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ストーカーと殺人鬼 時々、銀の狐。

TAKE5



「・・・まあ、立ち話もなんだからお茶でもどうかな」

 死体の山の中に佇む『その人』は、呆然と立ち尽くすシスルに向かって柔和な笑顔でそう言った。

 柔らかく微笑む『その人』の頬からは今も生暖かい真紅の液体が滴っている。まるで時が止まったようだ。今すぐ踵を返してここから立ち去るべきだと本能が告げているのだが、同時に逃げきれないという予感が、確信をもって迫りくる。

進退窮まったシスルが身動きできずにいる様を見て、『その人』は不思議そうに首を傾げる。

「あれ? 聞こえなかったのかな。それともお茶よりお酒がいいかな」

 そういうと、ゆっくりと右手を差し出した。

 ――――――あの手は、死神の手だ。

 そう、理解しているのに――――――シスルの脚は。シスルの身体は。

 ふらり、とその手に向かって一歩、踏み出していた。

 そんなシスルに対して、『彼』は笑顔を紡ぎだす――――――その笑顔を。

シスルは美しい――――――と。

そう感じてしまったのだ。――――――そう。

こんな状況だというのに、シスルはそれに見惚れてしまっていた――――――

気が付けばシスルは自ら身を預けてしまっていた。

「君はいい子だね。頭がいい子は好きだよ」

 そういって、にこりと微笑む――――――紅い死神に向かって。





『そのこと』にシスルが気づいてしまったのは、不幸な偶然でも運命の悪戯でもない。一言でいうなら、己の振る舞いが招いた災厄だと言える。

 何故なら――――――その時シスルは。

 『その人』のストーカーをしていたのだから。




 シスルがイースト・エデンに赴任してきたのに、特別な理由はない。

 ジニアのように上司に睨まれて左遷されてきたわけでもないし、ましてやキリのように自ら希望を出して赴いたわけでもない。

 単に警官隊学校の卒業成績が芳しくなかったからである。

 警官隊の初任先は警官隊学校の卒業成績順に振り分けられる。成績優秀者からセントラル、ノース、ウエスト、サウスと順に配属され、成績下位者の掃き溜めとなるのがイースト・エデンだ。

 シスルは元々イースト・エデンの出身だ。貧しい家庭に育った彼は、生活の為に警官隊学校に入学した。警官隊は庶民が就ける職の中では最高位の地位であり、給金もよい。

 卒業試験では、457人中423番だった。筆記試験の成績は悪くなかったのが、体力測定値が低かったのが総合成績の足を引っ張った。試験の結果に基づいて、イーストエデン行きが告げられたが、シスルはそこまで失望しなかった。どうせ、古巣に戻るだけのことだ。

 庶民階級のままイーストエデンに残っていても、まともな暮らしは望めない。ならば、同じイーストで暮らすにしても、警官隊という身分が手に入った方が何かと便利というものだ。

それに、既にイーストエデンの過酷な暮らしをしっていたシスルは、生き残る術もよく知っていた。それが幸いしてか、一緒に赴任してきた新人たちが次々に殉職していく中で、シスルは生き残った。目立った功績を上げることもできなかったが、新人の殉職率が七割といわれるイーストエデンで長年生き残ることは、それだけで勲章と言えただろう。

シスルは特に出世を望むわけでもなく、淡々と日々を紡いでいた。幸福な暮らしなど必要ない。平凡な一生が送れればそれでいい――――――そう思っていた。

――――――シスルがイーストエデンに赴任してから四年目。

人事異動により、一人の上官が赴任してきた。

自分より年若いが、既に参事官の地位を持つその女性は、隣のサウスから転任してきた。恐らく、サウスではそれ以上高い地位に就けないための人事だろう。

――――――綺麗なひとだった。

 やわらかそうな胡桃色の髪に、紅玉色の眸を持つ彼女は、整った顔に柔らかそうな笑みを浮かべていた。

 その右目には何故か無骨な黒皮の眼帯が嵌められていたが、そんなものなど気にならない程――――――彼女は美しかった。

思わず目を奪われて立ち尽くすシスルに向かって、彼女はふわりと笑うと片手を差し出した。

「よろしく」

 それが、現イーストエデン警官隊長官、ロサ・ハイドランジアとの出逢いだった。




 それからのシスルの生活は、薔薇色だった。

 今まで、「生きること」だけが彼の目的だった。少しでも長く、一分一秒でも長く、この生を延ばすこと。それだけを考えて、日々を送っていたシスルに、目的が生まれた。

 明日も生きて――――――ロサ・ハイドランジアに会うこと。

 今日を生き延びれば、また彼女に会える。

 明日も生き延びれば、彼女の顔を見ることができる。

 明後日も生き延びれば、言葉を交わすことができるかもしれない。

 それはまるで、恋のようだった。

 一日生き延びることができれば、一日長くロサに会うことができる。

 それはシスルにとっての生きる目標となり、生きていく上での喜びとなった。

 ――――――始めは、見ているだけで満足だった。

 だが、次第にそれだけでは物足りなく感じるようになった。自分をこんなにも魅了し、笑顔だけで喜びを与えてくれるロサという人物を、もっと詳しく知りたいと思うようになったのだ。

