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<23>獰猛な王太子

 馬車は堀に架かった跳ね橋を渡って、王城の敷地に踏み込んだ。内門では登城者の身分確認などが行われていて、一度停車を求められたが、とくに問題なくそこは通過できた。クルトが、王太子直筆の召喚状を持っていたのだ。さらに馬車は進んでいく。

 道の左右に手入れの行き届いた垣根があり、その先には一度に全貌を見渡す事はできない巨大な建物があった。

 白亜の外壁が、空の青を反射して眩しい。数える気にもならないほどのたくさんの窓にはどれもガラスが嵌っていて、太い柱には立派な彫刻が施されている。

 

 ――これが王宮か。


 馬車を降り、シャンテナは声無くその建造物を見上げていた。かつて自分の一族がここで過していたのだとはとても思えない。あの小さなメルソにずっといたら、想像もしなかっただろう。こんな建物がこの世にあっただなんて。そしてこんなきらきらした服を着た自分が登城しようなどとは。


「さ、行きましょう」


 ぼうっとしていたシャンテナの肩を叩いて、クルトがその腕を差し出した。

 

「……緊張してますか?」

「うん」


 素直に頷いたところ、クルトは小さく笑った。なんだかむっとする。

 

「大丈夫ですよ、万事うまくいきますから」


 なんの根拠もない言葉だが、しがみついた腕がしっかりしていたからか、ほんの少しだけ、心強く思ったのだった。

 

× × × × ×


 案内されて正面口から入った宮殿内はさらに豪華絢爛だった。

 壁も床も天井も、調度品の一つ、歩き回る人々の衣装のすべて、どこにも粗末なものなどなかった。

 乳酪(バター)色を基調にした石造りの床の上に、暗紅色の巨大な絨毯が敷かれており、その上を優雅な足取りで、どんな身分かも分からない貴人や貴婦人が歩いていく。

 高い天井から生えている、細かい彫刻の施された柱の前には、槍を持つ兵士が背筋を伸ばして立ち、厳しい表情で辺りを睥睨していた。壁にはタペストリーや巨大な肖像画が掛かり、天井からは大きなシャンデリアが伸びている。

 

 クルトは迷うことなく東の棟へ続く回廊へ向かった。王族が居住する棟だ。

 正面口の広間ほど人の気配はないが、一定間隔を置いて並ぶ衛兵や、頭を垂れてふたりの通過を待つ侍女たちなど、棟自体の空気はさらに重厚だった。


「大丈夫ですよ、シャンテナさん」


 肩を叩かれ、シャンテナは自分が無意識のうちに力いっぱいクルトの腕を握り締めていたことに気付いた。体中緊張でがちがちだった。指摘されて、顔が熱くなった。

 半歩横にずれ、クルトと距離をとる。彼はきょとんとした後、ため息をついて頬を掻いた。苦笑付きで。


「こちらで殿下がお待ちです」


 黒く染め上げられた両開きのドア。やはり、帯剣した兵士が左右を固めていた。

 クルトが入室のうかがいをたて、許可された。シャンテナはごくりと喉を鳴らす。いよいよ、と思うと、心臓が激しく鼓動した。

 重そうなドアは、音もなく開いた。部屋の黒を基調に赤を取り入れた内装の豪華さには、もはや驚かない。それより、中に設置された十人がけの長いテーブルが、二席を残してすべて埋め尽くされていたことのほうが印象が強かった。そこにいる男たちはみな、服装もバラバラで、クルトと同じ軍服姿のものも四人ほどいた。彼らは一様にこちらに視線を注いでくる。

 背後でドアが閉まって、シャンテナは身じろぐ。なんだろう、この部屋の熱気は。質量を感じさせるほどだ。


「クルト。その娘が、件の水晶庭師か」


 声をかけてきた、一番奥の席で脚を組んでふんぞり返っている男を見たとき一目で、シャンテナはこれがベルグ王太子なのだとわかった。

 彼が他の人間と同じ様な格好をして、別の席にいたとしてもそうだとわかっただろう。

 太陽をそのまま凝縮したような金の髪に、深緑の目。彫りの深い顔立ちは彫刻のように整っているが、繊細というよりどこか獰猛(どうもう)な印象があった。その長身痩躯に似合わぬ威圧感は、強い目の光によるものだろうか。

