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俺がイケてる義賊様を飼っている件について。

TAKE3



「そういえば・・・またあったそうですね。『蒼き狼』の殺し」

 淡々としたシスルの声に、キリは書類から顔を上げた。片眉をあげて、じろりと無神経な発言をした先輩を睨み据える。

「・・・『蒼き狼』が殺したとは限らないじゃないスか」

「しかし・・・これでもう5度目ですよ? 『蒼き狼』が盗みを働いた屋敷で人が殺されるのは・・・」

 抗議の声をあげてはみたが、淡々と返されてしまう。シスルとしては、犯人が『蒼き狼』だろうとそうでなかろうと、どっちでもよいのだろう。

「・・・・・でも、今までコロシをしないのがポリシーだったんでしょ? それがいきなり殺しまくるようになるなんておかしくないスか?」

「方針を変えたのかもしれませんよ? 警備員等を傷つけないように仕事をする方が面倒ですから・・・一度誤って使用人を殺してしまったことで、吹っ切れてしまったのかもしれません」

「・・・まあ、そういう考え方もあるかもしれねえっスね・・・・」

「そんなものですよ。人の信念とか思想なんて、コロコロ変わるものです」

「・・・・・・・・」

 そんなもの――――――ではない、のだ。

 キリは知っている。

 『蒼き狼』が、そんな奴ではないということを。

 一度誓った信念を、コロコロ変えたりしない。

 寧ろ彼は、己に課したルールを何より厳格に順守する男だ。

 だから違うのだ。

 それをキリは知っている。

 ――――――思い知らされている。

 何故なら――――――キリは、『蒼き狼』と一週間前から共に暮らしているのだから。




「ん――――――、・・・ここはどこだ」

 目が覚めて『蒼き狼』が放った第一声は、ごく平凡なものだった。

 まあ、意識を取り戻して初めて目にしたのが見覚えのない部屋の天井だったら、大抵の人間はこういった反応を見せるのだろう。

「気が付いたんスか? 『蒼き狼』サン」

 『蒼き狼』は、そういって覗き込むキリの姿を――――――正確にはその青灰色の制服を、その蒼穹の瞳にまじまじと映して。

「――――――警察か。サイアクじゃん」

 顔を顰めた。

 命の恩人に対して、あんまりな言い様である。

 まあ、彼の立場を思えば当然の反応ではあるのだが。泥棒という身分で目が覚めたら警察官の家にいた、という状況はとても寝覚めの良いものとは思えない。

 ――――――そう。

 キリはあの後、気を失った『蒼き狼』を自宅へ連れ帰っていたのである。

 あんなところで無防備に寝ころんでいたら、このイーストエデンでは命取りだ。身ぐるみ剥がれるだけならまだしも、その身体ごと売り飛ばされてしまっても不思議ではない。

 ここ数週間ルパンごっこを続けた仲だし、『蒼き狼』が男娼になったり内臓を売られたりするのはあまり気が進まない――――――というわけで保護したのである。まあ、他にもいろいろと思惑があったわけだが。

 本来ならば、『蒼き狼』を捕まえたのだから警察組織に連れ帰ればよい。S級犯罪者の捕縛により、キリは表彰状と勲章と、長官からのお褒めの言葉をいただき、一段階階級をあげることができるだろう。

 ――――――しかし、キリが欲しいのはそんなものではない。

 キリが『蒼き狼』に逢いたかった一番の理由。

 それは彼の生き様に興味があったからだ。

 泥棒でありながら、盗んだ金を一般市民にばら撒くなどという偽善的な行為を繰り返している。その理由は。それを行う、彼の人となりは。

 キリはそれに――――――興味があった。

 だが、このまま警察組織に引き渡してしまっては、それは叶わない。彼の今までの所業を考えれば、捕縛=死刑だろう。折角捕まえたのに、それでは面白くない。

 そこで、キリはこの状況を利用しようと考えたのである。

『蒼き狼』を家に拘束して、その人となりを観察しようと。そうすることによって、自分の好奇心は満たされるかもしれない。彼が実はつまらない人間であったならば、その時は警官隊に引き渡して出世の肥やしにすればよい。

こうしてキリは、『蒼き狼』を自宅に連れ帰ってきたのだ。

 そんな事とは露知らず――――――『蒼き狼』はきょろきょろ、と周囲を見回す。そこが自分の知る場所でないということを再度確認すると、ゆっくりと体を起こした。

「ああ、無理しない方がいいスよ? 三階から落ちたんスから。その衝撃で骨折したみたいだし」

 キリは『蒼き狼』を部屋に運び込む際、裏市場の闇医者を頼って彼を診察してもらっていた。その際、右腕が折れていると言われたのだ。治療は医者にしてもらったが、動かさない方がいいだろう。

