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<36>古傷はまだ疼いて

 休憩をはさみつつ、ふたりは黙々と歩いた。途中、何回か聖堂に行き当たった。それを通り過ぎて、どんどん道を下る。クルトはだいたいの場所などは把握しているらしく、危なげない足取りで先行してくれる。

 水の精(アンディーン)を呼んだ聖堂を出発するときは、もうすぐ、目的の工具に巡り会えるかもしれないと、シャンテナの心は弾んでいた。しかし、歩けど歩けど、同じ景色。しかも、暗く湿っていて、ところによっては陰惨な破壊の痕がむき出しになっているのを見ると、浮き足立っていた気持ちは長続きしなかった。


 クルトも同じようで、いつになく静かだ。表情も硬い。それを見ているとシャンテナも気分が塞いだ。どうしてか、不安な気分になってくる。落ち着かないし、この先に進みたくないと思う。

 足を踏み出すたびに、破壊されつくした過去の品物が、次々と目に入ってくるからだろうか。

 分野は違うが、この神殿を作った人たちがした苦労を思うと、やるせなさで頭がくらくらしてくるほどだ。気が滅入って仕方がない。


「あちゃー……」


 つぶやいて、クルトが足を止めた。少し遅れて歩いていたシャンテナも、隣に並ぶ。

 おそらく宿泊施設だったと思われる、広い空間があった。水を溜める瓶や、椅子や机などの生活道具が残っている。だが、その広場は、数歩先が土砂で埋もれている。天井が崩落しているのだ。


「これって……」


 シャンテナは土砂の山の近くにしゃがみこんだ。土砂の乗った石造りの床は、土で汚れただけではない、焦げや溶解した痕がある。

 独特の臭いは、火事の現場で嗅ぐ、のどの奥がつかえるような焦げ臭さだ。


「火事でもあったの?」

「焼かれて、埋められたんです。処刑された団員たちは、みな、この地下神殿で」


 逃げ場を失った人たちが、ここに押し込められ、まるでごみのように焼かれた。切り刻まれ、殴りつけられて、ここに捨てられた。


 シャンテナは、言葉を失って、土から指を離した。熱いものに触れたような、最初はひやっとするのに、あとからひりつくように痛む。それは錯覚だとわかるが、呼吸が乱れるのはどうしようもなかった。


 衝撃だった。こんな薄暗いところで、なかったことのように葬り去られている人たちがいることも。それを、淡々と語る、クルトも。

 幼いころ、彼はこの地下道を逃げ惑い、仲間がひとりひとり脱落していくさまを見たのだろう。そして、脱落した者たちは二度と戻ってこなかった。彼自身も捕まって、もしかすると殺されたほうがましというような扱いを受けたのかもしれない。手鏡越しに見た、傷だらけの背中を思い出すと、膝が震えた。

 

「地盤が緩んでいるかもしれませんから、早くここを離れましょう、少し遠回りになりますけど、別の道があります」


 カンテラを持って、クルトは踵を返した。思わず、その手を掴んでしまった。


「シャンテナさん?」


 驚いて、足を止めたクルトに、なんて声をかけたらいいのか。シャンテナは、模範解答は見つけられず、


「少し、休みたい」


 ごまかすように、そう言った。


× × × × ×


 焼き捨てられた広場を迂回して少し行った所に、休憩に使えそうな小さな空間があった。もともと休憩所だったのか、石造りの長椅子が壁際に彫り出されていた。

 ふたりはその椅子に腰をかけて、休むことにした。


「シャンテナさん、お腹減ったでしょう。もうお昼過ぎてますしね。ここは時間がわかりにくいのも困りものなんですよ」


 クルトが荷物から取り出した干し肉やチーズなど、携帯していた食料を広げだしたが、食指が動かなかった。切り分けてもらった干し肉を受け取って、シャンテナはぼうっと正面を眺める。

 ここには破壊の痕はなく、ただ平らな石の壁があるだけだ。そのことに、心の底から安堵した。それでも、やはりお腹は減った気がしなくて、手で干し肉を弄ぶ。

 

 クルトは自分のものをさっさと食べ終え、きょとんとした顔でシャンテナを見た。

 

