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018 海守さんのお仕事

「むむむ無理ですう……!」


 抜けるような青空と濃紺の海原。

 今、わたしは憧れの海の上。


 スナおじさまに石作りを解禁され、そこで考えたのはわたしの進路。シオノーおばあさんには生活用の石、灯りなどの石を作れば島の役に立てると言われました。でも、わたしにはどうしても諦められない夢があるのです。


 毎日お部屋から眺めるだけだったわたしの憧れ、そう、海守です。


 お母さまのような海守に、それがわたしの幼い頃からの夢でした。いえ、まだ全然子供なのですが。


 肉は至らずとも、石の力を使えばきっと何とかなる筈。そう考えたわたしはそのことをお母さまに伝え、海守さんの漁に同行を申し出ました。


 そんな訳で、朝イチお母さまの小舟に乗り、意気揚々と出発したのですが……。


「むむむむむ無理ですう……!!」


 わたしはがっくがくに揺れる小舟にしがみつきながら、弱音と悲鳴を撒き散らしています。


 海守さんたちの小舟はサーフボードに帆が付いたような乗り物で、頭の中の記憶的なものだと、ウィンドサーフィンに使うセイルボードでしょうか。と言っても、帆は小舟の直上に浮遊固定されているので、帆柱がありません。


 お母さまはわたしが海に落ちないよう、一応用心してくれているようなのですが、わたしは既に失神寸前。上下に揺れまくる視界に酔いまくり、意識を繋ぎとめているのがやっとの状態。


 もうダメです! と思ったところで、小舟が急停止。お脳を撹拌せしめる加速と振動から解放されたわたしは、へとへとになりながら辺りを見回しました。


 目標海域に着いたのでしょう、お母さまと海守さんたちは船を止め、じっと海面を見つめています。すると突然、


「えっ!?」


 ちゃぽっ、と水がはねる音に顔を向けると、その海守さんの手に一匹のお魚が。その音を皮切りに、海守さんたちが次々と魚を釣り上げていきます。


 釣り? これ釣りですか!?


 すぐ横のお母さまを見上げれば、その手元の魚、目の上をはがねの串が一本貫通しています。


 お母さまはその串を小さな刃物に変形させ、えらから刃物を入れ骨を、次に尻尾を切断。二、三度魚を振って血を流させ、船の上に置きました。その動きが繰り返され、見る見るうちに魚の山が積み上がっていきます。


 一連の作業を頭の中でまとめ、海守さんたちが一体何をしているのか、ようやく理解しました。


 まず、はがね石で出来た糸付きの串を用意する。糸は同じはがね石で作られているもので、伸縮自在。その串を海中に投げ、魚の急所に命中させ、即死させる。


 筋力で。


 命中させた瞬間、串の先を鉤のような形に変形させ、そのまま魚を釣り上げる。


 筋力で。


 串を刃物に変形させ、活け締めを行い、お魚ゲット。


「む、無理ですう……」


 わたしは目の前で繰り広げられる超筋肉的最高効率な漁に愕然としました。


 いえ何というか、この世界の人たちの漁なので、海に潜って直接お魚をわし掴み! とか勝手に想像していたのです。しかし、現実は全く違うものでした……。


 わたしが現実とのギャップに呆然としていると、お母さまは急に手を止め、


「これくらいでいいでしょう。何か異常は?」


 海守衆は無言の肯定。お母さまは周囲に頷き、一度空を見渡すと、


「では、戻りましょう」


 小舟を回頭。


 今いる海守さんはお母さまを含め十人、獲った魚は一人当たり三十匹前後。そのお魚を気込め石で作った網で担ぎ、お母さまたちは帆に風を流します。


 そこでわたしは、はっと我に返り、風込め石を操るお母さまに、


「す、すみません! ちょっとだけ休憩をばっばば、ばばばばば!」


 時既に遅し、舟は猛スピードで走り始めてしまいました。わたしは再び小舟にしがみ付き、あらゆる意味で敗北を噛み締めます。


 視界を高速で流れる青い景色。

 今、わたしは憧れの海の上。


 ううう、挫折! 挫折です……!