 だが、『蒼き狼』はサラリとキリの忠告を否定した。

「いや、これあの時の怪我じゃねえよ。ひと月前から折れてる」

「・・・・ひと月前!?」

「うん。ギプスは邪魔だから、仕事中は外してたんだ」

「・・・いや、ちょっと待ってちょっと待ってちょっと待って」

 キリが動揺したのも無理はない。

 『蒼き狼』の右腕はひと月前から折れている――――――といった。

 ということは――――――キリが彼と出会ってから繰り広げていた追走劇。その間、『蒼き狼』はハンデを背負ってキリの相手をしていたということだ。

「・・・・・ふざけんなよ・・・」

 思わず歯噛みする。

軽くあしらわれていた――――――右腕の使えない状態で。

その事実に頭がかあっと熱くなるのを感じる。

こんな屈辱は初めてだった。怒りのあまり、動けない相手に掴みかかりそうになるのをこらえるのが精いっぱいだ。

 キリの反応に、『蒼き狼』は片眉を吊り上げる。

「ふざけて腕なんか折るもんか。これは走ってくる馬車を片腕で止められるか否かを試した時に誤って折っちゃったんだよ」

「何、その破天荒な遊び!?」

「酔って賭けちゃったんだよな」

「ふざけて折ってるじゃん!」

「でもまあ、勝ったぜ? 折れたけど止めたからな」

「止めたんだ!? バケモンか!」

「酔ってなければ折らないでいけた」

「酔ってなかったらやるなよ!」

「まあそうだよな。俺は腕一本で済んだけど、あの馬車には悪いことをした」

「何があったんスか!?」

「馬車が半壊、馬が200メートル先の池まで飛んだ」

「なぜか馬車の方が大被害!」

「酔ってなければ全壊行けた」

「酔ってなければ思いとどまってほしいっス!」

 怪我というハンデ付で相手をされていた上に、怪我の理由がこんなくだらないといわれると情けなくて泣きたくなる。キリは生まれて初めて、心が折れる音を聞いた。

「・・・あれ?」

 そこで、『蒼き狼』は漸く己の状況に気が付いたようだ。

「手錠ついてる」

 個人的な事情で組織に引き渡してはいないものの、警察官であるキリが泥棒である『蒼き狼』を捕獲した以上、自由気ままの身にさせておくわけがない。

 『蒼き狼』の左手首と足首には手錠が付けられており、それぞれベッドサイドに固定されている。右手首も固定したかったのだが、骨折しているので仕方がない。

 『蒼き狼』は拘束されている己の身を振りかぶり、心配そうに上目づかいで尋ねてきた。

「・・・よく考えてほしいっス。ほら、アンタ泥棒。俺警察。だとすると――――――その手錠が意味するところは?」

「ハイセンスな結婚指輪だな」

「アンタの発想はナンセンスだけどね!?」

「まあ、これなら相手の指のサイズとかわからなくても大体いけるもんな」

「まあ腕だからね! 指輪っていうより、腕輪だからね!」

「お前頭いいなー」

「アンタは悪いンすか!?」

「お前を捕まえる手錠が変わっちまったぜ! ってやつだな」

「いや、まるっきり正しく手錠使ってるからね!?」

「冗談だよ、わかってるって――――――お前、俺のファンなんだろ?」

「こんなヤンデレなファン受け入れちゃうんだ! 心広い!」

 自分の置かれている状況をわかっているのかいないのか、軽口を叩く『蒼き狼』に、キリは早くも彼を連れ帰ったことを後悔しつつあった。

 警察の手の内に落ちているというのに、まるで緊張感のない泥棒をちらりと眺める。折角連れてきたのだ。とりあえず、キリは気になっていたことを尋ねることにした。

「・・・・あんた、いくつ?」

「二十三。・・・あれ、二十二だったかな・・・いや、やっぱ二十三」

「タメじゃん」

 その発言を機に、キリは敬語を使うのを辞めることにした。

シスル辺りには「え? 敬語? いつそんなもの使ってました? 僕は一度も聞いたことないんですけど」などといわれそうだが。

 しかし、同じくらいの年齢だと見当は付けていたが、まさか同い年だったとは。不思議な偶然に驚きをかみしめながら、次に何を尋ねようかと思案していると――――――

「一つ聞いていいか」

 逆に質問をされてしまった。

「何スか? 俺のスリーサイズすか?」

「俺のどこが気に入ったの?」

「結婚ネタまだ引き摺ってるのかよ!」

「――――――だって気になるだろ。何でお前、俺を警察に連れて行かない?」

「――――――!」

 『蒼き狼』はにやり、と笑う。

 先刻までずっとふざけた返答しかしなかったくせに――――――急にそんな顔をされると動揺する。

「俺は泥棒、お前は警察。お前が俺を捕まえるのはわかる――――――が、普通はそのまま逮捕するだろ。自分で言うのもなんだが、俺を逮捕できればお前、出世するぜ?」

 そう言って――――――不敵に笑う。

「どうしてわざわざ自宅に連れ帰って、傷の手当までしてくれたんだ?」

「――――――・・・それは」

 自分なりに理由はあるが、それは他者には説明しづらい。本人相手となれば猶更だ。そこでキリは返答を暈すことにした。泥棒相手にバカ正直にすべてを語る必要はあるまい。

「・・・アンタには関係ないでしょ」

 そのすげない返答に、『蒼き狼』は何故か納得したように頷いた。

「やはり俺のファンか」

「ポジティブ解釈!?」

「義賊なんかやってると割といるんだよな、固定のファンが。ホラ、俺って泥棒界のアイドル的存在じゃん?」

「金巻き散らしてるからでしょ? アイドルだったら公職選挙法に引っかかってるッスよ」

「何、お前やっかんでるの? 悔しいなら警察も金撒いてみろよ。あっという間に人気者になれるぜ」

「・・・何か、すげえ恩を仇で返された気分・・・」

 げんなりしているキリに、『蒼き狼』は暢気な声をかける。

「・・・・あれ、ひょっとして俺、知らない間に腎臓片方とか抜かれてる? 寝てるうちに」

「俺警察官なのに犯罪者扱い!?」

「警察とか泥棒が信用するかよ。どうせ美女とか捕まえたら取り調べと称してセクハラ三昧なんだろ? なあケーサツ」

「俺は少なくともしてないスよ! そんなんしなくても女の子くるし。・・・それにケーサツじゃねえスよ。俺にはキリって名前があるんス」

「俺だって蒼き狼、なんて名前じゃねえよ」

「・・・・じゃあ、なんて呼べばいいんスか?」

「エンジュだ」

 キリの質問に、『蒼き狼』はさらり、と応じる。

「エンジュ・カウベリーだ。よろしくイケメン君」

 ――――――こうして、エンジュとの共同生活が始まった。




「・・・おい、朝だぞ」

 そういって身体をゆさゆさと揺すぶられる。起床を促されていることは理解できたが、体内時計では未だ起床時間ではないと判断されたため、キリはその声を無視することにした。

