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夜のコンビニと言うところは一時的に治安が悪くなることがある。辺りのヤンキー風な若者や、仕事帰りに一杯やった酔っ払いが集まってきたりと理由は様々だが。
「だから言ったろ? 俺に付いてくればおいしい思いさせてやるってよ!」
先輩の先輩とか言う男に馴れ馴れしく抱き寄せられ、ホスト風の男は内心不愉快に思っていたが、それをおくびにも出さず、笑顔で返した。
「ハイ、これからもヨロシクお願いしまッス!」
ホスト風の男もそれなりに飲んでいる方だが、先輩の先輩とか言う男の方はそれ以上に酒臭かった。どうやら妙に気に入られてしまったらしく、ずっとその男に絡まれているのがホスト風の男には気がかりだったが、先輩の手前邪険にできずにいた。それにこの男のおかげでおいしい思いも確かにしているのである程度のことは我慢できた。
「俺も一生ついていきまス! マジリスペクトっすよ!」
ホスト風の男の後輩であるギャル男風の男も便乗してきた。
「先輩の先輩の先輩だし、もう大先輩ッスよね! もう大先輩って呼ばせてください!」
語気は強いが言っている内容は極めて希薄なのはいつものことだった。酔っているせいでいつも以上にアホだった。
ホスト風の男の先輩である体育会風の男はそれを興味なさ気に眺めている。いかにもスポーツをしていそうな日焼けした男で、このメンバーの中では若干浮いている。彼は車を運転する都合があるので飲んではいなかった。律儀な男だ。
「そうかそうか、これから目一杯可愛がってやるからな!」
そう言って大先輩はギャル男風の男も抱き寄せていた。髭面でガラの悪い男の腕の中で、内心勘弁してくれとホスト風の男は思っていたが、それでも外面のいい男と自負している彼は笑顔を崩さなかった。
「俺はちょっとタバコ買い忘れたからよ、お前ら車で待っとけや」
二人の男を開放し、大先輩は二人ケツを叩いて送り出し、自分はコンビニの中に姿を消していった。
「すまないな」
体育会系の男が唐突に低い声音でそう言って来るのに、ホスト風の男は手を振って応えた。
「ああ、いいっすよ。バイト代も良いし、先輩にはいつもお世話になってますからね」
元々大先輩は先輩との繋がりしかなく、下の後輩二人とは面識がなかった。こうして飲みに行くような事も今回が初めてのことだった。
「でも正直、あの激しいスキンシップにはチョイ面食らってますネ」
「まあ、あの人も大概体育会系だしな」
と、渋い顔で先輩。この顔だと彼も大先輩には苦い思いをさせられていそうだった。
大先輩は喜怒哀楽を言葉より手で伝えてくるタイプの人間だった。すぐ手は飛んでくるし、嬉しささえも肩パンチで表現し、楽しさをスキンシップで伝えてくる。ホスト風の男にとって、あまり得意なタイプではなかったが、あしらえない程の難敵ではなかった。
「そうっすよねー、マジ勘弁って感じッスよねー」
後輩のギャル男風の男は感情の籠らない軽薄な様子で便乗してくる。この男は何にでも便乗してくる奴だった。主体性がなく、場の空気に流されやすい気質があった。
「まあなんだ、上手くやってくれ。俺は車のエンジンかけてるからな」
そう言って、体育会風の男は軽く手を上げて、コンビニの袋片手に車の中に消えていった。
ホスト風の男はため息をついた。我慢はできるが疲労はたまる。濃い味のおっさんと付き合うのは気力の消費は避けられない。少々口直しをしたいところだった。
「なあお前、この後遊べる女とかいねえ?」
携帯を弄りながらホスト風の男は後輩に尋ねる。この後は大先輩の自宅で飲みなおすと言う予定らしいが、その後に可愛い女の子との予定があるならば耐えられる。
「マジっすか? こんな時間だし捕まりますかねえ……」
そう言って携帯を取り出しかけた後輩は、ふと何かに気付いたように手を止めた。
「先輩、アレ見てくださいよ!」
ギャル男が嬉々として指さすその先には、セーラー服姿の女子高生が居た。金髪巻き毛のギャルメイクが完璧なその女は、後輩がいかにも好きそうなタイプだなとホスト風の男は思った。
「やべー、メッチャ可愛くないッスか? 俺メチャ好みかもしんねーッス!」
確かに言われて顔をよく見ればかなりの美人のように思えた。こういう手合いはすっぴんが酷いモノと相場が決まっているものだが、ホスト風の審美眼はその素地の良さを明確に見極めていた。誤魔化しだけの可愛さだけではないと、男の経験則がささやいていた。