 クルトは、顔を引き締め、落ち着いた声音で返答した。

 

「はい。お話していたエヴァンス家当主のシャンテナさんです」

「ふうん。なんだ、女だてらに彫金の仕事を切り盛りするなんて、どんなごっついのかと思えば、なかなかじゃねえの。青がよく似合うな。今度もっといい服を見繕ってやろう」


 ベルグが大仰な仕草で立ち上がったかと思えば、つかつか歩み寄ってきて、慣れた仕草で手袋ごしに接吻された。シャンテナはぽかんとするばかりだ。その行為に、クルトが青ざめる。

 クルトがシャンテナを背後に隠して立ちふさがった。


「ちょ、殿下! 報告聞いてください!」

「別にいらん。報告はお前の道中での書簡でも受けたし、昨日も口頭で十分聞いたはずだぞ。まさか報告漏れがあるとは言わねえだろうな、ええ?」


 ベルグはあっさりクルトを押しのけてシャンテナの手を取り、先程まで自分が座っていた席の隣に導いた。その仕草は板についていて、強引さはない。王太子も自分の席に戻り、シャンテナとテーブルの対角線上にあるもう一つの空席に、クルトが着席した。なにか言いたいことがあるような雰囲気だが、口をつぐんでいる。


 ラーバンの男たちはみなこういうものなのだろうか。それとも、貴族の間ではこれが普通なのだろうか。あるいはからかわれているのか。

 あまりに突然のできごとで、頭が追いつかない。シャンテナは、やや茫然と、テーブルの上に視線を走らせた。水晶庭から取り出したあの国璽(こくじ)の欠片が、黒い別珍の上に置かれ、陽の光をきらきらと反射していた。ずっとクルトに預けていたそれを、昨晩、彼は王太子に献上したのだろう。


 改めて、ベルグが口を開いた。


「国璽の二つは手に入り、水晶庭師の生き残りがこうしてここにいる。あとはもう一つの部品さえ手に入れば、俺は堂々と議会に乗り込める」

「しかし殿下、聞けばその水晶庭師は、工具を奪われ、魔術の行使ができぬのでは」


 臨席者のひとりがそう問うと、王太子は鷹揚(おうよう)に頷いた。シャンテナの事情は、この場の出席者全員の知るところらしい。この部屋にいる全員が、王太子の腹心なのだろうが、白昼堂々、宮殿内で会合を持つなんて、フラスメンを刺激しないだろうか。

 

「そうだ。そこで貴殿らの力を借りたくて、ここに呼んだ。誰か、この娘の奪われた工具のありかに心当たりのある者は?」


 誰も、挙手も返事もしなかった。戸惑いの雰囲気がテーブルを支配する。

 王太子はへこたれた様子もなく、肩を竦めた。

 

「であれば、その情報の収集をしてくれ。あるいは代替品の用意、それができる技師を」

「あの、王太子殿下。恐れながら申し上げます。代替品の用意は不可能かと」


 シャンテナは思わず口を開いていた。


「――それはどういうことだ、水晶庭師。新しい工具を作るのでは間に合わないか」


 深緑の鋭い視線が向けられる。シャンテナは、自分の体が、射竦(いすく)められたように動けなくなるのを感じた。それは、王太子が放つ殺気にも似た威圧感のせいだったのかもしれない。

 王太子の冷たい一瞥(いちべつ)には、普段のシャンテナが、町の人間相手に睨みをきかせているときなど、比ではないほどの威圧感があった。これが、フラスメンと対等にやりあうだけの行動力を持つ王太子の胆力なのだと、シャンテナは頭のどこかで理解していた。


「水晶庭用の工具は特別です。銀に魔法文字を刻み三年間月光に当て続け、毎夜一滴の血を垂らし呪文を唱えます。その呪文や血の量などは工具製作を請け負ってきた家の秘伝で、その家系はとうに絶えました。それがなければ、私はお役にはたてません」