 シスルは、密かにロサのことを調べ始めた。

 彼女が好きな食べ物。彼女が好きな色。彼女が好きな季節。彼女が好きな音楽。彼女が好きな作家。彼女が好きな場所。彼女が好きな時間。彼女が――――――

彼女が嫌いな食べ物。彼女が嫌いな色。彼女が嫌いな季節。彼女が嫌いな音楽。彼女が嫌いな作家。彼女が嫌いな場所。彼女が嫌いな時間。彼女が――――――

 ロサのことを知るたびに、シスルの心は幸福感に満たされた。

 しかし、ロサは用心深いひとだった。

誰でも知っているような当たり障りのない事実ならば直ぐに調べることができるのだが、彼女の内面に触れるような秘密を探ることはできなかった。

 たとえば、彼女の過去。

 たとえば、彼女の交友関係。

 たとえば――――――彼女のプライベート。

 シスルは何度か業務を終えて帰宅するロサの後をつけようと試みたが、それらはすべて失敗に終わっている。意図的にそうしているのか、気づくと姿を見失ってしまうのだ。

 ――――――だから。

 だから今日、こうしてロサの後姿を追えているということは奇跡にも近い事なのだった。

 目深にフード付きのパーカーを羽織っており、顔もよく見えないが――――――ロサを見間違うはずがない。シスルは、帰宅するロサの後を追った。

 ロサが定時で帰宅することは珍しい。後輩から偶然情報を得ていなかったならば、気づかなかっただろう。ロサが早帰りをして、わざわざ制服から着替えてまで向かう用事が何なのか、その言動がシスルの好奇心を刺激していた。

ロサは警察寮に部屋を持っていないので、警察領地の外に個人で家を借り上げているはずだ。筈――――――というのは、警察に届けている住所=ロサの住まいというわけではないようなのだ。確かに公式に登録されている住所にロサの家はあるのだが、シスルがこっそりと家を訪れても不在のことが多く、どうやら彼女は複数の住居を所持していると思われた。

 ――――――そのうちの一つが。

 もしかしたら今日、明らかになるかもしれないとあって、シスルの心は弾んでいた。ロサが実際に暮らしている住居を探し当てることができれば、より深く彼女について知ることができるかもしれない。

 彼女が寝食を行う部屋や、生活ゴミを調べれば、よりロサについての見識を深めることができるだろう――――――そんな興奮を押し隠しながら、シスルは慎重にロサの後を追った。

 ロサの勘は鋭い。誰かが後をつけていると気づくとまいてしまうのだろう。恐らく今までのシスルもまかれてしまっているのだ。

 だが、今日のロサはいつもより気がそぞろで、集中力に欠けているような――――――そんな印象を受けた。人気のない裏路地を選んで、行きあたる人に何やら声を掛けているようだ。

 制服を脱いでいるにも関わらず、見るからに危なそうな人間に何度も話しかけている。ロサの見た目は温和そうな美女だ。いつもは制服がバリゲート代わりとなっているが、ひとたびそれを脱いでしまえば非常に絡まれやすそうに見える。まずいのではないか――――――シスルがそう思った時だ。

「ぎゃ・・・ッ」

 裏路地に悲鳴が上がった。

(――――――長官!)

 シスルは思わず隠れていた裏路地から走り出ていた。冷静に考えれば、ロサにどうにもできない相手が、シスルにどうにかできるはずはないのだが――――――無我夢中だったのだ。

 だが、シスルは直ぐに気づいた――――――己の犯した、過ちに。

 確かに悲鳴は上がった。

 それも一人のものではなく――――――複数の。

 それにシスルが気づいたときは、既に遅かった。

 それは次々と連鎖反応を起こすように、次々と上がった悲鳴はやがてふつりと消えた。

それは、悲鳴の生産者がもういないということを意味していた。

 ――――――何故なら。

 その場にいた、生きとし生けるもの全ては、赤い肉塊となって沈黙していたからだ。

「はは、ははははは! あはははは!」

 既にこと切れている遺体に馬乗りになって、何度も何度も執拗にナイフを振り下ろす。振り下ろし、切り裂き――――――抉る。

 血が、内臓が、肉片が飛び散り――――――辺りを赤黒く汚していく。

 柔らかな胡桃色の髪がぬるりとした血液で赤く染められても、意にも留めない。

 幼児がクレヨンで壁に落書きをするかのように――――――楽しそうに何度も何度も。ぐちゃぐちゃと、死体を切り刻む。

 ――――――その死体に、見覚えがある。

 見る影もなく切り刻まれた、グチャグチャの肉塊と化した死体の山。

 それは、幾度となく目にしてきた殺人鬼のやり方によく似ていた――――――殺人鬼。

 ――――――『ナイト・ザ・リッパー』の犯行に。

 シスルは後悔した。

 思わず、自分が走り出てきてしまったことを。

 直ぐに逃げ出すべきだったのかもしれないが、目の前の出来事に脳の処理が追いつかない。シスルの両脚は沈黙したまま微動だにしてくれなかった。

 やがて――――――『その人』がシスルの存在に気付いた。

「あれぇ・・・? シスルじゃないか」

 そのゆったりとした声音に、シスルは悟る。

 ――――――今日、自分は死ぬのだと。

「こんなところで何してるの?」

 そういって振り返った顔は、いつものように柔らかそうな笑みを浮かべていた。




 ――――――目を醒ました時に見たのは天井だった。

 見覚えのない、打ちっぱなしの白い天井。その白さをしばらくぼんやりと堪能していると、視界に人影が入ってくる。

「やあ、おはよう」

 そういってにこりと微笑むロサの笑顔に――――――シスルは自分の置かれている状況を思い出した。自分はどうやら、ベッドに仰向けに寝かされているようだ。両の手首と手足に違和感を感じるのは、皮のベルトで拘束されているためらしい。らしい――――――というのは、現在のシスルは首を動かすのがやっとで、現状を視認することができないためだ。