「アン、本当に大丈夫なのですか?」

「はい、お、母さま……。ご心配おかけして申、し訳、ありません……」


 抜けるような青空の下。

 今わたしは白い砂浜の上。


 漁から戻ったわたしは完全グロッキー状態。死んだ魚のような目で浜辺に横たわっています。そんなわたしの傍らにお母さまは膝を突き、心配そうなお顔でわたしを覗き込み、


「アン、よいですか?」

「はい、お母様……」


 わたしは海水でべちゃべちゃになった髪の毛を腕に絡ませ、ふらふらと立ち上がりました。お母さまは口元をむにゃむにゃさせた、とても苦し気なお顔で、


「言い難いのですが、あなたに海守の役目は任せられません」

「はい、お母さま……。今日はわがままを言って申し訳ありませんでした……」


 溢れそうになる涙をこらえ、わたしはギュッと腰巻を握り締めました。


 食事をしっかり摂って、体を鍛えて、いつかは……。


 そんなふうに思っていた時期が、わたしにもありました。そして、今もその思いは変わりません。でも、試されるべきはいつだって今この時なのです。


 石作りを覚えても、六種の石が作れても、わたしに海守の適性は無い。それを一番よく分かってしまったのは、他の誰でもないわたし自身。


 わたしに足りなかったのは体力は勿論、想像力と経験値。


 まず致命的なのが、この世界における普通の人とわたしの、生き物としてのクロックの違い。


 初めて知った海守さんたちの漁は個人技炸裂、協調性皆無なやり方でしたが、やはり集団行動。全てにおいて行動が遅い、時間密度の違うわたしがいては、足並みが揃う筈もありません。


 今日の漁が既にそうでした。今日はわたしの見学のためすぐに引き返してきただけで、普段は更に遠くの海域に足を伸ばすのだとか。疲れたわたしのためにいちいち休憩を取っていたら、時間がいくらあっても足りないのです。


 次に、わたしの想像と現実との違い。


 わたしはこの日のため頭の中の記憶を参照し、お魚を獲る方法を沢山用意してきました。


 気込め石の網による投網漁。水込め石の干渉能力でお魚を生け捕りにする水球作戦。かなめ石があれば、はがねの銛を遠隔操作することだって出来るのです。


 でも、違いました。わたしに何が出来るかではなかったのです。


 シオノーおばあさんはかつてのわたしに対し、『どうしたらいいか分からなかった』と言いました。それはわたしも同じことだったのです。


 わたしはこの世界の普通の人のことを、肉の強い人のことを分かっていませんでした。だから、そもそも他人との連携が頭に無かった。集団にとっての第一を全く考えていなかった。


 海守のお役目は誰かに教わるものではなく、日々の積み重ねで覚えるもの。その共有が無いわたしには最初から理解できない、属せないことだったのです。


 海守さんたちには長い時間培ってきた経験と、それに基づいた流儀があります。わたしがしようとしていたのはそれを踏みにじり、頭の中の記憶から得た知識で漁場を荒らすことに他なりません。


 わたしが反省していると、お母さまはザッと膝を上げ、


「では、アン。あちらで聞きたいことがあるのですが」

「はい、なんでしょう……。お母さま……」


 わたしは失意の中、ゆらゆらとした足取りでお母さまの後に続きました。お母さまはすぐに立ち止まり、わたしたちの進む先、海守さんの作業場を指差し、


「前々から聞こうと思っていたのです。魚ははがねで切らねばならないのですか? 味が落ちますか?」


 わたしは目の前の光景に目から鱗。船酔いが飛んでいきました。


 砂浜に広げた白い敷物の上、海守さんたちが活け締めをしたお魚をバラバラと解体していきます。ですが、その手には刃物がありません。あるのは白い気込め石。


 気込め石は生き物に関する石。命のある対象にはその干渉能力が働かないのですが、一度殺してしまえばそれはただの有機物。お魚を部位毎に切り離すのはそう難しいことではないそうです。


 気込め石は石作りの基本となる石で、誰にでも作れ扱える石。しかも干渉能力ならばどの用途で作った石でも問題なく使える訳で。これならはがね石を使う必要もありませんし、資源的にもずっと無駄のないやり方です。


