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<16>静けさにおののいて

 食後、片付けを手伝ってからシャンテナは部屋に引っ込んだ。キナの隣の部屋を借りられたのだ。トーロの家には、患者を休ませるためのベッドも、シーツ類も準備されていたので、急な泊まり客にも対応できるようだ。

 しんとした部屋で、荷物を片付ける。ベッドの上に座って、持ち物を広げ、手入れの必要なものや不要なものを選り分ける。

 作業を終え、一息つくと部屋の静かさが気になった。

 完全なひとり部屋は、旅に出て初めてじゃないだろうか。と言ってもまだ数日なのだが。

 いつもはクルトが同じ空間にいて、とくに話をするわけでもなくとも、他者の気配があった。最初は鬱陶しかったり緊張したが、もう気にならない。それどころか、しんとした部屋にいると落ち着かない。

 ふと、不安が湧いてきた。そわそわ、カーテンをめくりあげ、部屋の窓の鍵を確認する。隣接の建物とほとんど距離のないこの窓から、人間の侵入は物理的に無理だとわかって、ほっとした。外はすっかり真っ暗だ。ため息をついて、カーテンを戻す。

 認めたくないが、今回のことはかなりこたえた。

 家で刺客に襲われたときも恐ろしかったが、親切そうな顔をした、普通の人に襲われるのも怖かった。どこに敵意ある人がいるかわからない。キナとトーロは大丈夫だと、頭ではわかっているのに。

 

 ノックの音で、シャンテナの意識は暗い考えから引き戻された。

 クルトが、小さなトレイの上に湯気を上げる器を乗せて、ドアの向こうで立っていた。飾り気のないシャツにパンツという、いつになく楽な格好をしている。彼もこの家なら安心していいと判断しているのだと、改めて思う。お風呂を借りたのか、髪の毛が湿っているように見えた。近づくと、シャンテナも嗅いだ覚えのある不思議な薬湯の香りがした。

 

「これ、トーロさんから、薬湯です」


 差し出された器に顔を寄せると、独特の、甘みのある匂いがする。

  

「あの、できれば今後のことを話したいんですが、いいですか?」


 頷き、彼を室内に迎え入れた。ドアを閉めようとすると、クルトがそれを制した。宿では同室だったのだ、いまさら密室にふたりきりになろうと気にする必要もないだろうに。そう思って、シャンテナは彼の指示を無視してドアを閉めた。正直、開いていると落ち着かないのだった。キナたちに聞かれてはまずいと言うわけではないが、積極的に聞いて欲しいわけでもない。ただ、鍵はかけないでおいた。

 

 部屋の隅にあったガタつく木の椅子に腰を下ろし、クルトはシャンテナが薬湯を飲み終えるのを待った。

 シャンテナはベッドに腰掛け、意を決して手の中の器に口をつけた。甘くて苦い、独特の臭みのある薬を飲むのは苦労する。どうしても好きにはなれない。飲み終えると、ため息が出た。

 どう? と視線で問われ、シャンテナは表情で美味しくないと伝えた。クルトは苦笑して、赤い髪をかき回した。

 

「今日のことは、本当に、このくらいで済んでよかったです。すみません、俺もうかつで」


 シャンテナは首を横に振った。確実に今回の件は自分に落ち度がある。それに誰より、だまし討ちのようなことをしたあの村の人間が悪いのだ。

 

「先程、都に向けて一報入れました。あちらに届くのは三日後くらいになるでしょうが。予定より、旅程が押すかもしれないという内容です。念のため、経路を変更しようとも思います」


 クルトは当初の予定と、変更後の予定を説明してくれた。手元に地図がないので、シャンテナは頭の中でその情報からいろいろ想像したが、わかったのは、なるべく大きな街を選んで通過するということだけだった。首都のラーバンとメルソの位置は把握しているが、道中の街をすべて網羅しているわけじゃない。

 