 ロサはシスルの顔を覗き込むと、柔和な笑顔で微笑んだ。

「大丈夫かい? ちょっとした薬を嗅がせてしまったんだけど・・・具合は悪くないかな」

 あの後。

 血だまりの中でお茶に誘うロサの手をとった後――――――シスルは顔面に何やらスプレーのようなものを吹き付けられた。その香りを嗅いだことにより、急速に意識が混濁していったのを覚えている。毒かと思ったが、恐らく睡眠導入剤のようなものだったのだろう。頭がまだ重く感じるが、それ以外に体に不具合は感じない。

 ――――――しかし。

 今こうして生きていることが幸運だとは思えなかった。

 ちらりと伺い見たロサの手には大型のナイフが握られている。

 シスルは、ロサの裏の顔を見てしまった。恐らく、生きては戻れないだろう。

 そのことを覚悟しながら、シスルはロサを仰ぎ見た。

ロサは血まみれだった服を着替えていた。シャワーも浴びたのだろう、石鹸の香りが鼻梁をくすぐり、こんな状況だというのにシスルはくらくらした。

「・・・僕はどれくらい寝ていたんでしょうか」

緊張感に欠ける己を叱咤し、慎重に口を開く。シスルの生殺与奪はロサに握られているのだ。迂闊なことを口にすれば、一秒後には手の中のナイフが振り下ろされてくるかもしれない。ロサの部屋着に感動している場合ではない・・・7しかし、薄いピンクのリボンのついたロンTの何と可愛らしいことか。

死は覚悟した。だが、折角ロサの内面に触れることができたのだ――――――この時間を少しでも長く引き伸ばしたかった。

「ほんの三時間くらいかな? 少し薬を嗅がせすぎたかもしれないね。・・・さて、これから君に大事な質問があるんだけどいいかな」

「何でしょうか」

 ロサはにこりと柔らかく笑うと、手に持っていたナイフをシスルの腿へと突き立てた。

「――――――っ・・・」

 焼けるような痛みが傷口を通して全身を駆けあがり、シスルの脳内を痛覚が支配する。

 そんなシスルの反応は歯牙にもかけず――――――更に傷口を刃でぐりぐりと抉りながら、にこにことロサは尋ねる。

「『蒼き狼』の名を騙って殺人を犯していたのは君かな?」

 ナイフが差し込まれている腿から脳髄にかけて、痛覚が蛇のように駆け上がる。その感覚をどうにか堪えながら、シスルはやっとのことで声を絞り出した。

「――――――・・・違います・・・っ」

「だよね。だと思った」

 息も絶え絶えのシスルの返答に、あっさりと応じるロサ。

 その余りの淡白さに、シスルが顔をあげようとすると――――――さらり、と。

 ロサの細い指がシスルの髪に触れた。その優美な仕草に、シスルは瞬間だけ痛みを忘れ――――――ときめきすら覚えた。

 だがそんなときめきもつかの間。ロサが抓んだ髪の毛を力任せに引き抜くまでの話だった。

「痛っ・・・!」

「おやおや、ナイフで腿を刺されるのに比べれば大した痛みではないと思うけれど。それでも痛いものは痛いんだねえ」

 くすくすと笑いながら、今しがた引き抜いたばかりのシスルの髪の毛を、はらはらと床に投げ捨てる。

「君が失神してる間に調べたんだけどね。犯行現場でカンナさんが押収した犯人のものと思しき髪の毛は君の髪ではない――――――特徴が一致しないんだよね」

 ロサはそういって首を竦める。

 その言葉に、シスルはあの場で自分が殺されなかった理由を悟った。ロサは『蒼き狼』の殺しを贋物ではないかと怪しんでいた。シスルのことも犯人候補として怪しんでいたのだろう。

「髪の色も君よりもっとくすんだ濃い灰色のようだし、質も君より悪い。恐らく、ロクな食生活をしていないんじゃないかな。・・・ということで、君は恐らく偽の『蒼き狼』ではないんだろうね――――――さて」

 そういうと、ロサは乱暴に腿からナイフを引き抜いた。返り血がびしゃりと頬に飛んで、ロサの端麗な顔を残酷に彩る。

「キリ君の言ってた灰色の髪。あれはシスルも見たのかい?」

 ロサはくるりと振りかぶると、何事もなかったように話しかけてくる。その口調は仕事中と何ら遜色のない冷静さだ。

「・・・はい、僕が見たところでは、銀髪のようにも白髪のようにも見えましたけど」

 シスルの返事に、ロサは満足げに頷いた。

「それを犯人のものだとするなら、一連の殺人事件は『蒼き狼』の犯行ではなんだよ」

「・・・何故、そう断言できるんです?」

 やけに自信たっぷりなロサの言葉に、シスルは純粋な疑問をぶつけた。

「『蒼き狼』の髪色はその名が示す通りの美しい蒼だからさ――――――そんな暖炉の灰に紛れてしまいそうなみすぼらしい色彩ではない」

「まるで見てきたような台詞ですね」

「そりゃ見てきたもの。友達だよ。最近会えてないけど」

「・・・・そうですか」

 さらりとした告白にシスルは生半可ではない衝撃を受けた。警官隊の長官がイーストエデンでも指折りの殺人犯で、更にその友人が大怪盗。その関係性にシスルは少しばかり頭痛を覚えた。道理でロサが『蒼き狼』の捕縛に積極的でない筈だ。

