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『蒼き狼』のニセモノとホンモノ。

「――――――・・・警察って冷たいんスね」

 ジニアが姿を消してから、既に二週間が経過していた。

 その間、警官隊内で必死の捜索が行われていた――――――ということはまるでなかった。

 寧ろ、そんな事実はなかったかのように。

 寧ろ、そんな現実が当然であるとばかりに。

 ジニアの失踪は、警官隊で黙殺された。

 特に捜査が行われるわけでもなく、捜索が行われるわけでもなく。

 なんでもないことのように。

スルーされてしまったのだ。

 深夜当番だったジニアが、夜の見回りにでたまま朝になっても戻らなかった。それに気づいたキリが慌てて上司に報告したが、帰ってきたのはすげない応えだけだった。

「ああ・・・またか」

「またって・・・早く捜索隊とか出さないとまずいんじゃないスか!?」

「悪いが、そんな些細なことに割く人材はないよ」

 その冷然とした態度に、キリは絶句した。

「だって、警官が一人行方不明になってるんスよ? それを――――――些細なことって」

「よくあることだ。オーキッド隊員はベテランだったが・・・新人であれば日常的に起こることだ」

 それだけ、だった。

 同じ職場の仲間が消息を絶ったというのに、あたかも興味のないタレントのスキャンダルか何かの如く聞き流されてしまった。

 ――――――ここ、イーストエデンでは。

 警官が行方不明になったところで、捜索などしてもらえない。一か月の間、本人からの連絡がなければ、殉職したものとして処理される。

 事件に巻き込まれて消息不明になろうと、それはすべて自己責任ということなのだ。

「人材を大事にしないから、人手不足なんスよ」

「・・・仕方がないですよ。警官の殉職も消失も、日常茶飯事ですから。その全てを監督するわけにはいかないのでしょう」

 そういって頬を膨らませるキリの方を見もしないで、淡々とシスル応じた。

「・・・・・」

そんなシスルの言葉に「先輩も冷たい」などと騒ぎ立てないのは、知っているからだ。

 シスルが昼休憩や、自分の仕事の合間を縫って、ジニアの行方を突き止めようと尽力していたことを――――――知っていたからだ。

 そして、残念ながらその努力が実を結んでいないことも。

 ジニアは元々ウエストヘブンに勤務していたが、そこで何かミスをやらかしてイーストエデンに飛ばされてきたらしい。シスルとは、その時から同部署で働いているとのことだから、付き合いも深かったのだろう。

 無表情とは裏腹に、相当心を痛めているだろうことは容易に知れた。

 むろん、キリも時間の許す限りジニアの捜索を手伝ったが、結果は芳しくなかった。これだけ探しても見つからないところを見ると――――――生存は絶望的だろう。

「こんな使い捨ての駒みたいな扱い・・・容認されていいんスか?」

「容認されているので仕方ないです。警官隊に入った時点で、覚悟していたことですから・・・」

 それでも警官隊に入隊する人間が後を絶たないのは、警官隊が各方面で優遇されている身分だからだ。更に、警官隊の給金は国の平均収入の1・7倍とかなり厚遇されている。最下層のイーストエデンにさえ配置されなければ、生涯安泰した生活が約束されるのだ。

「仕方のないことです」

 そういうシスルの表情には、やりきれない色が浮かんでいたが、同時に諦観も見て取れた。きっと、彼はこの地で何度もこういった事態に直面してきたのだろう。同期や、後輩や、先輩が次々と姿を消していく様を――――――

 そう考えれば、新人の折より九年間もの間この地で生き残っているシスルという男は自分が思うよりもすごいのかもしれない。

 そう考えたキリは、シスルへの評価を少しばかり改めようと考えた。まあ、ほんの少しばかりだが。

「・・・話は変わりますけど」

 そうシスルが切り出したのは、これ以上ジニアについての話題を続けるのが生産的ではないと判断したからだろう。確かに、ここで警官隊の非人情的な対応について話し合っていたところで、ジニアが帰ってくるわけでもないのだ。