「先輩、イっちゃいましょうよ」
そそのかしてくる後輩に、男は怪訝に眉を潜めた。
「これから飲み直すのに口説いてもしょうがねーんじゃねえか?」
「でも、勿体ないッスよ! 連絡先だけでも交換したくないッスか?」
確かに、と後輩の言に内心うなずく。こんな田舎じゃこれほど上等な女珍しいし、こんな時間に捕まる女の目星もつかないし、ナンパしてみるのもいいかもしれない。と、ホスト風の男は思考する。
「よし、行くか」
携帯をしまいながら軽い調子で男が言うと、後輩の男は歓喜の声を上げて小躍りした。
女子高校生はトボトボと道端を歩いていた。ちょうどコンビニの前を通り過ぎようとしているところだった。いかにも家出娘と言う哀愁を漂わせている。こういう精神的に不安定になっている女は落としやすい、と言うセオリーをホスト風の男は信じていた。
「カーノジョ、どうしたの? カレシにでもフラれた?」
こういった手合いの女はどうせ大した悩みなど持っていない。せいぜい家出か彼氏にフラれたかのどっちかだろうと男は思っていた。
呼びかけても、少女は止まらなかった。なのでホスト風の男は彼女の前に回り込むことにした。さすがに進路を塞がれた少女立ち止まるしかなかった。
「俺ハヤトって言うんだ。ヨロシクね」
ホスト風の男――ハヤトは、快活さと愛嬌を意識して笑顔を見せた。
対する少女の顔は暗かった。こちらの言葉にも反応がないように見られたが、まあ最初の方はこんなものだろう。いずれ行く当てがないなら一緒に過ごそうとか優しいことを言えば落ちるだろう。精神的に不安定な女は落としやすい。と言うセオリーを彼は信じていた。
「今暇だよね? どっかでゆっくりしない? おごったげるからさぁ」
警戒心を解くようにフレンドリーに、金もちらつかせるように。こういう女は損得で人を測る。相手がイケメンでおごるとまで言えば大抵は断らないのだが。
「ウザイ……邪魔だからどっか行って……」
少女は顔すらも見ずに吐き捨てた。多少予想外だったが、精神的に不安定な女は扱いが難しいところもある。不機嫌なため敵愾心が強く出ているのかもしれない。
「ゴメンゴメン、何か嫌なことがあったんだよね」
ホスト風の男は手を合わせて申し訳なさそうな顔をする。無論この女のバックグラウンドになどあまり興味ないが、表面的にだけでも親身になっているフリをする。
「何か悩みあるのかな? 良かったら相談に乗るよ」
さりげなくボディタッチ。親切なフリをして肩に手を置く。これだけ優しくしてやれば落ちるだろう。
「こんなところで話し込むのもアレだしさ、どっかゆっくりできるトコ行く方が良くない?」
耳元で甘く囁くように、愛されるアイドルスマイルで少女の顔を覗き込む。その表情は不機嫌に歪んでいた。肩にかけていた手も振り払われる。
「ウザイってーのわかんないのかよ! キモいから触ってくんじゃねーよ!」
罵声を浴びせられる。こんな屈辱は初めてだった。男はキレた。
「てめぇー調子乗ってんじゃねーぞ! 優しくしてやりゃつけあがりやがって!」
掴みかかろうと手を伸ばして、気が付いた時には地面に倒れていた。どうされたのか分からないが転ばされたらしいと混乱したハヤトはそう悟るのに時間がかかった。
「おいアマァ! 先輩になにしてんだコラァ!」
瞬時に後輩もキレて女に詰め寄った。途端に、目にも止まらぬ速さで少女の平手が飛び、後輩の頬を打った。目の覚めるような軽快な音が響き、後輩が嬌声にも似た悲鳴を上げる。
「ボコられたいの?」
ジト目で後輩を睨みつける少女。
後輩は打たれた頬を押さえて、涙目でしばらくその少女の眼を見つめ返していた。が、はっと何かに弾かれるように再び少女に掴みかかろうとした。
「ナメんな――」
言い終わるよりも早く、少女の右拳が後輩の腹に突き刺さる。後輩はうめき声をあげてそのまま四つん這いになった。さらにケツを蹴り上げられ、倒れたところを頭を踏まれて動けなくされた。
か細く聞こえる後輩の高い声を聞いて、ハヤトは気付いてしまった。後輩はMだった。
「なーんか楽しそうなことしてんじゃん」
しゃがれたおっさん声が割り込んでくる。騒ぎを聞きつけたようで、買い物を終えた大先輩がふてぶてしい顔を見せつけながらあらわれる。その後ろには日焼けした体育会系の男も居た。
「嬢ちゃんよォ、あんまり調子乗ってんじゃねぇぞコラァ!」
