<17>勘違いの距離
「ありがとうシャンテナ! すごい、本当に直せるなんて思ってなかった」
歓声をあげたキナは、シャンテナが手渡した首飾りをためつすがめつする。昨夜まで、傷んで壊れていた彼女の母の形見の首飾りは、元の輝きを取り戻し、開いたカンも直っていた。
「真珠まで元通りじゃない。これはもうとっかえないと駄目だって、街の宝石商には言われたんだよ。だったらいいやって諦めていたのに。どうやったの。まるで魔法――」
「それは、秘密」
「……うん、それでいいや。とにかく、ありがと! これでお空のお母ちゃんも喜んでくれる」
キナから首飾りを受け取り、シャンテナは彼女の首にそれをつけてあげた。翼に抱かれた真珠が、ふわりと朝の陽光を反射する。
鎖の長さはちょうどよく、キナの鎖骨の上に真珠が収まった。
満足し、シャンテナは目を細めた。
魔力を増幅させるための銀の工具の助けがないのは、やや不安ではあったが、水晶庭ほどの精密作業を必要としなかったのが幸いした。とはいえ、変質した真珠を元に戻すのはなかなか疲れた。本調子ではなかったせいもあって。喜んでもらえて、本当によかった。
「似合ってる」
「えへへ、うれしい! 自分の結婚式で、この首飾りつけるの夢だったのっ。ま、相手はなんとか見繕うわ」
笑うキナの隣で、トーロが自分の娘を眩しそうに見つめていた。彼も、唇を笑みの形にし、シャンテナと目が合うと「ありがとう」と小さくつぶやいた。
到着から二晩経ち、シャンテナの喉は、トーロの用意してくれた薬湯のおかげか、調子が戻っていた。まだときどき引っかかるような感じがあるが、会話に支障はない。そのため、クルトと話して、用意ができ次第トーロの家を出ようということになったのだ。
旅装を整えたシャンテナは、丁寧に畳んだ借り物の服をキナに返却した。
「これ、持っていって」
「いいの? ありがとう」
キナがくれたのは、先日もらった薬に加え、さらにいくつかの薬瓶、それからお手製のリンゴのパイだった。甘い香りに、さっき朝食を済ませたばかりだというのに胃が動き出す。隣にいたクルトが、わかりやすく喉をごくりと鳴らした。
昨日キナの出してくれたクッキーも、いっぱい食べていたから、クルトは甘党なのかもしれない。彼になにかお礼をするなら、美味しいお菓子を出すお店にでも連れて行こうか。つい、淡い色で統一された可愛らしい店――酒なんかなくて、ミルクガラスの可愛いお皿で小洒落たお菓子をちょこんとだけ出すような――で、ナイフとフォークを構えてにこにこしているクルトを思い浮かべた。違和感がほとんどない。
クルトが、深々と頭を垂れた。
「本当に、お世話になりました」
「いやいや。王太子殿下によろしく。我々は、末代まで殿下を支持しますと伝えてくれ」
「ええ、必ず」
うやうやしく頷き、クルトが玄関のドアに手をかける。それに続いたシャンテナの背中を、キナの声が追いかけてきた。
「シャンテナ! あたしお産婆もできるから、ふたりの子供できたら教えて! 取り上げにいったげる!」
× × × × ×
気まずい。トーロの家を辞し、裏手の厩からマルクリルを引き出して、街道を歩き始めて暫く経つが、ふたりはほぼ無言だった。
確実に、キナの言葉が響いている。シャンテナは、彼女の誤解を解こうとしたが、玄関先でわいわいしているわけにもいかず、「違うからっ」と言い残すのが精一杯で出てきてしまった。すべてを分かっているような顔でにやけていた彼女が憎い。
マルクリルにシャンテナを乗せ、クルトは黙々と歩いている。シロジを出てからずっと、なにか考えているようだ。難しい顔をしている。――もしかすると何も考えてないという可能性もあるが。
その様子を斜め上から盗み見て、シャンテナはいたたまれないような落ち着かないような気分で前に向き直った。
今日は晴天で、おとといの雨を思い出させるものは、道のわだちにたまったわずかな水だけだ。行き交う他の通行人とたまに目礼する以外、やることもない。
鳥が鳴きながら飛んでいく。なんとのどかな。
「あの、さ。クルト」
「はい?」
沈黙に耐えかね、シャンテナは口を開いた。クルトのほうを見られない。
「その、さっきの、……キナの言ってたことだけど。あれは、彼女が変な誤解をしてただけで、あの」
「あー……、実は俺もそのこと考えてたんですよ」
やっぱり。予想はしていたのに、どうしてか心臓が跳ねた。ぎこちなく、彼のほうへ顔を向けた。
クルトは、さっきの沈思するような表情を一転させ、明るい顔をしている。
「キナさんの勘違いはともかく、そういうのもありかなと」
「えっ」
突然なにを言い出すのか。跳ね回る心臓をなだめるために胸を押さえようと勝手に動く自分の手をなんとか制するも、顔が赤くなるのは止められない。
思考が急速になる。
たしかに、いつか誰かと結婚し子供を、と考えてはいるが今、それを突き詰めて考えるつもりはなかった。とはいえ、現時点でもっとも身近にいる異性は、クルトなのだ。しかも、彼はシャンテナの事情を知っているし、シャンテナも彼の過去を知っている。障壁は低いといえるだろう。
でも、だけど。
意味をなさない否定形の言葉だけが、頭のなかをぐるぐる回る。
クルトは、ちょっと頬を上気させ、興奮したように言った。まるで、名案を思いついたとでもいうように。首の後を撫でながら、微笑する。
「ほら、だって、ちょうどいいじゃないですか。お互いの諸条件を鑑みてください。俺も、いずれは自分の剣技を、できれば自分の子供に受け継ぎたいので、可能なら奥さんほしいですし、シャンテナさんだってご自分の技術を引き継ぎたいでしょう。お互い都合がいいし、それに――」
「絶対、いや。お断りよ」
「しゃ、シャンテナさん?」
話を遮り、そっぽを向いた同行者の顔を、クルトは慌てた様子で覗き込もうとした。
「あの、すみません、気に触ったなら」
「――しばらく、話しかけないで」
「……はい」
さらに顔をそむけ、会話も拒絶する。クルトはしゅんとした様子で、ようやく口をつぐんだ。
――最低。やっぱり無神経。大嫌い。馬鹿。
苛立ちと不快感で、シャンテナは唇を噛みしめた。一瞬、変に舞い上がった自分も馬鹿に違いない。そしてこの男はもっと馬鹿だ。運動神経と勘だけで生きてきたのか。
別に、クルトになにか期待したわけじゃない。初対面のときのよりは、印象が良くなっていただけ。一緒にいるのも嫌じゃないって思っただけ。何度も助けてもらって、いいやつかもしれないと思い始めていただけ。
ただそれだけなのに、なぜこんなに傷ついて、裏切られたような気分になるのだろう。
鼻の奥がツンとする。今、とても、泣きたくて仕方がない。
そういう気持ちを、総動員した意地で噛み殺し、シャンテナは、わだちにたまった泥水が陽の光を反射するのを睨んだ。