 言われてみれば、元からロサは『蒼き狼』に対して好意的な言動が多かった――――――『蒼き狼』のファンは警官隊にも少なからず存在するため、気にも留めていなかったが。

「そもそも、僕は『蒼き狼』が犯人だなんて最初から思ってなかったけどね。彼はそんなことをする男ではないよ。第一、彼はコロシは絶対にしないからね」

「絶対に、ですか」

「絶対に、だよ」

 力強く断言すると、ロサは少しだけ遠い目をした。

「・・・彼は人の命の大切さをよく知っている男だからね」

 その反応に引っかかるものを感じたシスルだったが、それを尋ねる前にロサは話題を転換してしまっていた。

「――――――ところでシスル。灰色、白髪、銀髪の怪盗と聞いて君なら誰を思い出す?」

「そうですね――――――真っ先に思い出すのはやはり、『シルバーフォックス』」

「素晴らしい、僕と意見が一致している。めでたいね。ご褒美に腿にナイフを刺してあげようか」

「申し訳ありませんが既に刺されています」

「そう? まだ左が残っていると思うのだけど。まあ本題に戻るけれど、僕もそれが一番先に思い浮かんだよ」

 『シルバーフォックス』。

 数年前にウエストヘブンを騒がせた大怪盗。

 『蒼き狼』とは違うのは、彼は義賊ではなかったという点と、目的の為ならば殺人をも厭わなかったという点だ。被害総額は数百億にも上るといわれる彼は、必ず犯行の前に予告状を警官隊へと送り付け、警官隊と毎回派手に激突を繰り返していた。その際に出た被害者は三桁を超える――――――悪評高い怪盗だった。

 特徴とされていたのは銀の髪――――――『シルバーフォックス』は、長く伸ばして一つに束ねたそれが、まるで狐の尾のようにみえることからついたあだ名だ。

 Sランク賞金首に名を連ねていたが、ある時からふっつりと姿を見せなくなった。その後、誰からもどこからも彼の名を聞かれないことから、死亡説が濃厚なものとされている。だが、確実に死亡が確認されたわけではないのだから、実は生きていたとしても不思議ではないだろう。

「しかし、真犯人が『シルバーフォックス』だとして――――――どうして彼は『蒼き狼』の振りをして犯罪を犯しているのでしょう」

「さあ? 単に罪を擦り付けたいだけかもしれないよ。折角死亡説が流れているならば、自身はこのままは死んだことにしておきたいのかもしれない」

 『シルバーフォックス』はS級犯罪者だ。捕縛されれば死罪は免れないだろう。罪状の積み重なった『シルバーフォックス』の名は死んだモノとしておいて、今後重ねる犯罪は他者にかぶってもらう。成程、理に適っている。

一見筋が通っているものに見えるロサの説だったが――――――シスルはどことなく違和感を覚えた。

「なんとなく釈然としませんね」

 思わず口を突いて出た感想に、ロサはにやりと口角をあげて笑う。

「ほう、なかなかいい勘してるね。頭のいい子は嫌いじゃないよ」

「ありがとうございます」

「まあ、君みたいに半端に頭がいい奴は早死にしやすいんだけどね。余計なことに気付きすぎるから」

「ありがとうございます」

「・・・今のは褒めてないかな。まあいいや君の感じた違和感をいってごらんよ」

「はい。それだと、『シルバーフォックス』の行動原理に合わないような気がして」

 『シルバーフォックス』は愉快犯だ。

犯行前にわざわざ予告状を送り付けてきたり、自らの姿を隠すこともなく衆目に晒したり、犯行そのものを楽しんでいる節がある。彼にとって、犯罪行為はパフォーマンスなのである。

その彼が、『蒼き狼』の名に隠れて犯罪を行い、その罪を『蒼き狼』にかぶせようとしている。それらは今までの『シルバーフォックス』らしくない。

「僕もそう思うよ。目立つの大好きなあの怪盗が、わざわざ自分の名を隠す理由はきっと他にもあると思う」

「・・・考えられるのは、私怨ですかね」

 『シルバーフォックス』が自分の名を隠して殺人を行う理由――――――それは、『蒼き狼』に対する私怨だとしたら。

 『蒼き狼』の名を騙り、殺人を犯すことで義賊としてある種の名声を得ている怪盗の名を穢し、貶めること自体が目的だとしたら。

「そうだね、理由はわからないけど『シルバーフォックス』君は『蒼き狼』のことが嫌いなんだろう。だから『蒼き狼』の株を下げようとして、彼の名を騙って殺人を行っている・・・そう僕も考えている」

 そこまで語ってから、ロサは肩を竦める。

「まあ、正直理由はどうでもいいけどね。僕がやりたいのは『シルバーフォックス』君を引きずり出して――――――」

「まだ『シルバーフォックス』が犯人だと決まったわけではないですけど」

「・・・・『シルバーフォックス』君(仮)を引きずり出して断罪することだ。そのための手は一応打ってある」

「手・・・ですか」

 首を傾げるシスルに、ロサはウインクをして見せた。

「僕はそこそこ多忙な身でね。自由に動けない分は優秀な後輩に動いてもらうことにするよ――――――さて、」

 そういって、ロサはシスルの顔を覗き込む。いつも通りの柔和な表情で、手の中のナイフを弄びながら――――――

「・・・君がひょっとして偽『蒼き狼』ではないかと思って、あの場では殺さずに連れ帰ってみたけれど。そうではないとわかった以上、用はないんだよね」

 ――――――そう、呟いた。




 ――――――その言葉に、エンジュはびくりと肩を震わせる。いつもは万華鏡のようにころころと変わる、明るい表情は見る影もない。

 キリは、そのいつもと違うエンジュの様子に、胸がざわつくのを感じた。

 エンジュの様子が気がかりで、横目で伺い見ていると――――――前方から不快な笑い声が響いた。黒板をガラスで引っ掻き回すみたいだ、と感じたのはキリの心がささくれ立っているせいだろう。

