<34>ロリメイの水晶庭師
宿から、ラーバンを横断する位置に、ロリメイはある。
ラーバンは広い。街道は煉瓦でしっかり舗装され、歩きやすく整えてあるから、もちろん、野を行くより順調ではあったが、目的地にたどり着いたのは、日が沈みかけた夕刻だった。
背の低い建物が、通り沿いにずらりと並び、そのほとんどに看板が掛かっている。それを横目に見ながら、ふたりは宿に到着した。ふたりの護衛は、昨日とは人を変えて、また距離を置いて着いてきているはずなので、しばらくしたら合流するだろう。
「本当に、工房ばかりだった」
「もう少し早くつけば、開いてるところを見られたんですが。ちょっと遠かったですね」
苦笑して、クルトは宿の厩に馬を預けた。ここまではいつも通り、クルトの操る馬に乗り、ふたりで街道を黙々と進んできたのだった。
今回乗ってきたのは、マルクリルではない、リードという彼女の息子で若い黒毛の牡馬なのだが、気性が荒く、シャンテナが乗ってからしばらくは機嫌が悪かった。軍馬としてはとても優秀なんですよとクルトは言うが、敵意むき出しにして首をぶるぶる振られたり、前足で地面を掻かれたりすると怖い。クルトには気を許しているようだが、なかなかどうして、忠義立てするというか人見知りな馬だった。
「どうするの? こんな時間だし、明日、目的地へ向かう?」
シャンテナが問いかけると、クルトは通りのほうを見る。
すでに閉店の札をかけた工房がほとんどで、出歩いている街の人たちも、帰路についている人たちや、あるいはこれから酒を一杯ひっかけにいこうという様子だ。
「とりあえず、目的地の様子だけ見てきますか? 場所はここからすぐですし」
「ええ」
シャンテナはうなずいた。少しでもこの町の様子を知りたいという、不純な動機があったことは秘密だ。
クルトの先導で、目的のフォエドロ家に向かう。
あちこちの民家から、夕食のいい匂いがただよってきて、空腹を意識させられる時間帯だった。食事は宿で摂る予定だが、それまでは腹の虫と戦わなければならないだろう。
道沿いに立ち並ぶ工房は、どうやら区画ごとに同じ業種がまとまっているようだ。組合があるのだろう。繊維関係、金物屋、指物、服飾関係、そして宝飾関係。
宝飾関連の工房が立ち並ぶ界隈で、クルトは立ち止まった。彼が見上げたのは、古びた看板の、彫金の工房だった。
ヴィザンテ宝飾、と看板に書かれている。看板は長く塗り直ししていないようで、あちこちが色褪せ、はげていた。
この家も、エヴァンスと同じように、別姓を名乗ることにしたのだろうか。
残念ながら、店には明かりはなく、すでに閉まっていた。
「明日、また来るしかないわ」
「そうですね。とりあえず、宿に戻りますか」
ふたりが元来た道を戻ろうとしたとき、反対側から来た少年が声をかけてきた。
「うちになにか御用ですか?」
少年は、シャンテナより二歳、三歳ほど年下に見えた。利発そうな顔立ちで、暗い色の髪を短く刈り込み、眼鏡をかけている。買い物帰りなのか、パンの包みを抱えている。若者には地味と思える真っ黒な、まるで喪服のような格好をしていた。
「こちらの工房のほうですか?」
クルトの問いに、少年はうなずいた。
「ええ。こちらは祖父の工房です。……いや、でした、かな」
妙な言い回しに、シャンテナとクルトは顔を見合わせた。
「でした、というのは……」
「実は、二日前、祖父が亡くなりまして。今日葬儀が済んだばかりなんです」
絶句するふたりに向かって、彼は首を傾げた。
「もしかして、祖父に御用だったとか?」
「ええ実は、どうしてもお会いしなければならなくて。何かお話を聞いてはいらっしゃいませんか」
「いえ、僕は。なにぶん、突然だったものですから」
「こんなときに申し訳ありませんが、どなたかほかに、ご当主からお話を聞いていらっしゃるような方は」
「いえ。一族は僕のみです。祖父の世話も僕が。あの……よろしければ、祖父の墓前に、一緒に行っていただけませんか?」
思いがけない申し出に、ふたりは目を瞬たかせた。
「これは何かの縁だと思いますから。もし、ご迷惑でなければ、ですけれど」
× × × × ×
少年はテオと名乗った。彼に連れられ、フォエドロ家――今ではヴィザンテ家の墓にたどりつき、ふたりはまだ新しい土の盛り上がりに向けて、祈りを捧げた。
