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一部:返事を返す為に

 曲がりくねった坂道、道端には雑草が茂りガードレールの白色が映える、その坂道を一台の自転車が颯爽と下っていく、太陽に照らされた車輪は煌びやかで遠くにまで光を反射する、長い髪を風に任せ自転車はどんどん速度を上げる。


「もう少しで見える!」


 一段とペダルを漕ぐ足に力が入る、住宅街を抜けた先鼻先を潮の香りが掠め、坂が途切れたと同時に山も途切れ間に広がるは青い海、雲が溢した牛乳のようにあちこちにあって、海鳥も気持ちよさそうに鳴いている、ここは海を臨める小さな港町、漁業が盛んで家の軒下には開いた魚が吊るされその下には猫達が物欲しそうに見ている、この街の人達は皆肌が日に焼け黒くそしてとても元気だ。


「よぉ姉ちゃん今日も来たのかい! どうだいさっき取れた魚だぜ!」

「ありがとう! 後で寄るね! 他の人にあげたりしないでよ?」


 挨拶もそこそこに漁港を横切る、防波堤にぶつかり飛沫を上げる波は白く泡立ち風を冷やす、それはクーラーなんかよりも心地いい。


 しばらく走り続けると一軒の家の前に着く、街からは少し外れた所にポツンと建っている一軒家、腰ほどの塀には苔が積み上げられた石と石の間に隙間なく生えている、自転車のスタンドを立て引き戸を開けると。


「こんにちはー、おじいさんいるー?」


 元気よく声を上げここに住んでいるであろう老人に声を掛ける、しかし一向に返事がない、不思議に思った女性は靴を脱ぎ「お邪魔しまーす」と口を開きながら家へと入る。


 中は意外にも広く片付けられている、台所も綺麗にされており洗物も溜まっていない、ただ気になる事と言えば蛇口の閉め方が甘い事くらいか。


「またちゃんと閉めてない、意外とこういうのが水道代に響いたりするんだから!」


 蛇口に手を伸ばしギュッと閉める、水滴は止まり聞こえるのは風が草木を鳴らしている音だけ、不気味に思いながらも今度は台所を抜け南側にある縁側に向かう、そこには腰を降ろした老人がただ無心に海の彼方を凝視していた、やっと見つけたと言わんばかりに大きく息を吐き出し隣に寄り添うように座り。


「おじいちゃんこんにちは! また海見てるの?」

「うん? あぁお前さんか、気が付かなかったよ、最近ぼーっとする事が多くてな」


 白い歯を見せびらかす様に豪快に笑う、膝に手を付き立ち上がるのに肩を貸す。


 この女性は近くに住む老人の親戚だ、こうやって一人で暮らしている老人を不便に思い時折様子見がてら手伝いにやってくるのだ。


 立ち上がろうとした時、一枚の紙が床に静かに落ちる、日に焼け四隅はボロボロになっている紙、目に付いた女性は手を伸ばし手に取る。


「すまんな、取ってもらって」

「ううん気にしないで、それよりこれ――」

「あぁこれか、お前さんメッセージボトルって知ってるか?」

「え、うんまぁ、手紙をボトルに入れて海とか川に流すあれでしょ?」


 受け取ると老人は居間まで歩き笑顔のまま座り込む、机を挟み対面に座る女性、皺だらけの手で優しく丁寧に広げられた手紙。



――拝啓、見知らぬあなたへ――

 まずはこの手紙を拾ってくれた事に感謝します、私がこの手紙を書いている今は生憎の雨です、あなたの所はどうですか? 晴れていますか? こうやって見ず知らずの人に向けて手紙を書くのは少し恥ずかしいけど、でもとてもワクワクしています、どんな人が拾ってくれたのかとか、間違ってゴミに捨てていないだろうかとか。

 あまり長く書けないから最後に、どうかこの手紙を手にしたあなたに幸福が訪れますように。




「素敵だね、どんな人なのかなぁ」

「それは綺麗な女性(ひと)だったさ」

「へぇそうなんだ――、ん? ちょっと待って、おじいさん会いに行ったの?」


 照れくさそうに小さく頷く、驚く女性は口に手を当てながら色々な質問を投げる、どうやって居場所を知ったのか、どういう人だったのか、あまりの口撃に老人はまずは落ち着くよう宥(なだ)める、平静を戻した女性は黙って老人を見詰めた、早く話を聞かせて欲しいと言わんばかりに。