大先輩は軽く張り倒すつもりで少女に殴りかかったようだった。しかしその拳は虚しく空を切るだけだった。確実に当たるものと思っていたようで男は体勢を崩してよろめいていた。そのすぐ隣で、少女は冷ややかにその様子を眺めていた。
青筋を立て、男は怒りに任せて少女の胸倉を掴み上げた。
「いい気になってんじゃねえよコノ――」
言い放つ男の手を、少女は軽く振り払った。かのように見えたが、そうではなかった。次の瞬間、男は悲鳴を上げて掴みかかった左手を押さえてうずくまった。その左手の小指と薬指が、根元からあり得ない方向に曲がっていた。
「てめぇ、このアマァ! よくも……よくもこんな……ッ!」
苦悶の表情を浮かべて喚き散らす男にトドメを刺そうと少女が動きを見せる。それに反応して阻止したのは体育会系の男だった。
浅黒い肌の男が油断なく少女に迫り、牽制のために素早くコンパクトなパンチを数度放った。少女はそれを難なく躱し、後方に飛んで男の間合いから遠ざかった。どちらも格闘技を嗜んでいそうな動きだった。
少女と体育会系の男には明らかな体格差があったが、それでも男の方は動かなかった。力業でねじ伏せようとすれば簡単にできてしまいそうに見えなかったが、それでも慎重に相手の様子を窺っていた。
動いたのは少女の方だった。小柄な体躯を活かした俊敏な動きで、右へ左へフェイントをかけながら、目の前の巨躯の男へ迫る。直線的な動きでもないのに一瞬で懐に飛び込む。
少女の右拳が繰り出され、パーンと言う軽快な音と共に男に受け止められる。が、その音の正体は拳ではなかった。拳が受け止められるほぼ同時に放たれたローキックが、男の足を捕らえていた。
「…………ッ!」
男の顔が歪み、体勢が崩れる。それと同時に少女が受け止められた手を逆に掴み返すと、一瞬で男の巨体を投げ飛ばした。為す術もなく背中から地面に落とされる。少女は間髪入れずに足を振り上げると、仰向けになった男の顎を踏み抜こうとするが、男は間一髪地面を転がって危機を脱した。
ハヤトはその光景をただ見ていることしかできなかった。一連の攻防はほぼ数秒の出来事だった。まるで曲芸のような動きで、彼の目ではその動きを追うのがやっとだった。とても手出しできそうなレベルではない。先輩のことは助けたかったが手を出しても邪魔になるだけだろう。決してビビってるわけではない。
「うわああああああああああッ!」
唐突に、精神的ダメージから復活したギャル男が加勢に入った。肉体的ダメージは大したことなかったようでやたら元気だ。わざわざ自分の存在を誇示しながら、両手を振り上げて突進していく。その姿はやられるために無防備に突っ込んでくる恰好の的のようだった。
少女は素早く動くと瞬時にギャル男を黙らせた。的確に顎を捉えて拳をめり込ませる。情けない声を上げながらギャル男が昏倒する。
その隙を体育会系の男は見逃さなかった。僅かにできた無防備な時間を突いて、少女に向けて鋭い上段蹴りを放つ。少女はとっさにガードすることしかできなかった。腕を振り上げる少女と、丸太のように太い男の脚が激しくぶつかる。
弾けるように両者が離れる。苦悶の表情を浮かべていたのは男の方だった。放った脚を引きずり、脂汗を浮かべている。信じられないことだが、少女はガードしたのではなく、あの一瞬で男の脚を殴りつけていたようだった。片足を潰され、体育会系の男が明らかな動揺を浮かべている。
そこからは一瞬だった。少女が飛び込むと、男は迎撃のために拳を振るったが、片足をやられて俊敏な動きもできず、容易に懐に飛び込まれてしまった。交差するように少女の掌底が男の顎に食い込み、彼は昏倒してしまった。
少女の瞳がゆらりとホスト風の男の姿を捕らえた。彼は思わず悲鳴を上げた。
「す、すいませんでしたァ!」
恥も外聞もなく土下座する。
「わ、悪気はなかったんです……本当にスミマセン……! なんでも致しますから……この通り……」
ガタガタと震えながら地面に頭をこすり付ける。どこかのレディースの族長なのか、それとも格闘技のオリンピック選手なのか知らないが、こんな化け物相手にまともに戦えるわけがない。もう靴を舐めてでも許しを請うしかない。
少女は彼の前まで来るとその姿をしばらく眺めているようだった。彼は本当にその目の前にある靴を舐める覚悟だった。
少女のため息が聞こえてきて、ハヤトは顔を上げた。少女はもう彼に興味を無くしたように、空虚な眼差しで虚空を眺めていた。
(助かったのか……?)