「君がご執心の『蒼き狼』ですが・・・」

「ああ・・・何スか、いいようにあしらわれてるって言いたいんスか?」

 イーストエデンに赴任した初日、キリは『蒼き狼』に出逢った。

それからの二週間、何度も『蒼き狼』に遭遇しているが――――――遭遇した数だけ取り逃がしていた。

 『蒼き狼』出没の鐘の音が聞こえるたびに仕事を放りだし、屋根の上で追いかけっこを繰り返してはいるが――――――結局のところ、振り切られてしまうのである。

 今まで、自分の身体能力には絶大な自信を持っていたキリだったが、こと脚力においては『蒼き狼』に負けていることを認めざるを得なかった。

 脚力で叶わないならば、何かほかに策を考えるしかない。

しかし、かの強盗は事前に予告状を出したりはしないので、事件が起こってからしか対処が取れない。よって、事件が起こり、彼が街に金の雨を降らしだしてから追いかける羽目になるのだが――――――

そうなると、『蒼き狼』の身体能力の高さに太刀打ちできないのだ。

 毎度キリは子供のように煙に巻かれてはいるが、他の警官ではそもそも彼と鬼ごっこを演じることすらできない。そういう意味では、褒められこそすれ貶される筈もないのだが、キリはそうは思っていないらしい。

 てっきり『蒼き狼』捕縛に進展のない事について、嫌味を言われるのかと思っていたキリにとって、シスルの口から出た言葉はキリの意表をつくものだった。

「いえ、そうではなくて。『蒼き狼』が・・・人を殺したと」

「・・・・え?」

 その言葉に、ふてくされたようにデスクに突っ伏していたキリは、がばりと顔を上げる。

「何スか? それ」

「・・・聞いてないんですか」

 シスルもパソコンから顔を上げると、キリに向き直る。

「警官隊内部では密かに話題になってますよ」

「そんな・・・・そんなこと」

 キリは動揺している自分を自覚した。

 『蒼き狼』の評判が世間で良いのは、彼がコロシをしないというのも原因の一つだ。

 彼は今まで、仕事の際に殺生を働いたことは一度もない。

一般市民は勿論、警官隊にすら被害者はでていない。Sランク犯罪者への対処は基本デッド・オア・アライヴなので、警官隊は彼を殺す気で追いかけているというのに――――――だ。ある意味コケにされていると言えなくもないが。

 今までどんな危機に陥っても人殺しを避けてきた『蒼き狼』が――――――

人を殺したという。

「・・・それ、本当なんスか」

 珍しく真面目な声音で尋ねるキリ。

「どうでしょう・・・ただ、昨日『蒼き狼』が盗みに入った屋敷の使用人が一人、殺されていたんだそうです。ナイフのようなもので切り裂かれて。警官隊内では、『蒼き狼』が盗みの際に殺傷したものとの見方が強いですね」

 抗議の声を上げかけたキリを、シスルは手を上げて制する。

「あくまで、警官隊内部の意見ですよ」

 キリを押しとどめると、シスルは静かにいう。

「ですが、彼の犯行現場で人死にが出た以上、妥当な見解ではあると思います。そもそも、義賊とはいえ彼が犯罪者であることには変わりがない」

「でも――――――」

 ――――――納得がいかない。

 『蒼き狼』のことをそれほど詳しく知っているわけではないが、それは彼の行動原理と合わないような気がした。警察に追い詰められてもコロシに手を出さなかった彼が、どんな理由があってそれを犯したというのか。

 キリが黙り込んでいると、後ろから涼やかな声が響いた。

「僕もその見解には同意しかねるね」

 その声に振りむくと――――――そこに立っていたのは。

「・・・長官」

 やわらかそうな胡桃色の髪に、紅玉色の眸。片目に無骨な皮の眼帯が特徴的な、キリとシスルの上司だった。

「やあ。ちょうど届ける書類があったからね」

「長官直々に・・・言われれば僕が取りに行きましたのに」

 慌てて腰を浮かすシスルに、長官ことロサ・ハイドランジアは屈託なく笑う。

「散歩ついでだよ。ずうっと長官室に籠ってると気分が腐るからね・・・はい」

そういうと、頻りに恐縮するシスルに書類を手渡す。イーストエデンの最高幹部である彼女はフットワークが軽く、こうして時間を見つけて各部署を見回っている。

「それはそうと。キリはこの件に関して、『蒼き狼』の犯人説を疑っているのかい?」

「あ・・・はい」

 応じてから、犯罪者を擁護するような台詞を口にするのはよくなかったかと焦る。しかし、ロサはキリの言葉に満足そうに頷いた。

「ああいった犯罪者っていうのは、結構信念やらポリシーやらを持っている輩が多いからね。急に犯罪の傾向が変わるというのはあまり例のないことだ。軽率な判断は真実を見誤ることになると思う」

