<33>次の約束
もらったハンカチを日にかざしてみても、とくに変化はなかった。おそらく、水につけてもそうだろう。火にくべるのは、最終手段にとっておくべきか。
シャンテナは、エリンシアのハンカチをさっきからずっといじっているが、解錠の手がかりはなにも得られていなかった。
夕食を摂るために入店した大衆食堂は、客が多くかなり騒がしい。だがそのおかげで注目されずに済むのだ。一日の労働が終わった市民が、食事と酒のために集まっている。圧倒的に、男性が多かった。クルトとシャンテナは、そんな中で、店の左奥の席に案内されていた。近くには護衛ふたりが別々に座っている。
肉の薫製の盛り合わせと、サラダ、じっくり煮込まれたスープなど、思いつくまま注文した料理が卓上に運ばれてきて、食事が始まった。
クルトが勢いよくスープを飲み干したが、シャンテナはじっと手元のハンカチを睨んだままだ。
「ご飯、冷めちゃいますよ。考えるのは後にしてはどうですか?」
「そうする。思いつくことはやってみたけど、別の方法で調べないとわからない気がするしね」
「別の方法って、つまり」
シャンテナはうなずく。もちろん、魔術のことを言っているのだ。彼女は、ハンカチを荷物にしまいこむと、冷め始めた料理にようやく口をつけた。人気がある店なだけあって、どれもおいしい。よくよく考えれば、この数日、贅沢な食事続きだったから、こういった庶民的な味が恋しかったのかもしれない。やっぱり、自分が育ってきた、懐かしい味付けが一番だ。
「ところで、明日はどうするの?」
クルトは懐からメモを取り出した。王太子から預かった、行き先のメモだ。
見せてもらうと、全く読めなかった。
「暗号?」
「そうです。念のためですけれど」
なにか規則性があるのだろうけれど、変な記号の羅列は、とても理解できなかった。
「なんて書いてあるの?」
「こっちが今日の目的地。こっちが次の目的地ですよ。次は、ロリメイっていう工業地区ですね」
「ロリメイ……。知ってるわ。職人の街よね。一度行ってみたかったのよ。でも、城へ向かう途中、通ってきたかしら」
「いえ、違う道で来たんで、ここは通ってませんよ。シャンテナさんの好きなものが揃っているんじゃないでしょうかね」
「あなたは行ったことある?」
思わず身を乗り出したシャンテナに、クルトは破顔した。
「ええ。もちろん、このラーバンの中心街にも腕のいい職人はいっぱいいますけれど、ロリメイは古くから、職人の街として栄えていてまた別格ですよ。卸問屋や行商人もいっぱい来るんです。大通りには、いろんな工房が並んでいるんですよ。ひやかすのも楽しいと思います」
たくさんの看板が並ぶ町並みを想像して、シャンテナは静かに興奮した。自分以外の職人の作品も見てみたいし、工具の店も立ち寄りたい。
とりあえず、手近にあったほうれん草入りのキッシュを口に入れる。
「あ! それ、取っておいたのに……」
目に見えて、クルトがしゅんとする。耳がぺたんとした大型犬にしか見えない。
シャンテナは嘆息して、自分用に注文しておいた骨付きの鶏肉の香草蒸しを突き出した。
「悪かったわよ……」
「いいんですか?! ありがとうございます!」
ぱっと顔を明るくして、クルトは骨付き肉にかぶりつく。シャンテナが持ったままの肉に。
「ちょっと。自分で持って食べてよね」
あまりに嬉しそうにかぶりついているものだから、一段落するまで、そのままの体勢で待っていてやることにしたシャンテナだった。
× × × × ×
宿の部屋は、カークが手配してくれたそれなりにいい部屋だった。シャンテナの部屋の左右を固めるように、例の護衛の人たちが宿泊することになっている。彼らに話しかけたりするのは、クルトから禁止されていた。他人のふりをすること。下手に関わると目立ったり、敵方から分断を狙われたりしてしまうから。
『碧玉兎亭』ほどではないとしても、小金持ちが泊まるくらいには設備が整っていて綺麗な部屋だ。不便はなかった。依頼したら桶にお湯も用意してくれたし。
体を清めさっぱりしたシャンテナは、傷の手当を終えて、着替えた。
エリンシアから受け取ったハンカチを引っ張り出すと、ためつすがめつする。やはり、何の変哲もない、ただのハンカチにしか見えない。
