもので、教えられるものではない。
つまり、石作りには教育がないのです。
六種の石を作れるわたしなら、このお姉さんのように行き詰まってしまった人全てに対応できる。そんな訳で、石の作り方を聞きにわたしを訪ねる人が増えたのですね。
わたしはお姉さんの石から手を離し、顔を上げ、
「操船の石はあきらめてください」
「え、そ、そんな……」
お姉さんの超ガッカリした顔に、わたしは続けて、
「正確には、操船という言葉を石に込めるのを諦めてください、ということです。込める言葉は、そうですね、追い風でお願いします」
「追い風、ですか?」
「そうです。石そのものの機能は出来るだけ単純化し、出力を安定させてください。操船に必要なのは干渉能力の方です」
「なるほど……!」
お姉さんの顔がパッと明るくなりました。どうやら掴めたものがあるようです。
「肌で感じるべきは風上の加圧域と風下の減圧域です。帆が揚力を得るための角度を探る必要がありますが、これは石ではなく身体や帆の張り方で調整できるはずです」
「ええ、ええ! それは分かります!」
食い気味になり、手を上下にぶんぶんさせるお姉さん。そんなお姉さんに、わたしは最後のアドバイス。
「あなたの背中を押す強い風を思い描いて、もう一度石を作ってみてください」
「はい……」
お姉さんは両手を胸の前で握り、深呼吸。わたしはしばらくその姿を見守ります。横目に映るのはちょっと、というかかなり面白がっている顔のシオノーおばあさん。やがて、お姉さんの両手、その指の間から緑色の光が漏れて……、
「出来ました!」
「どうでしょう」
お姉さんの手の中の緑の石を確かめ、即起動。左手に石をまとい、風を出して試します。
「素直な風です! これならいけそうです! ありがとうございます!」
「よかったです」
「早速試してきますね!」
と、お姉さんは海に向かって跳んでいきました。筋肉。
風込め石は大気中の気体密度操作やその圧力制御など、六つの石の中でも干渉効果範囲が特に広いもの。あのお姉さんは風込め石の使い方をちょっと勘違いしていただけなのです。
「お嬢さまー、わたしも頼みがあんだけど」
「はい、何でしょう?」
と、今度は違う海守さんがいらっしゃいました。
「わたしもさー、自分で飲み水作れるようになりたいんだけど、どしたらいいの?」
その手にはわたしが作った水込め石。渇望は日常目にするものから生まれるもの。出来るようになりたいという衝動は素晴らしいものだと思います。
であれば、このお姉さんには先ほどのお姉さんと違い、作り方そのものを伝えねばなりません。
「飲用水ですか? まず、言葉を絞ってみましょう。込める言葉は飲み水、水瓶を満たす量で。お家の水瓶を思い浮かべてください」
「うんうん」
石作りにおいて人に伝える一番いい方法、それは、
「水込め石、飲用、球形にて生産、石直上に浮遊」
わたしは目の前で石を作り、その成分を説明して見せました。右手に青い石をまとい起動すると、人の頭くらいの大きさの水の球が現れます。
お姉さんはその水球を見て、小さな声で、
「飲み水……」
「はい、飲み水です」
それは石に込める構成情報。物質の成分や温度など広義な設定を、飲用という言葉に押し込めたのです。
石作りの強みは、やはりこの曖昧さ。
わたしのように言葉をプログラムとして石に込めなくても、漠然とした脳内イメージで成立してしまうのが石作り。
言葉自体は曖昧でも、その言葉に基づく経験をその人が持っていれば、それは充分「具体的」かつ「適切」な言葉になりえるのです。
他の人の思考言語、そのプロトコルをわたしのものと一致させることは不可能ですし、重要なのはその人が石に込めやすい高精度の情報を自分の中で組み上げられるか、なのです。
「出先で飲む水はこれくらいですか? 目の前のものを自分の言葉で規定するのが大事なんです」
「うんうん、こんくらい。こんくらいの飲み水がいい」
なるべく少ない言葉で石を作る過程を見本として見せる方法、いわゆる口伝に近いもの。共感を利用した暗示に近い手段ですが、これが石作りを人に伝える時一番効率的かつ結果が出るものだったのです。
石作りとはつまり、粘土工芸のようなもの。
粘土で花の形を作るとして、大抵の人は自然を参考にすると思います。しかし十人十色、出来上がったものの仕上がりは人によって違ってしまいます。