「おい、朝だってば。朝だぞ。朝なのだぞ。朝ですよ」

「・・・・・・・・」

 しかし、キリを呼ぶ声も身体を揺する動作も止まず、寧ろ激しさを増す一方だ。無視しようとすればするほど、意識はかえって覚醒していく。

これ以上惰眠を貪ることは難しいと判断し――――――キリは渋々瞼を開いた。開けた視界の先には、呆れ顔のエンジュが鎮座している。

「起きたか。お前寝起き悪いのな。低血圧か。女子か」

「煩いな・・・俺、普段はまだ寝てる時間だよ」

 貴重な睡眠を妨害されたキリは不機嫌に応じながら、時計を見る――――――

七時。

普段より一時間も早い。己の体内時計が正しかったことを確認したキリは、再びベッドに横たわろうとする。もう深い眠りは期待できないが、布団の上でしばらくゴロゴロしているとしよう。

 だが、キリの計画は叶わなかった。

 瞼を閉じようとしたキリの身体をすかさず揺すぶって、エンジュが安寧を妨げてくる。

「ばか、何やってるんだよ。遅刻すんぞ」

「いや、しないし。第一、いつもまだ寝てる時間スよ」

「お前のバッチ、本舎勤めだろ。基本九時五時出社だろうが」

「・・・・詳しいんスね」

「友達がいるからな」

「あ、そうなんだ」

 ――――――今、サラリと聞き流してしまったが、S級犯罪者のくせに本社勤めの警官に友達がいるとはどういうことだろう。

 突っ込みたかったが、寝起きで頭が働かない。

「だから起きろ、とりあえず。間に合わねえだろうが」

「いや、だから間に合うって」

 普段キリは八時に起床しているのだ。

朝は基本食べないので、身支度を整えて警察隊舎に出社するのに三十分もかからない。歩いても隊舎までは十五分ほどなので、十分余裕をもってデスクに就くことができる。

 それらを寝ぼけ眼でトクトクと説明して見せたのだが、エンジュはふるふると首を振る。

「駄目に決まってんだろ、朝飯は一日の活力の元。食わないと頑張れねえだろうが、俺が!」

「いや、あんたは頑張らなくていいスから」

 一日中部屋で監禁されている人間に頑張りどころを作る予定はない。

 しぶとくベッドにしがみ付くキリの背に、突如体重が課せられた。どうやら、エンジュが馬乗りになってきたらしい。行動は子供らしいが、相手は同い年の成年男子である。おまけに筋肉質なエンジュの身体は見た目以上に重く、油断していたキリは背筋に大ダメージを受けた。

「ぐえっ!」

 その衝撃に、ベッド権を死守する気力も萎え果てた。恨めし気に身体を起こしたキリに対して、エンジュは胸を張る。

「喜べ、俺に朝ごはんを作らせてやるぜ」

「・・・・・・・」

 その言葉に、キリはエンジュが執拗に自分を起こそうとした理由を悟った。要するに、おなかがすいたらしい。ベッドサイドに拘束されているエンジュは、自分で食事を用意できないのでキリをしつこく起こしていたのだ。

 我儘な客人の為に、渋々朝食を作ってやったキリだったが、テーブルに並べた皿を見たエンジュは腕を組んで頬を膨らませている。

「食べないんスか?」

 トーストにスクランブルエッグに、コーヒー。

 シンプルの一言に過ぎるが、普段は朝食を食べない自分にしては頑張った方だと思う。

「――――――朝食には俺のルールが3つある」

 キリの言葉に、エンジュは至極真面目な顔を作ると、びしりと三本指を立てて見せた。

「まずひとつ、朝はクロワッサンと相場が決まっている」

「そうなんスか」

「俺が好きだから」

「ただの我儘だった!」

 キリのツッコミを華麗にスルーし、真摯な表情でエンジュは自論を語り続ける。

「次にふたつ、卵料理があるのはいい。でもそれは、ゆで卵であるべきだ」

「・・・一応理由きいてもいい?」

「俺が好きだから」

「やっぱりか!」

「最後にみっつ、朝食にもグリーンが必要だ。朝からサラダとか作れとかは言わないが、ならせめて野菜ジュースとかつけてほしい。ほら、俺ってば健康に気を使う系の泥棒だから」

「・・・・・・」

 何故警察の自分が、泥棒の健康を促進してやらなければならないのだろう。言いたいことが山のようにあるのだが、寝起きの頭では上手に反論を組み立てることができない。キリが黙っているのを肯定と受け取ったのか、エンジュは満足そうに頷いた。

