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<02>無愛想な彫金師

 今から三十年前のリングリッド暦七百六十二年。リングリッドは大きな変革を迎えることとなった。後世の歴史家は、《フラスメン独裁政権樹立の年》と語る。しかし、それはまだ先の話。


 この年、摂政フラスメンがかねてより推してきたエウス教の国境化が実現したのである。

 この宗教の特徴を挙げるなら三つ。


 一つ目は異教を認めないこと。

 二つ目は宗教的身分制度があること。

 三つ目は団員の身分を、頂点に立つ者が決められることだ。


 エウス教の教王は、国教化という最高の布教(えさ)にとびついた。自らの地位を一つ下げ、教王という教団内最高位をフラスメンに捧げてまで、国内での完全布教を願った。

 なぜそこまでして彼は布教に燃えたのか。

 彼にとってエウス教以外の宗教はすべて邪教なのである。国内から廃絶しなければならない敵なのだ。国でそれに力を貸してくれるのに、何の不平がある。そのためなら、教団内の地位など惜しくはなかった。ある意味、彼は純粋に、エウス教を信仰していたといえる。


 対してフラスメンの目的はもっと奥深いところに潜んでいた。

 彼にとって、教王などという地位はただの便利な肩書きに過ぎなかった。

 もちろん、エウス教徒になったとはいえ、純粋な信仰心などほとんどなかっただろう。

 腹心の前で「エウスの神は私に跪いている」と語ったという逸話すらあるほどである。

 その逸話の真偽は定かではないが、教王の地位を得ることでフラスメンは、自分の息のかかった教団の聖職者を各地に散在させることができるようになったのは事実である。エウスの神の御名にしたがって。


 しばらくしてエウス教徒が国民の半数を越すと、改宗しない者を国策に反したと弾劾する口実を彼は得た。彼はまさに、このときを待っていたのである。


 間もなく、リングリッド国内に異教排斥の波が起こった。

 その波は、国内で地位を確立していた魔術・魔法学の徒にも及び、彼らは財産も地位も奪われ、その身を拘束された。

 精霊や妖精の力を研究する魔術・魔法もエウスからすれば異教であり、当然、弾劾すべき相手だったのだ。

 排斥から逃れた少数の魔術師や魔法学士らは、薄暗い町の闇の中で息を殺して身を潜める他なかった。

 実は、この魔術師たちの排斥こそ、フラスメンの真の狙いだった。


 フラスメンは四十九年前、リングリッド暦七百四十三年に時の国王に万機(ばんき)を与えられた。王家に連なる家系の出身で、実際、優秀な文官であった。

 だが、彼には野望があった。北方の大国リングリッドを己が手で転がしてみたいという、大それた野望が。


 幼い国王の摂政に抜擢された彼のなすべきことは、まず、国王から完全に政権を切り離すことだった。


 そのために邪魔になるのは、国王派の重鎮たちである。

 国王派の筆頭は、王族と血縁関係にある者や、古参の貴族、国王の支援を受けて研究や実験をしてきた魔術師・医術師の家系だった。

 後者を異教徒として国政の枢機から閉め出すことに成功したフラスメンは、いまや国を手中に収めたと言っても過言ではない。


 フラスメンは二代の国王に仕えてきた。現国王に仕えて二十年を越す。

 現王は今、病を養っている。

 年齢的にももう長くないだろうと、誰もが思っていた。

 順当にいけば、次の王は、御歳三十六のベルグ王太子だ。

 彼はフラスメンに負けず劣らずの胆力を持つ男だと噂されているが、実際のところはどうか知れない。

 フラスメンは前・現国王と同じく、この王太子に実権を握らせるつもりはない。自身は既に八十を越す老体だが、体も心も未だ頑健だと自負している。

 彼の次の標的は、もちろん、そのベルグ王太子に決まっている。


× × × × ×


 シャンテナは日課である道具の手入れを終えようとしていた。ぴかぴかに磨き、研ぎ上げたその一本一本を、定位置にそっと戻し、最後に布をかぶせて完了である。

 小さくひとつ息をつき、凝り固まった肩を左右にひねる。ぱきぱき、軽く骨が鳴った。


 立ち上がった彼女は、明日の朝市に行くための準備を整え、戸締まりを確認し、明かりを落として寝床に潜り込んだ。寝る時でも、首飾りは外さない。服の中にしまいこまれた硬いそれを片手で握りしめ、目をつぶった。

 明日も仕事がありますように、そして――精霊の加護がありますようにと、心の中で祈って、ベッドが温まるのを待つ。リネンがちょうどよく(ぬく)もったころには、手の中の石も肌と同じくらいの温かさに変わっていた。

 嫌なことがあっても、この首飾りを握りしめていると、奮起できる。家宝であるだけではなくて、シャンテナには何ものにも代えがたい大切な品なのだ。この首飾りを自分の子に譲るまで、そして自分の技術を漏れなく伝えきるまで、絶対に秘密は守らねばならない。