「そっちのイケメン君、エンジュのお友達か? エンジュ・・・いい奴だよなぁ。俺も奴隷商人のとことか、そのあと買われた金持ちの家で随分世話になったぜ」

「・・・別に、アンタの身の上話とか聞いてないッスけど」

 どうせならエンジュの口から聞きたい。こんな男の口からでてくるのは歪曲された事実に決まっている――――――そう思ってエンジュに視線を送るが、エンジュは石になったかのように動かない。

「まあ、そういうなよ。俺たちは同じ奴隷商人のトコからある貴族の金持ちに買われてな。そこで武闘訓練なんか受けさせられてたわけなんだけどよ。五十人くらいは一緒だったかな。エンジュも、エンジュの妹も一緒だった」

「・・・・・・・」

 こんな男の話など聞きたくはない。だが、エンジュの過去に興味がないかと問われれば嘘になる。そのため、キリは男の口上を止めそこなってしまった。

「エンジュには色々と世話になったぜえ・・・訓練がキツくて野垂れ死にそうな時に助けてもらったりとか、懲罰で飯抜きにされてる時にパンわけてくれたりとかよ――――――ほんといい奴だったぜ」

 当時を懐かしむかのように語っていた男・・・アザミは、突然表情を憎々しげな色に染め上げ――――――エンジュに指を突きつけた。

「って思ってたぜ? コイツに殺されるまでは」

 思わずその動作に釣られてエンジュの方を見るが――――――やはりエンジュは動かない。

「まあ、こうして実際は生きてるワケだからよ、殺されかけるまで――――――てのが正解かな?」

 肩を竦めたアザミは、エンジュが何も言わないことにいい気になったのか、更に舌を動かし続ける。

「俺たちを買った金持ちは変態でな。俺たちはそれから一年くらい戦闘訓練を受けさせられた。訓練が終わったら、門番とか私兵として使われるのかな、とか。そんな風に思ってた――――――あの日まではな」

 一年経ったある日――――――五十人は一つの部屋に集められた。広さは体育館ほどもあっただろうか。部屋に入る際に、ナイフを一つだけ渡された。

『――――――皆さんにこれからお知らせがあります』

 何事だろうかと訝る子供たちに、頭上から声が響いてきた。部屋にはスピーカーが設置されており、声はそこから響いているようだった。よく見れば、カメラのようなものも部屋のそこここにセッティングされている。

 恐怖、動揺、困惑――――――

様々な感情が綯い交ぜになった彼らの鼓膜を、絶望が強かに殴打した。

『これから殺し合いをしてください』

 ――――――耳を疑う、その言葉は。

 ざわめく哀れな子羊たちに、まるでニュースを読み上げるかのように淡々と、必要事項だけを告げた。

『最後の一人になるまで、殺し合いをしてください』

『残った最後の一人だけここから出してあげましょう』

『生き残りが最後の一人になるまで――――――ここからは出られません』




「・・・ひでぇ話だろ? 一年以上も共に研鑚し、同じ釜の飯を食った仲間を殺せって――――――しかも、それを別室で眺めて楽しんでやがったんだよ。戦闘訓練を受けさせてたのも、その方が盛り上がるからってだけの理由だった・・・ホントにひでぇ話だ」

 当時のことを思い出したのか、アザミは腹ただしそうに顔を歪めた。だが、どうやらその怒りはただ一人に向けての物だったらしい――――――恨みを込めた瞳でエンジュを睨み据える。

「でも、一番ひでぇのはこいつだ」

 そして、まるで断罪するかのようにエンジュに指をつきつけた。

「こいつは、その命令に従って自分の妹を含む俺たち全員を皆殺しにしたんだからな!」

 その言葉に、思わずキリは目を見開いた。

「いい奴ぶったって、所詮はそういうやつなんだよ。自分が助かりたいが為に仲間だけでなく――――――実の妹まで殺したんだ」

エンジュへと視線を送るが、相変わらず彼は何も言わない。ただ、その態度こそがアザミの言葉を肯定しているように思えた。

「それが――――――俺たちを殺して生き延びた汚ぇ野郎が! 義賊さまとして市民に奉られてやがる! ヒーロー気取りで調子に乗って、いい気になってやがる! 『蒼き狼』なんて名乗ってよぉ」

 アザミはあたかも自らが悲劇のヒーローであるかのように熱弁し続けている。。エンジュが一言も言い返さないのをいい事に、キリに向かっても同意を求めるように語りかけてきた。

「許せるわけねぇだろうが! なあ、そう思うだろう? 綺麗な兄ちゃん」

 自分の行動は正義だ。当然の権利を行使しているだけだ――――――そう、アザミは自信たっぷりに言い切った。自分には、復讐する権利があるのだと。

 アザミの熱弁を聞き終えたキリは、静かに口を開いた。

「・・・だから『蒼き狼』の名を騙って、殺人を犯してたんスか」

「そうだ! コイツが義賊として市民に崇められてるのが我慢できなかったんだよ! こんな奴、英雄呼ばわりされる資格なんてねえんだ。だからよ、みんな騙されてるって教えてやったんだ。こいつの本性を暴いてやったんだよ! コイツが仲間や家族まで殺すような屑野郎だってことをな! これは――――――復讐なんだ!」

 声高らかにそう宣言したアザミの言葉に――――――キリはボソリと呟いた。

「・・・くだらないっスね」

「何・・・だと?」

 今まで勝ち誇ったような顔で、流暢に喋っていたアザミの顔が歪む。

「くだらない・・・だと? 俺のこの恨みが! 復讐が! ・・・くだらねえとぬかしやがるのか、てめぇは」

 怒りで赤黒く染まった顔で、キリを睨みつけ――――――地獄の底を這いずるような声音で問う。

――――――その言葉に。

「うん、くだらないっスね」

 サラリと、キリは言い切った。

 心底つまらなそうな顔で、がりがりと頭をかきむしると、盛大なため息を吐いた。

「そもそも恨むならエンジュじゃなくて、そのくだらないゲームをセッティングした金持ちじゃねえすか? 何でそっちには何もしないわけ?」

「・・・それは、」

 もっともすぎるキリの言葉に、アザミは反論できない。

「――――――当ててあげようか?」

 そんなアザミに、キリは意地悪く――――――笑う。

「ああいう貴族とか金持ちに手を出すのは怖いから、手を出しても復讐が成功するとは思えないから。だから安易なストレスの発散口を見つけたくて、アンタはエンジュに嫌がらせをしてるんだ」

