Name on you.
携帯のバイブレーションがテーブルを叩き、ブルッと耳障りな音を立てる。
『件名:あさちゃん元気?』
今日も母からのメールが届いた。テーブルを隔てた向かい側の椅子に座っている夫が
「また?」
と吹き出した。
我が家では定例の行事となってしまった母からのメール。わざわざ開いて本文を読まなくても書いてある事がわかるようになったから、いちいち目を通さないし返信もしない。
そんなことより、私と夫には済ませなければならない使命があるからだ。出生届の期限が明日までとなっている我が子の命名。それこそが私達に課せられた一世一代の大仕事だ。
人間を名付けるというのは難しい。その子の一生が名前によって決まると言っては過言ではないだろう。
日本では名前を漢字で書く風潮がある。なので、憶えやすいように簡単な漢字を使った方が子供は楽かもしれない。何画からがセーフだろうか。などと話し合っていた時だった。
夫がハッとした顔で、
「いくら僕達が日本で一生を終えそうだからといって、我が子までそうとは考え難いんじゃないかな。」
と提言してきた。なるほど、確かにその可能性も考えた上で名付けてあげたい。
夫曰く、雄大という知り合いが異国の地に旅行した時、クラブで意気投合した現地人への自己紹介で
「ユーダイ(くたばれ!)」
とやってしまい、ひっぱたかれたらしい。
「名は体を表すというけど、死ぬのは雄大だったかもね」
と夫はオチを付けたが、それが我が子にも起こりうると思うと笑えなかった。
結局、いい候補が決まらないまま時間だけが過ぎていく。換気のため開けてある窓からは鬱屈した空気が出て行ってくれない。もしかしたら私の考えとは逆にいい空気を排気しているのかもしれない。
夫が今日何杯目かわからないコーヒーを注いでいる時、私の携帯がまたブルッと震えた。今度は何だと液晶を見る。
『件名:母の日には絶対に喜ばれる贈り物を!』
こんなの誰が見るんだろう、と届くたびに思うセールスメールの通知。こんな類のメールを放置すると私の受信ボックスに溢れかえると思うと腹が立つ。今しがた届いたセールスメールを消去しよう。
「母の日か…」
母が私を名付けた時はどうだったんだろう。
私から連絡するのは気恥ずかしかったが、口実ができた今なら多少気が楽だ。それに私の名前にどんな意味が込められているのかを聞いてみたい。
しばらく会っていない母を訪ねるみたいにアドレス帳から母の電話番号を探す。
母子家庭に生まれた私はわがままな性格で、出来のいい娘とは言えない。中学、高校では部活動の類を頑なに避けてきた。自由な時間が欲しかったからだ。空いた時間で勉強するでもバイトするでもなく過ごした。特に目的もないまま周りに流されて進学する事にしたが、一次志望に行けなくて訳の分からない大学に入るハメになった。仕事も転々としたあげく、母から逃げるように上京した。
何度もくじけそうになったが、いつも母が側にいてくれたから今があるのだと感謝している。
昔の母も今の私達くらい悩んだのだろうか。
私の名前は騎士王と書いてアーサーと読む。今日、私の名前にどんな思いを込められているのか聞いてみよう。
まだ繋がっていない電話は音楽を奏で続けている。
実際にこんなことになってたら面白いな、と思って書きました。我が子に「悪魔」みたいな名前をつけようとした人が一昔前には晒しものにされてましたよね。私の知り合いには「龍騎」という兄弟を持つ人がいますが、本人の考え方によっては悪魔と同等の戦闘力だと思います。
今後、世間で名付けの風潮が急に変わって「太郎」や「信雄」みたいな名前が多数派なのに1人だけ「業」、みたいな人がいたら面白いですよね。NHKが特集組みそう。