 ――三十年前、王宮を追われたエヴァンスの一族は、身分を隠し、彫金などで糊口(ここう)を凌ぐ生活を始めた。

 一族の誇りは、家宝を守ることでのみ守られてきた。当主たちは首飾りを肌身離さず守り、技術を隠れて子に伝えてきた。


 実を言えば、今も水晶庭の仕事はある。

 隠れた愛好家や、先祖代々親しんできた顧客の伝はまだ水晶庭を求めてくる。彼らの横のつながりは驚くほどに強い。


 だが、前者に該当する新規の客はとらぬよう、シャンテナの父親は口を酸っぱくして彼女に言い含めてきた。

 水晶庭の関わる仕事では、多額の報酬は得られるが、天秤の反対側の皿には密告の危険が常に乗せられている。

 密告されれば、シャンテナの死罪は確定だろう。エヴァンスの技術は今度こそ、失われてしまう。それだけは避けなければならない。シャンテナには、きちんと結婚し子を残し、そしてその子にこの秘密を受け継がせるという大きな使命がある。


 だからこそ、信の置ける相手以外の仕事は一切受けず、また、今日のクルトにやったようにエヴァンスの存在すら否定していかなければならないのだ。

 本来なら、後者の客ですら断ったほうがいい。


 それでもシャンテナが定期的に彼らの依頼を受けるのは、エヴァンスの末裔としての矜持があるからだ。後者の多くは、摂政のフラスメンに批判的な国王派の旧家だ。国王派だったエヴァンス家にとってはかつての同志ともいえる。

 十分に信頼できる相手――先祖の代からの付き合いがある顧客や、その紹介を受けた身元の確かな人物――の仕事だけを請け負う。それを徹底することで、わずかばかりではあるが、摂政への抵抗をしているつもりでもあった。リングリッドが富み栄えた背景に、魔術師たちによる功績がたしかにあったのだと、後世に伝えるために。


 できることなら、人目をはばからずに仕事をしたい。たしかに伝わる自家の技術を、沢山の人に見て欲しい。芸術に携わる人間の当然の欲求だ。

 シャンテナの腕は、父いわく『エヴァンスの歴史上、五指に入るだろう』とのことだ。

 だがこの時世では、その腕は彫金のみに生かされ、本領は発揮できない。


 昼間見たクルトの水晶庭を思い出す。

 あれは素晴らしい出来だった。あれの製作者は不明だが、おそらく水晶庭師が(しのぎ)を削っていた黄金期――三十年以上前のものだろう。

 誰の所有物かもわからないが、クルトがいなければ、もっとよく観賞したいほどだった。

 それすらも叶わない。

 得体の知れない相手に、しかも、権力の走狗である軍人に、自分が水晶庭師の末裔であるだなんて名乗り出るわけにはいかないのだ。


 ぽん、と頭の中に、あのおかしな都の軍人の顔が浮かび、いらっとした。目をつぶったまま、別のことを考えて忘れることにする。

 明日の作業内容を考えているうちに、睡魔がシャンテナを迎えにやってきた。


× × × × ×


 翌日、シャンテナは朝市へ数日分の食料を仕入れに出かけた。町の人間が集まるだけの小さな市だが、それなりに活気がある。

 食料品はもちろん、骨董、花、大工道具に日用雑貨、衣料品もそろっている。


 シャンテナも庶民向けの作品をここで捌くこともあるが、今日は客としてここへ来ていた。

 馴染みの食料品を取り扱う露店へと向かう。


 シャンテナの格好は作業着ではないが、着古した海老茶色のワンピースにひっつめの髪と、いつもと飾り気の無さは変わりない。まるで子持ちの主婦のような格好だ。それもそのはず、この服は彼女の亡き母の形見。