「次から気を付けろよ。俺は優しいから今回は許してやる」

「偉そうだな! そんなに文句言うなら自分でやればいいじゃん」

「・・・・これでどうやって?」

 エンジュはそういって両手を掲げて見せる。手錠の嵌められた左手と、骨折した右手。これでは料理どころか林檎の皮を剥くことすらできないだろう。

「手錠はずしてくれるなら、朝食くらい作ってやるけどな。俺、お前よりは料理うまいと思うぜ」

 そういって左手首に絡みついた手錠をしゃらしゃらと揺らす。無論、そんな安い挑発をされたところで、手錠を外してやるつもりなど毛頭ない。

 キリはエンジュの主張を無視して、トーストにかじりついた。

「・・・そういえば、アンタに聞きたいことがあるんだった」

「ん? 何だ・・・・その前にいいか?」

「まだ何かあるんスか?」

「一つ、卵にはケチャップたっぷりが原則だ」

「三つのルールって言ったのに四つ目じゃん、それ!」

「さっきのは朝食に関するルールだ。今回のは卵に関するルールだ」

「ルール細けえ! そしてめんどくさ!」

「卵ルールその二、俺はかたゆで派だ」

「勝手に続けてるし!」

「ハードボイルドに生きたいが故に」

「理由まで教えてくれた!?」

 かたゆで派のエンジュはフォークを手に取ると、スクランブルエッグをすくって口に入れる。固くない卵を咀嚼しながら、エンジュはしみじみと呟く。

「・・・お前、味付け下手だなあ。これじゃ嫁の貰い手がいねえぞ」

「料理のうまいお嫁さん貰うから大丈夫」

 そのままエンジュは文句を言いつつもスクランブルエッグをぱくつくと、上目遣いで尋ねる。

「それで、聞きたいことって何だ?」

「え・・・何だっけ」

どうにも、エンジュとの会話には無駄話が多く挟まり過ぎる気がする。少し考え込んでから、『聞きたかったこと』を思い出した。

「アンタ、最近お仕事の際に人を殺しちゃったことは?」

「ねえよ」

 即答だった。

 いつもは何かにつけて無駄口が多く、人を食ったような返答ばかりするくせに――――――反駁する余地もないほどに、ぴしゃりと。

「――――――・・・・そうスか」

 あまりの勢いに、怒っているかと思ったが――――――エンジュは顔色一つ変えていなかった。それこそ逆に、気分を害している証拠かもしれなかったが。

機嫌を損ねたかと様子を伺うキリに、エンジュはかしゃりとフォークを下すと、キリに向かってびしりと指を立てた。きっかり三本。

「――――――仕事には俺のルールが3つある」

「またいつものスか」

 茶化そうとするキリの言葉を無視して、エンジュは淡々と『ルール』を口にする。

「一つ、金は豚から盗め。俺は貧しいやつや一生懸命に働いてるやつから盗みはしねえ。事前に下調べをして、汚い金を稼いでいる金持ちだけを狙う。まあ俺基準でこいつからなら盗んでもいいや、ってやつから頂くことにしている」

「・・・随分と手前勝手な理論スね。アンタがいい金持ちと悪い金持ちを勝手に分類してるってワケッスか?」

「別にいいだろ。客観論だ。俺は貧民代表だぜ?」

「貧民は日常的に何千万ジェルも持ち歩かないッスよ」

 憎まれ口を叩いてはいるが、内心キリは感動を覚えていた。イーストエデンに赴任する前から調べていた『蒼き狼』の行動原理に関しての推測が、的を射ていたということだ。

「二つ、余分な金は持たない。俺にとって盗みは生活のための仕事だが、それで贅沢な暮らしをしようとは思わねえ――――――そしたら、俺が金を盗んだ豚どもと同じになっちまうからな。だから必要最低限の生活費以外は、ばら撒くことにしている」

「じゃあ、生活費の分だけ盗めばいいじゃないスか」

「折角苦労してセキュリティ突破して盗みに入ったのに、そんなポケットに入るだけの成果で満足できるか」

「だからいつもサンタクロースみたいな大荷物背負って出てくるんスか」

「貧乏性だからな」

 ――――――またしても、とキリは思う。

 自分が分析していた蒼き狼の行動原理は、そう外れた物でもなかったらしい。中身がこんな面倒くさい人物だとは想像していなかったが。

「三つ。殺しはしねえ。どんなに危険な目に遭おうと、たとえ俺が殺されようとだ」

 今までにないほど真剣な声音――――――その声色に気圧されてしまい、キリは咄嗟に反駁することができなかった。

「・・・何でそういいきれるんスか」

 やっとのことで絞り出したのは、素直な疑問だ。『蒼き狼』が今まで、どれだけ苦境に陥ろうと一般市民はおろか警官隊にすら被害者を出していなかった理由。更に、今エンジュは「自分が殺されることになろうと」殺しはしないと言い切った。

 『蒼き狼』にそこまで言わせる理由は、そう断言させる原因はなんなのか――――――純粋な興味があった。

 だが、エンジュは詳しい事情を語ろうとはせず、静かに目を伏せたまま――――――

「自分の為に誰かを殺すのはもう辞めた」

 そう、ぽつりと。

 ――――――呟いたのだ。




「あーあ、こういうのって苦手なんスよねえ」

 控えめなため息と共に、キリは小さく呟いた。

「聞き捨てなりませんね。そもそも君が来たいというから来たんでしょう」

 それを耳ざとく聞きつけたシスルが、咎めるような視線を送ってくる。

「この現場は東地区ですよ。僕たちの担当ではありません。君が来たいというから無理を言って現場検証に参加させていただいているんじゃありませんか。もっと感謝しなさい」

 現在、キリはシスルと共にとある屋敷にきている。そう――――――『蒼き狼』の盗難にあった挙句、殺しの被害者がでた家だ。

 頭で考えているだけではらちが明かないと考えたキリは、直接現場を見に来たのである。ただ、現場がキリの管轄地域ではなかったため、シスルに頼んで連れてきてもらったのだ。

「感謝ならしてるッスよ。シスルせんぱーい」

「感謝が感じ取れません。もっと体を使って表現していただいてよいですか」

「身体を使うって、どうやればいいんスか?」

「頭と胴を分断して、胴だけ逆立ちの状態で頭部でお手玉してください」

「それ死んじゃわないスか!?」

「死ね」

「直接的に悪口いってきたー! ・・ああもう、西区で事件を起こしてくれればわざわざ出張しなくて済むのにさぁ」

 抗議の声をあげるキリを無視して、シスルは横に立つ警官に頭を下げる。

「物騒なこというものじゃありません。・・・すみません、管轄外の地区の仕事にお邪魔してしまって」

「いやいや、人手は多い方がいいにこしたことはないからな。まったく構わない」

 そういって気さくに笑うのは、東地区担当の責任者であるカンナという女性警察だ。立場はジニアと同じ警視正だったか。長い黒髪をポニーテールに結った、凛々しく優雅な印象を与える――――――長官に勝るとも劣らない美女だ。

