113 あなたの散った空の上で(2)
島屋敷の修練場。
広々とした石畳、その中央。
わたしは島屋敷にくるりと向き直り、まず生み出すのはかなめ石と風込め石。風を纏い空中に浮遊し、次いで砂込め石を生成。身の丈ほどの石の立方体を二つ、背中に作成配置。
「ヌイちゃん、テーゼちゃん。こちらに」
「はいな」
「ばい」
飛行能力だけを模倣した陽岩にお二人が飛び乗るのを確認し、二つずつ風込め石を送り、
「纏い用と通信用の風込め石です。纏いはわたしが遠隔で操作します」
管制からの情報を受け取るため、音飛び石と気込め石を作り出したところで、
「姫さん、いけねえ……」
「ソーナお兄さん!」
背後から聞こえたソーナお兄さんの声に驚き、わたしは振り向きました。ソーナお兄さんはふらふらとしたおぼつかない足取りで夕空を見上げ、
「ありゃあ、うちによく来てたタイロンの姉ちゃんだろ……? あんなんなっちまって、かわいそうによ……。軋んだ悲鳴が、ここまで聞こえてきやがる……」
真っ青なお顔で右腕を上げました。そして、
「すまねえな……。俺ぁもう、みんなみてえに優しい風が作れねえんだ……」
ソーナお兄さんの右手の平から感じる、破壊の呼吸。ちぎりの風。
直感。
この世界の男性が、ソーナお兄さんが翔屍体破壊のため、まさか自発的に動くだなんて。やはり、スナおじさまはこれも責務とソーナお兄さんに言い遺していたに違いありません。
でも、
「いけません。ソーナお兄さんは休んでいてください」
ソーナお兄さんの石が生成される前に、わたしははっきりとした、強い声音でその手を制止させました。
「ソーナお兄さんには昼の空に関わる一切を禁じます。他の男衆にも手出し無用と伝えてください。これはわたしたち女性が担うべき役目。わたしたちが夜の海のことでソーナお兄さんを信じているように、ソーナお兄さんもわたしたちのことを信じてください」
「姫さん……」
「それに、あの人はわたしたちの大切な人だから……」
わたしは口の端を上げ、いつも通りに見えるように、
「だから、大丈夫です。ソーナお兄さんは安心して眠っていてください」
笑えている。そんな自信はありません。それでも、今わたしは笑わねばならないのです。
無理に笑うわたしを見上げ、ソーナお兄さんは一瞬きょとんとしてから、くっと噴き出しました。そして、シオノーおばあさんが海老の殻剥きの時によくしていた、ちょっとイジワルな表情で、
「そうだな。ああ、今の姫さんなら楽勝だあ」
いつもの調子を取り戻したソーナお兄さんに、テーゼちゃんとヌイちゃんが、
「大丈夫ばい、ソーナお兄さん! ボクらちゃちゃっと済まして夕食までには必ず戻るったい!」
「ソーナ兄さん。うち試したい料理があってなあ、夕食はうちが作ろ思うんよ。せやから、今日はソーナ兄さんの出番はあらへんねん。あんじょう寝とってや」
「はっは! こりゃ敵わねえや!」
快活に笑うソーナお兄さんに、わたしは今度こそ自然な笑顔で、
「行ってきます、ソーナお兄さん」
「ああ、思いっ切りやってきな」
ソーナお兄さんが修練場の端に戻り、腰を落ち着けたのを見届け、わたしは胸の前で傷跡だらけの両手を構えました。
それから、小さく息を吸って、
「思考速度切り替え、圧縮言語解放。記述呼び出し」
砂込め石を作り、追加で陽岩を四器作製。側面に二器ずつ配置。噴出方向を底面に限定し、内部溶岩流を限界火力に。
「討ち手射出用陽岩二器、段階加速用陽岩四器、起動確認。出力調整、噴出方向火道孔閉じ」
次に、わたしたち全員を纏いで包み込み、外部気流を視覚で確認できるよう、帯の端を伸ばし、耐火仕様に。更にはがね石を作り、周囲の磁束線を脳内で仮想構築。
「纏い形成、風見帯伸長。無重力空間における姿勢制御演算、構築完了。討ち手、お覚悟よろしいですか?」
「よかと」
「よろしおす」
お二人の片膝を立てた構えを把握し、今度は気込め石を生成。音飛び石をバイパスに、固有振動数を読み取り直接文字情報へと変換。最後に水込め石、火込め石を生成。感覚拡張能力を最大限まで広げ、全ての情報をアクティブに。
「最終安全設定解除。最新の指示及び討ち手の情報を確認。離陸時間記録。出発準備よし」
拡大されていく五感。自分を取り巻く環境全てを意識化に置き、現在進行形で測定開始。管制から送られてくる数値を並列思考で随時受信。流れてくるのは翔屍体、わたしたち討伐隊に関するあらゆる情報。
その中で、ふいに見付けたわたしの呼称。
この世界に地獄という概念はありません。それはとにかく酷い場所という意味の、あまり好きではない言葉。それは受け入れがたかった、あの二つ名。
