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<03>もうひとつの水晶庭

 珍客の訪問から一月ほどが過ぎ、シャンテナがその日のことを忘れかけていたころだった。

 朝食後、彫金の仕事に取り掛かろうと腰を上げたとき、玄関を叩く音がした。


「タッセケイルさま。いらっしゃいますか」


 低く落ち着いた声だった。聞き覚えはない。

 小窓から外の様子をうかがうと、初老の紳士がちょんと立っている。顔に見覚えは無いが、生地も仕立ても上等な服を着ている。どこか名家の執事といった風情だ。


「はい。どちらさまでしょうか」


 尋ねると、丸眼鏡を掛けた老紳士は、懐から紙を一枚取り出して、差し出した。如才ない、微笑と供に。

 受け取った紙を一読し、シャンテナは一つ頷いた。


「どうぞ、おかけください」


 居間の粗末な椅子をすすめると、老紳士はしゃんと背筋を伸ばして座る。

 使い込んだ卓に先ほどの紙と、黒い別珍の張られた箱が並べて置かれた。


 紙は契約書だ。

 水晶庭を作成したときのもの。


「私は、そのシュプワ氏の代理の者です。こちらが委任状です。そして、こちらがこのお品の契約書。これで、このお品の所有権を認めていただけると聞いておりますが」


 シャンテナが水晶庭の仕事を請け負うとき、必要とするものの第一が、顧客名簿に載っている名前かどうか確認できるもの(その名簿も、王宮を追われた際に厳しく選別し、信用できる人物名のみを記載したものだ)。

 代理人の場合、委任状。

 作品の受け渡しのときと、既製のものの修理などを請け負う場合には、さらにその契約書が必要となる。

 老紳士が提示した契約書には、五名の記名がされていた。

 制作依頼者のシュプワ氏。

 それから制作者のフォエドロとエヴァンス。

 主制作者はフォエドロで、エヴァンスは技術的には関わらないと記されている。

 制作依頼者からこの水晶庭を譲り受け、さらに老紳士に全権を委任するというシュプワ氏の子息の記名と、老紳士自身の記名。この品のよい老紳士はアーメインというらしい。


 フォエドロとは、エヴァンスと並んで、水晶庭の三大大家だった家の一つだ。

 競合相手との合作も珍しいが、制作で手を貸さなかったエヴァンスが、その合作の相方として名を残しているのはより珍妙だった。

 古びた契約書を読むと、次の一文が目に止まった。


『内なるものを欲すとき、エヴァンスのみが鍵を解けるだろう』


 決まった水晶庭師のみ、内容物に触れられる、鍵という一種の結界を水晶庭に設定する技術がある。

 しかし、この作品が、なぜエヴァンスだけにそれを任せるのかは、シャンテナにはわからなかった。

 普通はその顧客を独占するために、制作者が、自分の血族だけが鍵を解ける様にするものなのだ。

 そもそも鍵自体、その家系によって術式が違う。当然、門外不出である。


 ということはこの水晶庭の鍵を掛けたのは、エヴァンス家の者。

 作ったのはフォエドロ、鍵はエヴァンス。

 そんな作品は、今まで見たことも聞いたこともなかった。


「主が入り用ということで、こちらの中身の摘出をお願いしたいのですが。制作時の契約書と委任状を持ってくればよいと伺っております。お受けいただけますでしょうか。依頼品は、このとおりです」