 王太子は目を眇めた。


「なるほど、新しいものは作れない、今あるものを見つけ出すしかないってのか。わかった。聞いていたな、皆。あらゆるツテを使って、この娘の工具を探せ。できるだけ早く見つけろ。シャンテナ、あとで奪われた工具の詳細を聞かせてくれ。皆が探す目印になる」


 大きさ、入れ物の見た目、中にはいっているものの本数から形などを伝えればいいだろうか。だが、作業部屋では小さくないそれも、この街で探すとなれば砂粒と変わらない存在だろう。困惑気味のまま、じっと王太子を見ている参列者は、みなそう思っているに違いない。

 

「こんなことになるとわかっていたら、エーリング氏だけではなく、あと数人、メルソに向かわせるべきでしたね。水晶庭師を完全な形で確保するのは、彼には荷が勝ちすぎたらしい」


 ため息混じりにそんなことを言ったのは、クルトの正面に座った男性で、白に近い金色の髪をゆったり首元で結わえ、全体的に小作りな顔立ちを不機嫌そうに歪めている。日焼けを知らず、いつも書斎で本を読んでいそうな印象があった――若いのに眼鏡を掛けているからだろうか。

 一瞬シャンテナは首を傾げたが、何度か見たクルトの本物の身分証での姓が『エーリング』だったことを思い出した。呼んだことがないので、完全に忘れていた。そして、むっとした。なにをいきなり、けんかを吹っかけてきているのだろう、この人は。その場にいなかったのに。

 クルトは事態が理解できているのかいないのか、反応なし。代わりに、彼と同じ軍服姿の男たち四人が、ぎろっとその男を睨んだ。


 ここは王太子の腹心たちが集まっている場で間違いないだろうが、一枚岩ではなさそうだ。目指すものは一緒でも、そこに至る経緯も違えば、動機も違う。王太子に忠誠を誓っていたとしても、他の同志たちと仲がいいかは別問題、なのだろうか。

 

「シャンテナ、お前はしばらく、俺の縁故(えんこ)ある者の元で、食客(しょっかく)として保護してもらう。工具と、残り一つの国璽の部品が手に入るまでは、そこでゆっくりしてろ。昨夜、クルトとも話をしたが、メルソでは目が届かないし、お前を守るのは難しい。王宮に置いておくことも考えたが、そうなるといろいろ追求されたりして面倒だろ。お前がもっと歳食ってて婆さんだったり男だったりしたらよかったが、俺のお手つきだとかいう噂が流れても可哀想だしな、俺はそれでもいいが。だから、信頼できる筋にお前を預けることにした。異論は聞かん。この後、直接そこへ向かえ」


 シャンテナは、思わずクルトのほうを見た。彼はにこっと笑う。少しだけ、寂しそうに。

 ベルグは言葉を続けた。


「工具もそうだが、国璽の欠片の残り一つの所在も問題だ。この最後の一つだけがどうしても行方がわからねえ。『魔術師の血族に託す。鍵を解けし者ならば、その在処(ありか)を知る事ができよう』。その言葉だけが伝わっている。おそらくあっち側もこの三つ目の在処はわかっていないだろう。だが、それさえ見つければ、お前さんに国璽を復元してもらえる。そうだな」

「はい」


 シャンテナのうなずきを確認し、満足げに王太子は脚を組んだ。


「俺は魔術師の末裔のもとやゆかりの場所に部下を送って三つ目の部品を探させているが、あっちは国璽を手に入れなくてもいいからそんなことはしていない。こっちが国璽を手に入れられなければ、それで向こうは勝ちなんだ。当然、部品が全部揃っても復元できなければ意味がない。だからあいつらはお前さんの工具を奪った。だが、おそらく、フラスメンのことだ、すぐにお前さんのことも嗅ぎ付けて、刺客を放ってくるだろう。あの男は、潰せる芽は潰しておく主義だ。だからお前はすぐにでも、匿ってもらうべきだ。移動中の護衛は、サイクス、お前が手配しろ。ぬかるなよ、シャンテナは国璽修復の頼みの綱だ」

「かしこまりました」


 先程、クルトに突っかかった男――サイクスというらしい――がうやうやしく頭を垂れた。これを待っていた、というように。


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