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<32>コランダー精肉店

 天気がよいので、街は出歩いている人の数が多い。道を行き交う人たちを横目に見ながら、シャンテナとクルトを乗せた辻馬車は、街の中心に向かっていた。


 馬車の後ろを、馬に乗った男ふたりが、付かず離れずの距離で追いかけてきている。傍目には、その辺りにいる街の人にしか見えないが、彼らはカークが手配してくれた護衛だ。


 目抜き通りへ抜けるための太い道を曲がろうとしたときだった。ごおん、ごおんと耳を(ろう)する音が降り注いだ。重い金属を打ち付ける音だ。あまりの音の大きさに、シャンテナは手で耳を塞いだ。


「ああ、礼拝が始まるんですよ」


 慣れた様子で答えるクルトは、耳を押さえることもなく、説明してくれる。


「メルソの教会の集合の鐘は、もっと周囲に配慮していたけど」

「すぐそこに、大聖堂があるんです。国で最も大きな。ほら、あそこ」


 クルトが指をさしたほうには、尖塔を何本も立てた中央に、長方形の箱のような建造物があった。箱は、たくさんの柱に支えられており、その奥で大きな観音開きのドアが全開になっている。模範的なエウス教の教会堂の造りだった。

 ただ、その規模はメルソにあるそれとは比べ物にならない。

 聖堂に吸い込まれるように集まる人の数も恐ろしく多く、道は彼らで大渋滞だった。

 エウス教のシンボルであるエウス神が描かれた旗が、すべての尖塔の頭に立てられ、風になびいていた。

 エウス神は、目隠しされた牛頭の男神で、右手に剣を、左手に教本を持っている。目隠しされている理由は『神は、目に頼らず正義を見切る』ということらしいが、シャンテナの父などは、酒を飲むと皮肉って「正義か」と鼻で笑ったものだった。


 聖堂に入っていく人たちの、蟻の行進のような行列を、シャンテナとクルトは無言で見送った。

 普段は、もちろん、ふたりとも礼拝に参加する。だが、それはここにいる人々のように、進んでの参加ではない。あくまでも、自分たちの身を守るための偽装だ。


 目抜き通りに出ると、ようやく行列は途切れて、活気溢れる街並みが待っていた。

 ふたりを乗せた馬車は、しばらくゆっくりと通りを走っていたが、やがて一軒の店の前で止まった。

 看板には、『コランダー精肉店』と記されている。


「あれ? 精肉店……?」

「ここであってるの?」

「住所は、ここです、ほんとに。ここにミュテシー家の末裔がいるはず」


 クルトが何度も、王太子から受け取った覚え書きを確認する。

 その間も、コランダー精肉店を、主婦らしき女性たちがぞろぞろ出たり入ったりしている。この店はそれなりに繁盛しているようだ。


「とりあえず、話を聞いてみましょうよ」


 馬車から降りて、ふたりは店に入った。

 店内は、半円を描いたガラスの陳列棚があり、そこに赤々とした肉が並べられていた。棚の前にはエプロンを付けたり三角巾を頭に被った女性客たちが並び、それぞれ目当ての肉の目利きをしている。

 ガラスの棚の向こうに売り子が三人いて、みな快活そうな中年の女性だった。


 シャンテナは、ガラスの棚に写った自分の姿を見て、ほっとした。カークが見繕ってくれたという、麻の質素な服は、ちょうどこの店の雰囲気にあっている。ここ数日、与えられるままにドレスを着ていたが、やはり慣れなかった。この服は着心地もいいし、襟が詰まっているので、包帯も見えない。足下も、歩きやすい編み上げのブーツである。とても気楽だ。

 

「わー、これでシチュー作ってほしいなあ」


 誰に向かって言っているのかわからないクルトの言葉は、聞き流しておいた。彼は軍の制服ではなく、白いシャツに枯れ草色のパンツという、やはり目立たない格好をしていた。剣を腰に差しているが、市民の中にもそういう人間は一定割合いるので、さほど周囲の目を引くことはないだろう。