「分かった分かった、やれやれ――どこから話したらいいやら」


 老人はそっと目を閉じ、昔を思い出す様にゆっくりと口を開く。


「あれは―、そうさな五十年以上前の話になるか」



 ◇◇◇



 海鳥が鳴きながら海上を優雅に飛んでいる、今よりもまだ街が小さかった頃、しかし活気に溢れ毎日が楽しかった、暑くなれば海に飛び込み、小腹が空けば潜って魚を捕りその場で調理して食べた、そんな青年時代。


「よっしゃああ! 今日の晩飯取ったぜ!」


 海の中から顔を出したのは若かりし日のあの老人、手にした銛の先には魚が刺さっている、鱗が光を返し宝石の様に輝く、砂浜には仲間達が手を振り彼の帰りを待つ。


 この時代、方々で戦争が勃発しており親を失った戦争孤児が急増、いつの間にか似たような境遇の仲間達が増えていった、老人はその一人だったという。


「これだけ取れりゃ今日の晩飯は大丈夫だな!」

「さすがあんちゃんだぜ! これに米でもありゃ文句無しなんだけど」

「贅沢言うんじゃねぇ、食えるだけでもありがたいと思え!」


 鼻水を垂らした少年に青年は拳骨をお見舞いする、ヘラヘラとにやけながら今日の収穫を持ち帰り、青年達が寝床にしている廃墟へと向かう。

 

 来る日も来る日も焼き魚、変わり映えしない毎日、しかしそれでも青年達は楽しかった、気の合う仲間達に囲まれ幸せだった。


 そんな生活を続けていたある日、いつもと変わらず海に潜り食料を調達しにいった時だった、いつものように潜るが何かが違う、陸に上がり波を見詰める。


「今日は潮の流れが速いな、魚も奥の方に引っ込んじまったし、さてどうすっかなぁ」


 砂浜に大の字に寝転がり流れる雲を眺める、手ぶらで戻る訳にもいかない、弟妹分が待っているのだ、何とかして調達しないと―、そんな考えが頭の中を駆け巡る、すると遠くからポンポンと音が聞こえて来る、起き上がり海の先を凝視すると一台の船が航行していた、じっと眺めていると何かを思いついたのか青年は漁港へと駆ける。


 何台もの船が泊められ、波に揺られ上下している、その船を眺めながら乗組員がいる船を探す、一番端の船が今まさに漁に出ようとしていた、すかさず近付き。


「なぁおっちゃん! 俺も手伝うからさ少し魚分けてくれねぇかな?」

「あぁ? そりゃあおめぇ大量に取れれば少し位なら分けてやってもいいが」

「決まりだ! さぁ行こうぜ、邪魔はしないさ」

「あたりめぇだ、邪魔したらすぐさま海に放るからな!」


 大声で笑いながら青年は漁船に乗り込む、エンジンが唸りどんどん沖へと進んで行く、やがて仕掛けた網が分かる様に一緒に設置されているブイを見付ける、船は速度を落とし数名が網を引き寄せる、青年もそれに交り一緒に揚げていく、網の中には大小様々な大きさの魚がわんさかいた「良かったな大量だぞ!」尾鰭を動かし飛び散る飛沫に思わず目を瞑る。


 その時だった、魚の群れに交じって何か違う物が光っている、青年はそれに狙いを澄まし手繰り寄せる、手にしたそれはガラス瓶に木製の栓がされていた、船長が近付き眺めると。


「ったく、こういうゴミを流すんじゃねぇよ、お前片付けておけよ」

「うーっす、しかしこの瓶どっから――、ん? 何か入ってる」


 青年は捨てずにそっと腰にぶら下げた。

 

 陸に戻り夕食を済ませる、今日は大量だった為船長が奮発して四十センチはあろう魚を二匹もくれた、食べ盛りの少年達は大喜びしあっという間に骨だけになる。


 草むらから虫の鳴き声が聞こえる真夜中、青年は眠れずにいた、穴の開いた屋根から覗く星を黙って見詰める。


「あ、そうだあの瓶」


 上体を起こすと漁で拾った瓶を手に取る、入り口付近で火を焚いている為そこだけ明るい、火の傍で瓶を転がしながら青年は確信する、やはり中に何かあると、栓を開けひっくり返すと出て来たのは丸められた紙、広げると文字が並んでいた、簡単な読み書きが出来る程度の勉強しかしていないがそれで十分だった、文字を追い読み進める。


