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<29>かたわらの赤毛の剣士のみたものは その2

 まさか、初日からそんな緊急事態に遭遇するとは思っていなかった。宿のおかみさんに「夫婦かい」と聞かれたクルトは、間髪入れずに「兄妹です!」と返答した。未婚の若い娘さんと、そんな誤解はまずい。彼女の体面の問題だけではなくて、自分の気持ち的にもまずい気がしてならなかったのだ。

 

 むしろ、シャンテナが同室を嫌だとごねたりもせず、仕方ないじゃないかと言ったことが衝撃だった。自分のことをまったく男として見てないからそんなふうに言えるのだと気づいて、ほっとしたような、残念なような複雑な心境に陥った。護衛対象に変に意識されてしまうのも困りものだが、男女の垣根を超えてまでの信頼を置かれるには、まだ早すぎる気もしたのだ。当然、変な気を起こしたりしないよう、剣ヴァルーガに固く誓ってはいる。間違いなんか起こそうものなら、ベルグに八つ裂きにされそうでもあるし。

 

 悶々としながらの最初の夜は、ひっそりと更けていった。

 

 食事に行っても、シャンテナは「食欲はあまりないから」とスープをすするだけだった。彼女を待たせるのも悪いと、クルトは大急ぎで夕食をかきこんだのだ。シャンテナが疲れているからか、先日の酒場であったような会話もなく、白けた雰囲気で部屋に戻ってきた。

 

 何を話せばいいのかわからず、気まずい沈黙をごまかすために、もうすっかり頭に入っている地図をじっと睨むクルトに対して、シャンテナは荷物から取り出した自分の帳面に、木炭でなにかを書き付けている。ちらっとそれを覗き込んで、クルトは思わず声を上げた。

 

「それって、お仕事用の意匠(デザイン)画ですか」

「ええ」


 勝手に見られたと怒ることもなく、シャンテナは黙々と手を動かしていた。目も上げない。薄暗いランプの明かりを頼りに、木炭を動かしていく。描かれていたのは、楕円に囲まれた馬の横姿だった。

 

「家に帰ったら、インタリオでも作ってみるつもり」

「上手ですねぇ……。これ、マルクリルですか」

「そう。今まで馬を題材にしたことなかったのだけど、絵になるなと思って」


 細部までぎっちり詰められたわけではないが、要所要所を押さえたその絵は、十分鑑賞に耐えうる出来だった。うつむき加減になっている彼女の横顔が、先日工房で見た、神々しい一幕を彷彿とさせる。


 描き終えて、シャンテナが木炭を置いた。

 

「シャンテナさん、それ、見せてもらってもいいですか?」

「面白いものなんかないわよ」


 言いながらも、彼女は紙の束を渡してくれた。馬の絵の他にも、植物を抽象化したものや、女性の横顔、男性の横顔、それから風景などが大きさも密度も様々なものが描かれていた。それらは宝飾品の真ん中に配置されたり、左右対称に配置されてみたりと様々な案に昇華されている。

 

「これ全部作るの、大変じゃないですか」

「まさか、全部はやらないわ。これっていうピンとくるものだけ。ちゃんと煮詰まったものだけにする」


 百以上案を出しても、これでと思うものはその二分以下だと言う。もっと少ないこともある、と。

 感心しながら紙面をめくっていくと、変なページにたどり着いた。

 

 人の名前の隣に、ものの名前と個数が書かれている。買い物の覚書のようにも見える。

 

「それは、今回餞別くれた人たちとその内容。ラーバンから帰る時、なにかお礼ができたらと思ってるんだけど。……なんで笑うの」


 じっとりした目で睨まれ、クルトは首を横に振った。

 

「いえ、しっかりしてるなあ、シャンテナさんは、と思って。俺だったらそんなこと、思いつきもしないですから」


 まだ睨まれていたので、慌てて付け足した。


「だからシャンテナさんは、ひとりで工房を切り盛りできるんですね、尊敬します」


 褒め言葉で逃げ切ろうという姑息な作戦だったが、それなりに効果はあったようだ。シャンテナは目元を和らげた。

 

「そんなんじゃないよ。いつだって、手探りでやってきたもの。今でこそ、固定のお客もそこそこ増えてなんとかやれているけれど、経営は――楽じゃないし、技術的にももっと上を目指したいし」

「あの、気になっていたんですが、水晶庭師の修行ってどんなことをするんですか? 想像もつかなくて」

「たぶん、あなたの剣術と同じだと思うけれど。反復練習。それだけよ」

「いや、その反復練習でどんなことやるのか知りたいんですが……。いつからはじめたのかとか」


 気まずい沈黙を濁すため話題をあげてみたのだが、もちろん純粋な興味もあった。作業中の彼女のぴんとした緊張感の源に。

 するとシャンテナは「そんなの聞いても面白くないでしょ」とはいいつつも、姿勢を楽にして、話し始めたのだった。

 

「水晶庭師の修行を始めたのは、彫金の仕事で、私に初めて固定のお客が付いたときから。彫金の仕事って言ってもピンからキリまであって、最初に顧客になってくれたのは、メルソ唯一の、ダンスショーをやってる酒場の大旦那だったよ。ショーで使う、……こう言ってはなんだけど、安い装飾品の修理が主な仕事で、たまに新しい演目に合わせて新品を作るの。でも、気に入ってもらって、何度も指名してもらえたし、私も、初めてのお客でとても嬉しかった」

「今も取引あるんですか」

「ええ。ただ数は多くて単価が低い仕事だから、先方と相談しながら納期の調整してもらってる」


 付き合いがそれなりに長くなってきたので、互いに柔軟に対応できる信頼関係ができて、よかったという。

 