 わたしはそのやり方に深く感銘を受け、


「いえ、むしろこちらの方が効率的です。それに、刃物でお魚を切るのは難しい技術が必要なので……」

「お嬢様、難しいと言うのは?」


 わたしが超絶感心していると、聞き捨てならないお顔のシオノーおばあさんがひょっこり現れました。海守道五十年、やはりお魚のことでは譲れないプライドがあるのでしょう。


 わたしはお母さまを見上げ、


「お母さま、わたしの作った刃物を起動していただけますか?」

「裏庭であなたが作ったはがね石ですか? 分かりました」


 お母さまが帯に挟んであった灰色の石を取り出し、起動変形。その手に現れる、にび色に輝くひと振りの包丁。


 お母さまは太陽の光に包丁をかざし、その刃を興味深そうに眺め、


「アンの作った得物は不思議な刃をしています。この波文というのはきれいな紋様ですね」


 あれは頭の中の記憶の知識をもとにして作った、わたし自慢の一品。わたしが裏庭で作った千の石たちは島の人に配られ、様々な用途で使われているのです。


 さて、わたしがお母さまに包丁を取り出してもらったのは、これが答えであるからなのです。


 筋肉ひと筋なこの世界の人たちがどうして刃物を作り出したのか、その成り立ちは分かりません。しかし、わたしがゼフィリアで目にした槍の穂先などの刃物には、わたしの頭の中の記憶にあった、あるものが欠けていたのです。


 それは鋭利な刃。


 何故この世界に鋭利な刃が存在しないのか。それは金属という物体を消費しながら維持する技術、研ぐという技術が生まれなかったからなのだと思います。


 おそらく、原因ははがね石の存在。得物の切れ味が鈍ったら、一度石に戻して作り直せばいい。だからこの世界の人は金属で作られた道具、その疲労というものに鈍感なのです。


 道具というものは、人の機能を拡張するための物。力任せに断ち切る、筋肉で引き千切るが基本なこの世界の人間には、思い付けなかった概念なのでしょう。


 わたしはシオノーおばあさんとお母さまに、お刺し身作りにおける刃のメカニズムを伝えました。細胞をなるべく傷つけず、うまあじをそのままに切り身を作り出す、その方法。そのための鋭い刃。


「それを早く言ってくださいよ、お嬢様!」

「なるほど、肉を力ずくで断ち切ると細胞が潰れてしまう。そうしないために鋭い刃を使い、引き切るのですね。極めて合理的です」


 シオノーおばあさんはまたしてもと悔しがり、お母さまはうんうん納得しています。そこで、お二人に説明を終えたわたしは、はっと気付き、


「おおおお母さま! それではわたしの作った刃物はもう使っていただけないのですか!?」

「いえ、使います。この鋭利な刃。これを作り出す思考もこれを扱う技術も重要だと判断しました。きちんと勉強させていただきます」

「ふあー、よかったです……」


 お母さまは海守さんたちが集まっている場所に移動し、その敷物の上に腰を下ろしました。そして手近なお魚を掴み、右手の包丁で作業を始め、


「魚の肉の仕組み、気込め石でその構造を読むことも出来ますが、私は解体して覚えるのが一番だと思います。刃物はそのために使い、慣れたら気込め石に移ればいいのです」


 お母さまが言っているのは、石による感覚拡張機能の延長。その石で組成の近いものの構造を把握する、石でものを読む力のこと。


 気込め石を使っている時は生物に対する情報解析能力が、風込め石を使っている時は大気の予測演算能力が飛躍的に向上するのです。


 石で得た情報を自分の体で得た経験と同期させること、お母さまの言う「覚える」はそういうことなのでしょう。


 わたしはお魚を解体するお母さまを見ていて、ふと感じたことがありました。気になったのはお母さまの右手の甲、そこに浮かぶ気込め石。


「お母さま、その気込め石は何に干渉させているのですか?」

「これですか? これで魚の生臭さを消しているのです。こうした方が肉がおいしいではありませんか」

「それは気込め石で細菌の繁殖を抑えている、ということですか?」

「さいきん?」


 わたしの指摘に、お母さまは包丁片手に首を傾げました。


 魚介類の生臭さというのは魚体に潜んでいる細菌が原因であり、死後細菌が繁殖することによって発生するのです。それはわたしが石で読む限り、この世界のお魚も同じようでした。


「お嬢様、詳しくお願いするよ」


 わたしが考察していると、シオノーおばあさんがまたまたウホッと食い付きました。ゴリラ道五十年、お魚に対する探究心は誰にも負けられないという気概を感じます。


 お魚が死に、肉の免疫機能が低下することにより、細菌の繁殖が進行する。これが腐敗の仕組み。


 お魚の筋肉や内臓、血液には、細菌が繁殖するための成分が含まれています。魚体に潜んでいる細菌がこの成分を栄養源にし、分解しながら繁殖することにより、新たな臭い成分が生成されるのです。