 土地柄、女性警官は残念なことにごく僅かしかいないのだが、その僅かには精鋭が揃っているらしい。

「本当にすみません、頭が悪くて顔しかよくない後輩がご迷惑をおかけしまして」

「気にしなくていいぞ」

「本当に本当にすみません、気が利かなくてお調子者の後輩がご迷惑をおかけしまして」

「ふふ、気にしなくてよいぞ」

「本当に本当に本当にすみません、気まぐれで身勝手で我儘な後輩がご迷惑をおかけしまして」

「もーいーって言ってるじゃないスか! ていうか先輩、謝るふりして俺の悪口いってるだけじゃないスか!」

 さりげなくキリ批判を繰り返すシスルにたまりかねて、キリは会話に割って入った。

「顔がいいって褒めたじゃないですか」

「褒め一に対して、六ディスってるッス! せめて飴と鞭は等分でお願いしたいッス!」

「愚かですね。下等生物が人間に対して対等な取引を求める気ですか」

「下等生物ってなんスか!? いーかげんパワハラで訴えるっスよ!?」

「おや、そう聞こえましたか。僕は蚊取り線香といったのですが」

「俺、蚊取り線香なんスか!?」

「失礼しました、蚊取り線香に悪かったですね」

「無生物以下と断定されている!?」

「当然です。君に蚊を自らに集めて他者を護る自己犠牲の精神があるというのですか」

 二人のやり取りを聞いていたカンナはくすくすと笑い声を漏らす。

「私のところに少し前に入ってきた後輩もこんな感じだったかな。ふふ、お互い後輩のしつけには苦労するな」

「まったくです」

 更に抗議しようとするキリを制するように、カンナは手を上げて背を向けてしまった。

「悪いが、私はここの住民に話を聞かなくてはならない。下の現場は好きに見てもらって構わんよ。ただ、あまり鑑識の邪魔にならないようにな」

 そういって、カンナが背を向けるのを確認した後、シスルが冷たい目線で振り向いた。

「わかりましたか? あまり邪魔をしないように」

「二回いわれなくてもわかるッスよ!」

 頬を膨らませると、現場を検証している鑑識の背後に迫る。邪魔をしないように心がけながら、背中越しに殺人現場を覗き込む。

グレーの絨毯には赤黒い染み――――――血の跡がべっとりと残されていた。

「昨晩未明、『蒼き狼』と思しき賊が侵入。金目の宝石や時計などを多数奪って逃走。その際に見回りをしていた使用人が一人、殺されていたそうです」

 血の染みを眺めるキリの後ろで、シスルがそう解説してくれた。説明しながら、カンナから借りたらしい調査報告書を渡してくれる。まだ初期捜査段階のもので、大まかな記載しかされていない。

「えーと、被害者はここの料理番をしている使用人。ナイフのようなもので殺害されていた。ナイフの切り口は鋭利ではなく、凹凸が見られる・・・・『蒼き狼』が盗みの際に殺害したと思われる・・・・」

「ただ、カンナさんはいくつか気になる点があるといっていましたが。まず、『蒼き狼』が盗んだのが宝石等だったこと。今まで彼が盗んでいたのは現金に限られていますから――――――もっとも、ここ最近はそうとは限りませんが」

「・・・・・・」

 殺人が起こり始めてから、『蒼き狼』の言動に変化が表れてきたことをいっているのだろう。だがシスルの話では、あのカンナという警視正は今回の『蒼き狼』の言動に疑問を抱いてくれているようだ。自分や長官の他にも、『蒼き狼』の犯行ではないと疑ってくれている警察はいるらしい。それは喜ばしい事実だ。

「それに伴って、ターゲット層が変化しているようだ、ともカンナさんは言ってましたね。気のせいかもしれないともいってましたが」

 そこまで見抜いているとは。キリはあったばかりの先輩の洞察力に感動した。

「カンナさんて人は随分優秀なんスね・・・ねえ、先輩はおかしいと思わないんスか?」

「何がです」

「『蒼き狼』の行動の豹変ぷりッスよ」

「さあ・・・偽善者を気取るのをやめたんじゃないですか」

「・・・・・・・」

 シスルは特に『蒼き狼』犯人説に反対していないらしい。仕方のない事だが、少し残念なような気もする。

 押し黙ってしまった後輩にため息を吐いて、シスルは踵を返した。恐らく、カンナに退去を告げに行くのだろう。それをみてキリは慌てて現場を歩き回る。折角現場に入るチャンスを得たのだ。このまま、何の収穫もなく帰るわけにはいかない。

『自分の為に誰かを殺すのはもう辞めた』

 ――――――エンジュはそういったのだ。

 所詮泥棒の言うことだ。信憑性など欠片もない。盗人の戯言と片付けてしまってもいいようなことだ。

しかし、キリにはエンジュが嘘を言っているようには思えなかった。いつもおどけた調子のエンジュが、あれほど思いつめた顔をしていたのだ。嘘をついているとは思えない。

 更に今、キリは一連の事件の犯人がエンジュではないことを確信している。

 ここ一週間の間に起こった殺人に関しては、エンジュが行えるはずがないからだ。何故なら、現在エンジュの身柄はキリが管理している。片腕両足を手錠で拘束されている状況では人殺しどころか、怪盗行為を行うことも不可能だ。

 ――――――つまり。

 現在『蒼き狼』を名乗っている『誰か』はエンジュではないのだ。

 ――――――誰かが、エンジュの名を騙って犯罪を犯している。

(でも一体――――――誰が。何のために?)