「三回目の指名で作業を終えたあたりで、父が、銀の工具を渡してくれた。とても嬉しかった。触るのも禁じられていたから。憧れていたの、父や祖父が魔術を行使する姿を見て、自分もこうやって奇跡の品を作ってみたいって。それに、それまで、父や祖父が作業する姿は何度も見てきたし、実際に作業をしたことはなくとも、その理屈は学んできたから、できると思った」

「魔術師って、座学も必要なんですか? だったら俺はなれないなあ」

「そもそも血筋で魔力の質が変わるから、親族に魔術師がいなかったとしたら、あなたがなれる可能性はかなり低いわ」


 容赦なく切り捨てられ、クルトは苦笑いした。

 

「私ね、年齢のわりにお客を取れたのが早かったし、自分でも自信があった。技術の。だから、水晶を渡されてはじめて土の精(グノーメ)を呼び出した時は、当たり前のように自分で思い描く結果にたどり着くと思ってた。でも、酷い結果だったわ。水晶玉は、こなごな。私の自尊心もこなごな」


 彼女は冗談めかして言うと、くすりと笑った。目は遠くを見たままだ。そのときのことを思い出しているのかもしれない。ランプの明かりに浮かぶ彼女の横顔は、穏やかだった。普段、ひとりでいるとき、彼女はこういう顔をしているのだろうか。

 

「それは……悔しいですね」

「もう、本当に悔しかった。父は『片付けろ』とだけ言って、工房を出ていって……。原因は教えてくれなかった。まあ、ずっとそういう人だったから、そこは慣れていたけれど、なんだか、(おご)ってたんだな私と思って、恥ずかしくなって、しばらく父の顔を見られなかった」


 彼女は泣いたのだろうか。

 修行をしていたときは今よりもっと幼い、少女のころだろう。今だって少女の域をようやく出たくらいなのだ。

 しかし、それでも彼女は泣かなかったんじゃないかとクルトは思った。それがよけい自分を惨めに見せると思って。そういう人のような気がしたのだ。

 俺は泣き虫だったからよく泣いてたなあ、と自分を振り返り、剣を握る同胞たちの姿をぼんやり思い出した。今ではもう、詳細が思い出せなくなってきている、古い記憶。血塗れの絵で上書きされてしまっている。

 

「実際に、ちゃんと水晶に工具を通せるようになるまで半年かかった。小さな水晶を何個も何個も駄目にして、工具を通す練習をした。

 土の精の使役が不完全で、水晶の硬度変化が足りていなかったということに気付いたのはわりとすぐだったけれど、その後、実際にその技量を上げるために四苦八苦したわ。内容物を封入できるようになるまでさらに半年。そこからの応用は――まだ勉強中ね。

 今ではそれなりのものを作る自信はあるけれど、黄金期の作品にはまだ、及ばないと思う。いつかは追い抜くつもりだけど」

「黄金期ですか?」

「三十年以上前、フラスメンがまだ今よりおとなしかったころは、水晶庭師が山程いて、王宮でも働いていたのよ。そのころが一番、水晶庭の大作が産み出されたの。あなたが持ってきたものも、そのころの作品のはず。あれは最高級だと思う」

「へえー。道理で。きらきらしてましたもんね」

「国璽のこと抜きでも、あれを売ったら十年は遊んで暮らせるわよ」

「えっ」

「鑑定眼はなさそうね」


 シャンテナは肩を竦めた。

 そんなことを言われても、門外漢なのだ、仕方ないじゃないか。クルトはそう思ったが、彼女が少し楽しそうだったので黙っていた。好きな物の話をするのは、誰だって楽しい。そういう楽しい話を聞くのは好きだ。


「やればやるほど、深淵が遠のいていくのよね。水晶庭だけじゃなくて、この仕事全部が」


 探求者のような顔をして、シャンテナは続ける。

 

「私も、あのくらいの作品を仕上げてみたい。いつか。そして、父に祖父、曽祖父……エヴァンスの先祖たちから私が受け継いだ技術を知らしめたいの。ようやくそれで、フラスメンから受けた屈辱を晴らせると思う。凋落(ちょうらく)した我が家の名誉も回復できる」

「――そのためにも工具を取り戻さなけれればなりませんね」

「そうよ。あの工具の本当の価値なんか、ちっともわかってないに決まってるわ、あの摂政は」


 まるでフラスメンに会ったことがあるような口ぶり。言いきって、彼女はあくびをした。移動距離はさほどではないが、ここ数日もばたばたしていたし、工房の襲撃があってからゆっくりもできなかったのだろう。

 

「シャンテナさん、疲れたんなら休んでください。俺は床で寝ますから」


 彼女はじいっと黒い目を細め、クルトを見た。睨まれているのかと思ったが、もしかすると眠いだけという可能性もあった。

 

「……ありがとう。そう言ってもらえると助かるわ。次に同室になったら、私が床で寝るから」


 素直にそう言うと、彼女はもぞもぞとベッドの上で丸くなり、掛布を引き上げた。

 すぐに小さな寝息が聞こえてくる。

 

 信頼されていると思っていいのか、どうなのか。毒にも薬にもならないと思われているだけの気もする。

 苦笑しながら、クルトも寝る支度を整えた。万が一に備え、ランプは点けたままだ。どうせ朝を待たずに油切れで消えてしまうだろうが。

 外套と、借りた宿の備品の毛布を掛けて硬く冷たい床に寝転んだ時、ベッドの上のシャンテナが寝返りをうった。安心しきった、幼い寝顔。瞼の下にしまわれた黒い目を、はじめは怖く感じていたが、今は少し違う。他の話をするとき、どんな色に輝くのだろうと、興味深く思う。

 

 また明日もいろいろ話せたらいいな。

 そう思いながら、クルトは目を閉じた。シャンテナに背中を向けて。



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