 正鵠をつかれたアザミの怒りは、即座に沸点に達したようだ。泡を飛ばしながら、顔を真っ赤にしてキリを怒鳴りつける。

「嫌がらせだと!? そんなんじゃねえ! 俺は・・・こいつに殺されかけたんだぞ。恨む理由がある!」

「だとしても、エンジュだけを恨むのは筋違いじゃねえスか? どうせなら元凶に仕返しすればいいのに。大元を絶たないで復讐を謳うとか・・・やっぱり、アンタのやってることはただの八つ当たりだよ」

「てめェ――――――黙って聞いてりゃ!」

 限界突破。

 あっという間に頭に血の上ったアザミは、キリに掴みかかろうとした――――――

「・・・・・!?」

 だが――――――そこで。

 アザミは異変に気付く。

 目の前で自分と相対している男は、表情を動かすこともなく、声を張り上げたりもせず、感情を一切揺さぶられている様子など見せない。だが――――――

「・・・・・あ、」

 声をあげたのはエンジュだった。

 彼は目の前で繰り広げられる舌戦に対して、言葉を挟むことも出来ず、ただただ言葉が飛び交うのを見守っていた。その――――――景色に。

 違和感を――――――覚えたのだ。

 違和感の正体――――――それは。

 キリの容貌――――――キリの姿。

 それが、徐々に変化している。

「――――――大体、虎の威を借りなきゃ復讐もできないような輩に、正義なんて認めねぇスよ、俺は」

 キリの、まるで満月を写し取ったかのような目映い金の髪。

その――――――色彩が。

 音もなく――――――抜け落ちていく。

 まるで波が引くかのように、頭頂部から黄金色の色素が薄れていく。

「・・・・そういえば、アンタの名前なんていったっけ・・・『シルバーフォックス』だっけ? ・・・奇遇スね」

やがて、彼の髪からはすべての色が抜け落ちてしまった。それは最早金色とは呼べない――――――その色彩に名をつけるとすれば。

 ――――――それは、銀。

 鋼の刃のように、冷たく光る銀の髪――――――

「――――――俺もそう呼ばれてた事が、あるんだよ?」




 ――――――警察に入る前、

 彼が未だ、『シルバーフォックス』という通り名で呼ばれていた頃のこと。

 彼は盗みが面白くて堪らなかった。

 金に困っていたわけでもなかったし、華美な宝飾品に興味があったわけでもなかった。

 ただ、予告状をだし、警戒網を突破して、目的のものを手に入れる。

自分の一挙手一投足に大勢の人間が翻弄される様を見て。

困難な状況を打破して、目的を果たすという過程そのものに。

 子供のように――――――興奮していたのだ。

 まるでゲームを楽しむようにして、彼は何度も盗みを繰り返していた。

 派手な行動を好む彼の犯行は人々の目を引き、やがて通り名がつけられた。彼が犯行現場で見せつけた冴え冴えとした冷たい銀の髪――――――

長く伸ばして一つに結わえたそれが、翻る様が狐の尾を連想させたため、やがて彼はこう渾名されるようになる――――――銀の狐、シルバーフォックスと。

 しかし、彼が犯行時にその煌めく銀の髪を見せつけていたのは変装のためではない。

 それは彼の、ある特異体質によるものだった。



 『――――――感情が昂ぶると髪の色が変わる』。



 彼が怪盗行為に身を投じるときに感じる興奮が、彼の髪色を銀に染め上げる。母親譲りのこの特異体質が、意図せずして本来の姿を隠すことになった。

――――――しかし。

およそ3年に渡ってウエストヘブンを騒がせたこの怪盗は、徐々にその姿を消していった。

 これは、キリが怪盗行為を辞めたからではない。ましてや、その目立つ容姿を隠そうとした結果でもない。

盗みを働いても、髪の色が変わらなくなってしまったのだ。

 日常的に泥棒を繰り返すうちに、その行為に興奮を覚えなくなってしまったのだ。

やがて、怪盗行為も辞めてしまった。ドキドキもわくわくもしない行為をこれ以上続けても無意味だと判断したためだ。

 そして、『シルバーフォックス』ことキリ・アルストロメリアは警官隊への入隊を決意する。

 新たなる刺激を求めて――――――

 


 ――――――しかし、今キリの髪を銀に染め上げるのは興奮ではない。

今、自身を支配しているただ一つの思い。精神を焼くように苛む、不愉快な感情。

 その感情の正体を、キリは知っている。

 髪の色を変化させるほどの――――――怒りが。

 キリの体の内側を支配しているのだ。

 何故、自分がこれ程までに激怒しているのか――――――その理由も、キリはほぼ正確に把握していた。

 こんなくだらない男が、『蒼き狼』を――――――エンジュの名を貶めたのが許せない。

 こんな男に、エンジュの存在が穢されようとしていることが許せないのだ。

『蒼き狼』。

同じ怪盗でありながら、自分とは全く違った理想を貫いて生きる義賊。その在り様を始めは単なる偽善だと思った。しかし、怪盗行為に興奮を覚えなくなった頃――――――ふと、気になるようになった。