でも、受け入れる。
これはこの世界が、わたしを認めてくれた証明だから。
「秒読み開始。三、二……」
背筋を伸ばし、天を仰いで、
だから、名乗る。
「千獄のアンデュロメイア、出ます」
直後、白い噴煙に包まれる修練場。その煙を突き抜け、空へと飛び立つ飛翔体。側面離陸用の陽岩二器が火を噴き、わたしたちを押し上げていく。
茶色い砂浜と、紫色の海と、無色の風と。高速で過ぎ去っていく周囲の風景。黄昏の空へと昇っていく、わたしたち三人。
かなめ石を原点として陽岩を座標配置固定し、纏いを牽引させる形で飛行する。お二人が座る陽岩二器をバックパックのように背負い、わたしは空より高い宙を向く。
眼前には茜色に染まった雲。迷うことなく、雲海に突入。
視界不良。構わない。管制から送られてくる情報から進路を計算し、突き進む。やがて雲が晴れ、視界に飛び込んできた光景に驚き、
「大きい……!!」
思わず口にしてしまうほどの異容。生まれて初めて見る、翔屍体という現象。
それは遥か高み、静止衛星軌道上に浮かぶ、巨大構造体。
アーティナの大樹よりも大きな、氷の塔。その質量、もはや城。
これがシグドゥに吶喊するためだけに研ぎ澄まされた人の思考、その残滓。物理的な質量を伴った、恨みの形。
翔屍体は無駄なもの。
あんなものをぶつけてもシグドゥは倒せない、シグドゥは殺せない。しかしそれでも、シグドゥに一矢報いるためにはどのような力が無くてはならないか。それを可能な限り実現させたのが、翔屍体という現象。
でも、まさか、翔屍体があんなに大きなものだなんて……。
「いいえ……!」
わたしはかぶりを振り、思考を中断。上空の目標を改めて見据えました。今はまず、あそこまで上がることに集中せねばなりません。
「離陸用陽岩、出力減衰。第一段階切り離し。第二段階に切り替え、大気圏突破用陽岩、最大噴射」
底面から赤い炎を噴出させる、二器の推進用陽岩。役目を終えて切り離され、雲海に落ちる前に消失していく、二つの立方体。
纏いの表面に走る、真っ赤な摩擦熱。纏いの外、どんどん薄くなっていく風の、空気の情報。
「大気圏外では音飛び石の機能断絶が予想されます。通信回復まで任意で攻撃を行ってください」
『合点ッ!』
『承知や!』
やがて水平線が見切れ、視界が一色に埋められていく。ただ暗黒だけが広がる、深海に似た死の世界へ。
いいえ、ここは死すら存在しない。星の光だけが瞬く、虚無の空。
周囲の大気情報は既に消失。わたしは火込め石の環境干渉能力で宇宙線に働きかけ、纏いの中に照射される放射線の密度を調整。
暗闇に開いた穴のように、遠く輝く白い太陽。陽の光を反射し、昏い宙にそびえて浮かぶ白い巨槍。
近付けば近づくほど分かる、視界に収まりきらないほど巨大な物体。
翔屍体はもう目前。
つまりは、今。
「討伐隊、これより戦闘開始! 討ち手、射出します!」
背部、二人の乗る陽岩二器の火道噴出面を解放。わたしを追い越し、白煙の軌跡を描き先行する、二つの陽岩。
はがね石の引力操作をガイドラインに、進路微調整。推力に問題無し。最大動圧も予測範囲内。纏いは完璧に機能。減圧などの調整は必要無し。お二人は第一宇宙速度に無事到達。同時に、わたしの側面に残る二器の陽岩も減衰消滅。
これで、わたしはこの身ひとつ。
討ち手を乗せた陽岩もその力を出し切り、黒い宙に溶けていく。風だけを推進力に、翔屍体の装甲面に生身で迫る、ヌイちゃんとテーゼちゃん。そしてヌイちゃんの纏いを突き破り、緑色の刃が伸長し、
『挨拶代わりや……!』
そう、アイサツは大事。
ですよね、フェンツァイさん。
音飛び石からの通信を最後に、ヌイちゃんが加速、接敵。その斬撃で深い溝を作る氷の装甲。音も無くきらきらと散っていく、真っ白な破片。
次いで、テーゼちゃんが纏いの外に二つの陽岩を構築、変形。出現したのは熱をはらむ二対の岩甲。歪なマニピュレーターを拳の形に、テーゼちゃんも突進、爆熱打撃。氷の表面に生まれる、クレーターのような破壊痕。
お二人は休む間もなく転身、再突撃。氷の装甲面を削りに削っていく、斬撃と打撃。しかし、足りない。この世界の人間の筋肉と石作りの技をもってしても、その装甲は未だ大健在。
では、どうすべきか。
わたしは寸刻、瞼を閉じて、
「タイロンが島主、シェンスンさまの娘。今は亡きフェンツァイさまへ……。わたしは千風のヘクティナレイアの娘にしてゼフィリアの島主、アンデュロメイア」
蒼星を背後に傷跡だらけの両手を構え、はがね石を生成。
そして、瞳を開き、
「初手にて全力、仕らせていただきます」