「いらっしゃい! 奥さん、なににする? 今日は豚がおすすめだよ!」


 右端の、一番恰幅のいい売り子が、愛想よく声をかけてきた。

 クルトが前に出て、封筒を差し出す。


「すみません、ご主人(オーナー)を呼んでいただけますか。こちらを」


 中指と人差し指に挟むようにして封筒を受け取った売り子は、太い眉毛を片方跳ね上げて、いぶかしげに彼を眺めた後、裏に引っ込んだ。

 しばらくして。


「お客様、こちらへどうぞ」


 裏から、下働きと思われる若い娘が出てきて、ふたりを売り場の奥へと誘った。

 売り場の奥には、肉の加工部屋があり、さらにその奥は応接室があった。

 通された応接間の内装は、年季がはいっているものの、きちんと手入れされている。

 よく磨かれた、飴色に光る卓と、飾り棚、そして革張りの長椅子。

 当然だが、水晶庭師であることを示すようなものは一切ない。

 先ほどの娘が、卓上に紅茶を並べていく。すすめられてソファに並んで座ってそれを眺めていると、ドアが叩かれた。


 入室したのは、先ほどの恰幅の良い売り子だった。前掛けで手を拭きながら、彼女はどっかりと、ふたりの前に腰掛けた。


「あたしがここの主人のエリンシアだよ。あんたらなんだい、王太子殿下の紹介状なんか持ってきて。うちになにかあるって言うのかい」


 どら声に迫力がある。彼女が魔術の徒だとは、あまり想像できなかった。いかにも、おかみさんという言葉がぴったりだからだ。


「私は、シャンテナ・タッセケイル。エヴァンス家の末裔です」

「エヴァンス? 聞いたことないねえ」


 女は肩を竦める。

 シャンテナは、思わず隣に座ったクルトを見た。彼は、落ち着いて、うなずいてみせた。


「こちらに、見覚えはありませんか」


 荷物の中から、布に包んでいた銀の針を取り出した。そして、一緒に、欠けた翡翠の首飾りも。

 首飾りは、持ち出さずに、王太子に預けておいたほうがよかったような気もするが、なにかの時のためにと、王太子から持たされたのだ。


 たしかに、事情を知らない者からすれば、壊れた翡翠の首飾りでしかないが、中身はあの国璽なのだ。持ち歩きには非常に緊張した。家宝だと思っていただけの時とは、重みが違う。


 エリンシアはじっと、銀の針と欠けた首飾りに視線を注いでいたが、首を振った。


「さあねえ。見覚えはないね。うちはしがない肉屋だよ。王太子殿下の何かの勘違いではないのかね」


 にべもなく言う。たしか、自分が会えば話をしてくれるという手はずになっていなかったか?

 シャンテナは眉間に力がこもりそうになるのを、意識して止めた。

 

「だいたいね、迷惑なんだよ。言っちゃなんだけれどね、こんな一番の稼ぎ時に来られても。このところ毎日だよ。王太子殿下には、下々の都合なんて関係ないのかもしれないけれどね」


 ふん、と鼻を鳴らす。エリンシアは懐から、紹介状の封筒を出して、卓上に放った。


「さて、帰ってくれるかね。用件はそれだけだろ」


 シャンテナは、内心、舌打ちした。どうやら、エリンシアはしつこいベルグを撒くために、話を聞くといったのだろう。それに、この様子からすると、彼女はそもそも王族側も信用していない。

 これじゃ、話を聞くどころではない。


 クルトが徐に口を開いた。


「エリンシアさん、失礼ですが、親指、どうなさいましたか」


 シャンテナはエリンシアの手を見て、息を呑む。

 顔ばかり見ていて、気付かなかった。女の両手には、親指がなかった。根元から、すぱりと。傷口は盛り上がり、淡紅色をしている。生まれつきではないだろう。

 

「……さあね。エウス神の罰があたったのさ」


 忌々しげに吐き捨てて、エリンシアは両手を前掛けの下に隠した。

 親指が欠損している状態では、彫金の仕事なんてできない。むしろ、あらゆる生活に関わる動作が不便になるだろう。

 クルトと同じだ。異端を疑われた人間は、拷問を受けることもあったという。


 ためらったが、シャンテナは口を開いた。


「……私も、罰にあたりました」


 エリンシアは、興味なさそうに、ふうん、とうなずいた。


「メルソという田舎で、しがない彫金師をしているのですが、命より大事な先祖代々の工具を、摂政閣下に没収されました。おまけに命まで狙われて」


 この始末です、と、シャンテナは服の胸元をはだけされた。まだ治りきっていない傷に、包帯が巻かれている。

 エリンシアは、じっとその様子を見ている。


「私は別に、王太子殿下に従うつもりはありません。そもそも、王族の方々のおかげで、うちは片田舎に隠れ住まないといけなくなりましたから。だけど、大事な工具を取り戻すために、今だけ、手伝うって決めたんです」


 隣のクルトから少し非難めいた視線を感じたが、彼女は話し続けた。


「迷惑被っているのは、私も同じです。この人がうちに来たときなんて、王太子殿下の直筆の脅迫状を持参していましたからね」

「やりかねないねえ……」


 遠い目をする中年女を見て、クルトがため息をついた。

 沈黙の後、エリンシアは短くため息をついて、立ち上がった。


「ちょっと待ってなさいな」


 そういって部屋を出て行ってしまう。

 だが、今度はすぐに戻ってきた。


「死んだ亭主が、あんたみたいなのが来たら渡すように言ってたのよ。あたしは見てもよくわからなかった。指ちょん切られてまで守る価値があったかもね」


 差し出されたのはハンカチだった。きれいに畳まれた、白い綿の。何の変哲もなく、男性でも女性でも使えるようなもの。

 シャンテナはそれを受け取り、大事に懐に抱えた。

 

「ありがとう」

「あんたも、あんまり深入りして、あたしみたいにならないことだね。親しい人間が死ぬのは、結構堪えるよ」


 たくましい肩を竦め、エリンシアが言う。その顔は、――少し寂しそうだった。



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