 どうやら、ロサも『蒼き狼』犯人説には疑問を抱いているらしい。

キリは、そのことに少し安堵を覚えた。長官がそう考えているならば、ロクな調査もせずに『蒼き狼』の罪状に殺人が上乗せされるようなことにはならないだろう。

「・・・そうっスよね。俺もそう思うっス」

 



 ――――――だがその四日後。

 『蒼き狼』の被害に遭った屋敷で再び、死体が発見された。




「納得いかないんスよねえ」

 キリは堂々と独り言を呟きながら、ファイリングされた資料を捲った。

 現在、キリがいるのは資料室だ。キリはわざわざ資料室へ申請を出して、とある捜査資料を見に来たのだ。見たかったは勿論、『蒼き狼』の事件の資料だ。

それもここ最近の『蒼き狼』の犯行についての捜査資料――――――つまり、殺人を犯したとされている現場のものだ。

「やっぱりおかしいっスよ、これ」

 キリは思わず、資料に対して不満を洩らした。

 『蒼き狼』の犯罪の特徴は大きく三つ。

 一つ、盗むのは現金に限ること。

 今までに『蒼き狼』の被害に遭った家で盗まれたのは必ずといっていいほど現金だけだ。それは恐らくその後に彼が行う『お布施』のためだと思われる。下手に宝石や時計などの貴金属を屋根の上から放り投げたりすれば、下にいる人々がけがをする恐れがある――――とでも考えているのだろう。単に軽くて大量に持ち出しやすいという理由かもしれないが、彼は一貫して現金を狙う。

 二つ、大金持ちからしか盗みは働かない。

 今までに『蒼き狼』が盗みを働いた屋敷は、この先三代が働かずして左団扇で暮らせるような超がつくほどの大金持ちばかりだ。しかも、あくどい事をやって金を荒稼ぎしているような、所謂『汚いカネ』が多い。明らかに『蒼き狼』が侵入しているにも関わらず、警官隊に被害届を出してこないような輩もザラにいる。こういう相手を標的に選ぶことによって、義賊的性格が強められている一面もあるのだ。

 三つ、――――――人は殺さない。

 『蒼き狼』は人を殺さない。盗みに入った家の者は勿論、彼を捕縛しようと追いかけてくる警官隊の者まで含めて。警官隊の方は、生死問わずで彼を追っているにも関わらず――――――だ。

 キリは『蒼き狼』に逢うためにイーストエデンにやってきたのだ。彼の犯罪傾向についてはある程度調べている。だが――――――ここ最近の事件は。

 屋敷の中は宝石や時計、高価な毛皮に至るまで、散々に漁られていた。とりあえず、目につく金目の物をすべて盗んでいったという風だ。更に被害にあった家も、教師、商家、画商といった具合で、よくて精々中流階級といったところだ。共通点は警備員などを雇っていない家だったということくらいだが、今までの犯行に比べれば大幅なスケールダウンだ。そして何より――――――殺人。被害に遭った家で人が殺されている。

「見るに堪えないッスね」

 ニュースや口頭などでは事件を把握していたが、改めて詳細を知らされてキリは渋面を作る。ここまで以前の犯行と毛色が異なるのに、これらが『蒼き狼』の仕業とされている理由はただ一つだ。

 金が撒かれるのだ。

 事件があった後、周囲で金が撒き散らされた形跡と、時計塔の鐘の音を聞いた者が複数いる。時計塔の鐘は、『蒼き狼』のお布施の合図だ。事件はいずれも夜で、目撃者は少ないが、確かに事件後に行った調査では、金が地面や屋根に落ちていたらしい。

