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モズバーガーは全国展開しているハンバーガー専門のチェーン店だ。厳選された素材が使用されたこだわりの味を売りにしており、奇妙な供され方も相まって人気を博している。
テーブルの上には枯れ木を模した台座が置かれ、その枝には注文したハンバーガーが串刺しにされている。血のように真っ赤なトマトソースがボタボタと滴り落ち、枯葉のように散りばめられたポテトに降り注いでいる。
むんずとハンバーガーを鷲掴みにし、大口を開けてパクつく綾を眺めながら、直人はため息をついていた。
結局あの後、いくつかのセレモニーのを終えたのち、午前中のうちに学校は終わった。注目は浴びたものの、大きな騒動も教師に呼び出されることもなかった。
ここに来たいとせがんだのは綾だった。下校途中にこういった場所に立ち寄って下賤の食い物を欲するなど、前の彼女に対してなら驚いただろうが、今の彼女ならばさもありなんという気はした。以前の彼女ならば逆に学級委員長然とした様子でたしなめて来ただろう。実際学級委員長でもあった。
そう、彼女は学級委員長だったのだ。絵に描いたような優等生。清廉なる令嬢。
目の前の、ハンバーガーにかぶり付きソースで顔を汚す女。
似ているようで、似ていない。似ていないようで、似ている。どちらとも判断できない。そもそも、自分はどこでもって彼女を彼女と認識していたのだろう。自分は彼女のどこを見ていたのか。何者かにそんな悪意ある試しを受けているようで不愉快なわだかまりが胸に詰まる。
犯罪の足音ではないだろうか。この女は彼女そっくりの――そっくりかどうかは議論の余地があるが――偽物で、何かしらの意図があって彼女に成りすましているのだ。
妄想に近い考えであることは分かっている。だがこの変化はそれほど唐突で、その妄想に現実味を帯びさせるだけの説得力を与えているように感じていた。
ともあれ、彼女の提案でここに来たわけだが、直人としても二人でゆっくり話し合う場が必要だとは思っていた。説明も貰いたいし、言い分もある。
とは言ったものの、どこから突っ込んで話せばいいのか。何が飛び出してくるかという怖さも若干ある。言葉を頭の中で探しながら、直人はパクパクとポテトを食べる。別に腹が減っているわけではないが。
対照的に綾は、両手と口の周りをソースでベタベタにしながら陽気にハンバーガーにかぶり付いている。その無邪気さの中には何かしらの悪意は感じられない。
「結局のところ……」
ポテトを飲み下し綾を見つめながら、意を決してと言うほどではないが直人は言葉を発した。
「それは、どういうことなの? 高校デビューってやつ?」
結局は率直に尋ねる。綾の姿を指示しながら言うと、彼女は小首を傾げた。高校デビューという単語を初めて聞いたという様子でその単語をつぶやき、分からないことは無視してバッグの中をあさり始めた――汚れていた手は使い捨ておしぼりで拭いた――。中から雑誌を取り出す。
「私ね、こう言うので勉強してるんだよ」
どうやら十代向けの女性誌のようである。そのページをペラペラとめくり中身を見せてくる。
オトコのコにモテるメイク術。今流行りの髪型。カワイイ小物の紹介。ネイルのお手入れから簡単に着脱可能なつけ爪の記事。カレシを満足させる魅惑の舌技、というところまで見て直人は雑誌から視線を外した。
「直人くんに愛されるモテカワ女子目指して頑張ってるんだよ!」
何やら誇らしげに雑誌を掲げて力説してくる。どうやら彼女はカワイイは正義の信者らしい。
「ねえどう? 私カワイくなった?」
キラキラした上目遣いで直人を見つめてくる。男を射殺す目だ。絶対の自信がなければできない技だ。
「き、嫌いじゃないけど……」
見え透いたあざとさを評価するのは正直癪だったが、率直にカワイイと思った。清純派とは違うが、そこらの木っ端アイドルなどには負けたりなどしないだろう。
だが、それですべてを許すわけにはいかない。カワイイは正義の信奉者ならば驚くかもしれないが、それだけで許される世界というのは意外に狭いのだ。
簡単に認めるわけにはいかないと決意を固めて、直人はぐっと握り拳を固めた。
「でも、おかしいだろ!」
どんっと机を叩きたかったのだが、暴力的なことが苦手な直人にはそんなことできるわけもない。握り拳を所在なさげにさすりながら、直人は続ける。
「突然女子力に目覚めて登校初日から校則違反はするし、いきなりマッチョな体育教師軽々と投げ飛ばして平然とした顔して見せるし、そんなキャラでもなかった癖にこんなところ来たいって言って汚れるのも気にせずハンバーガーばくばく食うし……はっきり言ってなんか変だよ……」