『蒼き狼』。

一体、何を思って、何を行動原理に置いてあのような行いを続けているのだろう。

それが――――――気になった。



「お前みたいな奴が――――――この人に障るなよ」




「ふ、ふざけるなよ!」

しばし灰色髪の男――――――アザミは呆然としたようにキリの変化を見つめていたが、やがて我に返ると大声でがなり散らした。ひっくり返ったような焦った声が、彼の心情を代弁していた。

「貴様――――――貴様こそ、まがい物だ! 俺こそが『シルバーフォックス』だ!」

 そう怒鳴るアザミの灰色の髪は、キリの煌めく銀髪と比べると随分とくすんで見えた。

「見ろ! ――――――このナイフを」

 そういうと、アザミは背中に手を差し入れた。背中に隠してあったのだろう、取り出した大刀を握りしめ、キリへと切っ先を差し向ける。

刃渡り40センチはあるかと思われる大振りの剣。その刃にはよく見ると鋸のような細かいギザギザとした凹凸が備わっている。

「この鋸刃が、その証明だ。これこそが、俺が『シルバーフォックス』として数多の警官を屠ってきた証!」

 アザミは誇らしげに――――――その禍々しい刃を掲げる。『シルバーフォックス』を演じるために、用意した獲物なのだろう。

「この刃で斬られた傷痕は治りにくい。その傷痕が化膿して、死ぬことだってあるんだぜ!」

 アザミの台詞に異を唱えることもなく、その大刀を無言で眺めていたキリは、こくりと首を傾けた。

「――――――何スか? それ」

「なっ・・・、貴様知らないのか!? 『シルバーフォックス』が使う獲物の事を!」

 キリの反応を見たアザミは、にやりと口角をあげて嗤う。

 ――――――やはり、こいつモグリだ。

 髪色が銀に変化した時には驚かされたが、『シルバーフォックス』の扱う武器のことも知らない。そんな男が、本物の『シルバーフォックス』であるわけがない。

「この俺、『シルバーフォックス』の剣は鋸のような刃になってるんだよ! だからこれでつけた傷痕は相手に後まで響くダメージを与えることができるんだぜ――――――まあいい。直ぐにその身をもって味あわせて・・・」

「ああ、ひょっとしてコレのことスか?」

 そういって懐から取り出したのは――――――小さなナイフ。アザミが手にするものと較べるとまるで玩具だ。

 それを目にしたアザミは、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。

「あんだよ、それ。そんなもんじゃオレンジくらいしか切れないぜ?」

「これが俺のお気に入りッス」

 言いながら、無造作にナイフのカバーを外す――――――

「な、・・・んだそれは・・・」

 その刀身を目にしたアザミは、思わず言葉を失った。

 キリが取り出した凶器と思しきそれは――――――刃がボロボロのナイフだった。

刃部分が欠けて、無数に刃こぼれを生じさせている。ガラクタ一歩手前のそれを振りかざして――――――へらりと笑う。

「何って――――――俺のお気にっスよ。随分ボロッちくなっちゃったけど、使いやすくて。どうしても捨てられないンすよねえ」

「ふ、ふざけるな! そんなオモチャで何ができる!」

 アザミはがなり立てると、剣を振りかざして走りだす――――――キリの元へと。キリが手にする小さなナイフと自らの凶器を比べて、勝算を見出したのだろう。下卑た笑みを浮かべ、大刀を振り回しながらキリへと迫る。

「――――――おい、」

 そこで初めて、エンジュが声を荒げた。

 キリの手を引こうとして気づく――――――いつの間にか、自分とキリを繋いでいた手錠が外されていた。キリは、一人でアザミを迎え撃つつもりなのだろう。

 エンジュの焦った声に、アザミは勝ち誇った雄叫びをあげた。キリの危機をみて、止めに入ろうというのだろうが、そうはさせない。

「はは! テメエのお友達をテメエの目の前で殺してやるぜ! この『シルバーフォックス』様がなあっ!」

 ――――――アザミは一つ、重大な勘違いをした。

 エンジュが注意を呼び掛けようとしたのはキリにではなかった。キリの実力は毎日のように繰り返した追いかけっこで、ある程度把握している。直接戦闘行為を行ったことはなかったが、自分と対等に渡り合った存在――――――

 そんなキリに対して、エンジュはまったく不安を抱いてはいなかった。

 ――――――故に。

 エンジュが危険を報せようとしたのはアザミに対してだった。

 だが――――――エンジュの思いやりが言葉の形をとる前に、アザミはキリへと到達していた。

「死ねええええええ! 贋物が!」

 そう叫びながら、キリの銀の頭髪へと大刀を振り下ろす――――――

 その攻撃により、キリの頭は熟れた西瓜のように弾け飛び、辺りにグロテスクな紅い花を咲かせる――――――その筈だった。

 ――――――しかし。

 力いっぱいに振り下ろしたアザミの大刀は、無機質な固い感触に阻まれる。

 確実にキリの頭に食い込んだと思われた大刀は、キリに届いてはいなかった。キリが顔面スレスレに構えたナイフに受け止められてしまっていた。

「ば、バカな・・・っ」

「バカはアンタッスよ」

 信じられないという面持ちで驚愕を露わにするアザミを、キリは冷たい視線で一瞥する。

「全然なってないッス。獲物だけ大きくしたって、使いこなせなくちゃ意味ないでしょ」

 吐息のようにそう吐き出すと――――――ナイフを僅かに傾けた。

 ただそれだけの所作で、バランスを崩したアザミは前のめりになる。その体勢でキリに仰ぎ見られて、漸く彼は気づいた――――――

 懐に敵を抱いてしまったということに。

 アザミがその失態を悔いるより先に、キリのナイフが奔る。

「エンジュの幼馴染の誼だ――――――せめて一瞬で殺してあげるよ」

 そう呟くと同時に、ナイフの切っ先がアザミの咽喉を切り裂いた。




 ――――――その光景を。

 エンジュは呆然としてただただ見守っていた。アザミにキリが襲い掛かった時点で、こうなることは予測できていたはずなのに――――――エンジュはそれを見ていることしかしなかった。