彼がそう考えていると、突然ゴスッと言う鈍い音が響いた。同時に少女がこちらに倒れ込んでくる。悲鳴を上げてその場を後退ると、少女はその場に倒れ伏して動かなくなった。
「このクソアマがァッ! ナメ腐りやがってッ!」
ガラの悪い髭面の男が、怒りの形相を浮かべて立っていた。折られた指を抱えるように添えられた反対の手には、車の中から持ってきたのであろうバールのようなものを握りしめていた。
「ブッ殺してやるッ!」
鬼のような形相の男が鈍器を振り上げる。それが振り下ろされ、少女の頭がスイカのように赤い飛沫をまき散らして頭蓋骨を砕かれると思われた瞬間、弾けるような動きで少女が動いた。寝たままの姿勢で蹴りを放ち、男の股間を蹴り上げる。
「ひぐゥ……ッ!」
悲痛なうめきを漏らす男の腕を取り、少女がその腕を捻りあげる。男の体が宙を舞って、少女と男の上下が逆転する。男は背中から落下し、少女はいつの間に奪ったのか、バールのようなものを手に悠然と立ち上がっていた。こめかみ辺りから、赤い筋が頬を伝って顎へと落ちていた。
少女がその滴を手のひらで拭い手のひらに付いた赤色を見ると、彼女がキレたことが一目で分かった。瞳に黒い炎を宿らせ、男にゆらりと近づく。
「うわああああああああああッ!」
無表情のまま殺気の籠った眼差しで近づく少女に男は絶叫した。指の折れていない方の腕で頭を守る。その腕に無慈悲に金属の凶器が襲い掛かった。
再び絶叫が響き渡る。鈍い音を立てて骨が粉砕されたのが分かった。喚き散らしながら男が転げまわる。
少女の姿はさながら幽鬼のようだった。乱れた髪の間から深い闇を湛えた瞳が覗いている。這って逃げる男をゆっくりと追い詰めていく。
男は声を引きつらせ、折れた指と腕の痛みに耐えながら何とか立ち上がった。逃げ出そうと少女に背を向けて駆けだした。
風が通り抜けるようだった。少女の体が舞うと一瞬で男の体を通り越し、姿勢を低くして水平に凶器を薙いだ。逃げようと突き出した男の脛を強烈に打ち据えて粉砕する。三度男が絶叫して地面に転がる。
少女は倒れた男を見下ろすと、手に持った凶器を投げ捨てた。金属音を響かせながらバールのようなものが転がる。
悲鳴を上げてうるさい男を黙らせるように、少女は腹に蹴りを浴びせた。それで多少大人しくなった男に馬乗りになって顔を殴りつける。
「た、助けて――」
許しを請う髭面に、少女は無言で拳を叩き込む。
「や……やめてく――」
男の言葉など聞かずに、無慈悲に拳をめり込ませる。
「た……助け……て――」
男の目は、始終を見守っていたハヤトに向けられていた。弱々しくなった声は再び拳で黙らせられる。男の顔が歪むと、飛沫がハヤトの頬に降り注いだ。
「ああ……あ……ううう……」
そのうめき声も、少女は拳で応えた。男の首が力なく、ぐったりと落ちる。その男の顔を、少女は無言で殴りつける。反応の無くなった男を、ただただ無言で殴り続ける。
再び顔に飛沫が飛んでくると、ハヤトは絶叫した。足をもつれさせながら立ち上がり、殴られ続ける男を見捨ててその場を逃げ出した。肉と骨を叩く鈍い音が、ずっと背後で鳴り響いていた。
こうして、振り込め詐欺グループの一団が一つ壊滅した。出動した警察が彼らの車の中を調べると、警察の制服や偽造された警察手帳、弁護士を詐称した名刺、被害者についての資料などが押収され、彼らは御用となった。これから先、捜査が進めば余罪も暴かれるかもしれない。
なお、詐欺グループのメンバーが一名逃走してしまったらしく現在調査中とのことだ。加えて、障害事件の加害者も警察が到着するまでに姿を消しており、同様に調査中だ。詐欺グループとの関連性は不明で、仲間割れの可能性も含めて捜査する必要もあるだろう。目撃情報によると、セーラー服姿の女子高校生であったという情報もあるが真偽不明。事件の凄惨さを見るに信憑性は低いと警察は判断するかもしれない。
リーダー格の男は重体。暴力団グループとの接点もある男のため、現在ヤクザの関与も疑われているようだった。