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<19>夕闇の『碧玉兎亭』

 リトールの門を抜けながら、ラーバンの街の陰が遠くに見えた。高い壁に囲まれ、一目ではその全容を把握できない山のような姿だ。背の高いいくつかの建物は、壁の上に突き出て、その場からも確認できた。詳細は見えなくとも、針のように細く特徴的な尖塔がエウスの教会だというのはわかった。さらにその向こうに、幅もある大きく高い建物がある。クルトに聞けば、あれが王宮なのだという。

 

 ふたりは予定通り、ラーバンの門を通過した。門の前には検問所があり、身分証を検められる。シャンテナはクルトが用意してくれた偽の身分証で、門を通過した。リトールの門を越えるときもこれを使ったのだが、おそらくクルトはその前の町でこれを入手したのだろう。寄るところがあると言って、少しだけ寄り道したのだ。食品店の一角で、乾燥イチジクと一緒に受け取ったもの、きっとそれだ。中をちらっと確認したところ、彼の妹という扱いになっていた。メルソを出る前に手配し、門での検問が発生するリトールの手前で受け取る手はずになっていたのだろう。シャンテナはそう想像した。とりあえず、ラーバンではふたりの関係を尋ねられたら、兄妹だと答えたほうがいいだろう。

 

 長い長い行列ができている門をなんとか抜け、ふたりと一頭は、ラーバンに踏み込んだ。

 

 ラーバンはメルソなどとは比べ物にならない活気に溢れていた。道は蜘蛛の巣のように複雑に入り組み人が溢れ、店が立ち並んでいる。建物一つ一つの背が高く、代わりに敷地が狭い。

 夕方でも、まだまだ店員は商売を切り上げる雰囲気もなく、買い物客の数もかなりのものである。

 興味本位で覗いた、大通りから一本入った狭い路地の上のほうには、綱が張られ、籠や乾燥させた草花食料がぶら下がっている。その左右には、ずらりと露店が並んでいた。


 人混みの向こうの夕空を切り取るように、丘の中腹に高く(そび)え立つ角塔がある。少しでも天に近くありたいというように伸びているそれこそ、エウスの大教会だろう。

 そしてその奥、丘の天辺には、白亜の宮殿が、塔に影の中心を遮られてもなお、その威厳を損なわない荘厳さで座しているのだった。


「すごい……」

 

 圧倒されたシャンテナの口から、そんな言葉が溢れた。人が多すぎて、自分の目指す方向もよくわからない。少し前を行くクルトと、彼が手綱を引くマルクリルとはぐれないように、早足で着いていくのが精一杯である。彼はさすがに慣れているだけあって、まごつくことなくすいすいと、人波を泳ぐように進んでいく。ときどき、はぐれてないか確認するために、後ろを振り返りながら。

 

「シャンテナさん、王太子殿下には明日の朝にでもお会いできるように調整します。今晩はゆっくり休んでくださいね、昨晩のこともありますし」

 

 一つ角を曲がり、少し人混みの密度が低くなったとき、クルトがそう言った。小声で。

 シャンテナはまばたきをする。

 

「明日の朝? すぐに会いに行かないの?」

「そうしたいのは山々ですが、王太子殿下は今晩、別の用件が入っているはずです。それに、こんな格好で会いに行けませんよ、支度が必要です」

「まあ、たしかに……でも」


 昨晩野宿した自分たちが、王宮にふさわしい格好かなんて、考えるまでもない。しかし、王太子は玉璽(ぎょくじ)が欲しくないのだろうか。喉から手が出るほど欲しいはずだ。それでも、予定を繰り上げたりしないのは、不用意に注目を集めたりしないために慎重になっているのか、その予定自体がよほど重要なのか。

 

「今晩、俺が報告に行きます。そのとき指示を仰ぎますから、シャンテナさんはまずは休んでください。明日、元気でお会いできるように」

「クルトは出掛けるの?」


 こんな、敵の本拠地間近で宿にひとりにされるのか。不安が滲んだ声になってしまい、シャンテナは小さく唇を噛んだ。半月以上の旅で、知らない土地にも少しは免疫ができたが、平気ではない。

 

「ええ。あっ、でも大丈夫ですよ、安全安心な宿を保証します」


 クルトが足を止め、シャンテナも立ち止まった。

 貴族のお屋敷かと思っていた建物の前。しかし、その鉄の門には『碧玉兎(へきぎょくと)亭』という看板が掛かっている。そして『本日満室』の案内も。

 いつから彼は宿屋の回し者になったのだろう。それに満室とあるが。

 不審に思いつつ、クルトに着いて門の裏に回ったシャンテナは、とくに身分証も確認されることもなく、すんなり敷地にはいることができた。警備をしている男が数人いたのだが、クルトが軽く手を挙げるとなにも言わず、開門してくれたのだ。

 マルクリルとはそこで別れた。警備と一緒にいた老齢の男の人が手綱を引いて連れて行ったのだ。厩番なのかもしれない。


 門の先には広々した前庭があり、その向こうに大きな建物があった。そちらにも何人か、警備をしているらしい男たちの姿があった。お仕着せらしい、暗い色の服を着ていて、こちらを見てはみな黙礼してくる。


「ねえ、ここなんなの?」

「なにって。宿ですよ、警備もしっかりしていますし、安心してください。ただちょっと、価格設定がお高めですが」

「でしょうね」


 もう薄暗くなっていて、外壁の細かなタイルの模様こそ見づらいが、よく手入れの行き届いた庭といい、窓の鉄格子の細工といい、教育の行き届いた警備たちの態度といい、この宿の格の高さをうかがわせる。庭を散歩していた客らしき女性の身なりも立派で、きっとお金持ちなのだろうと思わせた。

 気になるのは、そんな宿屋にするする入れてしまうクルトのことだ。ここを利用している常連客なのかその知人なのか、……王太子が手を回してくれた可能性もある。

 

 館内にたどり着いたあと、ようやく、その疑問が解消されることになった。



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