ドアがノックされ、返事をすると、次の間からクルトが部屋に入ってきた。彼はまだ寝る支度をしていないようだ。
二間続きのこの広い部屋を借りられたのは、王太子やカークのはからいで、宿代の心配がないからというだけではない。そもそも、ここまで通過してきた街には、このくらいの規模の宿がなく、二間続きの部屋がないことが多かったのだ。互いの空間を保てる内ドア付きの部屋は、ありがたかった。宿帳には夫婦と記載しているので、別室にすると怪しまれるだろうが、これならおかしくは思われないだろうから。
「どうですか、なにかわかりましたか?」
「まだなんにもしてないわ。これから確認するところ」
「準備、手伝いますよ」
「とくにないわよ」
シャンテナは、カーテンがきちんと閉まっていることを確認し、机の上にハンカチを置いた。銀のピンの先を宛てがって、とりあえず魔力を込めてみる。
しかし、精霊を呼ぶ前に、ハンカチが淡く発光し、針先が弾かれた。反応はそれだけだったが、針が跳ねたときの反応は、翡翠の首飾りに触れたときとよく似ていた。
「今の反応でわかったけれど、やっぱりこのハンカチには、なんらかの魔術が施されているみたい。おそらく、首飾りに掛けられたのと同じ鍵よ。フォエドロの工具がなければ解錠できないんだと思う」
「そうですか。……となると、なんとかして、フォエドロの工具を入手しないことには、始まりませんね」
「明日は早めにここを出て、急いでロリメイに向かいましょ。それがいいわ」
ハンカチをたたみながら、強い調子で言うシャンテナに、クルトが目を眇めた。にやりと口の端を上げて。
「そんなこと言って。シャンテナさん、ただロリメイを見て回りたいだけじゃないんですか?」
「そんなことないわよ。そりゃあ、時間が空いたらぜひいろいろ見学したいけれど……」
「まさか。時間が空くなんてことありませんよ。首尾よく工具が手に入ったら、城にとんぼ返りです」
「……わかってるけど」
シャンテナは、ぷいとそっぽを向いた。
「まあ、でも、すべてが一段落したら、改めて観光にご案内しますよ。お土産用のお店も結構あるし、自分で制作体験できる教室みたいなものも多いんですよ、あそこ」
「できたら、メルソに帰る前に一度、回ってみたいわ。……できれば、だけど」
「なんとかなりますよ。なんなら、王太子殿下にお願いしたら、職人の方を呼んでもらえるかも」
「いやだそんなの。自分の足で、逸品を探しに行くのが楽しいんじゃない。市場のほうも知りたいし、自分で行ってみたいの」
「わかりました。お供しますよ。作業風景を公開してくれる職人さんもいますから、きっと楽しめますよ」
「約束よ」
「はい」
クルトが笑顔で頷くのを確認して、シャンテナは満足した。
ロリメイはそれなりに広いと聞くので、行きたい場所を予め考えておいたほうがいいだろうか。たとえば、有名な工房なんかを。何件か、知っている工房名がすぐに頭に浮かぶ。ぜひ、その品を間近で見てみたい。
明日、行きがてら良さそうなところに目をつけておいてもいいだろう。もちろん、ゆっくりする余裕はないだろうが。目的は別なのだから。
そう、目的は別、なのである。フォエドロの工具を入手すること。それができたら、国璽を取り出して、接合し、自分はメルソに帰るのだ。もちろん、自分の工具を持って。それで旅は、おしまい。
「念のため、ハンカチは俺が預かっておきます。いつもながら申し訳ないですけど、内ドアの鍵は開けといてください。それから、シャンテナさんは早めに寝てくださいね。寝坊したら、置いていきますよ」
「あなたこそ」
シャンテナは片眉を上げた。それを見て、クルトが頷く。
「おやすみなさい、シャンテナさん」
「おやすみ」
部屋のドアが閉まり、シャンテナは明かりを絞って、ベッドに潜り込んだ。さっそく明日に備えて寝るつもりだった。体調も万全な状態で、ロリメイに向かいたい。しかし、気持ちが高ぶって、なかなか睡魔は訪れない。
隣室からかすかな物音が聞こえるので、クルトが報告や寝る支度をしているのだろう。
すべてが終わって、ロリメイに向かうとき、クルトは着いてきてくれると言った。旅は終わりかもしれないけれど、それですべてが終わってしまうわけじゃない。そのことにほっとした。