 形見といえば聞こえはいいが、型は古いし色は地味だし、とても十代の娘の着るものではない。


 だが、彼女は気にしていなかった。興味が無いのだ。

 ふわふわした布も、美しい光沢を持つ絹のリボンも、よいにおいのする香水も何もかも眼中に無い。

 そんな店もここにないことはないが、全く目に入らない。

 もし興味があるとすれば――。


 シャンテナの足が止まる。露店の一つ、様々な街を経由してあらゆる道具を集めている店の前だ。いつも開いているわけではない。


「お。どうした、シャンテナ。……ははあ、お前さん、これに気付いたか」


 この腹の突き出た中年の店主が、都ラーバンとの往復の途中で手に入れた品物の数や種類で判断し、思いついたように開かれるのだ。


「このたがね、……どこの?」

「おうおう、よく聞いてくれた。これはラーバンでの掘り出し物で、イレオス工房のシダリオっちゅう職人が」

「買うわ」

「説明、終わってないんだが」


 店主が困ったような顔になっても、お構いなしだ。

 シャンテナはしゃがみこみ、地面に敷いた毛氈の上に並べられているたがねを手に取った。スカートが地べたに触れようが気にもならない。


 一見、何の装飾も無く地味なそれは、手にとってみればしっくり馴染み、刃先は美しい直線に整えられ、きらりと朝日を反射する。


 彼女は想像した。

 自分の完成目前の作品。その作品の仕上げにと、このたがねですぅっとはつる。その時手に伝わるだろう感触、描かれる直線、命を吹き込まれていく作品。

 想像するだけで、背筋がぞくぞくした。


「まあ、最高の職人の作品だかんな。腕のいい職人の手に渡って本望だろうよ。ほれ、持っていきな」


 店主は苦笑交じりにシャンテナにたがねを手渡した。シャンテナは財布から硬貨を取り出し、店主の手の上に乗せる。


「ったく。愛想笑いでもしたらどうだ? せっかく美人なんだ。工具見てるときの顔を見せりゃ、その辺の男はみんなお前にまいっちまうだろうに」

「お釣りもらえる?」

「はいはい、興味なしね……。それじゃあ、毎度」


 受け取ったたがねを財布より大事に抱え、シャンテナは店を後にした。


 宝物が一つ増えた。

 シャンテナにとって、工具とは、ただの口過ぎの道具ではない。


 例えば、自分の作品は、すべて自分の子供である。対して工具とは、彼女にとって人生の伴侶にも等しかった。

 自分の中にある意匠も情熱も、すべて工具と共に生み出していく。

 彼ら無しでは、自分は生きていけないのだ。

 だから、彼女は工具を何より大切にしていた。

 父より受け継いだ水晶庭の工具など、自分の命と同等以上だと、本気で信じていた。自分以外の祖先たちの魂が篭った大切な工具たちなのだ。その価値は家宝の首飾りに匹敵する。


 足取りも軽く、彼女は食品店へ向かった。

 食品店は恰幅の良い女店主が経営している。円っこい笑顔と気安い口調が人の警戒心を緩めさせる女店主だが、残念なことに非常なおしゃべりという欠点があった。


「シャンテナちゃん、昨日、なんだかお客さんが来てただろ」


 聞きにくそうに、しかし好奇心を抑えられないといった様子で、露店の女店主は袋につめた食品を差し出した。

 シャンテナはにこりともせずにそれを受け取り、分厚い女店主の手の上に硬貨を乗せる。

 彼女の言葉に、嫌な事を思い出した。

 たがねを買って、せっかく上機嫌だったのに、それはあっさりしぼんでしまう。


「特に、誰も」


 おそらく、昨日の軍人のことを聞きたがっているのだろう。

 そのくらいは察せたが、あえて答える必要もない。答えようもなかった。まさか自分が、水晶庭師だと疑われているだなどと噂になっては困る。


「あら、でもなんだか素敵な男の人が。しかも都のほうの軍服で。もしかしてなにかあったの? ほら、一緒に都へ行って店を出そうとか、暮らそうとか」


 噂好きで有名な店主は、攻め方を変えて問うてきたが、シャンテナの鉄面皮には及ばなかった。


「うちのお客さんは、都の貴族の方も多いから」


 つり銭を素早く財布にしまうと、シャンテナはぺこりと頭を下げて、さっさと店の前を離れた。


「おうシャンテナ! 軍人が来てたって聞いたが大丈夫だったか?」

「シャンテナ。何かしでかしたのか?」

「もし何かあったら遠慮なく相談するんだぞ、シャンテナ」


 大股でざくざくと歩くシャンテナの背中に、路肩に並んだ露店の店主らが口々に声をかける。

 皆、からかい交じり、しかし半分は心配が交じった野次だった。

 おそらく、さきほどの女店主あたりが噂して一気に広がったのだろう。

 それらの野次すべてを無視して、シャンテナはたがねと食料を抱え自宅へと戻った。


 彼女の無愛想は今に始まった事ことではない。振り返りもしない娘の背中を見て、露店の店主たちは顔を見合わせ、苦笑交じりに肩をすくめた。

 彼らからすれば、若い娘がひとりで工房をやりくりして生活していることが、心配であり興味深いことであった。

 何しろシャンテナはこの町で評判の「無愛想」娘であり、腕のいい「彫金師」なのだ。生まれたときからその成長を見てきたこともあり、見かけるたび、組合で顔を合わせるたび、ついつい声をかけてしまう。


 それをつっぱねられたからといって、気分を害したりなどしない。年を重ねた彼らにとってみれば、そんなものは、若い娘が懸命に突っ張っているだけにしか見えないからである。

 それが微笑ましくて、邪険にされることがわかっていてもついつい声をかけずにはいられないのであった。



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