 確かに有名な犯罪者の名を纏うことには利点もある。虎の威を借る狐の如く、有名犯罪者の名を騙る小物は少なくない。だが、わざわざ『蒼き狼』の名を使って殺人を繰り返すことに何の意味があるというのだろう。

 このままではなし崩しにエンジュが犯人にされてしまう。それは――――――何故だか気に入らなかった。理由は定かではないが。

 市民の間にも、『蒼き狼』の悪評は徐々に広がりつつある。中には、『蒼き狼』を見損なったなどと吹聴する者まででてきている始末だ。今まで散々『蒼き狼』のお布施のお世話になってきたというのに現金なものだ。

「――――――あれ、」

 ふと気になるものを見つけて、キリは屈み込んだ。思わず拾い上げそうになり、寸でのところでここが管轄外の場所だと思い出す。

 キリは慌てて手をひっこめると、現場の血液を採取している鑑識を手招きする。

「ねえねえ鑑識さん。アレ、何スか?」

「? ――――――これは」

 キリに呼ばれた鑑識官は、慎重にそれをピンセットで摘み上げた。

「・・・・・髪の毛ですね」

 それは一筋の――――――灰色の髪の毛だった。




「あれ、どう思うッスか?」

 警官隊舎に戻って遅い昼食を摂りながら、キリはシスルに問いかけた。先刻、現場で発見した髪の毛のことだ。現物は重要な証拠としてカンナに預けてきたが、キリの心は真犯人への手がかりをつかんだことに弾んでいた。

「あの、白髪のことですか? 確かに証拠の一つにはなりそうですが」

 あの屋敷の住人には白髪も銀髪もいなかった。ということは、あの髪は犯人の物だという可能性が高い。

「でしょー! やっぱり犯人は、『蒼き狼』じゃないんスよ!」

 浮かれるキリとは対照的に、シスルの態度は冷めたものだ。

「何でそういう事になるんですか。『蒼き狼』が白髪なのかもしれないでしょう」

「『蒼き狼』はお爺さんじゃないスよ!?」

「どうしてお爺さんじゃないと言い切れるんです」

「それは・・・だってあんな俊敏に屋根の上を駆け巡るお爺さんなんてありえねえッスよ」

「君はサンタクロースの存在を否定するつもりですか」

「サンタにはトナカイとソリという介護士がいるじゃねえスか!」

「ですが、煙突を潜るときは一人ですよ。室内にトナカイは付き添ってはくれないのです」

 確かに、札束を背負って屋根の上を走り回るエンジュはサンタっぽいな、と思った事がある。季節を問わず金をプレゼントしてくれる『蒼き狼』は、貧民にとってはサンタより有難い存在だろう。

「でも・・・」

 口ごもるキリに、シスルはぴしゃりという。

「君は少々、『蒼き狼』に肩入れしすぎです。そんな事では真実を見誤りますよ」

「・・・・でも、」

 キリは内心で憤慨した。

 真実に気づいていないのはシスルの方だ。

 キリは『蒼き狼』が殺人犯でないことを知っている。少なくとも昨日の事件については、キリに拘束されていた『蒼き狼』が人を殺せるはずがないのだ。だが、それをシスルにいうわけにはいかない。

 現場検証で発見した髪の毛もそれを裏付けている。『蒼き狼』ことエンジュの髪は鮮やかな群青。白髪ではない。だが、ホンモノの『蒼き狼』の頭髪の色を警察は知らないため、それもシスルにいうわけにはいかない。

「それに、別にお爺さんでなくても、生まれながらに白髪という種族もいますよ」

「・・・・あ、そういえばシスル先輩も白髪ッスね。それ生まれつきスか?」

「僕のは生まれつきです。元々色素が薄いんですよ・・・さて」

 シスルは空になった皿を片付けながら腰を上げた。

「僕は先に戻りますよ。予定外の仕事が増えたので、書類整理が溜まっていますから」

 予定外の仕事とは、キリにせがまれて行った現場検証のことをいっているのだろう。あえてキリは聞こえないふりをした。

 それ以上キリに構うことなく、シスルは食堂を後にした。そんなシスルの背中を見送って、キリは再び思索の海へと沈み込んだ。

 ――――――どうすれば、エンジュの無実を証明することができるだろう。

 そこまで考えて、はたと気づく。

(どうして俺は、あいつの為にこんなに躍起になってるんスかね)

 『蒼き狼』ことエンジュは警察の敵だ。殺人こそ犯していないにしろ、犯罪者であることに変わりはない。裁かれるべき存在だ。エンジュの罪状が少しばかり増えたところで、キリには関係ない。

 ――――――そう、頭では分かっているのだが。

 どうしてもそう割り切れないのだ。『蒼き狼』が人殺しとして、世間で中傷されている現状に我慢がならない。今まで『蒼き狼』の「お布施」に散々世話になってきた筈の連中にさえ、『蒼き狼』の悪評を鵜呑みにしている者がいる。そういった連中が、恩知らずにも『蒼き狼』を蔑視するのが――――――キリにはどうにも気に食わないのだ。