 事件の後に金を撒く。

その一点をもってして、これらの事件は『蒼き狼』の仕業とされているのだ。キリに言わせれば、こんなにも相違点に溢れているというのに――――――

まったくもって納得がいかないが、それが今の警官隊の見解だという。

 不愉快な資料にパラパラと目を通しながら、キリはくちびるを尖らせた。

「・・・・・あ、これもだ」

 いくつも資料を見比べている内に、キリはあることに気付いた。

 資料を借りたときにサインする、閲覧者リストの名前。そこに、キリの知った名が幾度も記載されていたのだ。


 ロサ・ハイドランジア。


 先ほど閲覧した資料にもロサの名があった。

「こんな資料にまで目を通してるなんて――――――」

 今まで殺しをしたことがない『蒼き狼』による連続殺人――――――ロサもこの事件を異質だと感じてくれているのだろうか。長官がそう考えていてくれるならば、キリも動きやすくなるかもしれない。

 ――――――長官に、今までの『蒼き狼』の犯行との相違点について、報告してみようか。しかし、ロサならばキリが指摘するまでもなく気づいているかもしれない。

 キリがそう思案していると――――――



 カランカランカラン――――――



 時計塔の、鐘が鳴った。




 時計塔の鐘が鳴るのは、お布施の合図。

 慌てて資料室から走り出ると、キリは窓へと駆け寄った。眼下は既にジェル紙幣を拾おうとする人々でごった返している。キリはそれを確認すると、階下へは向かわずに屋上を目指した。

 屋上へと走り出ると、ぐるり――――――と周囲を見渡す。首を三五度ほど東へ傾けたあたりで、キリは目的のものを見つけた。

 大きな袋を片手に屋根の上を器用に駆け回る人影。季節外れのサンタクロースさながらのその姿は間違いようもなく――――――『蒼き狼』。

「・・・・今日のはホンモノみたいッスね」

 キリは目を細めて目標を見据えると――――――屋上の床を蹴った。




「――――――よう、いつものイケメン君じゃねえの」

 お布施を配っている間に追いついてきたキリを見止めると、あろうことか『蒼き狼』は鷹揚に手を挙げて挨拶を送ってきた。あたかも友人に応じるかのような仕草に、キリの緊張感が音を立ててしぼんでいく。

(――――――この人、今自分が殺人犯にされてるってわかってんのかな)

 まあいい。キリは気を取り直すと、『蒼き狼』へと向き直る。

 そのあたりの事は、捕まえてから直々に聞けばよいだけの話だ。

 そのキリの瞳を見て、『蒼き狼』の声音に愉快そうな色が混じる。

「お、やんのか。いつもの追いかけっこ」

「・・・・今日は負けねェッスよ」

「アンタに聞きたいことがある」

「好みのタイプか?」

「いや違うッス!」

「俺、タイプとかねーから。強いて言えば好きになった相手が好きなタイプかな」

「うーわーっ、一番ウザイ答えきた!」

「それともスリーサイズか。俺の胸はEカップはあるぜ――――――女に変換すればな!」

「誰が胸筋のサイズ聞いたっスか! てか引き締まったいい身体だー!」

「この稼業、身体が資本だからな! 健康には気を使ってる」

「・・・インフルエンザにでもかかって休業しちゃえばいいのに」

「ワクチンは毎年打ってるぞ」

「ワクチンの型が、予想と外れればいいのにー!」

 そういうなり、キリは走り出した。相手のペースに巻き込まれるとロクなことがない。

隙をついたつもりだったが、無駄だったようだ――――――『蒼き狼』はキリのタックルを華麗に躱すと、即座にキリとの間に距離をとった。

キリが資料室に籠っている間にあらかた撒いてしまったのだろう、残りの金を地上へと一度に放り投げる。『蒼き狼』が金を投げ捨てた方向から歓声があがる――――――その歓声を背に。

空になった袋を懐へと仕舞うと、軽やかに身を翻した。




 ――――――速い。

 キリは前を走る『蒼き狼』を追いかける。

 ――――――速い、速い、速い――――――!