「もしかして、お腹痛いんですか? 大丈夫ですか? トーロさんからもらった、痛み止めの薬ありますよ、飲んだほうがいいんじゃ」


「ごめんなさい」


 言葉がこぼれていた。煮え切らないと、その態度に苛立って、ひどい態度をとってしまったことへの謝罪の言葉だ。


「ごめんなさい」


 心配してくれているのがわかっていても、それを素直に受け取ることができなかった。


「ごめんなさい……」


 そして、こんな場所に連れてきてしまった。目先のことに気を取られて、きっと彼にとって一番辛い記憶の場所に。

 焼き捨てられたあの場所を見たとき、シャンテナは今までで一番痛烈な後悔を味わった。クルトは平静を装っていたけれど、なにも思わないはずなかった。

 彼のことを間が抜けているだなんて、思っていいわけがない。大間抜けは、自分だ。自分のことで頭がいっぱいで、いつも彼のことを考えられない。こんなときでも彼は、自分のことを気遣ってくれるというのに。

 自責の念に、押しつぶされそうになる。

 下を向くと、ぼたっと涙が一粒こぼれて、手の甲に落ちた。


 クルトは慌てた様子で荷物をひっくり返して、薬瓶を取り出し、おろおろとそれを差し出してくる。


「だ、大丈夫ですか、大丈夫じゃないですよねっ、と、とりあえず横になってください、体も温めたほうがいいですよ、毛布ありますからほら」

「具合が悪いわけじゃない」


 シャンテナは、こらえようとしたが、唇がわなないてしまって、もうどうしようもなかった。


「私、クルトに酷いことを。……ここへ来て、あなたがどういう気持ちだったのかと思うと、自分が悪いのに、辛い。もし、ずっとあなたがこんな気持ちだったのだとしたら、謝っても謝り足りない」


 一気に言ってしまうと、あとはぼろぼろと涙がでてきて、言葉にならなかった。

 しゃくりあげて、顔を手で覆う。なんて情けないと自分を叱っても、涙はおさまらなかった。

 地下道に、自分の嗚咽だけが響いて、いたたまれなくなる。泣いていい立場ではないのに、涙の止め方がわからなかった。

 

 頭に優しい重みを感じた。


「シャンテナさん。そんな風に思わないでください。俺は大丈夫ですよ」


 大きな手が、髪を梳いてくれる。何度も、何度も。


「殿下に拾われてからも、何度もここには来てます。仕事のために必要なとき。散り散りになった友人の手がかりを探すとき。もちろん、いい気分ではないですけれど、あなたが泣いて悔やむほど、ひどくはないですよ」


 泣き止んでくださいよ、と、いつもの明るい口調で言われた。

 シャンテナは唇を噛んで、嗚咽をこらえようとしたけれど、うまくいかなかった。頬が痙攣してしまうし、涙は後から後から溢れてくる。


 頭を撫でていた手が、後頭部に回され、ゆっくりと胸に抱き込まれた。彼のにおいが、違和感もなく胸に満ちる。暗いところを随分歩いてきたのに、日なたにある枯れ草のにおいが混じっている気がした。きっと、飼葉のにおいだ。

 洒落っ気もなにもないそれに、なんだかとてもほっとした。


 しばらく、クルトは背中を優しく叩いてくれていた。やがて、嗚咽が聞こえなくなったからか、シャンテナの肩に手を添えそっと体を離した。

 

「シャンテナさん、酷い顔ですよ」

「……うるさいわよ」


 そんなの言われなくてもわかっている。

 鼻を啜り上げて睨みつけてみれば、クルトの耳は真っ赤だった。力の抜けるいつもの笑みを作って、照れくさそうに頬をかく。

 

「シャンテナさんが、俺のこと、少しでも心配してくれたと思うと、嬉しいです。俺って単純ですよね。なんだか、全部うまくやりきれる気がしてきました」


 晴れ晴れとした表情で、シャンテナの頬に残る涙を指でぬぐう。


「俺のために泣いてくれたってだけで、俺はがんばれます。ありがとうございます」

「クルト、私」


 しぃっと、子供にするように沈黙を促されて、シャンテナは言葉を止めた。クルトがあまりに晴れやかに笑うので、なにも言えなくなってしまう。


「さて、落ち着いたらご飯食べちゃってください。まずは工具を回収! こんな陰気臭いところに長居したくないでしょう、シャンテナさんだって」

「……ええ」


 シャンテナは、干し肉を(かじ)って、なんとか咀嚼(そしゃく)した。泣いたせいで顔が熱い。さっき、つい口走りそうになったことを冷静に考えようとして、無理だと諦めた。さらに顔がかっと熱くなる。


 クルトはチーズをちびちび食べながら、カンテラの油を継ぎ足す作業をしていた。表情が柔らかくなっている。


 薄々勘づいていた、自分の気持ち。この地下道を出たら、伝えよう。シャンテナはそう決めた。そのとき、クルトが心の底から笑ってくれたらいいのに、と思う。

 カンテラを持って立ち上がるクルトを、追いかけて歩き出す。先ほどまで凍り付いていた胸が、少し温かい気がした。


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