そして自然物を参考にしているにも関わらず、実物とかけ離れた造形が生まれてしまうこともある。それが創作というものなのです。
そこで必要なのが、実物に近い見事な花を作った人。その人が粘土の花を作る過程を、他の人の目の前で見せること。
人がどのようにして手を動かしその形を作ったか、その過程を目の前で見ないと人は技術を吸収し難いものなのです。
「飲み水……」
お姉さんは右手を胸の前で握り、深呼吸。やがて、その指の間から青い光が漏れて……、
「おー、出来た! 出来たよ! それにこの方法ならもひとつ作れっかも!」
お姉さんの右手の上には、青色に光る小さな石。お姉さんは信じられない、という顔で自分の作った石を見ています。
「石がどれだけ水を生み続けられるか、という耐用年数の設定がまだですが、今は忘れてください。その設定を込めずとも、今のやり方に慣れれば長時間使える石が次第に作れるようになります」
「んじゃ、島主さまみたいな石がわたしにも……!」
喜ぶお姉さんを前に、わたしは言い出せなくて口をむにゃむにゃさせました。
曖昧な言葉を込めても作れてしまうのが石作り。ですが、あまりにも在り得ない言葉を仕込むと石が生まれてこないのです。
火込め石など、逆に耐用年数を設定しないほうが長持ちする場合があったので、いっそのこと持続設定を外して作ってみてはどうか、というのが今の試み。
これはわたしが見付けた法則に基づいたもの。
込める言葉がシンプルであればシンプルであるほど、石の出力精度と耐用年数が増加するのです。
更に、わたしにはよく分かりませんが、この方法は言葉の消費が少なく、楽に石を生み出せるようで。つまり単機能の石のほうが長持ちし、複数生産に向いているのです。
「お嬢さま、ありがとね!」
「よかったです」
がばっと抱きしめてきたお姉さんの背中に手を回し、わたしは応えました。
「明日はお風呂に使うお湯作ってみっかなー!」
言いながら、お姉さんはぱっと離れて回れ右、海守さんたちが集まる方へ。きっと他のみんなに見せに行くのでしょう。
わたしはその小麦色の背中を見て、嬉しくなりました。個人のやる気が生活必需石に向かっていくのはよい傾向だと思うのです。
「よく言葉が出てくるもんだね。大したもんですよ、ウチのお嬢様は」
高速で海老を処理しながら、シオノーおばあさんはくすくす笑いました。
「わわわわたしだって島の役に立ちたいのです!」
「そうですねえ。じゃあ、まだまだですよ。お嬢様にゃ全部出してもらわにゃあね」
見れば、シオノーおばあさんは既に追加分の海老に取り掛かっています。わたしも海老の下拵えに戻らねばなりません。
作業再開。わたしも鉢の海老に手を伸ばします。
鉢を挟んで隣に座る、大きな体のシオノーおばあさん。
わたしが石作りを覚えたことで、シオノーおばあさんはわたしに関する色々なことに納得したようでした。
六種の石を作れるということは、普通の人よりもそのセンサーが多いということなのです。だからわたしは他の人よりも受信感覚が複雑で、そこから生まれる知識や言葉が多い、そう考えているのでしょう。
石作りを覚える前のわたしが料理の知識を持っていたことに関しても、六種の片鱗、その前兆だったと理解したようです。
わたしはシオノーおばあさんに頭の中の記憶のことを話していません。これは信頼関係ではなく、極めて個人的な、プライベートな問題なのです。
わたしはわたし。
頭の中の記憶はただの集積情報で、わたしではありません。でも、記憶にもプライベートがある。わたしはそう思うのです。
だから頭の中の記憶、それ自体のことを、これ以上口外したくないのです。
わたしはこの先、わたしの頭の中に別の人の人生があることを、この世界の人に話すことはないでしょう。
あ、お母さまは例外です。お母さまはわたしのお母さまなので。つまりはお母さまだからなのです。
わたしは気込め石で海老を剥き、剥いた身をふわりと鉢へ。視界に映るわたしの手の平、その上に光る、小さな白い気込め石。
「わたしには今、これしかできないのです。だから、これでがんばるのです……」
白く大きな雲を頂く青空の下。
お昼過ぎの縁側にて。
シオノーおばあさんはわたしの隣、ゴリラのように微笑んで、
「もう充分ですよ、お嬢様……」