 これがお魚特有の生臭さ、腐敗臭の原因。


 お母さまはこの臭いに気付き、気込め石で細菌の活動を抑制していることになります。おそらく筋……、いえ、本能で。


「菌というと、キノコのような……?」

「レイア様。死んだ肉から感じる、こう、わちゃわちゃ動いているヤツら、あれじゃないですかい?」

「ああ、確かに。今それらの活動を抑えているところです。やはり感覚だけではダメですね。原理を言語化されると意識的な効率がグンと上がります」


 わたしはなるほどと頷くお母さまの隣に座り、


「おそらくですが、お母さまは肉の温度にも干渉しているかと」

「言われてみれば、それも考えていました」


 頭の中の記憶では、魚体を低温に保つことでその臭い成分の増加を遅らせるのが通常の対処法のようでした。


 この臭いの成分は揮発性が高く、水に溶けやすいため、素材を揚げる、焼く、表面を炙る、熱湯で霜降りを行う、などで解決できます。


 そのことをよく理解していなかったお母さまは、「お魚の肉、おいしいままで」という曖昧な思考で気込め石を使い、その効果を発揮させていたのだと思います。


 お母さまのこの石の使い方を見て、わたしは石作りと石の使い方における「強み」を再認識しました。


 その強みとは、曖昧な命令でも機能してしまうこと。


 本人が意識的に言語化していない欲求のような情報を入力しても、石はそれを実現させてしまう。とても命令受容範囲の広い媒体であるということなのです。


 頭の中の記憶の世界では、人の指示通りに自動で働く様々な道具が作られ、使用されていました。しかし、「適当に、いい感じにやっといて」で動く道具を作るのは、とても難しいものであった筈なのです。


 それらに組み込まれるアルゴリズム、行動算出表はとても複雑なもの。わたしたちの石作りは、それとは全く違う体系の技術であると思ったほうがよさそうです。


 わたしはお母さまに向き直り、


「はがね石を使ってのやり方はあくまで教養。気込め石を使う方法を広めたほうがよいかと思われます。それに、えあー、気込め石を使ったものの方がお魚のお味もよく、なる、かと……」


 多分、ですが……。


 わたしがそう伝えると、お母さまとシオノーおばあさんはこれ以上ないほど力強く頷き、


「最優先です。おいしいは重要です」

「そうですね、それが一番ですさね」

「それではさっさと終わらせて食事にしましょう。そうしましょう、すぐしましょう」

「ええ、やっちまいますかい!」


 お母さまとシオノーおばあさんは高速で筋肉開始。作業場の端の方を見れば、既に食事を始めている人がいます。蔵からちゃっかり調味料の瓶を持ってきたりして、獲れたて作りたての海鮮祭です。


 お母さまやシオノーおばあさんが働く間、わたしは何もせずその場に座り、その姿をただ眺めていました。


 頭の中の記憶にはその世界に住む人たちが考え出した様々な知恵がありますが、それが必ずしもわたしたちの生活、生態に適合するとは限りません。


 重要なのは、「この世界の人間にとって手軽であるか」なのです。


 そのことを身を以って知り、わたしが憶えた感情。


 寂しい。


 この世界の人は一度新しい着想を得れば、それを独自の能力で発展させていける。それはつまり、きっかけをもたらしたわたしは、以後必要無くなるということなのです。


 今日この時、今のように。


 わたしの知った現実の海守は、わたしの憧れとは違うものでした。この先を生きても、わたしは絶対海守になれないのでしょう。


 それでもこの世界は、わたしの時間は続いていくのです。


 この世界で、この世界の人々の間でわたしが生きて何になるのか、まだよく分かりません。でももし、わたしが人の役に立てる何かを見付けられたら、その時が来たら……。


 目の前を通り過ぎていく、この島の日常。

 この世界に生きる人間の、当たり前の姿。


 わたしの遠い、憧れの輪。





 読んでいただきありがとうございます!


「いいね! 続きが気になる!」と思った方は、

挿絵(By みてみん)

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凸凹探索者夫婦のまったり引退ファンタジー!
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