説教するつもりでなどと言うとおこがましいかもしれないが、少なくとも直人はそのつもりだった。だが、言うべきことを言うというよりも、思いつくことを順番に吐き出していく形になってしまった。つまるところ愚痴のようなものになってしまった。こんなものただの文句でしかない。
実際彼女はそう受け取ったようだった。嫌味な野次に気分を害したように眉根を寄せた。
「変? 私ってそんなに変?」
彼女の握りしめた拳がテーブルを叩き、軽い音を立てる。直人と違って彼女は感情を爆発させることに容赦はないようだった。感情を露わにすることに戸惑いは見られなかった。
「自分の好きなオシャレするのって変? 気に入った髪型にして、メイク磨いてカレシにカワイイって言われたいって思うのがそんなに変? 大好きなカレシとお出かけデートするのっておかしい? カレシと一緒食事楽しむことがそんなに変なの? 普通のカップルみたいに幸せになりたいって思うのがなんで変なのよ!」
もう一度、テーブルが音を立てる。彼女のヒステリー気味な声に店内から軽く注目を浴びてしまうが、彼女の気勢に気圧された直人には気にする余裕はなかった。彼女が身を乗り出した分だけ直人は体を仰け反らせた。
「へ、変……じゃないけど……」
辛うじて出た言葉はそんな気弱な台詞だった。彼女を多少なりとも改心させるつもりだったが、結局はこのザマだった。何のとりえもない男のコミュ力など所詮はこの程度だった。女性に言葉を武器に立ち向かうなど思い上がりだったのだ。
負けを認める。平凡な人生を歩んできた僅か十数年で培った少年の稚拙なコミュニケーション能力では女性には太刀打ちできない。それでも、立ち向かわねばならない。彼女のことを思うのであれば、これまでの横暴を許していてはいけない。少なくとも校則違反の件は目下のトラブルになり得る。これだけは何とかしないと。
悲壮な覚悟を固めるように、直人は再び握り拳を作る。僅かにだが勇気が湧き出る。それが萎まないうちに、言い募るように直人はまくし立てた。
「やり方って物があるでしょ!? わざわざ周りから目を付けられるようなド派手な格好しなくても、もうちょっとクールでスマートなやり方思いつかないの? 学校にいる間だけもう少し大人しい恰好するとか、目立たないように言動を抑えるとか、先生の言うこと表面上だけでも聞いたフリしとくとかさ……。別に教師に喧嘩売りたいわけじゃないんだろ!?」
語気は強まるが、結局は愚痴のようなものに変じてしまう。所詮自分は説教するよりもされる方が身の程に在っているのだなと直人は自覚した。説教の仕方というものがイマイチ良くわからないのだろうなと思う。
それでも彼女にはそれなりの効果はあったようだ。意外と神妙そうな顔つきに変じている。
「……そんなに怒らないでよ……ごめんなさい……」
どうやら彼女は直人の機嫌を損ねたことを気にしたようだった。
直人は舌打ちしたいのを堪えた。噛み合わない会話に多少イライラする。話の本質はそこじゃない。彼女は何故自分の言いたいことを理解してくれないのだろうと、直人は胸中で叫んだ。
彼女の目を見つめて念じるが、それが彼女に届くことはなかった。綾はさらにうつむき、表情を暗くするばかりだった。
思わずため息が出る。疲労感に襲われ、次いで口から洩れたのはやはり愚痴のようなものだった。頭を抱えて、直人は不満を吐露する。
「正直さ……今日みたいなこと毎日あったりしたら、さすがに付き合ってられないよ……」
半ば諦め、匙を投げるような心境で吐き捨てた言葉だった。
直人は顔を上げ、彼女の方を見やる。と、彼女が見せていたのは、絶望に沈むように揺れる悲観的な眼差しだった。ぼそりと彼女がつぶやく。
「別れるの……?」
思ってもみない言葉だった。訳が分からず彼女を数秒見返しもした。もちろん直人としてはそこまでの意図で言った台詞ではなかった。しかしより深刻に受け止めた彼女は、最悪の事態を予見して必要以上に怯えていた。
違うと否定する間もなかった。突如彼女は頭を抱えて恐慌状態に陥り、まるで半狂乱の様子で喚き散らした。
「嫌ッ! 別れたくない! 捨てないで!」
嫌だ嫌だとわーわーと叫び、その声には次第に泣き声が混じり始めた。やがてその声は徐々に弱々しく変じていき、嗚咽交じりのか細い声になっていく。
「お願い、捨てないで、言うこと聞くから……ッ! ごめんなさい、嫌いにならないで……お願い……捨てないで……お願い……ごめんなさい……ごめんなさい……」
あとはそんな言葉を繰り返すばかりだった。
直人はただただ呆気に取られていた。そして軽い恐怖を感じていた。自分の言葉の破壊力と、そして彼女に。
(ヤンデレって奴なんだろうか……)
不意にそんなことが頭を過る。
ともあれ、とりあえず彼女は言うことを聞いてはくれそうであった。
これで良かったのかどうか分からなかったが。ともあれ直人は彼女の横の座席に移動した。泣き止ませるためにそっと彼女の肩を抱いた。直人たちはすっかり店内の注目を集めていた。