「まあとりあえず、真犯人を見つけるしかないッスね」

 そう呟いて、冷めたフィッシュバーガーにがぶりと噛みつく。一口食べて盛大に顔を顰めたキリに、背後から声がかけられた。

「ふふ、ここの社食はイマイチだからねえ。駄目じゃないか、温かいうちに掻き込まなきゃ。冷めたら食べれたもんじゃないよ?」

「――――――長官!」

 慌てて振り返ると、ビーフストロガノフを乗せたトレイをもったロサがにこにこしながら立っていた。殺風景な食堂に花が咲いたかのような麗しさだ。

「隣いいかな」

「勿論、どうぞどうぞ」

 キリは即効承諾した。美人と食べればこの残念なフィッシュバーガーも少しは美味しく頂けるかもしれない。

「長官も今からお昼スか?」

「うん。セントラルからお偉いさんの使いが来ててね。その相手をするのに手間取ってね」

 そういいながら席につくと、ビーフストロガノフを一口すくって口に入れ――――――やはり顔を顰める。

「うーん、やっぱイマイチだなあ。あ、そういえば最近美味しいお店見つけてね。キリも今度連れて行ってあげようか」

「ぜひお願いしたいッス」

 キリ的にはこの警官隊舎の社食の不味さは新入社員の殉職率の高さよりも深刻である。こんな昼食を摂っている所為で殉職率が高いのではないかとすら思う。

 パンを小さく千切りながら、そういえば――――――とロサが口を開いた。

「さっき廊下でシスルとすれ違ったんだけどね。君のことをぼやいていたよ」

「俺がイケメンすぎて隣に並ぶとモブに見えちゃうってコトすか」

「それはシスルだけの悩みじゃなさそうだねえ。でもいっていたのは、君が『蒼き狼』に固執してる事だね」

「・・・・・・・」

 確かに任務外の案件にまで突き合せたのは悪いと思っているが、長官にまで告げ口することはないと思う。広い意味で考えれば、これも仕事なのだからよいではないか。

「シスルから聞いたよ。現場から犯人のものと思しき髪を採取したそうだね」

 そのロサの言葉に、キリは目を輝かせると意気込んで応じる。

「はい、それが白髪っていうか銀髪っていうか・・・そういう髪だったんスよ!」

 蒼髪ではない。

 だから『蒼き狼』は犯人ではない――――――思わずそう口走りかけたが、寸でのところで思いとどまった。ロサが『蒼き狼』の髪の色など知るはずがないのだ。

「聞いてるよ。屋敷の住人には白髪も銀髪もいない。だからそれは恐らく犯人のものだろうけど――――――」

 やはりロサは自分と同じ考察をしている。そう確信して密かに内心ガッツポーズをするキリだったが――――――ロサはその細い顎に指を当てると、考え込むような仕草をする。

「白髪または銀髪というのは、『蒼き狼』のイメージにそぐわないね。どちらかといえばそう――――――別の怪盗を思い出すよ」

「別の怪盗?」

 首を傾げるキリに、ロサは視線を合わせる。

「・・・キリは、『シルバーフォックス』という怪盗を知っているかい?」

「シルバー・・・フォックス」

 キリはぴくりと片眉をあげる。

「何でそんな名前がここででてくるんスか?」

 訝しむキリに、ロサはパタパタと片手を振る。

「いや? 深い意味はないよ。ただ――――――銀髪はこの国では珍しい。とっさに思い当たる犯人像が他になかったというだけの話だよ」

「だからって・・・安直すぎやしねえスか?」

 現場から銀っぽい髪が出てきたからといって、銀髪で有名な怪盗と犯行を結び付けるのは安易な考えすぎると思う。率直なキリの感想に、ロサは微苦笑する。

「髪の毛の他にも、彼を連想する要素があるんだよ。キリは、現場をみてきたんだろう? 死体もみたのかい?」

「いや・・・見てないっスけど。調査報告書しか」

 キリが訪れた際には、最早遺体は片付けられたあとだったのだ。遺体の状況はカンナから説明してもらったが、正直うろ覚えだ。

「それには何て書いてあった?」

「えーと、ナイフみたいな刃物で、斬りつけられて殺されたって」

「もう少し、詳しい記述はなかったかい?」

「・・・・・・覚えてないです」

 正直に白状すると、ロサは宥めるように笑う。

「流し見しただけだろうし、仕方ないね。鋸のような刃で切り裂かれている――――――と書かれていた筈だよ」

「鋸刃・・・」

 キリは調査報告書を思い出した。確かに、遺体に残された傷口が歪だったと記されていた。鋭利な刃物を用いれば、傷口はああはならない。

「まあ、僕も報告書を読んだだけだから、確かなことはいえないけど。その話と現場に落ちていたという銀の髪から連想して――――――何かを思い出せないかい?」

「・・・・・・・・・・・・・」

「うん、思い出せないなら別にいいんだけど」

 キリが無言になった為、ロサは劣等生に教えるようにして丁寧に説明してくれた。

「――――――『シルバーフォックス』が好んで用いる武器が、鋸のような切れ味の刃物だそうだよ」

「――――――あ、」

 思わず声が零れた。

 つまり、『蒼き狼』を騙る誰かは、銀の髪若しくは白髪のような頭髪を持ち、鋸刃の獲物を用いているということだ。その二点を繋ぎ合わせて、ロサが『シルバーフォックス』を連想したのは必然といえた。

「今回の犯行はどちらかといえば『蒼き狼』より彼の犯行に近いと思うけどね・・・それに、僕には『蒼き狼』がこんな殺人を犯す理由は見えない」

「・・・随分と『蒼き狼』のこと、買ってるんスね」

 キリは少しばかり驚いた。

 確かに『蒼き狼』は義賊だが、所詮は犯罪者だ。長官のような立場のある人間が、こんなにも好意的な解釈を見せるというのは少しばかり意外な気がした。

 キリの言葉に、ロサは苦笑する。

「もっとひどい犯罪者を山ほど見てきたからね――――――彼みたいな存在は奇特だ。堕落してほしくないだけさ。希望的観測といってもいいかな・・・さて」

 ロサはトレイを持って立ち上がった。まだ中身は半分ほど残っているが、これ以上食べる気はないらしい。

「僕は先に失礼するよ。今日は定時で帰りたいから、仕事の処理を急がないといけないんだ。キリもあまり『蒼き狼』ばかりに拘りすぎない様にね。仕事は他にも山のようにあるんだから」

「了解ッス」

 ロサが立ち去った後、キリは食べかけのフィッシュバーガーを端へと押しやった。ロサの言う通り、冷めたら食べれたものではない。目の保養の長官もいなくなってしまい、食欲を補佐するものも最早ない。

