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<13>老馬侮ることなかれ

 数人の男と、頭巾を被った婦人が開け放った納屋のドアの向こうは、無人だった。苛立(いらだ)ち紛れに舌打ちした婦人の後ろで、農具などを持った男たちは顔を見合わせる。


「おそらく、シロジに向かったんだわ。昨日、都に向かっているって言ってたしね」


 婦人の言葉に、男らは顔を見合わせうなずきあった。

 

× × × × ×


 雨がまた激しくなってきた。冷たいそれが、外套の隙間を狙ったように染み込んできて、あっという間に太腿や指先の感覚がぼやけてきた。


「シャンテナさん、しっかり。少しの我慢ですから」


 背後から、クルトが励ましてくれるが、シャンテナは返事ができなかった。具合が悪いのもあるが、喉と舌が痺れてとても話せる状態ではなかったのだ。喉の奥は腫れぼったくなっていて、息もし辛い。緊張で息が上がり、さらに辛かった。

 不注意でこんなことになるなんて。

 なんとか、鞍にしがみついているが、やはり雨のせいで滑るため、非常に不安定だった。落ちないようにクルトが腰に腕を回し支えてくれている。昨日はそれで変に焦ったりしたが、今はそんな余裕もなかった。

 

「街についたら、医師に診てもらいましょう。大丈夫、舐めただけなら、大量に摂取してないですし、うがいもしたし」


 励ますように言って、彼はマルクリルの腹を蹴った。少し馬の歩みが早くなるが、ぬかるんだ道を全速力で行くわけにはいかないから、小走り程度である。雷が鳴っていないことだけが幸いだった。

 

 シャンテナは、息をすることに集中しようとしながらも、思考が散漫になるのを感じていた。暗い方向へ考えが傾いてしまう。

 摂取したのが少量だとしても、死ぬ毒はある。なにより、このままシロジに行けば、そこで動けなくなって終わりだ。昨日、都へ行くことをあの婦人には話してしまったから、追いかけてくるかもしれないし、先回りされるかもしれない。なんてことだろう。まだ旅程の半分までも行ってないというのに、これで終わりかもしれないなんて。

 ――死にたくない。死ぬのは、怖い。でも何より、フラスメンの思い通りになることが腹が立って仕方ない。悔しい。

 

「うーっ!」

「ど、どうしたんですかシャンテナさん。そんな睨まないでください、大丈夫だから、ほら」


 半泣きでクルトを睨む。本当は、マルクリルを急かしてもっと速くしてくれと言いたいのだ。舌がもつれて言葉にもならないが。

 街について、一刻も早く治療を受けたい。死にたくないから、だけではない。さっさと回復して、都へ行って、フラスメンの頭を一発殴ってやらなければ気が済まない。

 

「なにか言いたいのはわかりますが……、無理しないで。姿勢が辛いなら、もっと体重かけていいですよ」


 違う、そうじゃない、マルクリルの歩を緩めないで。

 訴えようと振り返ったシャンテナの目に、雨にけぶる道の向こうから近づいてくる影が映った。馬が四頭、その背には人が乗っていて、こちらを指さしたりなにかを喚きあっている。雨音でその叫びは聞き取れないが、クルトが振り返るには十分だった。

 

「追いかけてきたんですね」


 その間にも、追手たちは距離を詰めてきた。以前、シャンテナの家で遭遇した刺客たちのような、手練(てだれ)ではなさそうだ。どこからどう見ても、村人。そのうちひとりは、あの納屋を貸してくれた家の主人だ。彼らは手に鎌やまさかりを持っている。

 ひとりが、石を投げてきた。なかなか正確な狙いで、マルクリルの一馬身先の地面に()()()とこぶし大のそれが落下した。

 

 どうしよう、と身を固くしたシャンテナの耳の横で、がんっと硬い音がした。はっとして見ると、クルトが鞘ごと剣を腰から抜いて掲げていた。飛んできた石を弾いたのだろう。


「姿勢を低くしてください。大丈夫、相手は素人ですから」

「ううー!」


 そんなこと言っても、あっちは四人だし、こっちは足手まといの自分がいる。シャンテナが片手で喉を押さえながら訴えると、クルトは、にこりと場違いな明るい笑みを作って、手綱を思い切り引いた。マルクリルがいなないて反転する。そしてその腹に、クルトの容赦ない蹴りが入った。


「マルクリル! 元軍馬の意地を見せてやれ」


 (げき)にあわせ、芦毛の牝馬(ひんば)襲歩(しゅうほ)になった。ふたりを乗せているのに、老いを感じさせない走り。ただし、背に乗っているシャンテナには、地震のような揺れが襲ってくる。前傾姿勢になった彼女は、片手で鞍を、もう片方の手で、自分の腹を支える大きな手にしがみついた。その手がぎゅっと自分の手を握り返してきて、シャンテナはつぶった目をはっと開いた。

 

 逆走してくるとは思わなかったのか。追撃者たちの足並みは乱れた。その間に肉薄したマルクリルは、一番前に出ていた、黒毛の馬に躊躇なく体当たりした。

 振動でシャンテナは悲鳴を上げた。喉奥で潰れたような、変な声になってしまったが。

 普段は荷駄馬でもやっているのだろう、脚が太くしっかりした体形の黒馬は、マルクリルの体当たりでよろけ、ひっくり返った。上に乗っていた男が地面に放り出され、その上に倒れてきた馬に押しつぶされ、悲鳴を上げる。

 ひるんで動きが遅れた別の男に、クルトが無言で剣を突き出した。鞘ごとだ。みぞおちを突かれ苦しげに呻いた男は、体勢を崩してやはり落馬する。同時に、マルクリルが男の乗っていた馬の首に噛み付いてそのまま体当たりを仕掛けた。

 大きくマルクリルの体が上下する。クルトに支えられ、シャンテナは場上にとどまった。背後から襲いかかろうとしていた二頭の馬のうち片方は、まともにマルクリルの後ろ足の蹴りをもらい、もんどり打ってひっくり返った。それに驚いたもう一頭は棹立ちになり、跳ね上がると、主を振り落として放馬状態になる。

 

 あっという間に、無力化された四人の男の前で、勝利のいななきを上げるのはマルクリルである。得意げに、クルトが手をのばし、そのたてがみを撫でる。体を前に傾けた彼と、至近距離で目が合って、シャンテナは瞬きした。

 

「軍人が、騎乗で一般人に遅れをとるわけないじゃないですか」


 クルトがこんな不敵なことを言うとは。ほっとするより先に、なんだかむっとして、シャンテナはそっぽを向いた。うろたえて不安がっていた自分が馬鹿みたいじゃないか。もちろん、無事で済んだからそんなことを考えるわけだが……。

 ふと、強く握りしめていた彼の手を思い出して、シャンテナはその手を離した。それでもクルトはしばらく、そのままシャンテナが落ちないように気遣ってか、腰を支えていてくれた。

 

 四人を縄でぐるぐる巻きに縛り上げて、近くの木の下に転がし、クルトとシャンテナは雨の中、シロジへの道をまた進みだした。縄を差し入れてくれた道具屋の主人に、感謝しながら。彼らのうち、けが人の応急処置はしておいたので、きっと無事、村人に回収されるだろう。

 



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