「小さな町だと、こちらの動きが丸わかりになってしまいますから。それに、大きな街であれば、トーロさんのように、王太子殿下に友好的な人たちに助力を願うこともできる。できれば、もうひとりかふたり、護衛が欲しいところですが、それは難しいかも」


 どうして、と視線で問えば、クルトは肩を落とした。

 

「近衛師団の中でも、フラスメンの目を盗んで殿下が動かせる人間は多くないんです。身辺警護ができる、一部のものだけ」


 王太子殿下の身の安全を守りつつ、方々(ほうぼう)へ人をやるのは無理だという。

 王太子の身の回りは危険なのかもしれない、とシャンテナは想像した。それはそうだ。彼はフラスメンのすぐそばにいるわけだし、エウス教の総本山がある都にいるのだから、そこは、敵勢力のど真ん中なのである。いつ寝首をかかれるかわからない。真実、命を預けることができる人間は、そんなに多くないだろう。

 その少ない信頼できる人間をひとり、ここに割いてもらっているのだ。

 不安はあるが、不満ではなかった。


 ――不満がない?


 はた、とシャンテナは思考停止した。

 

「ですから、ちょっと遠回りになっても、安全な宿泊先が確保できる街を優先しました。早く都につきたいと思いますが、我慢してくださいね」


 首肯(しゅこう)してみせると、クルトは微笑み、用は済んだと立ち上がろうとした。

 

「ま、ま……て」


 慌てて、シャンテナは彼のシャツの袖を引いた。つい、ひりつく喉から声を出して、咳き込む。一度咳き込むと、過敏になった粘膜がその空気の流れに刺激されて、あとからあとから咳が出た。


「わ。無理してしゃべらないでください。どうしたんですか?」


 クルトが背中を擦ってくれる。それでも収まらず、彼は水差しに入っていた水を汲んでくれた。それを飲んで、どうにか咳が止まる。

 心配そうな目で見られて、シャンテナは恥ずかしくなった。同じような失敗をしないよう、自分の荷物の帳面を取り出して、筆談を試みる。

 

「キナさんたちへのお礼、ですか? ああ、それだったら、ここを立つときに、一応謝礼を考えています。さっきは断られましたが。……お金のことだけじゃなくて、自分でなにかしてあげたい? なるほど……。たしかに親切にしてもらってますし、その気持ちはわかります」


 クルトは腕組みしてまた椅子に腰を下ろすと、うーん、と考え始めた。その様子に、シャンテナはちょっとほっとした。

 出立前までに決めておけばいいことではあるが、早めに決めておくことで、余裕をもって準備できるはずだ。別に、ひとりになるのが怖かったから引き止めたわけじゃない。

 

「そうだなあ、ものって言ってもなにか買いにいくわけにもいかないし……。肩でも叩いてあげてはどうですか、トーロさんの。あるいはお掃除手伝うとか」


 シャンテナは首を横に振った。父親にも肩を叩いてやったことがないので、下手なことして痛い思いをさせてしまったらまずい。掃除については、この家は隅々まで行き届いているから、手伝いようがない。キナのこだわりがあるかもしれないし。

 

「俺だったらなにか美味しいもの作ってもらえたら嬉しいんですけど。ん? あー……、たしかにキナさんお料理上手でしたもんね」


 キナに手料理を振る舞っても、きっと彼女のほうが腕が上なので、微妙だろう。シャンテナは帳面にそう記した。

 もの以外でなにか彼女たちにできること。首を捻りながら、ふと思い付く。

 キナよりも得意だと胸を張って言えることが、ひとつだけあるではないか。

 

「シャンテナさーん……。自分で質問して、ひとりで解決して納得しないでくださいよ」


 ぱっと顔を明るくして、さっそく部屋を出ようとしたシャンテナの背中に、クルトの情けない声がかかった。ただし、彼は怒ってるわけではなく、やれやれと言いたそうな、苦笑いの表情だった。


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