「変なの、こんなの流すとか何が楽しいんだか」


 丸め瓶に戻そうとした時だった、もう一枚入っている事に気付く、出て来たのは写真だ、長い航海を経てやってきた為色褪せ最早白黒写真と相違ない程色が剥げている、だがその写真はとても美しく、心惹かれるものがあった。


 小高い丘と街並みそしてその先にはこの街と同じく海が広がっている、青年は虜になっていた、何分も眺め続けある考えが浮かぶ。


「この写真、もしかして手紙書いた人の住んでる街なのか、どんな人なんだろう」


 両手に手紙と写真を持ち寝転がる、火に照らされた写真は透かされ何かまた文字が見えた、裏返し目を細める。


「アト、リ? この手紙書いた人の名前かな、アトリかぁ――アトリ」


 青年の心は大きく動いた考えは思いに、思いはついに願望へと変わる。


「アトリ、会ってみたいなこの人に――、しかし旅費がないしなぁ、小遣い稼ぎってもあと何年しなきゃいけないんだって話だし、それ以前にどこに住んでるのかもわかんねぇしなぁ」


 手掛かりは写真とアトリという名前、人を探すにしてもこれだけでは不十分だ、とにかく今は眠り細かい事は起きてから考えよう、そう自分に言い聞かせ眠りに就いた―。


 翌日青年はまた海に来ていた、だがいつもと違う、岩の上に座り込み焦点も合わせずただジッと海の彼方を見ているだけ、すると後ろから弟分の一人、あの鼻水を垂らしていた少年だ、静かに近づき驚かすだが予想に反して全くと言っていいほど反応が無い、手を目の前で泳がせるがそれにすら気付いていない、心ここにあらずといった状態、堪らず少年は背中を思いっきり押し海へと落とそうとする、だがついに気が付いた青年は首根っこを掴み頭に拳を押し当てた。


「俺を落とそうとはいい度胸だな!」

「だ、だってあんちゃんずっと海見て気付かないんだもん!」

「俺だって考え事の一つや二つはするんだよ!」

「悩んでんのか? あんちゃんらしくねぇなぁ、いつもみたいに勢いでやればいいじゃん!」

「てめぇはまた生意気な事を! ――いや、その通りだな」


 手を放し少年を解放する、頭を擦りながら青年を見ると笑顔で。


「なぁ――、ちょっとの間家の連中の面倒頼めるか?」

「いいけど、どれくらい?」

「わからねぇ、すぐかもしれないし、もしかしたら帰ってこれないかもしれない」


 急な申し出に困惑する少年、思わず止めようとするもその横顔を見て気持ちを汲めた、本気だと、こうなってしまうと梃子(てこ)でも動かない。


「行きたい所があるんだ、んで直接会って言いたいあんたの出した手紙、しっかりと受け取ったってな」

「ふぅん、それってあんちゃんの女?」

「お前はどこでそういう言葉を覚えて来るんだよ!」



 日が暮れる中、青年はある事を考えていた、旅費が無いなら船に潜り込めばいいと、幸いこの街の沖合を貨物船が通る事は知っていた、だが行く先は知らない、しかしそれでも青年は止まらなかった、木の板を張り合わせて作った手製のボートに跨り、船が通るであろう航路の近くで構える、夜の海は静かで不気味だった、水温も光が無いせいか少し冷たく感じる。


「そろそろ来るはずだ、あっちか」


 遠目に見えた灯り、貨物船の灯りだ、導かれるように近付くとそれは巨大な船だった、間近で見たことが無かった青年にとっては大きな誤算だ、船の先端が波を切り大きくうねるそれはいとも簡単に手製のボートを破壊した、海に放り出された青年は必死に食らい付こうと泳ぎ続ける。


「くそ! こんな所で離されてたまるかよ! 俺は、絶対会いに行くんだ!」


 どんどん離れて行く貨物船、それでもなお泳ぎ続ける、船が創る波に体力は奪われ腕に力が入らなくなって来る、そんな時船の側面に見えたタラップ「あそこしかない」青年は残りの力を全て使い切る覚悟で前へと進んだ――。


 街の灯りは小さくなりやがて闇に消え行く、何とか船内に潜り込めた青年は体のいい貨物の隙間を見つけるとそこに座り込み体を擦る、ずぶ濡れの体を少しでも温めようと必死に擦った。


「元気でなお前ら、またいつか会おうぜ」


 義兄弟達に別れを告げ青年は旅立つ、手紙の持ち主に会いに行く為に。


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