 これ以上食事を続けることを放棄して、キリは先ほどのロサとの会話に思いを馳せる。あの時採取した髪の毛から、思いもよらない名が飛び出してきたことに――――――わずかな驚きを感じながら。

「『シルバーフォックス』・・・」

 新たに浮上した容疑者の名に、キリはどことなく渋い顔をつくったのだった。




「『シルバーフォックス』って知ってるッスか、先輩」

「何ですか唐突に」

「いや、こないだカンナさんの捜査現場で白い髪の毛見つけたじゃないスか。あの話を長官にしたら真犯人は『シルバーフォックス』じゃないかって」

 キリの言葉に、シスルは憮然とした表情を作って振り向いた。

「・・・勿論知っていますよ。有名人ですからね。基本的にS級犯罪者の手配書にはすべて目を通してますから――――――」

 『シルバーフォックス』。

 ウエストヘブンを主な活動拠点として、強盗を繰り返していた犯罪者だ。長い銀色の髪を後ろで一つに束ねた様が、狐の尾のように見えることからそう渾名された。

もっとも、当人はこの渾名をなかなか気に入っていたようで、この名が市民権を得てからは、自ら犯行予告にもその名を用いていた。素顔を見た者はいないが、体格からして男であったと思われる。

 ――――――そう、『シルバーフォックス』は愉快犯だった。

 犯行前には必ず予告状を送り付けてきた。予告状に踊らされて、大勢の警官が動員された中を掻い潜って目的を達成することに快感を覚えるような、厄介な性質であったと思われる。狙う獲物も如何にも話題を呼びそうな有名な絵画や宝石が多く、その割にはモノに執着するということはなかったという。盗みを働いた後は直ぐにそれを売り捌いていたという情報もある。盗むことそれ自体が目的――――――そんな印象すら受ける怪盗だった。

そして、彼は目的達成のためなら殺人も厭わなかった。彼を捕まえようとして犠牲になった警官隊や警備員は数知れない。

だが彼は三年ほど前から姿を消している。正確には、『シルバーフォックス』の犯罪行為が目撃されなくなっているということだが、警官隊に捕縛されたわけではないのに犯罪行為が止まっているという点から、警官隊内では既に死んでいるのではないかとの見方が強い。

「何でその『シルバーフォックス』が『蒼き狼』の名前を騙って、イーストエデンで犯罪行為に復帰してるんですか。狐が狼に進化したってことですか」

「いや、まあ確かに両方イヌ科ッスけど進化って。雷の石とか使えばイケるんスか?」

「イケるわけないでしょう。哺乳類舐めてるんですか君は。先カンブリア紀に謝りなさい」

「それ何時代!?」

「時代考証も知らない愚かな君はとりあえず僕に謝りなさい」

「すいません、俺理系なんで」

「とりあえずエジソンに謝りなさい」

「先輩こそその冷たい態度を詫びてほしいッス!?」

「・・・まあ、それでさっきの話ですけど」

「華麗に流された!」

 後輩の必死の訴えに応じる風もなく、無表情のままシスルは話を本題へと引き戻した。

「僕の知る限りでは、『蒼き狼』と『シルバーフォックス』の関係が蜜月などという情報は警官隊には入ってきてはいませんが――――――まあ、犯罪者間でのネットワークなんてほとんど掴めていないのが現状ですけどね。実は彼らが友人知人であったとしても何ら不思議ではありません」

「いやでも、友人だとしたら何で殺人の罪を『蒼き狼』に擦り付けようとしてるんスか。それじゃ嫌がらせじゃないスか」

「さあ・・・喧嘩でもしたんじゃないですか。・・・それより長官がそのような事を?」

 シスルの問いにキリは目を丸くする。意外なところを気にするものだ。

「え? ああ、食堂で偶々一緒になった時に話題に出たんスよ。先輩が出てった後に来て・・・長官も『蒼き狼』の殺人には疑問を持っているみたいッス」

「・・・・そうなんですか。あの後食堂にいらしたんですか・・・」

 どこか残念そうな色が声に滲む。

「長官に会いたかったんスか?」

「え? ああ、渡したい書類があったので」

「だったら急いだ方がいいスよ? 長官、今日用事あるから定時で帰るっていってたッスから」

 その言葉に、シスルの動きが止まった。

「長官が? ――――――そうですか・・・」

 珍しく思案するような表情するシスルの袖を引っ張り、キリはなるべく可愛い後輩としての声を作った。

「ね、先輩今日夕飯一緒に食いにいかねっスか?」

 キリは半分以上食べるのを断念したフィッシュバーガーを思い出して、げんなりした表情を作る。何か美味しい食事を摂取して、気分を上げたいところだ。

「何か美味しい店教えてほしいっス。毎日ここの食堂でご飯食べてたら、舌がバカになりそうッスよう」

 だが、キリのおねだりにシスルはすげなく首を振った。

「残念ですが今晩は用事がありますので無理です。美味しい食事はまたにしましょう」

 断られたこと自体は残念だが、「また」という単語に驚かされた。何かとキリに対して手厳しいシスルにしては珍しい。

「お店連れてってくれるんスか?」

「ええ。――――――とっておきを紹介しましょう」

「ホントすか!? 楽しみにしてるッス」

 美味しいレストランというのも気にかかるが、シスルがキリを誘ってくれたこと自体が嬉しかった。シスルの態度があまりに冷淡なので、時折本気で嫌われているのではないかと心配していたが、杞憂だったようだ。



 だが、キリはシスルの『とっておき』を聞くことはできなかった。何故なら、翌日以降――――――シスルをキリが見かけることができなくなってしまったからだ。




 シスルは忽然と姿を消した。

 イーストエデンに赴任して二か月。

 キリは二人目の上司を失った。


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