墓地は、歩いてすぐの区画の外れにあり、このあたりの住民はだいたいここに埋葬されるらしい。墓碑には、享年八十三歳、個人の名前はトマス・ヴィザンテと刻まれている。
シャンテナは、祈りを捧げながら、落胆を隠せずにいた。
トマス・ヴィザンテ――もとい、トマス・フォエドロは、あの国璽の、夜空の水晶庭の作者に違いない。黄金期の、三大家のひとり。国璽のことがなくても、ぜひ会ってみたい人物だった。なのに、なんということだろう。彼は急に逝ってしまったという。
「ありがとうございます。祖父には、身寄りがなくて。あまり友人もいなかったようで、こうして、訪ねてきてくれる人もいなくて。ああ、僕は養子なんです。僕も身寄りがなくて。本当は父と呼ぶべきなんでしょうけど、祖父のほうがしっくりくるのでそう呼んでました」
すでに、空には星が上り、墓地は墓碑の陰がうっすらと判別できるぐらいの宵闇がおりている。テオは準備よく、持参していたカンテラに火を入れた。
「では、あなたが、トマスさんの家業を継ぐの?」
シャンテナが問うと、テオは首を横に振った。
「祖父は優れた彫金師でしたが、三十年ほどまえに、視力を失いまして。実質的に、工房は、昔の売れ残りの作品の展示場所みたいに使っていたんですよ。僕は祖父から、彫金の手ほどきは一切受けていません」
少年は、人なつこい笑顔を作ってみせた。
「ところで、もしよろしければ、用件をうかがいます。なにか、お役に立てるかも」
クルトがあたりを見回した後、うなずく。墓地の敷地内に、ほかに人はなさそうだった。
シャンテナは、荷物から、王太子の紹介状を取り出して、テオに渡した。
中身を一読した少年は驚いた顔をした。
「王太子殿下のお使いの方だったんですか。失礼しました。……あの」
彼が言いにくそうに口をもごもごさせるのを見て、クルトが助け舟を出した。
「トマスさんが、昔、宮殿にお仕えだったことは聞いています。大丈夫です、俺たちはトマスさんたちの敵ではありません」
あからさまにほっとした顔になったテオを見て、シャンテナも安堵した。また、エリンシアのように壁を作られると、どうしたらいいか悩む所だっただろう。同じような対応をしたシャンテナに食い下がったクルトの根性を、少しだけ見直したくらいだ。ベルグに叱られたという背景を抜きにしても。そのベルグの紹介状が、今回はテオの警戒心を和らげる後押しをしてくれたのだろうか。
「祖父は、視力を失って、宮殿勤めを辞めざるを得なかったと聞きました。そのとき、本当の息子や娘も失ったと言っていました。それまで宮殿に献上していた作品も、全部取り上げられたと」
悔しそうにテオは顔を歪めた。
「トマスさんの工具は残っていますか? もし残っていれば、そちらをお借りしたいのですが。もちろん、用が済めば必ずお返しします」
工具は職人の魂ですから、と力を込めて、シャンテナは言う。
しかし、テオは申し訳なさそうに、首を横に振った。
「いえ、祖父の持ち物に、意匠画も工具もありません。宮殿を去るときに、ほとんどのものは取り上げられ、工具は、隠したと言っていました」
「隠した? その、どこへ?」
「友人に託した、と。名前は教えてくれませんでした。ただ、祖父の宮殿からの脱出を手伝ってくれた人たちだとか。昔、祖父がよく寝物語に話してくれたんです。怪我をして動けない祖父を、秘密の抜け道を通って、この街に運び込んでくれた、剣士たちの武勇伝」
テオは、少年らしく、顔を輝かせた。
「彼らは、国で最も強く、気高い兵士たちだったんです。……そのあと、弾劾されて今はもう残っていないらしいですが……」
クルトが、ぎゅっと拳を握ったのが、シャンテナには暗がりでもわかった。
「すみません。そのくらいしか……。お役にはたてませんね」
「そんなことない。とても助かったわ」
しゅんとしてしまった少年に向けて、シャンテナは笑顔を作った。すると、テオは少しだけ表情を緩めた。
「祖父の工具が必要というと、おふたりは……その、彫金を?」
含みを持たせた言い方だった。養父の職業がなんであったのか、知っているのだろう。
「ええ、私が。メルソという町で、小さな工房を開いているの」
「今度、作品を見せてください! 祖父からは学べなかったけれど、僕も彫金をやりたいんです。祖父の残した作品は、どれもすごく綺麗なんですから」
「ええ、約束するわ」
やった、と喜ぶ少年をシャンテナは微笑ましく見つめる。隣で硬い表情を作っているクルトに気付かぬまま。