(――――――つまり、やっぱりアザミは俺が殺したってことだ)

 アザミが咽喉から血液を吹きだしながら倒れる様をスローモーションのように見つめながら、エンジュはそう静かに理解した。

 確かに昔、自分はアザミを殺そうとした。彼の恨みは正統なものだ。そして、エンジュは今、生き残るために彼を見殺しにした。十年前から続いていた殺し合い――――――仲間同士で最後の一人になるまで続けられる戦い。その幕が漸く下りたのだと、エンジュは感じていた。

「これは驚いた。見事な変化だ」

 ――――――ふいに背後から声がした。

十年前の余韻に浸っていたため、接近されるまで気づかなかった――――――しかし、その声色にキリは警戒よりも驚愕を覚える。

「ロサ! どうしてここに」

 キリの背後に立っていたのは、警官隊長官であり、『ナイト・ザ・リッパー』でもあるロサ・ハイドランジアだったのだ。エンジュはどちらの顔も知っており、今に至るまで交流を続けている。

 驚いた顔を作るエンジュに、ロサはふわりと笑いかける。

「僕は警官だよ? 犯罪者を追いかけるのは当然のことじゃないか」

「ああ・・・、まあそりゃそうだけど」

「――――――というのは半分冗談で」

「冗談なのかよ。警官隊長官様」

「君の名を貶めた屑野郎をバラバラに切り刻んでやろうと思って来たんだけどね。どうやら先を越されちゃったなあ」

 残念、と呟くロサ。

その口ぶりからして、ロサが警官としてではなくリッパーとしてアザミを処断する気だったことは明白だ。ある意味、ロサではなくキリに殺されたのはせめてもの幸福だったのかもしれない。ロサに殺されていたら、五体満足の遺体は残らなかっただろう。

「よくいうよ。そもそも、アザミを燻りだすために・・・キリを利用したんだろ?」

 キリがコピーしてきた地図を見た時から、エンジュは気づいていた。走り書きのメモがロサの字だったということに。

 そもそも、慎重なロサが事件の資料を目立つところに置いておくとは思えない。要するに、資料というエサを与えてキリに調査を進めさせるつもりだったのだろう。警官隊長官という立場上、自分が表立って動くことが憚られたため、事件に興味を持っていた後輩をダシにしたという事だ。

 図星をつかれたからか、ロサは肩を竦める。

「バレてたか。時計塔を見張りやすい場所まで示唆してあげたのはちょっとやり過ぎだったかな?」

「今後の俺の商売に差し障るぜ。・・・ま、おかげでカタがついたけどな」

「まあ、せめて後処理は僕に任せてもらおうかな。君のピンチに何もできなかったのは悔しいからね」

 残念そうにそう呟くロサに、エンジュは破顔する。やり方は過激だが、友人として自分の身を案じてくれたことは素直に嬉しかった。

「ありがとな、今度飯でも奢るわ」

「気にすることないよ、友達じゃないか――――――それはそうと」

 ロサは視線をエンジュから、銀髪の男へと移した。

「彼が本物の『シルバーフォックス』か」

 ロサは興味深そうにキリを見やる。

 流石のロサも、キリの正体までは予想していなかったらしい。そういえば、アザミは『蒼き狼』の名を騙り、更に『シルバーフォックス』の名まで騙っていたということになる。他人の威ばかり借りていた彼の、「本物」は何処にあったのだろう。

「変わった子だなあとは思ってたけどね。成程、そういうことか・・・・彼もこっち側の人間ということだ」

「手ぇだすなよ? たった今、俺の恩人になったとこだぜ」

「・・・エンジュがそういうなら自粛するさ」

 釘を刺すエンジュに、ロサは肩を竦める。

「そもそも僕と彼とは同類だ――――――どうこうする気もないよ」

 その言葉に、エンジュは苦笑する。警察官の身でありながら、犯罪者という裏の顔を持つ点で同志だということだろう。

「話は変わるけど」

 ロサはそういうと、エンジュを振り返った。

「最近君のお仕事がご無沙汰だったのはどういう事だい? やっぱりあの贋物に罪を擦り付けられるのを警戒してのことだったってことかな」

「ああ、そうじゃなくて。俺、キリに捕まってたんだよな」

「へえ、そうなんだ」

 ・・・しばしの沈黙の後、訝しげなロサの視線が突き刺さる。

「・・・・その話、詳しく聞かせてもらえるかな」

「いや、大した話でもないんだけどな」

 そういうと、エンジュはキリとの『追いかけっこ』の最中に怪我をしてキリに保護されていた事情を簡潔に説明した。黙って話を聞いていたロサだが、部屋に手錠で監禁されていた辺りに及ぶと眉を顰めた。

「べッドサイドに手錠で監禁って・・・何だいそれ。変態的だね」

「いや、犯罪者に警察が手錠をかけるのは普通の事じゃねえ?」

「手錠とベッドっていう組み合わせがいやらしいじゃないか。不潔だよ。大丈夫だったかい? 改造手術とかされてない?」

「されてねえよ・・・てか手錠とベッドでその発想するお前がすげえわ。ま、心配しなくても平気だって」

 そういって、エンジュは悪戯っぽく笑う。

「アイツ結構いい奴だぜ」


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