「ほーらほら、どうした? 全然追いつかないぜー?」

 しかも時折振り返り、そんな挑発的な言葉を投げつける。だが、キリにはそれに言い返すゆとりはない。

全力。

千切れんばかりに足を動かして全速力で駆けているというのに、キリはそのターバンの端すらとらえることができない。恐ろしいほど敏捷な男だ。

しかも相手にはこちらをからかうだけの余裕がある。その事実にキリは歯噛みする。

運動神経には自信がある。警察学校でも、実技はダントツ主席の成績を貰っている。そのキリが、全力で走っていても追いつけないのだ。しかも恐らく、相手は速力を落としている――――――キリとの『追いかけっこ』を楽しむために。その事実がキリを余計に苛立たせる。

「絶対とっつかまえてやる!」

 キリの叫び声に『蒼き狼』が振り返った。しかも、顔だけでなく、身体全体で。

「――――――・・・」

 そのままバック走の状態でにかりと笑う。しかも速度は全く衰えないままだ――――――息をのむキリに『蒼き狼』はターバンの下で微笑んだ。

「がむしゃらなイケメンの顔ってのもいいじゃん。ファン増えるぜ?」

「この・・・化け物っ」

「心外だな。――――――おっと、」

 ふわりと、『蒼き狼』の姿が宙を舞う。キリが『蒼き狼』を追う姿を見て、市井を巡回中の警察が狙撃を試みたらしい。彼はそれをバック走のままで宙返りをして躱したのだ。

「あっぶね、下への注意が疎かになってたな・・・・っ!!」

 その、中空で。

 『蒼き狼』の顔色が――――――変わった。

 瞬間その意図を測り損ねたキリだったが――――――『蒼き狼』の視線を辿ることにより、即座に理解した。

 ――――――屋根の上に、子供がいた。

 二人は屋根の上を駆けていた。そこには子供などいるはずがない――――――いるはずがないのだが。

屋根の上には煙突が出ていた。そしてその煙突の中から、子供が顔を出していたのだ。

その子供は――――――煤で顔も服も真っ黒だった――――――恐らく、煙突掃除の仕事をしていたのだろう。狭い煙突の掃除は貧しい子供がよく選ぶ仕事の一つだ。

そして間の悪い事に、宙返りをした『蒼き狼』の身体の軌道と、子供の頭の位置が絶妙にマッチしてしまったのだ。有体に言えば、このままいけばぶつかる――――――

そう、思った時だった。

「あ――――――、」

 思わず声を出したのはキリだった。

 『蒼き狼』は、眼前に迫る子供を避けようとした。身体の自由が利かない空中で、更に身体を捻り――――――二回転はしただろうか。

しかし、予期せぬ二回転を強いられた体軸は劇的なダメージを受けた。大きくバランスを失い、屋根から落下してしまう――――――更に、体勢を立て直す間もなくその下にあった庇に勢い余って激突する。

まるで猫のようにしなやかなバランス感覚を誇る『蒼き狼』も、重力には逆らえなかった。庇から鞠が転がり落ちるようにまっ逆さまに落下すると、そのまま地面へと叩きつけられた。

恐らく、背中を強打したのだろう――――――ぴくりとも動かない。

落下中に何処か負傷したのかもしれない。

キリは慌てて屋根からトイを使って降りると、『蒼き狼』に走り寄った。

彼がそこまでして護った子供は、怯えたようにして煙突に頭を引っ込めてしまい、出てこない。薄情な話だと思いつつ、キリは落下点へと急ぐ。

「――――――・・・・」

 『蒼き狼』に駆け寄ったキリは、思わず言葉を失った。

 別に、『蒼き狼』が想像以上の大怪我を負っていた――――――などというわけではない。

 あの状態でも受け身をとっていたのだろう。少なくとも出血などはなく、見たところ五体満足のようだった。完全に意識は失っているが、命に別状はなさそうに見える。

 唯一つ、彼が落下前と違う点があるとすれば髪――――――だった。

 頭と顔を覆うようにして巻かれていたターバンが、落下の衝撃で外れていたのだ。それにより、今まで隠されていた頭部が露になっている。

 やはり想像していた通り、彼と同じ年くらいの若い青年だった。しかし、キリを驚かせたのはそんな事ではない。

 彼が驚いたのはその――――――髪の色だった。

 ――――――あまりに眼を引く蒼。

 瞳の色と同じ、深い蒼色。

「成る程ね・・・」

 迂闊でお人よしな彼は、今までにもその姿を人前で晒してしまった事があるのだろう。そしておそらく、彼のこの珍しい蒼髪を見た者が、いつしか彼のことをそう渾名したのだ。黄昏が夜を連れてくる瞬間に現れる、仄昏い――――――蒼い空の色。

 それこそが――――――『蒼き狼』の呼び名の由来に他ならないだろう。


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