 老紳士がそっと開いた箱の中には、先日クルトが持ち寄ったものと同じくらいの大きさの水晶庭が収まっていた。

 こちらは夜空を表現したものだった。

 そしてこれも、おそらく三十年以上前につくられた極上の品だ。

 黒い宝石のちりばめられた中に、半円の金色の輝きがある。月を模したのだろう。

 他の星は、砕いた極小の金剛石だと推察できた。


 これの封入物を摘出する。たしか先月も似た依頼が持ち込まれたような。その時は、受けなかったが。

 記憶の端に残っていた、大型犬の顔がちらりとシャンテナの脳裏をよぎった。


「少々お待ちください、確認してまいります。こちらをお借りします」


 シャンテナは契約書を掴んで、作業場へ入った。

 ドアに鍵をかけ、壁板の一部をはがす。基礎部分に埋め込まれた箱から分厚い紙束を取り出した。

 顧客名簿と契約書である。

 年代順に綴じられたそれを捲っていくと、シュプワという名前は確かにあった。老紳士が持ち寄ったものと合致する契約書の写しも。

 氏とは更にもう一件の契約を同時期に結んだことが、契約書の控えからわかった。


国璽尚書(こくじしょうしょ)……」


 当時のシュプワ氏の官職名を見て、シャンテナはどきりとした。

 国璽尚書といえば、国璽を保管する大役を任される、国王の側近中の側近である。

 そんな人物に作品を提供した時代があったのか。今のシャンテナには想像もつかない。

 彼女は居間に戻り、老紳士に告げた。


「摘出には半日ほどかかります。その間、町で寛がれてはいかがですか」

「お受けいただけるのですか。助かります。できれば、ここで待たせていただきたいのです。何しろその作品は、主にとってとても大切なものでして」

「見ての通りのあばら屋です。ろくななおもてなしはできませんが」

「結構です。作業の邪魔はいたしませんゆえ、ここで待たせていただけませんか」

「……それでよろしければ」


 クルトといい、この老紳士といい、主に忠実である。それだけ、大切な品なのだと肝に銘じる。


 所持している中で一番高価な茶を振舞うと、シャンテナは作業場に篭った。念のために鍵を掛ける。製作過程は昔から極秘なのだ。


 昼の日差しを遮って、窓に暗幕を降ろす。窓の外は隣の家の裏手にあたり、すぐ目の前が壁のため、昼からカーテンを閉めても外から見られて怪しまれることはない。

 床下から取り出した道具箱から、銀の盆を取り出し、その上に乗った道具類を丁寧に並べていく。

 銀の盆に右手をかざし、シャンテナは囁いた。


火の精(サラマンデル)、お前の炎を」


 彼女の黒い瞳孔が、ぼんやりと赤く光った。

 背筋を、上から下までじわりと熱が走っていく。体に力が満ちる。

 魔術が発動し、光や炎を司る火の精を呼び出したのだ。

 精霊はほとんどが目には見えないが、きちんとした魔術の手順を踏めば応えてくれる。その代償として、彼らは術者の精力を糧にする。

 シャンテナの手が触れた部分から侵食するように、工具に刻まれた魔法文字がまばゆく輝きだす。

 太陽の光より白い光は、部屋を満たした。


 発光する盆を机の前に立てかけて、シャンテナは別珍の箱から、水晶庭を取り出した。

 夜の庭を模したそれは、火の精の光を浴びると、机上に一連の魔法文字を映写した。

 実は、水晶庭にはこうして制作者が名前や覚書を隠すことがある。


『トマス・フォエドロ作』


 トマス・フォエドロといえば、たしか国教制定直前のフォエドロ家の当主だったはずだ。金剛石の細工に定評がある。大物と言って間違いない。

 トマスの名のその下に、短い文句があった。


『エヴァンスの後継者へ。封印を解くとき、あなたは大きな波に飲み込まれるだろう』


 銀の針に手を伸ばしていたシャンテナは束の間、動きを止めた。


「どういう意味?」


 答えてくれる相手はない。

 なんだか、物騒な意味合いが含まれているような気がする。この仕事を請けたのは間違いだったのか。不安が生まれる。


 ――今ならまだ、断れるが……。


 シャンテナは首を振った。

 水晶玉を台座にはめ、銀のピンセットと針を左右の手に持ち、呼吸を整えた。


土の精(グノーメ)、お前の技芸を」


 土の精は、鉱物を思うがままに操る力を備えている。

 シャンテナの呼びかけに応じるように、りぃん、と薄いガラスを指で弾いたような音をたて、水晶玉の表面が細波立った。

 魔法文字が淡く光る工具を、左右から水晶庭に挿し込む。

 個体というより液体の塊に触れているような感じがする。ぷよぷよとした薄い膜の下にすべてが押し込まれている。赤ん坊の頬をつついたときの感じに似ていなくもない。


 慎重に慎重に、夜空を形作っていた黒曜石の欠片を取り出していく。

 毛氈(もうせん)の上にひとつひとつ部品が取り出されるごとに、シャンテナの額に汗の珠が生まれた。それが滑り落ちて目に入りそうになるたび、袖で拭う。

 魔術を使うために必要な集中力と体力は、剣術のそれと同等だと喩えられる。

 水晶庭師はさらに細かなものを扱うため、より一層の集中力が必要とされるのだ。


 最後のひとつ、月を模していた半円の金板を取り出して、シャンテナは大きく息をついた。

 とたん、両手の工具は光を失い沈黙し、水晶玉の表面はつるりとした。室内の光も消えて、薄闇が視界を奪う。

 顔中、汗が滴っている。背中に貼りつく布の感触が不快だった。

 脱力感に抗って、窓のカーテンをなんとか上げると、すでに夕暮れに近かった。


 どのくらい、作業に没頭していただろうか。

 シャンテナはのろのろと、毛氈(もうせん)にすべての部品を並べはじめた。


 そのときだった。

 玄関のほうからドアを叩く音が聞こえたのだ。

 来客か。


 とっさに工具をまとめ、隠し、預かった水晶庭の部品たちは別の引き出しにしまいこむ。

 そうして、作業部屋を出ると、どうしたことか、アーメインの姿がなかった。空になった茶器だけが残っている。待ちくたびれ、街に出かけたのだろうか? 水晶庭を残して。

 首を傾げたシャンテナの耳に、聞き覚えのある声が飛び込んできた。


「こんにちはタッセケイルさん! いらっしゃいますかあ?」

「……なんの御用ですか」


 玄関を開けてしまってから後悔したシャンテナである。

 何故反射的に玄関を開けたかといえば、この間抜けな声の相手――クルトが軍服で自宅前をうろついていたら困るからだが、今の彼は質素な長衣を着ていた。剣も差していない。

 一見して、彼を軍人と看破出来る人間はいないだろう。何しろこの間抜け面だ。だったら、居留守を使ってしまえばよかった。


「ああ! お久しぶりです! お元気そうでなによりです」


 ぺこりと頭を下げた彼の顔を見て、シャンテナは目を見張った。


「あなたはあまり元気そうではありませんね」

「え、ああ、これですか。大丈夫です、もう治りかけですから」


 クルトの整った顔には殴打の痕があった。右頬と左目が黄色と紫に不気味に腫れている。

 軍人だからこういうこともあるのだろうか。


「先日は本当にごめんなさい。帰ったら上司にぶっ飛ばされました。軍服で町中を闊歩(かっぽ)してどうする! って。密命なのにって」


 密命だったのか。

 あまりにお粗末な男の行動にシャンテナは茫然とした。眩暈(めまい)を感じる。その密命の存在を、玄関先でまさに今口走っていることすら信じられない。


「俺、大事な書類をすっかり忘れていたみたいです。これ、読んでください」


 懐から出された紙を受け取り、一読するなり、シャンテナは一歩足を引いた。


「お入りください」


 クルトの顔が明るくなった。


 彼の持参した紙は、契約書だった。

 ――シュプワ氏の。



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